2013年4月10日水曜日

No.92  教理随想(43)  自由自在について


 今回は本教における自由、自由自在について検討してみよう。
 さて自由の問題は、古くて新しい問題で、様々な人々によって種々の立場から論じられているのであるが、一般的には次のように理解されている。

 自由とは「広義には存在物が、外的あるいは内的な力の強制や拘束や妨害なしに、その本性あるいはその意志にしたがって働きうること。物体の自由落下から人間の自由意志まで含めていう。より狭義には、行動の自由と意思決定の自由に分けられる」(『現代哲学事典』講談社)と考えられ、行動の自由はさらに細かく、身体の自由や衝動や狂気に支配されず、良心にかなった行動をする倫理的自由(カントに代表される自由で、自由とはミズカラニ由ル、つまり自律で、各自に内在する道徳法則に従うことと考えられている)。また結社集会、思想表現、信仰の自由等に分けられ、原則としてこれらの自由の実現がよりよきものとして目指されている。

 これについては自由実現の手段、実現の程度の差などが問題にされるにすぎず、常識的に理解しうるといえよう。
 しかし意志決定の自由となると、複雑でいろいろ論議をよぶことになる。
 
なぜなら選択における人間の意思決定、例えば結婚相手を誰にするかはあくまで自由で、何にも依存しない、否因縁によって、自分が決定する前にすでに決定している、選ぶのではなく、選ばされる、とも考えることができるからである。また何にも拘束されず自由に振舞っていると思っていても、単に目に見えない運命のようなものに操られているにすぎないとも考えうるからである。

 このように考えると、意思決定の自由はあるのか否か、極めて難しい問題になってくる。

 最近の脳科学の研究によると、次のような
興味深い研究結果が報告されている。
 例えば水を飲もうと思って、コップのほうに手をだそうとすると、そう思う0.5秒前に、水を飲む行動に対して、脳はすでに動きだしている。「水を飲もう」という意識は、「無意識である」脳機能の後追いなのである。(養老孟司著『無思想の発見』ちくま新書)

これが本当だとすると、人間の自由、意志とは何か、はたして存在するのか、改めて考えさせられる。

 哲学者ヘーゲルは意志の自由について次のように述べている。
 意志の自由とは単なる恣意、つまり偶然性の形式のうちにある自由、他から強制されないで自ら進んで選ぶという選択の自由にほかならない。自分が選択の自由によって選んだのだから、自由で最も主体性を発揮しているように見えても、それを選択したその根拠になるものは多かれ少なかれ外部の事情に基づいている。したがって本来の内容のある自由ではなく、たんなる形式的な自由にすぎない。

 これについては教理から考えると、心の自由は許されているので、選択は何にも依存しないように思われるが、心のほこり、いんねん、つまり過去の心使い、通り方によって拘束されている、従って自由ではないということになる。

 結婚相手を例にして考えると、誰を選ぶか、その選択肢はすでに決まっているが、その中から誰を選ぶかの選択の自由は残されている。しかし結婚の旬がきているときは、その余地はなく、選ばされることになるのではないだろうか。

 原典において自由、自由自在はどのように教示されているのであろうか。

 おふでさきには「ぢゆよ」、「ぢゆよじざい」が数多く散見されるが、これらはあくまでも神の立場からのものであるので、ここでは触れないでおくことにする。

 人間の立場からの自由、自由自在についてみてみよう。
 『正文遺韻抄』(諸井政一著)に次のように記されている。

「めいめいのおもふやうに、ばかりはいかんといふが、これが一ツのふそくである。そのふそくをないやふに、おもい通り、おもわくどほりかなへてやったら、それで十分やろ。このたびは、ここの一ツをおしへる道である」(一九一頁)ここから「おもひ通り、おもわくどほり」に成ってくることが、「ぢうよじざい」であると思われやすいのであるが、はたしてそうであろうか。

 松本滋氏は、そのように「ぢうよじざい」を解して、それを「身上の自由」と「思いの自由」(自分の思い通りになってくること)に分けて考察している。(『これからの人間の生き方』一八五頁)

 「身上の自由」については問題はないが、「思いの自由」については少し議論の余地があるのではないだろうか。

 『論語』において孔子は「七十にして心の欲する所に従いて矩(規範)をこえず」と述べているが、これと「思いの自由」とは同じように考えることはできないと思われる。「思いの自由」においては「矩」は対立するものではありえず、それを超越しているからである。

 では「思いの自由」はどのように考えられるのか。
 なるほど親神は人間に「病まず死なず弱らん」の「百十五才定命」という「めづらしたすけ」を約束されているので、それが実現すると「思いの自由」がかなうかもしれないが、そこにおいてはもはや欲、高慢に代表されるほこりは一切ないのであるから、「思い」も親神の「思い」から離れたものではありえない。

したがって自由自在といっても、思うことがそのまま何でも実現するというようなものではなく、また神の「思い」があくまで先行するのであるから、「思いの自由」とはむしろ「成ってくる理」を喜び、楽しむ自由であり、それが「ぢうよじざい」になるのではないだろうか。
「自由自在は、何処にあると思うな。めんめんの心、常々に誠あるのが、自由自在という」
         (M21,12,7
「成程の者成程の人というは、常に誠一つの理で自由という」(おかきさげ)

 これらのお言葉から「誠」の心に自由、自由自在があり、「誠」の心の持主が「成程の人」であることがわかるが、この「成程の人」とは、「思いの自由」を実現する人というよりも、「成ってくる理」を楽しめる人であると思われる。

 なぜならば「たんのうが誠。心に誠さい定めば、自由自在と言うて置こう」(補遺M21,5
からわかるように「誠」は、「たんのう」で「成ってくる理」を楽しむことであるからである。

 次に「誠」がなぜ「自由自在」となるのか、を考えてみよう。
 まず教祖のひながたにおける「自由自在」の具体例をみてみよう。

 教祖は明治七年から十九年の間に警察、獄舎へ何度も御苦労下されていますが、常に平静であられるのみならず、高山へのにをいがけの機会として勇んで出かけられています。また獄舎においても、我が家で孫と遊んでおられる気分で、退屈そうな巡査にお菓子を与えようとされたり等、環境の影響を全く受けられず、自由の世界におられますが、このようなことはなぜ可能であろうか。

 ある人は、教祖は生き神様であられたので、できたのであって、我々凡人には到底まねはできず、不可能であるというかもしれない。

 しかしもしそうなら、あの御足跡は教祖のみのもので、我々にとってのひながたにはならないことになってしまう。
 教祖が「ひながたの道を通らねばひながた要らん」といわれるからには、それは我々にとっても可能であるはずである。ではどうすれば可能になるのか。

