次に本教における「ふし」に対する心の治め方である「たんのう」を検討してみよう。
さて「たんのう」とは、
・ ・・たんのう無くして、受け取る処一つ無いで。・・・・ (M20,3,25)
・ ・・・たんのうが神が好く。受け取る。・・・
(補遺 M20)
を引用するまでもなく、信仰のすべてを生かす点睛として、われわれに要請される大切な教理であり、
「単なるあきらめでもなければ、又、辛抱でもない。日々、いかなる事が起ころうとも、その中に親心を悟って、益々心をひきしめつつ喜び勇むことである。」(『教典』75~76頁)と説明されるが、この「たんのう」は仏教やキリスト教における「ふし」の受け止め方とは根本的に異なるものである。
原始仏教における四諦説をみてみよう。
四諦の第一は苦諦で、この世の一切が生老病死の四苦や愛別離苦、怨憎会苦、求不得苦、五陰盛苦(色、受、想、行、識の五つの要素で構成されている人間存在そのものが苦しみであること)等の苦しみに満ちていることを教え、第二の集諦では苦の原因として貪りの心、欲望があげられる。第三滅諦、第四の道諦において、欲望を八正道の修行の実践によって、滅すれば苦がなくなり、涅槃とよばれる理想的な状態に入ることが出来ると説かれる。
そしてこれを達成することが、仏教の究極の目的と考えられるのであるが、この四諦説においては、苦を受け止めるというより、苦からの脱却(生が苦、人間存在そのものが苦であることからわかるように、現実を離れた観念やあの世、彼岸への)が空しく説かれるだけで、そこには「たんのう」の大切な要素である、喜びや勇みは全くみられない。
また仏教における自業自得を説く業思想や因果応報説においては、先にみたように、悪果や苦難は、どうすることもできない宿命として盲目的に正当化されたり、単に諦念や忍耐、辛抱によって受け取られざるをえないであろう。
次にキリスト教の「ふし」の受け止め方をみてみよう。
キリスト教においては、神は愛といわれるものの、人間にとって絶対の他者、人間と質的に区別された近づきがたい存在、畏れ崇められるべき存在で、苦難を含めてわれわれの未来は神の手にあり、神の神秘に属するものと考えられている。
したがって苦難の原因、意味も神の神秘に属し、それの詮索は人間の理解をこえているので、わからないのは当然で、わかろうとすること自体間違っていることとされる。そしてあえてその意味を尋ねても、せいぜい神はある人を選び、その人をよりよくするため、完成させるために、苦しみや悩みを与えるとの、曖昧な答えがあるだけで、なぜその人が選ばれたのか、なぜある特定の苦しみがあたえられるのかについては全くわからない。
旧約聖書の「ヨブ記」をみてみよう。
カルデアのある町に、ヨブという神を恐れ、神の前に正しい義人が、ある日突然、様々な災いに見舞われ、重い皮膚病にもかかり、神に見放されたようになる。ヨブがこれまでに犯した罪を考えあぐねていると、あるとき友人が「神は人間をよりよくするために苦しみ、悩みを与えられる」と助言する。また最後に神はヨブに「あなたはなお、わたしに責任を負わそうとするのか。あなたはわたしを非とし、自分を是とするのか」(40章8)と述べ、結局苦難の原因を一切教えないまま、ヨブに元の繁栄を返して、140才までの命を与える。
苦難を含めて一切のものは、神の神秘に属しているということである。
新約聖書についても同じことである。
キリスト教の精神を最もよく示す言葉は「汝の敵を愛せ」(マタイ5章)で、その具体的な行為が「だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けてやりなさい」、「下着を取ろうとする者には、上着もあたえてやりなさい」(マタイ5章)等であるが、これもなぜ頬を打たれたり、下着をとられるのか、の説明はなく、また左の頬を向け、上着を与えることがなぜ神の思召しにかなうことで、それがなぜ「天にいますあなた方の父の子となるためである」(マタイ5章)のか全くわからない。
左の頬を向け、上着を与えるのは、いま我慢しておけば、あとで神からより多くの報酬がもらえることを期待するからであろうか。
「自分で復讐しないで、むしろ神の怒りに任せなさい。『主が言われる。復讐はわたしのすることである。わたし自身が報復する』と書いてあるからである。」‘(ローマ人への手紙12章)こんな言葉を聞くと、心のやすらぎどころか、全く反対に空恐ろしさすら感じるのではないだろうか。
キリスト教で人間は苦難に出会って、それはあなたをより強く、よりよくさせる試練だから耐えなさい、といわれて心の底から納得して耐えられるであろうか。
なるほど耐える、耐えないは自分の意志、自力によるのではなく、神の力によってであるから、神の力、恩寵さえあれば無理ではない、との考えもあるかもしれない。しかしそこには「たんのう」にみられる、楽しみ、喜び、勇みはどこにもない。
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