2014年8月16日土曜日

No.107  教理随想(58)  生まれ更わり(5)

  この判定を自分なりに下す前に、『おふでさき注釈』にのせられてあります、牛馬にかんするお歌の実例として説かれたと言い伝えられています話をそのまま引用し吟味してみましょう。
 
  『某女は邪けんな性質で、教祖様に数々の御恩をうけながら、お屋敷の前を通っても立寄る事さえしなかった。それ程であるから、人々に対してもむごい心づかいが多かった。教祖様は常にそばの人々に「報恩の道を知らぬ者は、牛馬に堕ちる」とも「牛見たようなものになる」とも仰せられた。果して、某女は、明示七年から歩行かなわぬ病体となり、二十余年間いざりのような姿で家人の厄介になってこの世を終った』(74頁)(いざりという言葉は、差別用語と思われますが、2004年版の『おふでさき註釈』に、旧版のままで載せられていますので、ここでもそのまま使用します)
 
  簡単にまとめると恩に恩が重なり、いざりとなって苦しみ、出直したということになりますが、問題は「いざり」となったことの意味、その姿と牛馬とがどのように関わるかということであります。

 「いざり」となったことは、単に第一段階にすぎず、来世牛馬に生まれかわって、今までのつぐない、恩返しを無理やりさせられることになるのか、あるいは「いざり」という歩行困難な姿が牛馬とみえる道、「牛見たようなもの」であり、来世も人間として生まれかわることになるのか、そのどちらであるかという点であります。

 『おふでさき注釈』によると前者ということと悟れますが、私見によると後者の意味に解するほうが本教の教理より考えて、よいのではないかと思われます。
 
  言うまでもなく、本教教理の根幹は陽気ぐらしで、いんねんの教理も、これに基づいて考えられねばなりませんが、従来のいんねん論は、どちらかというと、仏教的な因果応報と同じようなものとして、したがいまして牛馬道も文字通り牛馬に生まれかわることとして、また忘恩の徒にたいする罰のようなものとしてみなされ、説かれてきたように思われます。

 おたすけでのお諭しにおいて、たとえば肺病の人に対しては、肺病の病気によって牛馬の先き道、来世牛馬になることを知らされているのであるから、普通の人間らしい生活を捨て、土間にむしろを敷いて寝ることによって、いんねんの納消はできる、というような諭しがなされ、それなりの布教上の効果をあげてきたと思われますが、このような説き方は、本教の教理の根本から少しはずれているように悟れます。たとえご守護を頂くことができても、そのような諭しが正しかったからではなく、その後のたすけ一条の理の御用によってであったと悟らせて頂きます。
 
  このことは『教典』の一部が改正され、「元のいんねん」(人間は陽気ぐらしができるように創造された)が強調されるようになったことからも言えると思われます。
 
        にち~~にをやのしやんとゆうものわ 

       たすけるもよふばかりをもてる
                    (十四、35)
のお歌から、忘恩の徒の罰として牛馬に生まれかわらせて、人間に酷使されたり、食べられたりすることが、「たすけるもよふ」であり、それが親神の慈悲であるとはどうしても思えないからであります。
 
  また「理はみえねど、みな帳面につけてあるもおなじこと、月々年々あまればかやす、たらねばもらう、平均勘定ちゃんとつく」(M25,1,13)の中の「たらねばもらう」には、足らねば牛馬に生まれ変わらせてでも恩報じを強制的にさせるという意味があるのかと考えますと疑問に思えます。

 このおさしづはあくまで人間に当てはまるのであれば、「たらねばもらう」には人間として生まれる中に、いろいろの節をみせられることによって、平均勘定をつけられるということではないでしょうか。
 
  このように見てきますと、牛馬道とは、牛馬そのものではなく、あくまで人間として生まれながら、牛馬のように人間的自由を失った姿で生きなければならない、という意味であり、それが牛馬そのものと受け取られましたのは、本教の草創期に根強かった仏教の因果応報の思想の影響によってではないかと思われます。
 
  ところで教内には次のような出所不明の話を論拠にした牛馬論がありますが、信憑性は極めて少ないと思われます。
 
  山本利雄氏は『続人間創造』の中で、つぎのような話しを引用しています。
『後日、御神憑あらせられて或る日のこと、、白牛がお屋敷の前を通った。御教祖は「あれはおかのの生まれ代りや」仰せられ、その牛に近寄って「お前もこれで因縁果しをしたのや」と人に諭すが如くに優しくお聞かせになった。間もなくその白牛は死んだといふ』(『復元』第29号100頁)(この話については山澤為次氏が『復元』第三号四二頁において、作り話ではあるまいか、と述べています)
 
  また『天理教校論叢』第二二号に芹澤茂氏の「牛馬考」(この中で人間から牛馬への転生が論証されている?)が掲載されていますので興味のある方は参考にしてください。

  では諸井政一氏の『正文遺韻抄』の「動物の進歩について」の教祖のお言葉は、どのような意味をもつのでしょうか。
 「動物の進歩について」のポイントになる部分を引用してみましょう。

  「生物は、みな人間に食べられて、おいしいなあといふて、喜んでもらふで、生まれ変わるたび毎に、人間の方へ近うなるのやで。さうやからして、どんなものでも、おいしい、おいしいと言うて、たべてやらにゃならん。なれども、牛馬といふたら、是れはたべるものやないで、人間からおちた、心のけがれたものやからなあ」(155頁)
 
  ここには人間から牛馬、牛馬から人間への転生がはっきりと示されていますが、これを文字通り受け取れないとしますと、一体何が意味されているのでしょうか。
 まず西山輝夫氏の解釈をみてみましょう。

  「私たち人間は生き物を殺して食べることが許されているとはいえ、それは必ずしも無条件ではないのであります。その条件というのは、せっかく、いのちあるものを食べることを許されているのだから、そのかわり、おまえたち人間はそれに十分感謝し、それによって得られたエネルギーをもって互いに助け合って生きるように努力せよ、と親神様はいうておられるように思われます」(『ひながたを身近に』187頁)、

  「生き物でも何でもそれが親神様のお与えであってみれば、おいしいといって食べることが、物を生かす道であり、自分もまた生かされる道であることを知るのであります」(同頁)
 
  つまり西山氏によると「動物の進歩」によって、われわれが食べ物にしている生き物への恩が教えられ、その恩返しとして人救け、物を生かす道が示されている、と理解されていますが、はたしてこのような意味だけでしょうか。
 
  西山氏の解釈は、極めて常識的で、すぐに思い浮かぶ解釈と思われますが、「動物の進歩」にはもっと深い意味があるのではないでしょうか。