「これまで運ぶ尽す一つの理は、内々事情の理、めん~~事情の理に治め」(おかきさげ)

 このお言葉は「運び尽し」は、人のためではなく、自分のためにしていると思え、と解されている。しかしこれは単に「運び尽し」に対してのみならず、すべてのことにも妥当するのではないか。

 教祖は世界だすけのために、貧のどん底におちきられ、人から笑われ、そしられながら、やむにやまれん御心で御苦労下されたのも、教祖は人類の母親であられ、世界だすけを我が身、我が家のことと思われたからこそであり、それゆえに先述のような自由自在の境地が可能となったのではないだろうか。

 このように考えるとき、我々が自由自在になれないのは、すべての御用、「成ってくる理」を我が事として受け取れないからということになる。

「運び尽し」が教会、会長のため、人救けが他人のため、とみなされるから、御礼を言ってもらえない、思うようにご守護をいただけない、見返りがない等の不足がでてくるのであって、「運び尽し」は自分のため、人救けは、自分の子、兄弟、身内のたすけで、なんとかせずにおれない、放っておけないと思えるとき、そのような不足はなくなるのではないだろうか。

このように考えるとき、「誠」が自由自在であるのは、「誠」が親心にほかならず、そこには自分と他人という対立はなく、親子、兄弟、身内のような関係しかないからである。

自由自在とは、自分の思い通りになってくるというよりも、「自分に由って、自分に在る」(随処に主となれば立処皆真なり『臨済録』)
という意味で、全てのことを「内々事情の理、めん~~事情の理に治め」ること、つまり「誠」によって成立するのであり、この「誠」に少しでも近づくことが今我々に焦眉の課題として求められているのである。

 したがってこの自由自在は、我々にとっての成人の目標でもある、ということができる。

2013年2月22日金曜日

No.91  教理随想(42)  「にほん」と「から」(2)


先に産みおろしの順序について、最初、次を「にほん」、「から」に当てはめることはわれわれにとって余り意味がない、と述べたが、このことは産みおろしの順序、区別に意味がないということでは決してない。

 ではその意味とは何か。
松本滋氏は、その意味を長子、末子と解して、日本人長子論を説いているが、そのように理解するとき、どうしても民族主義的になってしまい、親神の思いに反するようになってしまう。

 なるほど七十五日かかった産みおろしの時間的順序は、長子、末子をすぐに連想させるが、産みおろしの時点においては、まだ泥海で日月、天地の区別すらないのであるから、現代のような時間は成立していなかったのではないか。もしそうなら七十五日というのは、実数ではなく、何かを意味する象徴ということになり、したがって長子、末子の関係は成立しないのではないか。

 しかし産みおろしの区別は依然として残り、その区別の意味が問題になる。
 ではその意味とは何か。

私見によると、その区別は長子、末子のような時系列のたての区別ではなく、たとえば会社における役割部門、部署のような横の区別であり、産みおろしの区別によって、役割の区別が示されているのではないかと思う。
 
『おふでさき注釈』には、「にほんのもの」は「最初に親神様に生み下ろされた者」、「この教を先ず聞かして頂く者」、「とふじん」は「つづいて生み下ろされ」、「次に教を聞かして頂く者」(28頁)と解され、産みおろしの順序、区別が「にほん」と「から」の区別として受け取られているが、産みおろしの区別を役割の区別として考えるとき、そのような解釈は成立しないのではないか。

 産みおろしの区別を「にほん」と「から」の区別とみるとき、先に産みおろされた者は、後の者より成人し、魂が神に近い、したがって「この教を先ず聞かして頂く」ということになるが、これでは宿し込みの時点で、魂に優劣の差があることになり、一列平等の教えに矛盾することになる。

 しかし産みおろしの区別を役割の区別とみるとき、産みおろしの順序には価値的な相違はなく、単に役割の相違しかないということになる。

 親神は神人和楽の陽気ぐらし世界建設を目的にして、人間を創造したのであるが、産みおろしの時点において、陽気ぐらし世界建設のための役割分担をされ、それが産みおろしの区別となったのではないか。

 そしてその役割を自覚的であれ、無自覚的であれ、全うしている者が「にほんのもの」で、その反対の者が「とふじん」ということになるのではないか。

 また「にほんのもの」、「とうじん」も固定的なものではなく、
にち~~にからとにほんをわけるみち
神のせきこみこれが一ぢよ
          (四、58)
に明示されるように「にほん」と「から」と同じく、日々の通り方によって変動するものではないか。つまり「にほんのもの」もたすけを忘れ、自己中心的、利己的に生きるとき、すぐに「とふじん」に転落してしまうようなものではないだろうか。

 このように考えられるなら、「にほん」と日本の関係は、次のようになるであろう。
 松本滋氏は『にほんとは人知、学問よりもっと深い次元の「ね」の働きに基づいた人間のあり方を指していると同時に、現実にある日本という国やそこに住む日本人の本来的なあり方を示唆している』(前掲書、194頁)と述べ、「にほん」と日本を直結しようとしているが、「にほん」を先述したように、親神から課せられた役割を全うしている者や集団、国と考えるとき、「にほん」は、日本のみならず世界の国々の本来的なあり方をも同時に示すもの、と言わなくてはならない。

 したがって日本が「にほん」になることは言うまでもないが、同時に世界も「にほん」になることが必要なのであり、日本の「にほん」化は、世界の「にほん」化と同時に成立すべきものであると思われる。

 ところでこのように言うと、本教はまだ歴史が浅く、民族宗教の域をでていないのであるから、松本氏の言うように「日本の治まりの理によって、世界が治まっていく」のが順序であり、日本と世界の「にほん」化は同時に成立しないのではないか、との反論が予想されるが、先述したように、世界の治まりのないときに、日本の本当の治まりなど考えられないし、また日本、世界の区別は「にほん」、「から」の成人の差ではなく、会社における人事部と経理部、営業部等の区別のようなものにすぎないから、日本がまず治まって、それを模範にして世界が治まっていくという順序は認めがたい。
 
また親神から課せられた役割も、他宗教によっても(他宗教も親神によって成人に応じて教えられたものであるから)間接的に自覚されうるのではないか。
 
したがって世界の「にほん」化も、無自覚的には、ある程度実現しているといえるのではないか。

 最後に「にほん」と「から」に関連する「ね(ねへ、ねゑ)」と「ゑだ(た)」について考えてみよう。

をなじきのねへとゑだとの事ならば
ゑだハをれくるねハさかいでる

いまゝでわからハえらいとゆうたれど
これからさきハをれるばかりや

にほんみよちいさいよふにをもたれど
ねがあらハればをそれいるぞや
        (三,88~90)

