2012年12月1日土曜日

No.89  教理随想(40)  元のやしき


 今回は「宿し込みのいんねんある元のやしき」(『教典』二十六頁)、「ぢば」について考えてみよう。

 さて「元のやしき」とは、大和国山辺郡庄屋敷村の中山氏という屋敷で、この屋敷には人間創造のときの道具衆の役割をはたした魂の理のある方々が住まいし、親神はこの屋敷の因縁によって「元のやしき」に天降られたのであるが、この「元のやしき」と「ぢば」とは厳密に言うと同じではない。

 二代真柱様は『続ひとことはなし その二』のなかで、「ぢば」を一、天理王命の鎮まります地点、二、元なるぢばのある屋敷、三、教規による教会本部、四、屋敷を囲む一帯の地域の四つに分けられ、二の字義において、「元なるやしき」と「ぢば」が同じものとみなされる用例を示されているが、「教理上、かんろうだいによりて表示されているぢばは、中山氏という屋敷中の一地点なので、屋敷との混同は許されない」(百六十八頁)と述べられ、両者を明確に区別されている。

 「ぢば」とは教理上「天理王命の神名を授けられたところ」、親神様のお鎮まり下さる地点、標識として「かんろだい」の据えられてある所ということになる。
 
このことを前提にして「ぢば」にまつわる問題について次に考えてみよう。

 われわれは「ぢば」について、人類の生まれ故郷、創造された地点とか何気なく言うが、このような言い方は厳密に言うと正しくない。

 なぜなら「ぢば」とは、九億九万九千九百九十九人の子数が宿しこまれた場所、いざなみのみこと様が、三年三月とどまられた場所であり、産みおろされた場所ではないからである。

 ところで産みおろしの期間と場所の内訳については『神の古記』明治十六年本によると、奈良初瀬七里四方七日間、残る大和の国中四日間、山城、伊賀、河内三ヶ国十九日間、残る日本国中四十五日間、合計七十五日間かかって、子数のすべてを産みおろされたと明示されているが、では一体七十五日かかって、別々の場所に産みおろされたことはいかなる意味をもつのであろうか。
 
まず七十五日については、『天理教教典研究』(平野知一著)によると、七十五日は「をびや許し」の「七十五日の身のけがれも無し」、またつとめ人衆が七十五人であること、七十五年については「七十五年経てば、日本国中あらあら澄ます、親神の教えが日本国中にひろめられる時旬である等などの悟りが示されているが、七十五日を実数ではなく、象徴とすると、一律的な解釈はできないのではないかと思われる。

 問題となるのは、産みおろしの場所とその順序についてである。

 まず場所について言うと、大和、山城、伊賀、河内等、具体的に昔の国名が示されているが、よく考えてみると、この産みおろしの時点では、まだどろ海の状態で、海山、天地、世界の区別もないので、具体的な地名で場所を指定できないのではないか、また日本以外の外国についてはどのように考えればいいのか、という素朴な疑問が生じてくる。

 これについては、どろ海中の産みおろしの位置が、海山天地の区別ができたときに、具体的な日本の場所になった、とか、また外国については、子数はあくまで日本に産みおろされ、それから世界各地へ食を求めて散らばっていった、との説明も成り立つかもしれない。

 しかしこのように理解するとき、人類は日本において誕生し、人類の先祖は日本人であるとの独善的な民族主義の思想につながる心配があり、世界一列兄弟の教えと矛盾するのではないか。

 ではどのように考えればよいのか。
 私見によると、なるほど『神の古記』には具体的な日本の地名によって場所が明示されているが、それはあくまでも当時の人々に身近に感じさせるために、日本の地名を教祖は使用されたのであって、実際には全世界的なスケールで産みおろしがなされ、最後の四十五日間は残る日本国中ではなく、残る世界中と解することができるのではないかと思われる。

 当時の人々にとって、外国、世界と言ってもピンとこないので、教祖はあえて日本の地名に置き換えられて教えられた、このように理解するとき、世界一列兄弟の教えと矛盾なくつながるのではないかと思われる。

 それから産みおろしの場所と「うちわけ場所」との関連についても問題となり、山沢為次氏は「産みおろしの場所は、うちわけの場所ではないかとも考えられます」(『第十三回教義講習会教典稿案講習録』(百三十一頁)と述べているが、「うちわけ場所」については、  

おふでさきに
このはなしなんの事やとをもている
神のうちわけばしよせきこむ
    (二、16)
と一ヶ所あるだけで、確かな資料、典拠が示されない限り、なんとも説明できないのではないか。

 『おふでさき注釈』には、
「うちわけばしよとは、打ち分け場所で、将来は内、中、外に各々三十一ヶ所宛、都合九十三ヶ所出来ると仰せられた。如何に業病の者でも、その打ち分け場所を回っているうちに、病気を救けて頂くのであるが、そのうち一ヶ所は非常に辺鄙な所にある。しかしこれを略するようでは救からない。又たとい途中で救かっても、いざりは車を、盲者はつえを捨てないで、結構に救けて頂いた事を人々に知らせて、最後にそれをおぢばに納めるので、もし途中でそれを捨てたならば、一旦救けて頂いても、又元通りになると仰せられた」と詳しい説明がなされている。

 しかしこの説明では救済の過程が何か巡礼のような、単なるご利益信心と同じように思われて、教祖が直々に教えられたとはとても思えない。

 また打ち分け場所が、現在の特定の教会(『逸話篇』102「私が見舞いに」に「ここは、詣り場所になる。打ち分け場所になるのやで」とあり、高安大教会では、打ち分け場所とは、教会の意味との解釈がある)であり、それが正しいとするなら、今の系統組織は根底より覆されるのではないだろうか。
 
このように考えると、産みおろしの場所、うちわけ場所については、一律的な説明は難しく、今後の研究に待つよりほかないであろう。

 次に産みおろしの順序についてみてみよう。

産みおろしは同時ではなく、七十五日かかって順次なされているが、それはなぜか。先に産みおろされたものと後に産みおろされたものとは何によって区別されたのか。同時に産み宿しこまれた子数には、宿し込みの時点ですでに区別があったのか、という問題がでてくるが、これも難しい問題である。

このことは「にほん」と「から」、「にほん」と日本の問題にも関連するもので、悟りの域を出ず、一律的な解釈ができないと思われるが、ただ次のことははっきりと言えるのではないか。

大和、山城、伊賀等と順番に産みおろされているが、異なった場所に産みおろされたものの間には、優劣のような価値の差は一切ないということ、つまり大和、「ぢば」の近くに最初に産みおろされたものは、より親神に魂が近い、長男長女のような存在である、ということは決して言えないということである。
 
ではその後何代もの生まれかわりを経た現在ではどうであろうか。

 これも難しいが、現在「ぢば」の近くに住む日本人と外国人の間にも、そのような価値の差はなく、あるのはそれぞれの役割の違いであって、決して心の成人の差ではないと思われる。

