2014年5月1日木曜日

No.102 教理随想(53) 陽気ぐらし(1)

 今回は「月日親神は、この混沌たる様を味気なく思召し、人間を造り、その陽気ぐらしを見て、ともに楽しもうと思いつかれた」(『教典』25ページ)という意味深長な文章を味わってみたいと思う。
 
まず「混沌たる様を味気なく思召し」人間を創造した、という箇所であるが、これは如何なる意味をもつのであろうか。
 一見すると「味気な」い、つまらない、面白くない、という偶然的な気まぐれから、人間が造られたように受け取れるが、決してそうではない。絶対者である親神が、泥海ばかりではつまらないから、という余りにも人間的な動機で、人間を創造するはずがないからである。
 
 そこで明治16年本の「神の古記」(中山正善著『こふきの研究』)をみてみると、「月日りよにんばかりでわ、神とゆうてうやまうものなし、なにのたのしみもなく、人げんをこんしらえ そのうえせかいをこしらえ、しゆごふさせば、にんげんわちよほ(重宝)なるもので、よふきゆさんを見て、そのたなにごともみられること」とあり、ここでは「神とゆうてうやまうもの」がないから、人間を創造した、と述べられている。
 
 つまり「味気ない」ということは「神とゆうてうやまうもの」がないこと、神を敬うことのできる主体者、自由をもった存在がないことを意味しているのである。
 したがってこの世の元初まりは泥海で、混沌としていて、そこには秩序もなく、物も何もないから味気ないというよりも、もっと端的に自由なる主体としての存在者がいないことが、味気ないことの理由であると理解されねばならない。
 
 ここでいよいよ人間創造となるのであるが、この創造は決して偶然的なものではない。「ともに楽しもうと思いつかれた」は、一見ある時偶然に思いついたように思えるが、そうではない。
 
 諸井慶徳氏が「神はただ即自的存在者たる限りにおいては、如何にその全一性を有し、根源性を保ち得ても、ついに神たるべき能動性を全うし得ない」(著作集第六巻114ページ)、「神は神たる存在に止まらず、神たるべき存在にならなければならない。神は神としての立場に安んぜず、神とされる立場に移らざるを得ない」(同書、115ページ)(極めて難解な表現であるが、神はいかに全知全能であっても、神だけでは全能性を全うできず、神とは独立の主体を必要とし、神とされる必要があるということ)と述べているように、あくまで必然的な展開なのである。
 
 ヘーゲルは、その弁証法論理において、即自から対自、さらに即自且対自への必然的移行を説いているが、ここでは神による人間創造であり、その展開は必然的なのである。
 次に「その陽気ぐらしをするのを見て、ともに楽しもう」の部分を検討してみよう。
 
 まず陽気ぐらしという人間創造の目的であるが、従来の宗教における創造説話においては、本教のように、はっきりとした人間創造の目的をもつものはない。
 『ムック天理』第二号「人間創造」には、世界各地の民族神話における人間、世界の創造が十七種類と、キリスト教の創世記が紹介されているが、そのいずれにも、何のために人間が創造されたのかという目的は示されていない。
 
 中国の神話には、女神が「さびしさ」から人間を造った、またミクロネシアの神話には同じように「一人でいることが空しい」からと記されているが、いずれも人間創造の単なる動機に他ならず「陽気ぐらし」というような積極的な目的は見当たらない。
 
 キリスト教においても「われわれのかたちに、われわれにかたどって人間を造り、これに海の魚とそらの鳥と、地のすべての獣と、家畜と、地のすべてのはうものを治めさせよう」(「創世記」)とあるだけで、何のために、は全く示されていない。
 
 本教においては「陽気ぐらし」という人間創造の目的は、
       月日にわにんげんはじめかけたのわ 
       よふきゆさんがみたいゆへから
               (十四,25)
にもみられるように、はっきりと示されているのであるが、このことは極めて画期的なことであり、この意味は深いといえる。
 
 なぜなら古来人間は、一体何のために生まれ、存在するのかという第一義的な疑問をたえず投げかけ、現代においても悩み続けているのであるが、この疑問、難問に人間の親なる神がはっきりと解答を出されたからである。
 