 これらの一連のお歌から、「にほん」と「ね」、「から」と「えだ」が結びつくことがわかるが、この「ね」と「えだ」も「にほん」と「から」と同じように、日本と外国というように単純に割り切ることはできない。
 
井上昭夫氏は『世界宗教への道』の中で、科学を至上視する西洋文明が崩壊し、東洋の特に日本の文化が再評価されつつある現実を、種々の具体例をあげて説明し、「欧米の近代化の超克は、欧米自身の日本化への構造的変革をおいてはない」(369頁)と断定しているが、はたして日本文化が「ね」で、西洋文明が「えだ」であると即断できるであろうか。

 氏は西から東への文明の逆流は「ね」が現われるという神意の具現であり、それゆえ日本文化礼賛を考えているようであるが、神意は世界の日本化ではなく、世界の「にほん」化であり、世界の文明、文化の否定ではなく、それらを真に生かすことにあるのではないか。

 神意に反するのは、「えだ」であるからではなく、「えだ」であるのに「ね」の働きを忘れて自立しようとしたり、自らの空しい絶対性を主張する点にあるのである。
 
世界の文明、文化、歴史、伝統等は、土地所に咲く花のようなもので、それらの豪華絢爛たる百花繚乱の姿に陽気ぐらしがあるのであって、日本の花々を世界に植え、咲かせようとしても、根付かず、空しく枯れてしまうだけであろう。

 問題は世界の花が日本の花でない点にあるのではなく、世界の花が、根からはなれて、生け花のように成っている点にあるのである。 

 根からはなれた花は、いかにその美を世界に誇示しても、所詮生け花に過ぎず、早晩枯れ行く運命にある、と言わなければならない。日本の花と言えども同様である。

2013年1月18日金曜日

No.90 教理随想(41) 「にほん」と「から」 (1)


今回は「ぢば」にまつわる「にほん」と「から」の問題について検討を加えてみたい。
 まず「元の理」にみられる「にほん」と「から」についてみてみよう。

 『教典』の「元の理」には「にほん」、「から」の表現はみられないが、
十四年本説話体の「こふき話」には、「にんげんハ五尺ニなるまた(で)みずのなかのすまい。三尺より五尺ニなるまでじきもつをだんだんとくいまハり、からてんじくまでもまハりいくなり」(『こふきの研究』83頁)
 
また十六年本の「神の古記」には、
「人かす九億九万九千九百九十九人のうち、やまとのくにゑうみおろしたる人げんわにほんの地に上り、外ゆくにゑうみおろしたる人間わじきもつをくいまわり、から、てんじくの地あかりゆきたるものなり」(同書138~139頁)との記述がみられる。「にほん」、「から」とは一体いかなる意味をもつのだろうか。

 ここには「てんじく」の表現もみられるが、これは「から」と同義とみなして考え、引用文を文字通りうけとると、「にほん」、「から」は地理的な意味での日本、唐、外国という場所、空間を示すものと理解される。

「にほんの地」、「から、てんじくの地」とは、それをまさに示しているが、果してこの場所は、そのまま現実の日本、外国として理解しうるであろうか。

 なるほど戦争中、戦前においては、そのまま日本、外国として、教内外において受け取られ、当時の八紘一宇の民族主義に迎合、妥協するかたちで、都合のいいように解釈されてきたが、この解釈は少し考えると妥当しないことがすぐに分かる。

 なぜなら、
これからハからとにほんのはなしする
なにをゆうともハかりあるまい
          (二、31)
のお歌によって、「にほん」、「から」を日本、外国として考える常識が成立しないことが示されているからである。

 またこのことは「元の理」をよく吟味しても、すぐに分かることである。
 なぜなら「神の古記」において、七十五日かかって大和、山城、伊賀等に産みおろされたと記されているが、よく考えてみると、「五尺になった時、海山も天地も世界も皆出来て、人間は陸上の生活をするようになった」(『教典』29頁)のであるから、産みおろしの場所を文字通り受け取ることはできないからである。

 それでは「にほん」、「から」をどのように理解すればよいのか。
とふじんとにほんのものとハけるのハ
火と水とをいれてハけるで
          (二、47)

 このお歌の注釈をみてみよう。
「未だ親神の教を知らない者と、親神の真意を悟った者とを分けるのは、親神の絶大な力を現してする事である。 
註 にほんとは、創造期に親神様がこの世をお創めになったぢばのある所、従ってこの度先ずこの教をお説き下さるところ、世界たすけの親里のあるところを言い、からとは、創造期に人間が渡って行ったところ、従って、この度この教の次に普及さるべきところを言う。従って、にほんのものとは、最初に親神様に生み下ろされたる者、従って、この度この教を先ず聞かして頂く者、親神様の真意を悟った者を言い、とふじんとは、つづいて生み下ろされた者、従って、この度次にこの教を説き聞かして頂く者、未だ親神様の教を知らぬ者をいう。」(『おふでさき注釈』28頁)

 この注釈では「にほん」、「から」は日本と外国としてスレトートに理解されていないが、その意味はもう一つはっきりしないように思われる。

 ということは「にほん」、「から」とは場所というような目に見える固定的なものを示すのではなく、精神的な内容のみならず、さらに深い意味をもつのではないだろうか。

 注釈には「にほんのもの」は「最初に親神様に生み下ろされた者」、「この教を先ず聞かして頂く者、親神様の真意を悟った者」、「とふじん」は「つづいて生み下ろされ」、「次に教を説き聞かして頂く」、「親神様の教を知らぬ者」として、それぞれの内容が示されているので、これに基づいて検討してみよう。

 まず「にほんのもの」。「とふじん」が、親神に最初に、次に生みおろされた者であるとしても、その最初、次という区別は何によって生じるのだろうか。そもそも七十五日かかった時間的順序のある生みおろしの意味は何か。同時に宿しこまれた子数には、宿し込みの時点においてすでに区別があったのか、等などの問題については、全くわからないのであるから、最初、次を「にほん」、「から」に当てはめることはわれわれにとってあまり意味がないのではないか。

 最初、次を固定化すると、どうしてもそれに優劣の価値判断が加えられたりしやすく、「にほんのもの」は「とふじん」より優れ、神に近い魂をもっているので、他の民族を指導、救助すべく運命付けられている、というような民族主義的な思想を復活させることになりかねないと思われる。