2012年11月5日月曜日

No.88  教理随想(39)  子数の年限


 今回は「子数の年限」について、その奥にこめられた意味について考えてみたい。
 さて「子数の年限」とは、九億九万九千九百九十九人の産みおろされた子数と、人間創造から天保九年の立教までの年限が同数であることを明示するのであるが、子数と年限が同数であるとことは、一体いかなる意味をもつのであろうか。

 深谷忠政氏は「子数と年限とが同数であることは、極めて興味深い点である」(『元の理』32頁)と述べ、その意味を「子数は、教祖魂の因縁という、又年限は、旬刻限の理という絶対的一即ち、立教の一回起性を示されたるもの」(同書同頁)として理解されているが、旬刻限のほうは、問題なくうけとれても、子数と教祖魂の因縁がなぜ結び付けられるのか、また一体子数と年限が同じであるのはなぜかについては、全くわからない。

 では子数と年限の同数の意味は何であるか。

 柏木大安氏は、子数を「空間」、年限を「時間」(『あらきとうりょう』一三七号79頁)として(子数は立体的なひろがりを思わせるところから「空間」とみなされている)解しているが、もしこのように考えることができるなら、「空間」と「時間」が同じものとなるが、これはいかなる意味をもつのであろうか。

 古来、時間、空間は多くの哲学者を悩まし続け、現代においても、その解釈については、百花繚乱、百家争鳴の観を呈し、確固たる解釈はなされていない。
 その理由は、時間、空間とも親神の働きによるからで、それを問うことは、神とは何かを問うに等しい難問であるからである。

では本教において、時間、空間はどのように考えられているのだろうか。『こふきの研究』(二代真柱著)に収録されている「十六年本」、「神の古記」を参考にしてみてみよう。

さて「神の古記」には、「くにとこたちのみこと」について次のような記述がみられる。
「くにとこたちの命わ、天にてわ月様なり、この神わ男かみにして、おんすがたわ、かじらひとつ、おふ(尾)わひとすじのたいりやう(大龍)なり。このせかい、国とこをみさためたもふ。このりをもってくにとこたちの命とゝゆう」
 
ここで頭一つ、尾はひとつの大龍とは何かについては解釈は難しく検討を要するが、「国とこみさだめたもふ」ゆえに、国床立命と名づけられている点に注目すると、この神は、国、床つまり空間に関連していることがわかる。このことは、国床立命の身の内の守護は、眼うるおいで、眼は常に見られる空間、場所を前提とすることからも言えると思われる。
 
ところで物を見定めることは、われわれにとっては、空間の特定の対象に視線を向け、物を見て取ることであり、「空間のこのような視線的体験がわれわれの生の先行的基礎である」(蔵内数太氏『ムック』第五号108頁)といえるのであるが、それでは親神にとって、国を見定めることは具体的にはいかなる意味を持つのであろうか。
 
言うまでもなく国を見定めることは泥海の状態から「高低が出来かけ」、「海山も天地も日月も区別できるように、かたまりかける」等のこと、つまり空間が限定され、成立することを意味し、この限定する働きが、国床立命の働きと言えるであろう。
 
木下民善氏は『すべてそこから』、『希求する生活』において、その働きを「限定作用」、「凝集的縮小作用」とよび、この働きによって、空間が成立すること、また「くにとこたちのみこと」、「たいしょくてんのみこと」が、かぐらづとめにおいて結びついていることの意味を説明している。
 
またこの働きは現代的に理解すると、重力と密接につながるものではないだろうか。
 宇宙物理学によると、星は生涯を通して二つの相反する力、つまり星を膨張させる熱と、逆に星を収縮させる重力の支配下に置かれ、この二つの力がうまくつりあうことによって、星の安定が保たれ、維持されていると考えられているからである。
 
次に「をもたりのみこと」についてみてみよう。
「御すがたわかしら十二の三すじのおふ(尾)に三つのけんある大蛇」、「かしら十二ある一つのかしらにて、十二月のあいだ、一月づつかわりてしゆこう。また十二時つつかしらかわりて、目を一時とすしゆうごうあるゆえに一ヶ年を十二月とさゝめ、一日を十二ときとゆう」
 
ここで「三すじのおふ」、「三つのけん」が何を意味するのかは検討を要するが、とにかく十二の頭によって、一年が十二ヶ月、一日が十二ときに区分される、つまり時間が成立することがはっきりと示されている。

 また「をもたりのみこと」の身の内の守護は、温み、世界では火の守護であるが、これがともに時間に結び付けられるのは、温み、火も運動につながり、存在しているものが、運動によって生成変化し、消滅していく、ここに時間が成立するからである。

このように「くにとこたちのみこと」によって空間、「をもたりのみこと」によって時間が成立すると考えられるのであるが、では時間、空間が「子数の年限」として同じであることはいかなる意味をもつのであろうか。
 
古典力学においては、時間は現象や出来事の外側にあって、絶対的なものさしのようにみなされ、また空間についても、事物の存在の枠組み、器のようにみなされ、時間、空間はそれぞれ独立して存在すると考えれてきた。
 
しかし相対性理論によると、時間、空間は相対的なものにすぎず、時間が場所や運動系によって異なったり、空間のゆがみ等が確認されており、時間、空間とは密接につながったもので、両者を一緒にした時空融合体を考えるほうが、より合理的であるとみなされている。
 
「この現実は時間―空間的なものであって、一方を他方から離すことはできない。従って最も根源的なことの現実は本質的に言って、事実として時空統一体であると言わざるを得ない」(伊東俊太郎氏『時間』東京大学公開講座40頁)
 
「時空統一体としての根源的な現実はたんに意識でも存在でもなく、意識即存在的なものである」、「時空が現実とは別にそれの要れ物のようにあるのではない。現実は場においてしかありえず、その存在様式そのものが時空なのである」(同書12頁)
 
結局時間、空間は「くにとこたちのみこと」、「をもたりのみこと」つまり月日親神の二つ一つの働きで、その二つ一つの働きによって、一切の存在、現象が成立することを間接的に説明していると言えるのではないか。
 
このようにみてくると、「子数の年限」という一見何の変哲もないように思える言葉にも、深い哲理がこめられていることに驚かざるをえないのである。

2012年10月2日火曜日

No.87 教理随想(38)  子数の問題


次に「子数の年限」について検討してみよう。
 まず「最初に産みおろす子数の年限」について考えてみよう。

 最初の産みおろしによって、人間は三寸まで成長し、二回目、三回目の産みおろしによって、三寸五分、四寸まで成長するのであるが、問題になるのは、産みおろしによる子数である。子数は九億九万九千九百九十九と数えられるのであるが、この数字は実数なのか、それとも単なる理の上の数で、象徴に過ぎないものであろうか。

 この数字は「一を加えることによって十全となるのである。だめとして、世界にもう一人(教祖)が加わることによって、また歴史にもう一日(立教の元一日)が加わることによって、子供ばかりで混乱のせかいはをやを得て、親子団欒の陽気ぐらしの世界となり・・・・ここに空間的時間的に十全な歴史的世界が成立することを示されたものと思う」(深谷忠政著『元の理』31,32頁)との見方は、あくまで理の上の数とみなしている。