 仏教においては、生老病死一切皆苦と説かれ、生きていることそのことが苦痛とされ、この世からの逃避が強調され、またキリスト教においても、この世を苦の世界とみなし、あの世、彼岸をむなしく志向させるだけで、いずれも人間にこの世における生命を真に全うさせることができない。
 
 しかし本教では人間創造の目的が示され、この世で陽気ぐらしができることを教えられ、悩み、抗争にあえぐ世界の人々に、生きる希望を与えることになる。
 
 次に「陽気ぐらしをするのを見て、ともに楽しもう」の箇所を見てみよう。
 ここで見落としてはならないことは、陽気ぐらしを「させる」ではなく、「する」のを見てとなっている点である。「させる」であれば、それは使役で、人間に自由がなく、ちょうど操り人形を扱うようにして、陽気ぐらしを実現するのであるが、それでは人間を造った意味がない。そうであればいかに人間と世界を造ったとしても、そこには親神しかなく、神は依然として「即自的存在者」に他ならず、また「味気なく思召す」ことになるからである。
 
 ところでよく、もし神がいるのなら、なぜこの世に諸悪がはびこり、抗争や戦争などの不幸が存在するのか、という一見もっともと思える疑問がだされるが、この問いは、自由という人間にとって貴重なもの、人間存在の根拠でもあるものをわすれる点で成立しない。
 
 なぜならもし人間に自由がなく、悪(といっても普通の意味ではなく、親神の思いに反する心)への傾向がないならば、人間は善のみを行なう自動機械のようなものになってしまい、そこには親神の意志しかないことになり、楽しみはないからである。
 
 真の楽しみは、他の自由なる主体がいてはじめて成立するからである。親神が自由をもたない人間を造り、それを操って陽気ぐらしを実現しても何の楽しみがあろうか。そのような問いを発するひとは、自分から自由をとってもらい、神の操り人形になることを望むようなものである。
 
 このように考えるとき、「させる」ではなく「する」となっていることが、いかにありがたいことかわかるのではないだろうか。
 親神はいつまでも気長く、子供であるわれわれが親の心を悟り、自発的に「陽気ぐらし」をするのを見て、ともに楽しむ、つまり神人和楽の世界を待ち望んでいるのである。


2014年4月2日水曜日

No.101 教理随想(52) 家族の絆(3)

清水 うちは上の子には小さいころからぜんぜんお小遣いもあげずに、買い与えたりもしませんでした。何か物を買うときも親の思いを通してたので、もう結婚してるのですが、いまだに買い物に行っても悩んで迷ってなかなか買えないって、この前一番上の娘に愚痴られたんですよ。

 でも衝動買いとかはしないので、かわいそうな反面安心感はあります。けっこうリサイクルショップとか利用したり、お友達同士で回したりして上手にやりくりしているみたいで。
 下の子が、新しく出たゲームをほしがっていたんですけれど、ありがたいことに即完売で、どこにも売ってなかったんです。そうこうしているときにうちの子が池中先生の子供さんに鼓笛で会ったときに「どうせすぐに飽きるよ、またすぐに新しいのが出るで」ってアドバイスをもらったんです。そしたら「私もそう思うわ」ってコロッと変わっていて、ゲームを買うことをあきらめてくれたんです。

池中 私も子供のときは何も買ってもらえなかったのですけれど、それでよかったなあ、親が徳積みしてくれていたんだなあと思えます。当時もらったスカートをずっと同じものをはいていたのですが、あんまり嫌やから自分ではさみでスカートを切ったんです。
 そして「お母さんこのスカート破れたからもう着られへんわ」と言ったら、次の日ちゃんと縫われていました。お母さんのほうが一枚上手だったんです。でもそれだけのことを今自分の子供になかなかできないんですね。やっぱり甘いなあと思いますね。

司会 結論として、お道を信仰している私たちができること、私たちがしなければいけないことは何でしょうか。

池中 よく会社などで「ほうれんそう」という言葉が使われていますが、報告、連絡、相談という意味で「ほうれんそう」をしっかりすることが大切と聞きますが、家庭の中でも「ほうれんそう」をしっかりしなければいけないと思います。