 松本滋氏は『陽気ぐらしへの道』の中の「にほんの理について」において、「にほん」の者は、親神にとって、長子、総領という意味をもつのであるから、「日本の者は、世界の人々に先がけて親神、教祖の教えを聞き分け、その思いを一番早くから悟りとり、それを最初に実現してゆかねばならない使命、義務を本来的に帯びている」(171頁)、「日本の治まりの理によって世界が治まっていく。これが親の願いなのであります。」(173頁)等と述べ、日本人に向かって、自覚、反省を促そうとしているが、このような考え方は、氏の否定している民族主義的な発想なのではないだろうか。

なるほど『日本の文化や歴史や現実を十二分にわきまえた上で、しかもその日本に、日本人としての教祖をとおして、この「だめの教え」が創められたという事実の根底にある意味』(156頁)を深く考えての提言であり、それなりの説得力はあるが、次の点で受け入れられない。

氏は「日本の治まりの理によって世界が治まっていく」という順序を示しているが、「人をたすけて我が身たすかる」を拡大解釈して、「世界たすけて日本たすかる」ということが言えるのなら、日本と世界の治まり、たすかりは同時に成立すべきものなのではないか。

世界の治まりのないときに、長子としての日本の治まりなど考えられるのか。このように考えると、日本人長子論は成立しないのではないかと思う。

「にほん」と「から」とは、場所的に、固定的に理解しないで、『おふでさき注釈』にある「親神様の真意を悟った者」で、それを行動に、つまりたすけに現している者の集まりと、悟っていない、実行していない者の集まり、として流動的に理解できないであろうか。

だん~~とよろづたすけをみなをしへ からとにほんをわけるばかりや
にち~~にからとにほんをわけるみち 神のせきこみこれが一ぢよ
       (四、57,58)
 
このお歌から「にほん」、「から」は
親神のたすけ一条に関連するものであることが分かるので、「にほん」とはたすけを促進し、「から」はたすけを阻止、妨害することとして解することができるのではないか。

したがって、
とふじんとにほんのものとハけるのハ     火と水とをいれてハけるで
         (二、47)
この「火と水とをいれて」を火水風のバランスを乱すこと、つまり節を通して、親神のたすけの思いに沿う「にほんのもの」とたすけの思いに反し、邪魔をする「とふじん」に分けて、たすけを推進していく、と受け取れるのではないか。

また、
とふぢんがにほんのぢいゝ入こんで
まゝにするのが神のりいふく
         (二、32)

この「にほんのぢい」は日本の領土とかではなく、たすけの行われている空間や「にほんのもの」の集まりで、「とふじん」がたすけの妨害をすることが「神のりいふく」と解せるのではないか。

もしこのように理解できると、「にほん」は日本に限定されず、外国においても成立し、逆に日本、教内にも「から」がはびこっている、と考えられるのではないか。

それゆえに親神が今われわれに求められていることは、松本氏のような「長子としての日本人よ、世界の範たれ」というようなものではなく、親神の教えを聞き分けた世界の者(他宗教の者を含む)、用木、教祖の道具衆が、立場をこえて、世界たすけに日々奮起することではないか。
 
おふでさきには、
こらほどに月日の心せきこめど
そばの心わなんでいづむど
         (七、48)
 こらほどに月日の心しんばいを
 そばなるものハなにもしらずに
         (十二,37)

等の「そばなるもの」の成人の鈍さをいましめるお歌がでてくるが、この「そばなもの」は、松本氏のように、現代の日本人として理解するのではなく、親神の教えを聞いている者と受け取らねばならないのではないかと思われる。
 
親神の教えを聞いている者が、親の思い通りに働いてくれない、この点に親の残念があるのであって、長子としての日本人が長子としてふさわしくない点に、残念があるのではないと思う。
 
松本氏は、日本人が天の理に基づいて暮らし、それによって日本の国がしっかり治まると、世界の人々はその姿に感心して、親元を慕ってやってくるようになる、そうすると武力、軍事力や経済力によってではなく、精神の次元で、世界の手本雛形、模範になってゆける、そうなってこそ、
いままでハにほんがからにしたごふて
ままにしられた神のざんねん
         (四、128)
という親の残念がはれると述べている。
 
しかしこれでは日本が今までに外国に踏みにじられてきたことが神の残念であると誤解され、今尚根強い民族主義を復活させることになるのではないか。
 
しかしこのように考えるからといって、氏の否定する現実の日本という足元をわすれた観念的な宙に浮いた世界だすけを主張するつもりは毛頭ない。ただ世界だすけ、世界の治まりは、まず日本が治まり、たすかって、それからはじまるという順序に少し異議をさしはさみたいだけである。

ぜんしよのいんねんよせてしうごふする これハまつだいしかとをさまる
          (一、74)

このお歌を国、民族について当てはめると、いんねんの違いが、民族性、歴史、伝統、文化、思想などの相違となっているが、それらには価値的な差異は一切なく、互いにそれらを尊重しつつ、親神の教えを聞き分けた者(他宗の者を含む)が世界だすけに挺身していき、それによって日本、世界が同時にたすかり、治まっていく、このことを親神はわれわれに強く求められているのではないかと思うのである。

 世界の政治経済等の動向が、直接的、間接的に日本に影響を与えつつある最近の状況は、われわれに日本の治まりは、世界の治まりをはなれてはありえないことを教えているのではないか。

2012年12月1日土曜日

No.89  教理随想(40)  元のやしき


 今回は「宿し込みのいんねんある元のやしき」(『教典』二十六頁)、「ぢば」について考えてみよう。

 さて「元のやしき」とは、大和国山辺郡庄屋敷村の中山氏という屋敷で、この屋敷には人間創造のときの道具衆の役割をはたした魂の理のある方々が住まいし、親神はこの屋敷の因縁によって「元のやしき」に天降られたのであるが、この「元のやしき」と「ぢば」とは厳密に言うと同じではない。

 二代真柱様は『続ひとことはなし その二』のなかで、「ぢば」を一、天理王命の鎮まります地点、二、元なるぢばのある屋敷、三、教規による教会本部、四、屋敷を囲む一帯の地域の四つに分けられ、二の字義において、「元なるやしき」と「ぢば」が同じものとみなされる用例を示されているが、「教理上、かんろうだいによりて表示されているぢばは、中山氏という屋敷中の一地点なので、屋敷との混同は許されない」(百六十八頁)と述べられ、両者を明確に区別されている。