 なぜなら子数に一を加えても、九00一00000となって十全とはならないからである。

 では実数ではないのか。そうとは思えない。
 なぜなら「子数の年限」が経ったなら、天保九年の立教の元一日を迎えるのであるから、単なる象徴としての数とも思えないからである。経過する年限はあくまで実数でないことには意味がない。では億は現在の数ではないのか。

 『広辞苑』によると億には十万の意味があり、これだと子数は九九九九九九で、一を加えて十万となり、すっきりするが、現代科学の生命誕生の理論からすると、あまりにも少なすぎるように思える。

 子数を理の上の象徴としての数字との見方は『天理教教典研究』(平野知一著)にもみられる。
九という数字が重なっている意味を「九という数は、三の三倍であり、親神が人間創造に当たって、如何に長い年限にわたって苦心されたか、という親心」(143頁)を示すものとして、また九には人間身体の九つの道具、おつとめ鳴物の九つの道具、九度の別席順序等の意味があると解され、あくまで理の上の数とみなされている。

しかし先述したように、単に理の上の象徴的な数とみなすと、「子数の年限が経ったなら」という立教の三大いんねんの一つの旬刻限の理が軽くみられるように思われる。

ではどのように考えればよいのか。
二代真柱様は第十六回教義講習会で受講者のその質問に対して「私は九が続いておるものと解釈しているのです。」と答えられておられる。(『元の理を掘る』平野知一著129頁)つまり子数は九九九九九九九九九、十億マイナス一ということになる。

この見方は、地球上に人間が最適条件で住むことができる人口は約十億人との見解や、最近の生命科学の知見からも根拠付けることができよう。

「三十数億年前、原始地球のどろ海の中に誕生した二種類の原核細胞が、その後、ヒトに至るまでの絢爛たる生命の華を咲かせるためには、まず、真核細胞への道をたどらねばなりません。この真核細胞は好気性生物であり、したがって、それは原始地球の大気が還元大気圏から酸化大気圏に移行した後のことであったに違いありません。いまから約十億年前のころであったでしょう。」(『人間創造』山本利雄著106頁)

「約三十五億年前に出現した二種類の原核細胞を雌雄性の材料として、約九億年前に、真核細胞による有性生殖が始まった。」(同書110頁)
 
おふでさきには、
このこかす九おく九まんに九せん人
 九百九十に九人なるそや
          (六、46)
と明示されているが、これはあくまで五七五七七の歌の形式にあてはめるとき、九千九百九十万の部分をいれることができないために、その部分が略されたのではないかと思われる。
 
子数の数に関して、象徴としての数、実数としての数のほかに、もう一つ神にとっての実数が考えられるのではないか。
 
相対性理論によるとニュートンの古典物理学における絶対的時間はもはや成立せず、時間も相対的であるといわれている。原始宇宙(ビッグバン理論があるが、これを認めない宇宙論もある)における時間の流れが、現在の時間の経過と異なり、同じでないならば、「子数の年限」の経過も、現在の時間の流れで考えることができない。
 
しかし年限の経過が意味を持つためには、実在的な時間、年数を考えなければならない。そこで人間の尺度では測れない、神にとっての計算に基づく数、実数が考えられるのではないか。それがどのような数、計算であるのかは当然のことながら人間には全くわからない。そのような神にとっての実数が考えられるのではないか。
 
次に「元の子数」と世界の人口について考えてみよう。
 世界の人口は現在60億人をこえていて、「元の子数」よりはるかにふえているのであるが、これをどのように考えたらいいのか。

 まず第二、第三の産みおろしについてみてみよう。
 第二の産みおろしについては「いざなぎのみことは、更に元の子数を宿し込み、十月経って、これを産みおろされた」(『教典』28頁)から、「元の子数」が産みおろされたことがわかるが、第三の産みおろしについては「そこで又、三度目の宿し込みをなされたが、このものも、五分から生れ」(同書同頁)とあるだけで、「元の子数」かどうかわからない。

 和歌体十四年本(山澤本)には、
「はてましてまたもやをなしたいないに もとのにんじゆさんどやどりた  このものも五ぶからむまれ だんだんと 四すんになりてまたはてました」とあり、三度目の産みおろしは、「元の子数」であると示されているが、明治十六年本の「神の古記」(梶本本によって「元の人数」と説明されている)においては、不明である。

 また人間は三度目の出直しのあと、八千八度の生まれかわりを経て、「めざる」一匹になるような段階をとおって、八寸、一尺八寸、三尺、五尺と成人していくのであるが、最終の五尺になったとき、はたして「元の子数」の人数なのか、それより多くなっているのか、全くわからない。

 また「人間のたね」(『教典』27頁)としての「沢山のどぢよ」(25頁)については、数が示されていないので、それを使って、人間の数を増やすことは十分に考えられることではないだろうか。

 したがって現在の世界の人口が「元の子数」より、はるかに多くなっていても、何ら不思議ではないと思われる。

 次に『正文遺韻抄』(諸井政一著)に掲載されている、人間の数、動物の進歩についての教祖のお言葉を、少し長いが引用して、検討してみよう。

「元は、九億九万九千九百九十九人の人数にて、中に、牛馬におちて居る者もあるなれど、此世はじめの時より後に、いきものが出世して、人間とのぼりているものが沢山ある。それは、とりでも、けものでも、人間をみて、あゝうらやましいものや、人間になりたいと思う一念より、うまれ変り出変りして、だんだんこうのうをつむで、そこで、天にその本心をあらわしてやる、すると、今度は人間にうまれてくるのやで、さういふわけで、人間にひき上げてもらうたものが沢山にあるで」(153頁)

「生物は、みな人間に食べられて、おいしなあといふて、喜んでもらふで、生れ変るたび毎に、人間の方へ近うなるのやで。さうやからして、どんなものでも、おいしい、おいしいと云ふて、たべてやらにゃならん。」(155頁)

ここに述べられてあることから、人間の数が「元の子数」より増えている理由がわかるのであるが、このお言葉は、このまま受け取ることができるであろうか。

なるほどこのお言葉は教祖より発せられたもので、そのまま信じるよりほかないものかもしれない。
しかし一つの比喩、例え話として、人間と生き物との相即不離の関係を、あのようなお言葉で、当時の人々によりわかるように話されたのではないかと思う。

なぜなら動物の進歩をそのまま受け取るとき、動物に人間と同じ意識、自由を認めることになり、人間と動物の区別がつかなくなるからである。

 また自由を動物に認めることによって、動物にも「ほこり」の教理があてはまり、「ほこり」の多少によって、動物の種類、序列が決められるということになるからである。また人間のなれのはてが動物ということなれば、人間と動物、人間同士における格差が生じ、動物への蔑視、人間同士の差別がより強くなるのではないか。

このようにみてくると、動物の進歩は、そのまま信じることはできず、動物を擬人化することによって、動物と人間とは友達のような親しき関係にあることを、また動物の生命の犠牲によって、われわれの生命が維持されてもいるので、動物への恩を忘れないことを、あのような例え話でもって、説明されたのではないかと思う。