子供がまだ小さいうちは目の届く範囲にいるので何をやっているのかすぐに分かりますが、大きくなるにつれてそれぞれの行動範囲も広くなって、帰ってくる時間もばらばらだし、どこで何をやっているのか把握できなくなってくると思うので、いちいち聞くと嫌がるかもしれませんが、「今日どうやった?」「何時に帰ってくるの?」「これはどう思う?」など、家庭の中でもコミュニケーションをしっかり取ることで家族の絆も深まるのではないでしょうか。

清水 奈良の放火殺人の事件を聞いたときに、放火した子がかわいそうに思えたんですね、あの子は居場所がなかったんだってすごく感じたんです。それぞれどの子にも居場所が必要なんだ。学校でも、家でも、またそれ以外でもどこかに居場所があれば生きていけると聞いたことがあるんですが、あの事件を起こした子にはどこにも居場所がなかったんじゃないかってすごく思いました。

うちの子が学校でトラブルがあったときには、鼓笛隊という居場所があって仲間に支えてもらえたから乗り越えられたんだと思うんです。今は兄弟の少ない子も多いので、子供の友達とか遊びにきたときには鼓笛隊に誘っているんです。そうやってよその子供さんにもなるべくたくさん居場所をつくってあげられればいいと思います。

村上 おふでさきに、
                    せんしょうのいんねんよせてしゅごする
                    これはまつだいしかとおさまる
                              (1、74)と教示されています。
このおふでさきは一般的に結婚に関するおふでさきと解釈されていますが、すべての人間関係に関するものだと私は思います。夫婦、親子というのは同じいんねんではないと思うんです。
           おふでさきにも、
              おやこでもふう~~のなかもきよたいも 
              みなめへ~~に心ちがうで
                 (5,8)
とあるようにみな微妙に違っているんですが、それぞれのいんねんを納消するのにいちばんいい組み合わせになっていると思うんです。

 お互いが神様が選ばれたベストの組み合わせなんだということ。今の親子関係は親分子分みたいになっているように思えます。それは本当の親子関係ではない。子供というのは神様からお預かりしているものである、そういうふうな思いで子供を丹精させてもらう。その中に自分が親として成人させてもらえるのではないでしょうか。


司会 みなさん本日はありがとうございました。

No.100 教理随想(51) 家族の絆(2)

司会 ずいぶん古いデータですが、職場での事故の原因の90%は家庭の不和だという調査結果があるんです。このことからも家庭の治まりというものは本当に大事だと分かると思いますが、子供の前で夫婦げんかをしたり、子供さんに自分の弱いところは見せますか。また子育てで気をつけていることなど教えてください。

村上 最近は本当に離婚している家庭が多いですね。父性は規律を教える。母性は優しく抱きかかえる。たとえ夫婦が揃っていても両方が父性の厳しさだけを子供に教えるとそれは親心になっていないと思う。女性だからといって父性がないわけではない。だから母子家庭でも父性と母性をもって育てれば母親1人でも子供は育つ、反対に両親が揃っていても父性と母性の役割分担ができていなければ子供はちゃんと育たないと思います。

池中 うちは夫婦げんかというものはほとんどしませんね。自分が子供のころに親がけんかしているのを見たときにいちばん寂しい気持ちになったので、子供の前では特にしません。特に繕ってるわけでもない。うちの場合は先ほど村上先生がおっしゃてたように父性も母性も会長さんがやってくれるので(笑)、私は何もしていません。

 それから、なかなか自分の子供を褒めてやるというのができないんですよね。しかってばっかりで。押さえつけていたかなと思う。人の子には良く頑張ったねって言ってあげられるのになんで自分の子にはそれが言えないのかなって。 それと陰口はいけないなと思います。子供は聞いているんですよね。「おかあさん、あんなこと言ってたで」とかぽろっと言われるとドキッとしますね。本当に子供って親の言っていることをしっかり聞いてますね、顔色もよく見ていますしね。

