2015年3月18日水曜日

No.113 教理随想(64) 生まれ更わり(11)

  今回より出直しに関する霊魂の問題にについて考えてみたいと思います。 

  「こかんや秀司が来てくれるから、少しも寂しいことはないで。」
  「秀司やこかんが、遠方から帰って来たので、こんなに足がねまった。一つ、揉んでんか。」「正善、玉姫も、一しょに飲んでいるのや。」(『逸話篇』一一〇、魂は生き通し)
 「正善、玉姫」とは山本利雄氏の『続人間創造』の中で、二代真柱正善様が秀司先生の生まれかわりで、玉姫とは初代真柱様の長女玉千代様のことで、こかん様の生まれかわりであると説明されています。
 
 秀司先生は明治十四年六十一才で、こかん様は明治八年三十九才でそれぞれ出直されていますが、魂は生き通しで、現身をもたれている教祖と会話、飲酒をされていたということになります。これをどのように受け取ればいいのでしょうか。
 
   まず魂とは何かみてみましょう。
 魂は原典においては、

         高山にくらしているもたにそこに 

         くらしているもをなしたまひい
                (十三、45)

          「一寸の虫にも五分の魂」(M29.3.24
 の二ヶ所にしかでてきません。 

 おさしづの方は常識的なことわざで、おふでさきに一ヶ所しかありませんので、原典に基づいて論じることは極めて困難であります。
 
  哲学者カントは魂は形而上学的な存在で、理論理性によっては、認識、証明が不可能であり、実践理性(道徳)によってその存在が要請される、と考えています。
道徳的に完全無欠な人間になることは、この世では不可能で、その実現はこの世をこえて無限の前進においてのみ可能で、そのことから必然的に、理性は道徳的主体としての人格、すなわち魂の存在、不死を要請することになります。

 従ってカントにとっては魂は現象界、経験界に直接的に見出され、科学的に探知され、検証されるようなものではなく、あくまで信仰の対象とされるものであります。
 
  さて人間存在は一般に三つの次元、側面から成り立っているとみなされています。第一は身体的、第二は心的、第三は霊的次元で、第三の霊的次元については、これまで古今東西において様々な見方が示され、百家争鳴の観を呈しています。
 
  代表的な見方を紹介しますと、ユングの自我(Ego)に対する自己(Self)、これは無意識に潜在するもう一つの自分で、この自己の働きを知り、その声に耳を傾ける、こうした自我と自己、意識次元と無意識次元が生き生きと交流し、結びつくようになることが自己実現とみなされます。
 
  本教において深谷忠政氏は、魂とは、心づかいの起点である我れの抽象形態で、魂が展開して心となり、その現実形態が心づかいである。魂の現実存在ともいうべきものが我れなる主体である。

 魂はいんねんの担い手で、心の可能性、心の自覚性、心の原性とも言われる。魂は等価値で、心の原性には区別はないが、何回かの生まれかわりの中に、個人差がでてくる、との見解を示しています。(『天理教教義学序説』一四六、一四七頁)

 魂と心と身体は互いに密接な相関、因果関係をもち、心と身体は魂のいんねんに相応しいものを借りていて、心の働きはその本質である魂に規定され、心の働きは逆に魂に影響を与え、それが原因となって身体のあり方、心のあり方を変えていく、と考えられます。      
 また魂としての作用、すなわち心は身体をもつ生命の誕生に始まり、身体の生命が終わるとともに停止すると考えられます。

 諸井慶一郎氏は次のように説明しています。
「この魂が、身上と離れて在るかということについては、働きが身上を以ての働きである以上は、身上なくしては働きはないのであって、働きのない存在は、これは観念的な存在でしかないのであります。つまり、魂は心としては存在するが、身上なくしては存在するとも云えんのであります。したがって、死後の魂、死後の霊が存在するかといえば、この世においては存在しない。」(『天理教教理大要』立教164年、306頁)
 
  では「魂の生き通し」の逸話はどのように考えればいいのでしょうか。
 
  初代真柱様が明治二十年一月十三日教祖に尋ねられた三箇条の根本教理の第一に、「この屋敷に道具雛型の魂生れてあるとの仰せ」とあります。また『こふきの研究』(和歌体十四年本)に、

「29 くにさつちのかみさまハ親さまのたいないこもりだきしめござる」

「30 ことしから三十年たちたなら なあハたまひめもとのやしきへ」

「32 つきよみハしやちほこなりこれなるハ にんげんほねのしゆこふのかみ」

「33 このかみハとふねん巳の六十といゝ才にてぞあらハれござる」
  と、教示されています。
 
  こかん様、秀司さんの魂が、それぞれ、くにさづちのみこと、月よみのみことの魂で、
  こかん様は「たまひめ」(玉姫)に三十年後に生まれかわること、秀司先生が明治十四年六十一才であることは、史実によって確認することができます。

 教祖はいざなみのみことの御魂で、ともに人間創造の時の道具衆の魂であるため、私たち人間の魂と異なり、魂だけで、心の働き(教祖の場合は、観念的なものではなく、現実的なお働きも持つ)も持たれているので『逸話篇』110にみられるようなことが、現実に生起すると悟れます。

 秀司先生は明治十四年四月八日、六十一才で出直されますが、その直後に教祖から、「可愛相に早く帰っておいで。」と長年の労苦をお労いされます。
そしてすぐ後に座にかえられますと、教祖のお口から「私は、何処へも行きません。魂は親に抱かれて居るで。古着を脱ぎ捨てたまでやで。」との秀司さんの生の男性の声が聞かれたと、言われています。(矢持辰三著『教祖伝入門十講』374頁参照)

 また「口説き掛けたら、どういう事口説くやら分からん。さあ~~苦労の中でかくれたものを連れて出るで。」(M24,1,28

  このおさしづ関して、「すでにお出直しになった秀司様が、スッと本席様の中にお入りになって、秀司様のお言葉でおさしづが出てきます。秀司様の魂が話しておられるように受けとれます。」との見方が示されています。(同書411頁)
 
  このお話は『おさしづ語り草』(上)(桝井孝四郎著87~88頁)にも掲載されています。また、『神・人間・元の理二つ一つの世界』(森井敏晴著、天理やまと文化会議)の中の「教祖のお口に現れた秀司先生の御霊」(130~134頁)にも詳しく説明されています。

信じられないと思われるかもしれませんが、秀司先生は八柱の一つの「やしろ」であられますので、現身を隠されても、このようなことも現実に起こりうると悟れます。

しかしこのことは私たち人間には絶対に当てはまらないと思われます。
人間の場合は「やしろ」ではありませんので、死後祖霊となっても、身体がなくなると、その働きは停止しますので、生きている人間を通して肉声を発することなどありえないと悟れます。この点は本教の立場からはっきりと指摘しておかねばなりません。