したがって「牛馬におちて居る者」もその通りに解するのではなく、あくまで牛馬のような、人間として生れながら、人間としての自由を失っているような人間として理解されねばならないであろう。

だんだんとをんがかさなりそのゆへハ
ぎゆばとみえるみちがあるから
          (八、54)

 ここにみられるように牛馬は、牛馬そのものではなく、牛馬とみえる道(牛馬のような道)であるから、人間が牛馬におちる、また牛馬から人間へと出世するということはないと悟るのである。人間は、虫、鳥、畜類等と生まれかわってきたので、その逆のコースもありうるように思えるが、人間の主体性、自由を深く考えるとき、そのことは絶対にないと信じるのである。

2012年8月29日水曜日

No.86  教理随想(37)  夫婦の雛形


「夫婦の雛形」についてもう少し検討してみよう。
 「夫婦の雛形」とは、前回のべたように、キリスト教のアダム、イブの創造と異なり、人間ではない神としての夫婦であり、この夫婦から人類が同時に宿しこまれ、産みおろされたのであるが、このような複雑な人間創造、誕生のプロセス、構造は本教独自のものであり、人間生命を真に全うさせるものである。

 キリスト教に代表される人間創造においては、なるほど神の姿に似せて創造されている限りにおいて、人間の動物とは異なる尊厳が何とか保たれるかもしれない。しかしそこでは神の栄光、創造者としての神の威厳が強くたたえられ、人間は被創造者として、その前にひれ伏すことが求められるので、あくまで卑小な存在としてみられることになる。

旧約のヨブ記をみてみよう。
「あなたは神のような腕を持っているのか、神のような声でとどろきわたることができるのか。あなたは威光と尊厳とをもってその身を飾り、栄光と華麗とをもってその身を装ってみよ。あなたのあふるる怒りを漏らし、すべての高ぶる者を見て、これを低くせよ。すべての高ぶる者を見て、これをかがませ、また悪人をその所で踏みつけ、彼らをともにちりの中にうずめ、その顔を隠れたところに閉じ込めよ。そうすれば、わたしもまた、あなたをほめて、あなたの右の手は、あなたを救うことができるとしよう。」(第四〇章、九~十四)

 ここには主人に仕える奴隷のようなおびえた感情はあっても、人間をより積極的に生きさせることはなく、また神によって生かされている喜び、親の懐に抱かれる子の安らぎ等は、全くないことになる。

 これに対して日本神話にみられる人間誕生においては、人間の祖先が神で、人間は神から発生した、と説かれ、キリスト教にはない神人の連続性をみとめる点に特色があるが、これも不十分である。

 なぜなら人間の自立が、キリスト教より大きく認められてはいるけれども、人間の傲慢がでてくる可能性があるからである。神人の連続性から、人間と神は同一次元にたち、人間は死後神として祭られうるという思い上がりがでて、神人和楽、神と人との親子団欒の理想は、ほど遠いものとなるからである。

 神人の連続性の立場、神人の峻別、断絶の立場は、ともに人間の立場を真に全うさせるものではないが、この両者を統合させてものが、「夫婦の雛形」において示される立場である。(「うを」、「み」は、それぞれ「いざなぎのみこと」、「いざなみのみこと」の両神の働きを象徴するもので、その神名が日本神話の神名と同じところから、一見すると神道的なものを連想させるが、日本神話においては国造りは説かれても、人間創造については一切言及されていないところに根本的な相違がある。)

 この「夫婦の雛形」においては、人間は月日親神と直接つながるのではなく、月日親神によって現出せられた「夫婦の雛形」によって、生み出されるのであるから、神と人間とは連続にして非連続、非連続にして連続という形でつながっていることになる。

「それは単なる創造ではない。が単なる生成でもない。それは現象としては現われ出しであるけれども、本質的には創造である。」(『諸井慶徳著作集第七巻』、59頁)

このような「夫婦の雛形」という立場において、人間の謙虚な自己反省が可能になると同時に、人間が主体性を失うことなく、主体性を保ちつつ、しかも傲慢になることなく、神に抱かれる存在としての人間の立場がはっきりと自覚され、人間生命を真に全うさせる生き方が明示されうるのである。

またここにおいてはじめて神の栄光と人間の尊厳が同時に、同じ比重において示されるといえるのである。
このように「夫婦の雛形」の立場は、人間生命を真に全うさせるものであるが、この立場は、また進化論をめぐる思想上の大きな問題に明確な解答を与えるものである。

生物は最初にただ一つの「個」(キリスト教の創世記では、アダムとイブから、人類が段階的に誕生したと説かれる)として誕生し、それがだんだん増えて「種」(生物分類の最小単位。互いに交配しうる自然集団)が形成されるようになったと説かれる進化論の考え方は、西欧文明の根底をなすものである。そしてこれが個人の権利の確立を第一義に、集団を第二義にみなす考え方、強者が弱者を排除し、環境に適した優れた者が生き残るという思想、人間だけが神の直系の子孫で、他の一切のものは人間によって支配され、統治されるというキリスト教の創世記に根ざした思想等となって展開されてきたのであるが、これは現代においては批判の投げかけられている考え方となっている。

これに対して「夫婦の雛形」の立場においては、生物、特に人間は、最初に「個」として誕生したのではなく、最初から「種」として、「夫婦の雛形」を通して、十億近い人間が同時に誕生した、と教えられ、また人間以外の他の一切のものも、人間の成長とともに発展し、共存共栄されるべきものとして(「八寸になった時、親神の守護によって、どろ海の中に高低が出来かけ、一尺八寸に成人した時、海山も天地も日月も、漸く区別出来るように」、「五尺になった時、海山も天地も世界も皆出来て」によって示されている)みなされ、この立場から、世界一列兄弟、互い救けあい、自然と人間との共存等の現代の世界の諸問題を真に解決する考え方が生まれてくる。

従来の進化論にみられる弱肉強食、優勝劣敗等の淘汰の論理は、支配の論理、抹殺の論理であることをこえて、今や人類を終焉させる論理となり、世界の文明をむしばみ、人類に不気味な不安をもたらしているのであるが、この論理の克服は、「夫婦の雛形」の立場に立つ、人類は同じ親をもつ兄弟であり、互いに救け合う、共存共栄の論理をおいてほかないのである。

2012年7月22日日曜日

No.85 教理随想(36) 「どぢよ」、「うを」、「み」


今回は「そこで、どろ海中を見澄まされると、沢山のどぢよの中に、うをとみとが混っている。夫婦の雛形にしようと、先ずこれを引き寄せ」のテキストを吟味、検討してみよう。

 まず問題となるのは、「沢山のどぢよの中に、うをとみとが混っている」という箇所で、一体「どぢよ」、「うを」、「み」とは何を意味するのであろうか。
まず「どぢよ」は「人間のたね」とものべられ、人間を創造するに当たっての、素材、原材料と考えられるが、「どぢよ」は現在われわれが目にすることのできる生き物ではないことは言うまでもない。