 「ぢば」とは教理上「天理王命の神名を授けられたところ」、親神様のお鎮まり下さる地点、標識として「かんろだい」の据えられてある所ということになる。
 
このことを前提にして「ぢば」にまつわる問題について次に考えてみよう。

 われわれは「ぢば」について、人類の生まれ故郷、創造された地点とか何気なく言うが、このような言い方は厳密に言うと正しくない。

 なぜなら「ぢば」とは、九億九万九千九百九十九人の子数が宿しこまれた場所、いざなみのみこと様が、三年三月とどまられた場所であり、産みおろされた場所ではないからである。

 ところで産みおろしの期間と場所の内訳については『神の古記』明治十六年本によると、奈良初瀬七里四方七日間、残る大和の国中四日間、山城、伊賀、河内三ヶ国十九日間、残る日本国中四十五日間、合計七十五日間かかって、子数のすべてを産みおろされたと明示されているが、では一体七十五日かかって、別々の場所に産みおろされたことはいかなる意味をもつのであろうか。
 
まず七十五日については、『天理教教典研究』(平野知一著)によると、七十五日は「をびや許し」の「七十五日の身のけがれも無し」、またつとめ人衆が七十五人であること、七十五年については「七十五年経てば、日本国中あらあら澄ます、親神の教えが日本国中にひろめられる時旬である等などの悟りが示されているが、七十五日を実数ではなく、象徴とすると、一律的な解釈はできないのではないかと思われる。

 問題となるのは、産みおろしの場所とその順序についてである。

 まず場所について言うと、大和、山城、伊賀、河内等、具体的に昔の国名が示されているが、よく考えてみると、この産みおろしの時点では、まだどろ海の状態で、海山、天地、世界の区別もないので、具体的な地名で場所を指定できないのではないか、また日本以外の外国についてはどのように考えればいいのか、という素朴な疑問が生じてくる。

 これについては、どろ海中の産みおろしの位置が、海山天地の区別ができたときに、具体的な日本の場所になった、とか、また外国については、子数はあくまで日本に産みおろされ、それから世界各地へ食を求めて散らばっていった、との説明も成り立つかもしれない。

 しかしこのように理解するとき、人類は日本において誕生し、人類の先祖は日本人であるとの独善的な民族主義の思想につながる心配があり、世界一列兄弟の教えと矛盾するのではないか。

 ではどのように考えればよいのか。
 私見によると、なるほど『神の古記』には具体的な日本の地名によって場所が明示されているが、それはあくまでも当時の人々に身近に感じさせるために、日本の地名を教祖は使用されたのであって、実際には全世界的なスケールで産みおろしがなされ、最後の四十五日間は残る日本国中ではなく、残る世界中と解することができるのではないかと思われる。

 当時の人々にとって、外国、世界と言ってもピンとこないので、教祖はあえて日本の地名に置き換えられて教えられた、このように理解するとき、世界一列兄弟の教えと矛盾なくつながるのではないかと思われる。

 それから産みおろしの場所と「うちわけ場所」との関連についても問題となり、山沢為次氏は「産みおろしの場所は、うちわけの場所ではないかとも考えられます」(『第十三回教義講習会教典稿案講習録』(百三十一頁)と述べているが、「うちわけ場所」については、  

おふでさきに
このはなしなんの事やとをもている
神のうちわけばしよせきこむ
    (二、16)
と一ヶ所あるだけで、確かな資料、典拠が示されない限り、なんとも説明できないのではないか。

 『おふでさき注釈』には、
「うちわけばしよとは、打ち分け場所で、将来は内、中、外に各々三十一ヶ所宛、都合九十三ヶ所出来ると仰せられた。如何に業病の者でも、その打ち分け場所を回っているうちに、病気を救けて頂くのであるが、そのうち一ヶ所は非常に辺鄙な所にある。しかしこれを略するようでは救からない。又たとい途中で救かっても、いざりは車を、盲者はつえを捨てないで、結構に救けて頂いた事を人々に知らせて、最後にそれをおぢばに納めるので、もし途中でそれを捨てたならば、一旦救けて頂いても、又元通りになると仰せられた」と詳しい説明がなされている。

 しかしこの説明では救済の過程が何か巡礼のような、単なるご利益信心と同じように思われて、教祖が直々に教えられたとはとても思えない。

 また打ち分け場所が、現在の特定の教会(『逸話篇』102「私が見舞いに」に「ここは、詣り場所になる。打ち分け場所になるのやで」とあり、高安大教会では、打ち分け場所とは、教会の意味との解釈がある)であり、それが正しいとするなら、今の系統組織は根底より覆されるのではないだろうか。
 
このように考えると、産みおろしの場所、うちわけ場所については、一律的な説明は難しく、今後の研究に待つよりほかないであろう。

 次に産みおろしの順序についてみてみよう。

産みおろしは同時ではなく、七十五日かかって順次なされているが、それはなぜか。先に産みおろされたものと後に産みおろされたものとは何によって区別されたのか。同時に産み宿しこまれた子数には、宿し込みの時点ですでに区別があったのか、という問題がでてくるが、これも難しい問題である。

このことは「にほん」と「から」、「にほん」と日本の問題にも関連するもので、悟りの域を出ず、一律的な解釈ができないと思われるが、ただ次のことははっきりと言えるのではないか。

大和、山城、伊賀等と順番に産みおろされているが、異なった場所に産みおろされたものの間には、優劣のような価値の差は一切ないということ、つまり大和、「ぢば」の近くに最初に産みおろされたものは、より親神に魂が近い、長男長女のような存在である、ということは決して言えないということである。
 
ではその後何代もの生まれかわりを経た現在ではどうであろうか。

 これも難しいが、現在「ぢば」の近くに住む日本人と外国人の間にも、そのような価値の差はなく、あるのはそれぞれの役割の違いであって、決して心の成人の差ではないと思われる。

2012年11月5日月曜日

No.88  教理随想(39)  子数の年限


 今回は「子数の年限」について、その奥にこめられた意味について考えてみたい。
 さて「子数の年限」とは、九億九万九千九百九十九人の産みおろされた子数と、人間創造から天保九年の立教までの年限が同数であることを明示するのであるが、子数と年限が同数であるとことは、一体いかなる意味をもつのであろうか。

 深谷忠政氏は「子数と年限とが同数であることは、極めて興味深い点である」(『元の理』32頁)と述べ、その意味を「子数は、教祖魂の因縁という、又年限は、旬刻限の理という絶対的一即ち、立教の一回起性を示されたるもの」(同書同頁)として理解されているが、旬刻限のほうは、問題なくうけとれても、子数と教祖魂の因縁がなぜ結び付けられるのか、また一体子数と年限が同じであるのはなぜかについては、全くわからない。