清水 子供が大きくなってきて、子育ての方針がこんなに違うんだというのが出てきました。 上2人の子供にはとにかく厳しくしないといけないと思っていたのですが、やっぱり反発があって、子供の意見も聞いてあげないといけないということに気がつきました。ですから子供の様子や学校であったことなどを聞くようにしています。
以前下の子のクラスが学級崩壊のようになったことがあってうちの子にも影響があったときにも早く気がつけたのでなんとか乗り切ることができたことがありました。

子供が全部私たち親に話してくれたのでよかったのです。学校にいる時にストレスをためていたので、家では励ましてあげていて、今はいいクラスに恵まれているようで、今ではそういう悩みを抱えている友達に自分の経験からアドバイスしてあげたりしているみたいです。身近でやっぱりそういうことがあるんですね。聞いていたら今の小学生は忙しいんですね。おけいこ事とかでストレスがたまってそれが人に攻撃的になる原因なのかな。

司会 よその子を叱れますか?

池中 なかなかできないですね。そこまで親身になれてないのですかね。

清水 普段から知っている子ならまだいいのですがどういう子かまったく分からない子にはやっぱり言えないですね。以前に上の子が中学生のときにちょっと学校が荒れてて、学校の外で中学生が悪いことしてても注意しなくていいですと先生から言われて、でも目に余ったら警察に電話してくださいと言われたことがあって、それが心に残ってて、もし注意して危害を加えられたらどうしようとかいう心配もあってなかなか言えないですね。

村上 昔は先生というものはとても怖い存在だったんです。だから親も子供が悪いことをしたら親も怒るけれども、先生に怒ってもらっていたんですね。今は親が怒れないんですね、もし子供が目に余るようなことで他人が注意したらその子の親は普通なら感謝しなければならないところが逆に注意してくれた人に怒ってしまうわけです。

司会 この前にいわゆる大阪のおばちゃんに出会って、ものすごく感動した話を聞いたんです。
 それは自分の子供が小さいときの話で、誕生日に手帳を買ってあげたんですって、するとその手帳を近所の子供がすごく気に入って、黙って持って帰ってしまったんです。それに気がついたその子供の親が謝罪の電話してきたそうです。「うちの子が手帳を持って帰ってきてしまった申し訳ないです」と。
 
それに対しておばちゃんは何て言ったかというと、「今すぐ子供を連れて謝りにきてくれ」と言ったそうです。そしてすぐに手帳を持って子供を連れて謝りにきたそうです。そのおばちゃんを見るやいなや玄関先で土下座して謝ったそうです。
そこでおばちゃんは子供に何て言ったか「あんたは自分のお母さんにこんな姿をさせて平気でいられるのか。あんたのしたことでお母さんはこんなに恥をさらしているんだ。二度としたらあかんで」と懇々と言い聞かせて、そして三人手をとって泣いたっていうんですね。
 
池中 すばらしいですね。子供が万引きして親が謝りにいって逆にお店の人に「お金払ったらいいんやろ!」と居直ったりすることがよく見受けられるけど、そうじゃなくてこの場合自分の子もそうだし人の子も同じような思いで間違ったことをその場で正す、自分の子も人の子も同じ感覚でしておられることがすごいことだなと思いますね。
それが今なくなってきて人は人、自分は自分と希薄な人間関係が問題になっていますよね。私たちはよふぼくなのですからこのおばちゃんに負けないように頑張らないといけませんね。

村上 子供もそうですけれど、まず親がなってないから、その親を何とかしなければいけないと思いますね。しつけはいくらでもつけられると思うんです。
私たち家族が教会を出て泉北ニュータウンへ移ったころ、子供たちは五歳、三歳、一歳だったのですが、子供たちにまず物の不自由さに耐えさせようと思い、朝食は端パンにしました。子供に物を与えるときに必ず理由付けするんです。端パンというものは食パンの端で栄養がここに集中しているんだよ、と。そして絶えず「もったいない、もったいない」と言い続けました。
すると子供たちも学校やよそでも、もったいないと自然と言うようになりました。しかし、不自由もやりすぎるといけないんですね。私たちが子供のときと同じようにやってしまうと、ついてこれなくなりますからね。そして子供には親の思いを押し付けたりせずに、しっかりと意見も聞いてあげることが大切ですね。