 上田嘉成氏の説明を紹介してみよう。
氏は『天理教教典講習録』において「この世のあらゆるものは鉱物、植物、動物の三つに大別され、動物はアメーバから人間まで十二に分類でき、十二番目は脊椎動物、背骨のある動物で、これはまた五つに分類でき、一番目が魚類で、どぢよはこの中に入る。こうみてくると、どぢよと人間とは相当使い親戚である」(七六、七七頁要約)と説明されているが、この説明は「どぢよ」の具体的な姿にとらわれ過ぎてように思われる。人間と「どぢよ」の親近性を理解しようとの意図はわかるが、外形だけを問題にしているのではないだろうか。

 なるほど泥と「どぢよ」との結びつきから、「どぢよ」という名前は、人間の生命発現を説明するのに、適切であると言えよう。しかし「泥海」のところで検討したように、「泥海」そのものが、常識的な存在でない以上、教祖はわれわれに人間創造の神秘の業を、すこしでもわからせようとされて、「どぢよ」を使われたと思われる。

 従って、
 このよふの元はじまりハどろのうみ
 そのなかよりもどぢよばかりや
            (六、33)
は泥海である、親神の身体の中に、人間を創造するための素材となるべきものが、泥海の中に現われている、と解され、その素材となる性質を持った存在を、「どぢよ」という言葉で表現されたと思われる。

 諸井慶徳氏は「どぢよ」は『泥中の自然発生的生物であり、しかも泥にあって泥にまみれぬものである。このことも含蓄深い。思うに、混沌たる太初の中にあって、人間的主体性の原型となるべきものの発現を言われたものであろう。しかもそれが神に食べられたというところに、神的生命の息吹を与えられている人間主体性の誕生を示されるのであろう。「身上は神のかしもの・かりもの、心一つが我がの理」といわれる、この「心一つ」の理の始原的発芽を暗示せられているのである。』
(『諸井慶徳著作集』第六巻一三二頁)
と説明をされている。

 森井敏晴氏は「どぢよ」について次のように述べている。
『人間の種としてのどじょうは、其他に人間が人間として在るための極めて重要な機能を潜在的に秘めていることを教える文献の中に、次のようなものがある。どじょうは「他の種よりも気圧の変化を敏感に知り、暴風雨のきざしがみえるときには、非常に活動的になる」と報告して、英国ではウエザー・フィシュ(予報魚)と呼ばれ予報活動に大いに利用されているという。人間の種として、親神が「どぢよ」をつかわれたのも、ひとつにはこのようにすぐれた防衛本能と予知能力をもつ動物であったからだということが出来るのかも知れない。』(『神・人間・元の理』200頁)
 
次に「うを」と「み」についてみてみよう。
 「うを」、「み」は、明治十六年の古記には、「ぎぎょ」、「人ぎょ」、「しろぐつな」とそれぞれ他の名前でも説明されているが、いずれも常識的に解されるような魚、蛇ではない。

 なぜなら先の古記において、「うを」は「人げんのかをで、うろこなし」、また「み」は「人げんのはだにて、うろこなし」とも説明されているからである。

 次に「うを」、「み」が「人げんのかを」、「はだ」をしているという意味について考えてみよう。
 そのうちにうをとみとがまちりいる
 よくみすませばにんげんのかを
             (六,34)
それをみてをもいついたハしんじつの
    月日の心ばかりなるそや
            (六、35)
の二つのおふでさきから、「うを」、「み」は人間の顔をしていて、それを月日がみて、人間創造を思いついたように受け取れるが、そうではないと思われる。

 人間の外面的特色、他の動物と区別される特徴は、顔と肌であり、特に顔は、人間にとっては、顔を立てる、つぶす等に示されるように、身体の中でも大切なものとみなされるのであるが、この顔の図面、設計図は「うを」、「み」をみる以前からすでにあって、それを「うを」、「み」において再確認したという意味であると思われる。

 また「かを」、「はだ」も単に顔、肌だけではなく、つくる人間の顔、肌を含む身体の機能や構造をも、それによって意味されていると思われる。

 つまり「よくみすませばにんげんのかを」によって、人間の全身の臓器、や構造、機能を、泥海中の人間をつくる原材料の中に確認したことを意味しているように思うのである。
 
「人げんのはだ」、「かを」の意味を「人間は神の面影をやどしていること」、「神と人とは異なるけれども、人間は神に対面しうる可能性を持っていること」(深谷忠政著『元の理』三十頁)と解する考え方もある。しかし「神の面影」、「神に対面し得る」等は、人間の本質として認められるが、それを「人げんのかを」、「はだ」から読み取ることはできないように思う。

 「かを」、「はだ」によってあくまで身体全体の構造、機能等の外面的、客観的特性が示されるだけで、「神の面影」、内面性、精神性まで示唆されていると思えないからである。

 次に「夫婦の雛形」とは何か、をみてみよう。
にんげんをはじめかけたハうをとみと
 これなわしろとたねにはじめて
           (六,44)
ここから「うを」、「み」は、それぞれ人間創造において、種、苗代の働きをしたことがわかるが、この種、苗代を単に男女の生殖細胞の精子、卵子、あるいは遺伝子としてのみ理解することは不十分である。

 なぜなら人間創造は、本教の場合、キリスト教の創世記にみられるように、土のちりから男アダムを最初につくり、そのあばら骨から女イブをつくり、それからその子孫が次々と生まれたという直接的な創造ではない。

 親神が人間を創造するに当たって、まず人間の元となるもの、人間の原父母をまず誕生させ、それから人間が生まれるようにするという複雑な構造をしているからである。

 具体的に示すと、月日親神は、「うを」、「み」に入り込むまえに、月様は男一の道具、骨つっぱりの道具である「月よみのみこと」を、日様は女一の道具、皮つなぎの道具である「くにさづちのみこと」を、それぞれ「うを」と「み」に仕込み、男、女の雛形を誕生させ、それから人間を創造されることとなったのである。

 したがって「うを」、「み」の種、苗代としての働きは、精子、卵子の働きというよりは、それ以前の、それらをあらしめる、より根源的な働きということができる。

 「夫婦の雛形」とは、キリスト教のアダム、イブの創造とはことなり、人間の原父母であり、人間ではない神としての夫婦である。このことは最初に産みおろす子数の年限が経ったなら、宿しこみのいんねんある元のやしきに連れ帰り、神として拝をさせようと約束して「うを」、「み」を承知をさせて貰い受けられた、というところからも明らかである。

 みかぐらうた第二節の「このよのぢいとてんとをかたどりて ふうふをこしらへきたるでな」の「ふうふ」も、したがって今日の人間の夫婦ではなく、あくまで「うを」、「み」の人間の原父母、神としての夫婦であり、この夫婦から、人間が「ぢば」において同時に宿しこまれ、生みおろされたのである。

2012年6月22日金曜日

No.84  教理随想(35)  二つ一つ


 今回は前回の泥海、月日について少し検討を深め、さらに「二つ一つ」について考えてみたい。
 まず泥海については前回詳しくみたので、今回は「地天泰」の思想(『泥海古記について』蔵内数太著、三二頁)を吟味してみたい。
 