 では子数と年限の同数の意味は何であるか。

 柏木大安氏は、子数を「空間」、年限を「時間」(『あらきとうりょう』一三七号79頁)として(子数は立体的なひろがりを思わせるところから「空間」とみなされている)解しているが、もしこのように考えることができるなら、「空間」と「時間」が同じものとなるが、これはいかなる意味をもつのであろうか。

 古来、時間、空間は多くの哲学者を悩まし続け、現代においても、その解釈については、百花繚乱、百家争鳴の観を呈し、確固たる解釈はなされていない。
 その理由は、時間、空間とも親神の働きによるからで、それを問うことは、神とは何かを問うに等しい難問であるからである。

では本教において、時間、空間はどのように考えられているのだろうか。『こふきの研究』(二代真柱著)に収録されている「十六年本」、「神の古記」を参考にしてみてみよう。

さて「神の古記」には、「くにとこたちのみこと」について次のような記述がみられる。
「くにとこたちの命わ、天にてわ月様なり、この神わ男かみにして、おんすがたわ、かじらひとつ、おふ(尾)わひとすじのたいりやう(大龍)なり。このせかい、国とこをみさためたもふ。このりをもってくにとこたちの命とゝゆう」
 
ここで頭一つ、尾はひとつの大龍とは何かについては解釈は難しく検討を要するが、「国とこみさだめたもふ」ゆえに、国床立命と名づけられている点に注目すると、この神は、国、床つまり空間に関連していることがわかる。このことは、国床立命の身の内の守護は、眼うるおいで、眼は常に見られる空間、場所を前提とすることからも言えると思われる。
 
ところで物を見定めることは、われわれにとっては、空間の特定の対象に視線を向け、物を見て取ることであり、「空間のこのような視線的体験がわれわれの生の先行的基礎である」(蔵内数太氏『ムック』第五号108頁)といえるのであるが、それでは親神にとって、国を見定めることは具体的にはいかなる意味を持つのであろうか。
 
言うまでもなく国を見定めることは泥海の状態から「高低が出来かけ」、「海山も天地も日月も区別できるように、かたまりかける」等のこと、つまり空間が限定され、成立することを意味し、この限定する働きが、国床立命の働きと言えるであろう。
 
木下民善氏は『すべてそこから』、『希求する生活』において、その働きを「限定作用」、「凝集的縮小作用」とよび、この働きによって、空間が成立すること、また「くにとこたちのみこと」、「たいしょくてんのみこと」が、かぐらづとめにおいて結びついていることの意味を説明している。
 
またこの働きは現代的に理解すると、重力と密接につながるものではないだろうか。
 宇宙物理学によると、星は生涯を通して二つの相反する力、つまり星を膨張させる熱と、逆に星を収縮させる重力の支配下に置かれ、この二つの力がうまくつりあうことによって、星の安定が保たれ、維持されていると考えられているからである。
 
次に「をもたりのみこと」についてみてみよう。
「御すがたわかしら十二の三すじのおふ(尾)に三つのけんある大蛇」、「かしら十二ある一つのかしらにて、十二月のあいだ、一月づつかわりてしゆこう。また十二時つつかしらかわりて、目を一時とすしゆうごうあるゆえに一ヶ年を十二月とさゝめ、一日を十二ときとゆう」
 
ここで「三すじのおふ」、「三つのけん」が何を意味するのかは検討を要するが、とにかく十二の頭によって、一年が十二ヶ月、一日が十二ときに区分される、つまり時間が成立することがはっきりと示されている。

 また「をもたりのみこと」の身の内の守護は、温み、世界では火の守護であるが、これがともに時間に結び付けられるのは、温み、火も運動につながり、存在しているものが、運動によって生成変化し、消滅していく、ここに時間が成立するからである。

このように「くにとこたちのみこと」によって空間、「をもたりのみこと」によって時間が成立すると考えられるのであるが、では時間、空間が「子数の年限」として同じであることはいかなる意味をもつのであろうか。
 
古典力学においては、時間は現象や出来事の外側にあって、絶対的なものさしのようにみなされ、また空間についても、事物の存在の枠組み、器のようにみなされ、時間、空間はそれぞれ独立して存在すると考えれてきた。
 
しかし相対性理論によると、時間、空間は相対的なものにすぎず、時間が場所や運動系によって異なったり、空間のゆがみ等が確認されており、時間、空間とは密接につながったもので、両者を一緒にした時空融合体を考えるほうが、より合理的であるとみなされている。
 
「この現実は時間―空間的なものであって、一方を他方から離すことはできない。従って最も根源的なことの現実は本質的に言って、事実として時空統一体であると言わざるを得ない」(伊東俊太郎氏『時間』東京大学公開講座40頁)
 
「時空統一体としての根源的な現実はたんに意識でも存在でもなく、意識即存在的なものである」、「時空が現実とは別にそれの要れ物のようにあるのではない。現実は場においてしかありえず、その存在様式そのものが時空なのである」(同書12頁)
 
結局時間、空間は「くにとこたちのみこと」、「をもたりのみこと」つまり月日親神の二つ一つの働きで、その二つ一つの働きによって、一切の存在、現象が成立することを間接的に説明していると言えるのではないか。
 
このようにみてくると、「子数の年限」という一見何の変哲もないように思える言葉にも、深い哲理がこめられていることに驚かざるをえないのである。

2012年10月2日火曜日

No.87 教理随想(38)  子数の問題


次に「子数の年限」について検討してみよう。
 まず「最初に産みおろす子数の年限」について考えてみよう。

 最初の産みおろしによって、人間は三寸まで成長し、二回目、三回目の産みおろしによって、三寸五分、四寸まで成長するのであるが、問題になるのは、産みおろしによる子数である。子数は九億九万九千九百九十九と数えられるのであるが、この数字は実数なのか、それとも単なる理の上の数で、象徴に過ぎないものであろうか。

 この数字は「一を加えることによって十全となるのである。だめとして、世界にもう一人(教祖)が加わることによって、また歴史にもう一日(立教の元一日)が加わることによって、子供ばかりで混乱のせかいはをやを得て、親子団欒の陽気ぐらしの世界となり・・・・ここに空間的時間的に十全な歴史的世界が成立することを示されたものと思う」(深谷忠政著『元の理』31,32頁)との見方は、あくまで理の上の数とみなしている。

 なぜなら子数に一を加えても、九00一00000となって十全とはならないからである。

 では実数ではないのか。そうとは思えない。
 なぜなら「子数の年限」が経ったなら、天保九年の立教の元一日を迎えるのであるから、単なる象徴としての数とも思えないからである。経過する年限はあくまで実数でないことには意味がない。では億は現在の数ではないのか。

 『広辞苑』によると億には十万の意味があり、これだと子数は九九九九九九で、一を加えて十万となり、すっきりするが、現代科学の生命誕生の理論からすると、あまりにも少なすぎるように思える。

 子数を理の上の象徴としての数字との見方は『天理教教典研究』(平野知一著)にもみられる。
九という数字が重なっている意味を「九という数は、三の三倍であり、親神が人間創造に当たって、如何に長い年限にわたって苦心されたか、という親心」(143頁)を示すものとして、また九には人間身体の九つの道具、おつとめ鳴物の九つの道具、九度の別席順序等の意味があると解され、あくまで理の上の数とみなされている。

しかし先述したように、単に理の上の象徴的な数とみなすと、「子数の年限が経ったなら」という立教の三大いんねんの一つの旬刻限の理が軽くみられるように思われる。

ではどのように考えればよいのか。
二代真柱様は第十六回教義講習会で受講者のその質問に対して「私は九が続いておるものと解釈しているのです。」と答えられておられる。(『元の理を掘る』平野知一著129頁)つまり子数は九九九九九九九九九、十億マイナス一ということになる。

この見方は、地球上に人間が最適条件で住むことができる人口は約十億人との見解や、最近の生命科学の知見からも根拠付けることができよう。

「三十数億年前、原始地球のどろ海の中に誕生した二種類の原核細胞が、その後、ヒトに至るまでの絢爛たる生命の華を咲かせるためには、まず、真核細胞への道をたどらねばなりません。この真核細胞は好気性生物であり、したがって、それは原始地球の大気が還元大気圏から酸化大気圏に移行した後のことであったに違いありません。いまから約十億年前のころであったでしょう。」(『人間創造』山本利雄著106頁)

「約三十五億年前に出現した二種類の原核細胞を雌雄性の材料として、約九億年前に、真核細胞による有性生殖が始まった。」(同書110頁)
 
おふでさきには、
このこかす九おく九まんに九せん人
 九百九十に九人なるそや
          (六、46)
と明示されているが、これはあくまで五七五七七の歌の形式にあてはめるとき、九千九百九十万の部分をいれることができないために、その部分が略されたのではないかと思われる。
 
子数の数に関して、象徴としての数、実数としての数のほかに、もう一つ神にとっての実数が考えられるのではないか。
 
相対性理論によるとニュートンの古典物理学における絶対的時間はもはや成立せず、時間も相対的であるといわれている。原始宇宙(ビッグバン理論があるが、これを認めない宇宙論もある)における時間の流れが、現在の時間の経過と異なり、同じでないならば、「子数の年限」の経過も、現在の時間の流れで考えることができない。
 
しかし年限の経過が意味を持つためには、実在的な時間、年数を考えなければならない。そこで人間の尺度では測れない、神にとっての計算に基づく数、実数が考えられるのではないか。それがどのような数、計算であるのかは当然のことながら人間には全くわからない。そのような神にとっての実数が考えられるのではないか。
 
次に「元の子数」と世界の人口について考えてみよう。
 世界の人口は現在60億人をこえていて、「元の子数」よりはるかにふえているのであるが、これをどのように考えたらいいのか。

 まず第二、第三の産みおろしについてみてみよう。
 第二の産みおろしについては「いざなぎのみことは、更に元の子数を宿し込み、十月経って、これを産みおろされた」(『教典』28頁)から、「元の子数」が産みおろされたことがわかるが、第三の産みおろしについては「そこで又、三度目の宿し込みをなされたが、このものも、五分から生れ」(同書同頁)とあるだけで、「元の子数」かどうかわからない。

 和歌体十四年本(山澤本)には、
「はてましてまたもやをなしたいないに もとのにんじゆさんどやどりた  このものも五ぶからむまれ だんだんと 四すんになりてまたはてました」とあり、三度目の産みおろしは、「元の子数」であると示されているが、明治十六年本の「神の古記」(梶本本によって「元の人数」と説明されている)においては、不明である。

 また人間は三度目の出直しのあと、八千八度の生まれかわりを経て、「めざる」一匹になるような段階をとおって、八寸、一尺八寸、三尺、五尺と成人していくのであるが、最終の五尺になったとき、はたして「元の子数」の人数なのか、それより多くなっているのか、全くわからない。

 また「人間のたね」(『教典』27頁)としての「沢山のどぢよ」(25頁)については、数が示されていないので、それを使って、人間の数を増やすことは十分に考えられることではないだろうか。

 したがって現在の世界の人口が「元の子数」より、はるかに多くなっていても、何ら不思議ではないと思われる。

 次に『正文遺韻抄』(諸井政一著)に掲載されている、人間の数、動物の進歩についての教祖のお言葉を、少し長いが引用して、検討してみよう。

「元は、九億九万九千九百九十九人の人数にて、中に、牛馬におちて居る者もあるなれど、此世はじめの時より後に、いきものが出世して、人間とのぼりているものが沢山ある。それは、とりでも、けものでも、人間をみて、あゝうらやましいものや、人間になりたいと思う一念より、うまれ変り出変りして、だんだんこうのうをつむで、そこで、天にその本心をあらわしてやる、すると、今度は人間にうまれてくるのやで、さういふわけで、人間にひき上げてもらうたものが沢山にあるで」(153頁)

「生物は、みな人間に食べられて、おいしなあといふて、喜んでもらふで、生れ変るたび毎に、人間の方へ近うなるのやで。さうやからして、どんなものでも、おいしい、おいしいと云ふて、たべてやらにゃならん。」(155頁)

ここに述べられてあることから、人間の数が「元の子数」より増えている理由がわかるのであるが、このお言葉は、このまま受け取ることができるであろうか。

なるほどこのお言葉は教祖より発せられたもので、そのまま信じるよりほかないものかもしれない。
しかし一つの比喩、例え話として、人間と生き物との相即不離の関係を、あのようなお言葉で、当時の人々によりわかるように話されたのではないかと思う。

なぜなら動物の進歩をそのまま受け取るとき、動物に人間と同じ意識、自由を認めることになり、人間と動物の区別がつかなくなるからである。

 また自由を動物に認めることによって、動物にも「ほこり」の教理があてはまり、「ほこり」の多少によって、動物の種類、序列が決められるということになるからである。また人間のなれのはてが動物ということなれば、人間と動物、人間同士における格差が生じ、動物への蔑視、人間同士の差別がより強くなるのではないか。