「地天泰」とは何か。これは易における逆説的な真理で、天地ではなく、地天と逆になるところに、交わりが起こり、ものが生まれることを示す思想である。

 つまり天は上にあり、地は下にあり、天地では永久に交わらないのであるが、地天となると、上にある地は下に沈み、下にある天は上に昇ろうとして、そこに交わりが生じ、ものが生まれるのである。

 ところで「地と天とをかたどりて、ふうふをこしらえ」にうかがえる思想は、まさに地天泰といえると思うが、地天とは「泥海古記」においては、泥海と月日ではない。

 薮内氏は、泥海が地で、月日が天で、そこに地天泰が成立するとみているが、前回みたように、泥海とは月日にほかならないから、泥海と月日を地と天の二つに分けることはできず、泥海と月日には地天は成立しないと思われる。

 「地と天とをかたどりて」の地と天とは、をもたりのみこと、くにとこたちのみことのお働きの一端と解しうるなら、地天とは月日それ自体において成立すると考えられる。

 前回、月日の泥海の姿は、大竜、大蛇で、大竜は天に上昇する超越性(「積極的発動性」諸井慶徳氏)が、大蛇は地をはう内在性(「受動的展開性」同氏)が象徴されていると述べたが、この超越と内在の二原理が交わり、二つ一つになることによって、人間創造へと展開していくのであり、ここに月日それ自体においての地天が成立することになると思われる。
 
「泥海古記」において「地天泰」の思想が認められるのであるが、地天は泥海と月日の間ではなく、月日それ自体において成立するものとして理解されねばならない。
 
次に月日において示されている「二つ一つ」の働きについてみてみよう。
 さておかきさげに「二つ一つが天の理」と教示されているが、これはいかなる意味であろうか。

 おかきさげをもう少しみてみると「人を救ける心は真の誠」、「誠一つが天の理。天の理なれば、直ぐ受け取る直ぐ返すが一つの理」と教示されている。

 ここから考えると誠は天の理で、誠は人を救ける心であるから、「二つ一つ」は二つのものが互いに救けあって一つになることと悟れる。

 もしそうなら「二つ一つ」の論理はマルクスによって主張された唯物弁証法、対立する二つの要素の一方が他方を闘争によって否定するか、服従させる論理と異なり、真に調和、平和をもたらす論理、対立抗争にあえいでいる現代にまさに求められている論理であるといえる。

 また二つのものが救けあう以上、二つはあくまで主体性をもつものでなければならない。二つのものが主人と奴隷であれば、そこには二つはなく、したがって「二つ一つ」が成立せず、天理に反するものとなる。

 また「二つ一つ」は最近みられるような女性解放、女権拡大の思想とも異なるものである。
 一見するとこれまで卑下され、存在を軽視されてきた女性が、男性と同じ権利を主張することが、男女平等であるかのように思われるが、必ずしもそうであるとはいえない。いままで認められなかった主体性、自己主張、自由が認められることは進歩にちがいないが、男女の役割、立場等を無視して、単に形式的な平等をもとめることは
行き過ぎで、天理に反すると考えられる。役割、立場の相違がなくなれば、二つではなくなり、そこでは真の救け合いは不可能となるからである。

このようにみてくると、「二つ一つ」とは、二つのものが、お互いに相手の主体性、自由、個性を認めつつ、立場の相違を無視することなく、お互いに救け合い、調和するところに「直ぐと受け取」ってもらえ、ご守護をみせていただけることを示す、われわれにとって大切な教えであることがわかる。

 次に親神についてみてみよう。
 本教における神観の特徴、独自性は
         
         このたびハ神がをもていあらハれて
         
         なにかいさいをといてきかする
                          (一,三)
と教示されるように親なる神が直々にこの世に現われて、第一人称で人間にかたりかけていることと、人間を創造し、長の年限丹精して育ててきた元の神、実の神である点に見られるのであるが、この親なる神という点から本教独自の人間観がうまれてくる。

 言うまでもなく、親の基本的課題は子供を生み、育てることにある。親なる神も、子供である人間を創造し、丹精するのであるが、最初から人間を完成されたものとして創造していないので、人間に対して実に辛抱強く成人を待ち、気長に育て守護しているのである。人間は最初は未完成な、未熟な存在として創造されているところに従来の人間観と著しく異なっている。

 今日までの世界宗教の人間観は、人間を最初から完成したものとして創造し、このような人間が過ちを犯したり、罪を重ねたりしたとき、神から厳しき罰や制裁が加えられる、と考えられている。ここには神人関係は主人と奴隷のような、排他的、非寛容で無情な関係しかうまれず、本教で理想とされる神人和楽は成立しえないと言えよう。

 これに対して、本教の人間観では、人間が未熟で、未完成な存在とみなされていることは、過ちや罪が見逃されることを意味しないが、そこには先述の人間観においてのような、罪が厳しく裁かれ、過ちが罰せられるという非寛容で無情な考え方はなく、たとえ過ちを犯しても、罪人あつかいするのではなく、親の心のわからない、わがままないたずらっ子とみて、気長に親心がわかるように丹精する。そこには自分で自分の過ちに気づき、それを正していくのを待ったり、またどうしてもだめなら、もう一度生まれかわらせてやり直させるような、寛容な態度があり、このような人間観に立脚することによってのみ、神人和楽、親子団欒、真の平和も実現されるのである。

          にんげんもこ共かわいであろをがな
 
          それをふもてしやんしてくれ
                         (十四、三四)
のお歌にうかがえるように、世界の人間が親神を親とする子供で、お互いが未完成、未成人で、親の心に近づくよう日々努力していかねばならない存在であることを認め合い、自覚することが何より必要である。
  それによってすべての対立抗争や戦争の危機をはじめて避けることができるのである。

 キリスト教の、生まれながらにして罪を持ち、救われがたい宿命を背負った存在であるとの人間観(この世に対して否定的態度をとらせ、この世での積極的人生観をもたらさない)や科学至上主義、マルクス主義にみられるような人間観(神の座に人間を立てようとする傲慢な人間観で、そこでは科学、イデオロギーが神格化されている)は代表的な人間観であるが、そのような人間観に立つ限り、この世における真の幸福、平和は実現されず、人間は永久に対立抗争にあえぎ、苦悩に呻吟しなければならないであろう。

 世界において今求められているのは、正に親なる神なのである。

2012年6月11日月曜日

No.83 教理随想(35) 泥海と月日


 今回から「元の理」を『教典』第三章「元の理」のテキストにもとづいて、部分的、断片的に味わい、また疑問点をだしてみたいと思う。
 さて「元の理」は「この世の元初りは、どろ海であった」という、いわゆる泥海古記ではじまるのであるが、「元の理」はこの泥海古記とイコールではない。

 我々はともすると「元の理」と泥海古記と同じとみなしやすいが、「元の理」は元初まりの理一般を意味し、天上、地上、泥海の三界(たとえば親神が天にては、月日、地上にては、火、水、泥海にては大竜、大蛇でもってお姿が示されているように)に分けて説き明かされており、泥海古記はその一部に他ならないのである。