このようにみてくると、動物の進歩は、そのまま信じることはできず、動物を擬人化することによって、動物と人間とは友達のような親しき関係にあることを、また動物の生命の犠牲によって、われわれの生命が維持されてもいるので、動物への恩を忘れないことを、あのような例え話でもって、説明されたのではないかと思う。

したがって「牛馬におちて居る者」もその通りに解するのではなく、あくまで牛馬のような、人間として生れながら、人間としての自由を失っているような人間として理解されねばならないであろう。

だんだんとをんがかさなりそのゆへハ
ぎゆばとみえるみちがあるから
          (八、54)

 ここにみられるように牛馬は、牛馬そのものではなく、牛馬とみえる道(牛馬のような道)であるから、人間が牛馬におちる、また牛馬から人間へと出世するということはないと悟るのである。人間は、虫、鳥、畜類等と生まれかわってきたので、その逆のコースもありうるように思えるが、人間の主体性、自由を深く考えるとき、そのことは絶対にないと信じるのである。

2012年8月29日水曜日

No.86  教理随想(37)  夫婦の雛形


「夫婦の雛形」についてもう少し検討してみよう。
 「夫婦の雛形」とは、前回のべたように、キリスト教のアダム、イブの創造と異なり、人間ではない神としての夫婦であり、この夫婦から人類が同時に宿しこまれ、産みおろされたのであるが、このような複雑な人間創造、誕生のプロセス、構造は本教独自のものであり、人間生命を真に全うさせるものである。

 キリスト教に代表される人間創造においては、なるほど神の姿に似せて創造されている限りにおいて、人間の動物とは異なる尊厳が何とか保たれるかもしれない。しかしそこでは神の栄光、創造者としての神の威厳が強くたたえられ、人間は被創造者として、その前にひれ伏すことが求められるので、あくまで卑小な存在としてみられることになる。

旧約のヨブ記をみてみよう。
「あなたは神のような腕を持っているのか、神のような声でとどろきわたることができるのか。あなたは威光と尊厳とをもってその身を飾り、栄光と華麗とをもってその身を装ってみよ。あなたのあふるる怒りを漏らし、すべての高ぶる者を見て、これを低くせよ。すべての高ぶる者を見て、これをかがませ、また悪人をその所で踏みつけ、彼らをともにちりの中にうずめ、その顔を隠れたところに閉じ込めよ。そうすれば、わたしもまた、あなたをほめて、あなたの右の手は、あなたを救うことができるとしよう。」(第四〇章、九~十四)

 ここには主人に仕える奴隷のようなおびえた感情はあっても、人間をより積極的に生きさせることはなく、また神によって生かされている喜び、親の懐に抱かれる子の安らぎ等は、全くないことになる。

 これに対して日本神話にみられる人間誕生においては、人間の祖先が神で、人間は神から発生した、と説かれ、キリスト教にはない神人の連続性をみとめる点に特色があるが、これも不十分である。

 なぜなら人間の自立が、キリスト教より大きく認められてはいるけれども、人間の傲慢がでてくる可能性があるからである。神人の連続性から、人間と神は同一次元にたち、人間は死後神として祭られうるという思い上がりがでて、神人和楽、神と人との親子団欒の理想は、ほど遠いものとなるからである。

 神人の連続性の立場、神人の峻別、断絶の立場は、ともに人間の立場を真に全うさせるものではないが、この両者を統合させてものが、「夫婦の雛形」において示される立場である。(「うを」、「み」は、それぞれ「いざなぎのみこと」、「いざなみのみこと」の両神の働きを象徴するもので、その神名が日本神話の神名と同じところから、一見すると神道的なものを連想させるが、日本神話においては国造りは説かれても、人間創造については一切言及されていないところに根本的な相違がある。)

 この「夫婦の雛形」においては、人間は月日親神と直接つながるのではなく、月日親神によって現出せられた「夫婦の雛形」によって、生み出されるのであるから、神と人間とは連続にして非連続、非連続にして連続という形でつながっていることになる。

「それは単なる創造ではない。が単なる生成でもない。それは現象としては現われ出しであるけれども、本質的には創造である。」(『諸井慶徳著作集第七巻』、59頁)

このような「夫婦の雛形」という立場において、人間の謙虚な自己反省が可能になると同時に、人間が主体性を失うことなく、主体性を保ちつつ、しかも傲慢になることなく、神に抱かれる存在としての人間の立場がはっきりと自覚され、人間生命を真に全うさせる生き方が明示されうるのである。

またここにおいてはじめて神の栄光と人間の尊厳が同時に、同じ比重において示されるといえるのである。
このように「夫婦の雛形」の立場は、人間生命を真に全うさせるものであるが、この立場は、また進化論をめぐる思想上の大きな問題に明確な解答を与えるものである。

生物は最初にただ一つの「個」(キリスト教の創世記では、アダムとイブから、人類が段階的に誕生したと説かれる)として誕生し、それがだんだん増えて「種」(生物分類の最小単位。互いに交配しうる自然集団)が形成されるようになったと説かれる進化論の考え方は、西欧文明の根底をなすものである。そしてこれが個人の権利の確立を第一義に、集団を第二義にみなす考え方、強者が弱者を排除し、環境に適した優れた者が生き残るという思想、人間だけが神の直系の子孫で、他の一切のものは人間によって支配され、統治されるというキリスト教の創世記に根ざした思想等となって展開されてきたのであるが、これは現代においては批判の投げかけられている考え方となっている。

これに対して「夫婦の雛形」の立場においては、生物、特に人間は、最初に「個」として誕生したのではなく、最初から「種」として、「夫婦の雛形」を通して、十億近い人間が同時に誕生した、と教えられ、また人間以外の他の一切のものも、人間の成長とともに発展し、共存共栄されるべきものとして(「八寸になった時、親神の守護によって、どろ海の中に高低が出来かけ、一尺八寸に成人した時、海山も天地も日月も、漸く区別出来るように」、「五尺になった時、海山も天地も世界も皆出来て」によって示されている)みなされ、この立場から、世界一列兄弟、互い救けあい、自然と人間との共存等の現代の世界の諸問題を真に解決する考え方が生まれてくる。

従来の進化論にみられる弱肉強食、優勝劣敗等の淘汰の論理は、支配の論理、抹殺の論理であることをこえて、今や人類を終焉させる論理となり、世界の文明をむしばみ、人類に不気味な不安をもたらしているのであるが、この論理の克服は、「夫婦の雛形」の立場に立つ、人類は同じ親をもつ兄弟であり、互いに救け合う、共存共栄の論理をおいてほかないのである。