 しかし三界の中でも、泥海での話が一番詳しくされているので、まず泥海古記を吟味、検討することからはじめることにしよう。
 「この世の元初りは、どろ海であった。月日親神は、この混沌たる様を味気なく思召し、人間を造り、その陽気ぐらしを見て、ともに楽しもうと思いつかれた」

 ここでまず疑問となるのは、そもそも泥海とは何か、という点であるが、これを文字通りに受け取ると、泥海は泥水のまじった海ということになるが、こんな浅薄な意味ではないことは言うまでもない。また泥海の中をみると、淡水、海水魚がいるので、泥海は真水か、海水のどちらであるかというような疑問もでるかもしれないが、これは無意味である。

 なぜなら泥海古記をよく読むと、人間が「五尺になったとき、海山も天地も皆出来て」とあるように、真水、海水の区別が問題となるのは、人間がほとんど現在の大きさにまで成長するようになってからであり、元初りの泥海と、海山の海とは、全く質がことなるからである。

また泥海に関して「この世の初りは、どろ海」であるなら、そのとき親神はどこにいたのか、あるいは泥海と親神の関係はどうなるのか、という疑問もわいてくるが、この問いも、泥海を具体的なイメージでとらえたり、また親神を二人の人間の姿(大竜、大蛇であってもよい)のようなものとして考えるところからでてくると言えよう。

 明治十六年本には「とろのうみに、月日りょにんいたと記されているが、このこは月日の神体が、泥海の中に座を占めていたとか、泥海が月日の居場所であったという意味ではなく泥海がそれ自体親神のお現われ、お姿であったことを示しているのである。

 月日が泥海中にいた、という誤解を生じやすい表現の真意は、親神の存在している様相が泥海であった、換言すると親神のお姿が泥海であった、ということである。

 つまり泥海は親神と同一ではないが、かといって別のものでもなく、難しく表現すると親神の自己限定(無限者で形をもたない絶対者である親神が、自己の姿を現わし,現象すること)が泥海であった、ということになる。

 おふでさき三号四〇、一三五に、
             だん~~となに事にてもこのよふわ
 
             神のからだやしやんしてみよ

という本教独特の注目すべき自然観、神観が示されているが、この「神のからだ」に一脈通じるものが泥海であると言えよう。
 
ところで親神の泥海でのお姿は、大竜、大蛇として示されているが、このお姿も、そのまま受け取るのではなく、大竜は天に上昇することから、親神の超越性(「宇宙次元的の大原理性」諸井慶徳氏)が、また大蛇は地を這うところから、親神の内在性(「この世次元的の大原理性」)が、それぞれ象徴的に表現されていると悟ることができるであろう。
 
泥海とは「原初的有、絶対無の顕現としての有、有的展開の素地としての根元有」、「画然と分かたれざる全一的な有」(『諸井慶徳著作集』第六巻一〇八頁)であり、「有と取れば有、無と悟れば無」、「そこには高さも深さもなく、底も境もない透明とも不透明ともわからぬ大玄渾沌」(同一〇七頁)で、時間、空間を超えた存在ということになる。

 荒川善廣氏は泥海が地球の原始のまだ冷めていない状態とすると、「親神の創造の仕事はこの地球上のことに限られ、宇宙開闢以来地球が誕生するまでの百数十億年もの間の出来事が不問に付されてしまう。その結果、親神の仕事はせいぜい地球上で無機物から生命体を創造したことであるときめつけられてしまう。」(『「元の理」の探求』一六〇、一六一頁)と述べている。

 泥海とはそのように理解されるので、泥海はどこに存在するのか、いつから存在するのかという類の問いも無意味になる。泥海とは親神のお姿であるから、その問いは親神はどこにいて、いつから存在するのかを問うに等しいからである。いつ、どこにという問いはあくまで有限者についてのみ意味のある問いだからである。

 ところで泥海とは現在においても存在すると言えるのではないだろうか。
 最近の宇宙について次のように説明されている。

『銀河の中には、質量をもつが光らないという、いわゆる「ダークマター(暗黒物質)が大量に存在するのである。暗黒物質の質量は莫大であり、その強い重力によって銀河など宇宙の構造形成に重要な役割を果たしてきたと考えられる。』、「宇宙は73パーセントのダークエネルギー、23パーセントのダークマターで満たされており、光る星々の質量はわずかに4パーセントであることが明らかになった。ダークエネルギーの存在は、宇宙の膨張が加速されているという実験結果から予測される。加速の原因として、斥力を与えるようなエネルギーが必要である。これは空間そのものにそなわったエネルギーと解釈できるが、それが何であるかまったくわかっていない。」(『対象性から見た物質、素粒子、宇宙』広瀬立成著 講談社239,240頁)

 次に「月日」について検討してみよう。
本教において教えられる月日とは、天上にある月、太陽それ自体を意味するのではないことは言うまでもない。もしそうなら太陰、太陽崇拝ということになり、例えばアポロの月面への探検は、神聖な場所をけがす許されざる行為になるというような荒唐無稽な議論も生じるかもしれないし、本教は原始宗教であるとの批判もうけるかもしれない。

 月日とは、くにとこたちのみこと、をもたりのみことに御名でとなえられ、月、太陽を通して、その広大無辺の働きのほんの一端を現わすところの、根本的な働きそれ自体の理をいわれているのであるが、決して独立した二神ではない。

 おふでさきにおいて常に月日という言葉で述べられているが、それは神の働きとして一体的であることを示すためである。ちょうど夫婦が二人でありながら、一体となることによって、新しき生命を誕生させ、新たに発展していくように、月日が二つの働きでありながら、統一されて、一つとなるところに、人間創造、森羅万象の生成発展が可能となるのである。

 ところで月日というと、中国の儒教哲学の陰陽の理と同じように思われるが、決して同じではない。
 陰陽哲学では、月は陰で、消極性、日は陽で積極性を示すが、本教の月日は、月が男神、日が女神として示されるように、全く反対で、男、女神は、単に積極、消極の二概念で以っては説明できない。

 男、女神は一見陰陽のようであるが、陰陽よりもむしろ物理学上のプラス、マイナスの概念によってよりよく理解されると思われる。マイナスは必ずしも消極ではなく、積極性の面ももつように、日様は月様からの積極的な働きかけに対して、単に盲目的に服従するのではなく、むしろ逆に月様に働きかけ、そこに人間創造が始められることになるのである。

2012年6月2日土曜日

No.82 教理随想(33) 「元の理」と進化論(2)


進化論という非科学的な理論によって「元の理」を基礎付けようとすることは砂の上に楼閣を建てる愚に等しく、不可能ということになる。

 では「元の理」における「虫、鳥、畜類など」の「八千八度の生れ更り」とか「めぜるが一匹だけ残った。この胎に人間が宿り」というあまりにも進化論的な記述はどのように考えたらよいのか、それらはどのような意味をもつのか、この問題を考えてみよう。

 まず「めざる」について考えると、『教典』には「めざるが一匹」となっているが、『こふき本』においては和歌体十四年本、説話体十四年本、十六年本いづれも「さるが一人」となっている。「一人」という擬人的表現によって何が意味されているのか。

『教典』において「一人」が「一匹」とかえられてあるのは、「さるが一人」というのは「元の理」を読むものが理解に苦しむからと思うが、『こふき本』に「一人」となっているということは「さる」が動物の猿ではなく、別の意味をもっているからと思われる。

 「さる」、「めざる」とは何を意味するのだろうか。
 「さる」が猿でないことは「元の理」をよく読んでみると「めざる」が出現してから「どろ海の中に高低が出来」、陸と海との区別ができていることからすぐにわかるが、「めざる」とは何かはかなり難しく、議論百出するところである。

 説話体十四年本(手元本)には「さるがいちにんのこりいる。これなるはくにさづちのみことなり」とあり、「さる」が「くにさづちのみこと」の理であることが示されているが何を意味するのであろうか。

『元の理』(深谷忠政著)には他に、「滅せざる」の意、また猿と道祖神との関係から、「人間生活発展の母胎」、「人間の原型的存在」(72頁)等の解釈があげられているが、他に別の解釈がないのかと考えるとますますわからなくなる。

 「めざる」に限らずその他の象徴的な言葉は一律的な解釈のみをゆるすのではなく「成人しだいにみえてくる」と教えられるように成人に応じて異なった解釈がなされるものであるから「めざる」についても一律的な解釈を求めたり、ある解釈を断定することは間違っているのではないか。

 しかし少なくとも次のことだけは言えると思われる。
 つまり「めざる」は猿ではないから「めざる」から人間は、決して猿から人間への進化を意味しないということである。

 ところで進化論において一番問題となるのは、はたして人間はサルから進化したのか、という点で進化論者はそれに肯定的にこたえるのであるが、サルから人間への種から種への進化は本当か、本当ならどのようにしてか、また証明されるのか、との問いには進化論者は確固とした答えをもちあわせていないように思われる。

 そもそも実験したり、事実によって証明したりすることのできない進化を、ある論者のように「種は変わるべきときがくると一斉に進化する」との突然変異の理論によって説明することは、種から種への進化について何も説明しないのに等しいのではないか。それによってサルから人間への進化を説明することは、その進化を逆に疑問視させることになるのではないか。

 サルから人間への進化が疑問視されうるなら、「めざる」から人間をどのように考えればよいのか
 「元の理」には「親神は、どろ海中のどぢよを皆食べて・・・これを人間のたねとされた」とあるが、この「たね」を種と考えるなら、人間の種は、サルの種から進化したものではなく、最初から人間の種として宿しこまれ、育てられたということになるであろう。したがって「めざる」から人間は、サルの種から人間の種への進化ではなく、人間の種のある発展段階から別の段階への移行と考えられるであろう。

では「虫、鳥、畜類など」の「八千八度の生れ更り」はどのように考えればいいのか。

 これについても「めざる」と同じく、生れ更りのあとに陸、海の区別ができるので、虫、鳥、畜類をそのまま受け取ることができず、それらへの生れ更りは、人間がある時期に実際にそのような姿になったのではなく、胎児の成長段階の姿をみても分かるように、人間の種がいろいろな発展段階を経ていることや、親神の人間の種を育てる上での働きが複雑化していくこととして理解されねばならないであろう。

生れ更りのあとに陸、海の区別ができるので、虫、鳥、畜類をそのまま受け取ることができず、それらへの生れ更りは、人間がある時期に実際にそのような姿になったのではなく、胎児の成長段階の姿をみても分かるように、人間の種がいろいろな発展段階を経ていることや、親神の人間の種を育てる上での働きが複雑化していくこととして理解されねばならないであろう。

 また「めざる」、虫、鳥、畜類という具体的なわかりやすい名前が使われているのは、決して進化論を教えるためではなく、親神の人間創造の秘業が展開していく過程を誰にでもよりわかりやすくするためであり、そこに親神の御苦心、親心がしのばれるように思われる。

 ところで「八千八度の生れ更り」が種から種への進化ではなく、あくまで人間の種の展開とするなら、人間以外の種についても進化は成立しないことになるのだろうか。

 これについては私見では、人間以外の種については人間の種の展開の副産物として生じるか、あるいは人間の種とは別に最初からつくられたかのどちらかで、人間以外の種から種への進化が成立するかは、これからの科学の発展をどれほど待っても、永遠のなぞとして残り、わからないのではないかと思う。
 
『正文遺韻抄』(諸井政一著)の次のような記述はどのように考えればよいのか。
 「いきものが出世して、人間とのぼりているものが沢山ある」(153頁)
生物は、みな人間に食べられて、おいしいなあといふて、喜んでもらふで、生れ変るたび毎に、人間の方へ近うなるのやで」(155頁)

 これも一見種から種への進化とうけとれるが、これも以前に述べたように、文字通り解することができず、人間と自然との有機的なつながりを示すものと考えられるから全く参考にならないと思われる。
 
『元の理」はあくまで人間の種の展開過程を示すと悟れるが、では一見進化論的に思える記述によって何が教えられているのか。
 「元の理」はふつう、
 月日よりたん~~心つくしきり
 そのゆへなるのにんげんである
            (六,88)
に教示されている親神の人間創造の御苦労、五尺の人間に成長させるまでの御苦心、つまり過去における親神の御丹精を説くものとして理解されている。

 しかし親神とは時間を超えた永遠の現在を生きる絶対者で、人間にとっての過去も親神にとっては現在であるから、親神の過去の働きといっても、すでにないものではなく、今現在においても及んでいると考えられる。

 ということは、
 それよりも神のしゆことゆうものわ
 なみたいていな事でないぞや
          (四、125)
 これからわ神のしゆごというものハ
 なみたいていな事でないぞや
          (六,40)
に明示される「なみたいていな事でない」神の守護は、単に五尺の人間に成長させるまでの御苦労だけではなく、いま現在我々人間を生かし育てる上での御苦労でもあると解されねばならないであろう。
 
「八千八度の生れ更り」は先述したように、人間の種を育てる過程における親神の自己限定、働きの複雑化を示すものであるが、「八千八度」という無数の親神の自己限定としての働きは、とっくに過ぎ去って今はもはや無きものではなく、今においてもそのまま実在していて、我々の身の内、自然の根源として働いており、そのことを「元の理」をとおして教えられているのではないだろうか。

 おふでさきには「このよはじまり」、「このもと」、「このしんじつ」というお言葉が数多く見出されるが、これらはすべて同じ意味をもち、人間の生命の単なる歴史的な起源だけではなく、同時に今現在における超歴史的な、歴史の根拠となる人間の生命の根源を示すものでもあり、この厳然たる事実に開眼させるために、教祖は五十年のひながたの道を通られ、晩年になって「元の理」を諄々と説かれたと悟れるのである。

 いままでも今がこのよのはじまりと
 ゆうてあれどもなんの事やら
          (七,35)
というお歌は、いろいろな解釈がなされ、理解に苦しむが、「元の理」における一見進化論的な記述は、このお歌を説明するために、当時の人々に理解させるためになされたのではないだろうか。
 「元の理」の現在的な理解(今現在の生命の根源としての)が我々に求められていると思われる。