No.99 教理随想(50) 家族の絆(1)

『躍動の泉』平成18年12月号 座談会 テーマ「家族の絆」を考える
メンバー 
村上道昭(56歳、二男一女の父) 
清水みどり(46歳、一男三女の母) 
池中揚子(43歳、三男二女の母) 
司会:和田幸晴(45歳、三女の父)

リード文
今日現在、家族の絆が薄れてきているように思います。そのなかでいろんな悲惨な事件、痛ましい事件が、身近なところでも起こっています。そういう世の中を見て、多くの方が不安な気持ちを抱いているのではないでしょうか。そこでわたしたちお道の者として、この世相をどう見るか、いかにして陽気ぐらしに近づけていけるのかを考えてみたいと思います。

司会 まずはじめに、幸せな家庭とはどんな家庭でしょうか。そして今なぜ多くの家庭で治まりをみないのか。家庭というのは子供にとってどういうものなのかを考えてみたいと思います。

池中 家庭というのは子供にとって安心していられる場所であるべきだと思います。私が子供のころは家に帰ってきたらすごくほっとしたんです。だから自分の子供が学校など外から帰ってきたら、ほっとする、安心できる場所であるように心がけています。

清水 それぞれの家庭でいろいろ事情があるから一概には言えないと思いますが、私はやっぱり両親が揃っているということが子供にとっていちばん幸せだと思います。
私は子供のころによく教会に行ってたんですが、何人かの住み込みの方がいて、お父さんがいない人がいたんです。ある人に「あんたは幸せよ。お父さんがいるんだから」と言われたことがあって、そのときは分からなかったのですが、あとになって本当にそうだなと思いました。

親の愛情というのは底知れないものがあるじゃないですか。いつも子供のことを思っているんですよね。その愛情というのは本当の親子じゃないとなかなか子供にも伝わらないと思うのです。
 私が子供のときも両親とも働いているから、あまりかまってくれないんです。でも愛情というのはどっかに自分の中にあったんですね。

司会 最近では奈良の田原本で起きた放火殺人事件が記憶に新しいかと思うのですが、家庭内の殺人事件が最近よく起こっています。なぜ子供は親を殺すのでしょうか。どうすればそれを未然に防げるのでしょうか。またどこにその問題があると考えますか。

村上 子供が親を殺す原因は根が深く、特定するのは難しいですが、背景として最近の子供は自然と接する機会が少なく、ゲームの世界と現実との区別がつかず、命の重みが感じられないことがあるように思います。
 
また、教育の問題もあると思います。昭和40年以降「道徳」にかわって「にんげん」、「人権」が教えられるようになりました。責任をともなわない自由、義務を忘れた権利のみが主張され、子供を甘やかす家庭が増えてきたことも、このような事件の背景としてあるように想います。
 
奈良の田原本町で放火殺人を犯した高校一年生は、事件後「もう一度人生をやりなおしたかった」といって自分の犯した事の重大性を感じていません。親の高学歴イコール幸せな人生という価値観を一方的に押し付けられ、ストレスがたまり、とりかえしのつかない事件を起こしたわけですが、なぜ放火殺人なのか、家出とか他の方法もあったのではないか、と考えますと理解に苦しみます。

 親と子供のどちらが悪い、社会が悪いという次元では捉えることのできない問題だと思います。
 教理的にいいますと、おさしづに、
  ……小人々々は十五才までは親の心通りの守護と聞かし、十五才以上は皆めん/\の心通りや。……
(明治21830日)
また、
  「小人の処、前生一人一人持ち越しという理がある。」
(明治22年1月11日)
とはっきりと前生持ち越しということを教えられています。殺人をするというのは根が深いと思うのです。
ただ単に環境だけではなく、信仰的に考えますと前生持越しとかまたいんねんとかそういう問題になってくる、だから同じような環境、同じような人間関係であっても殺人事件など起こらない場合と、殺人事件に発展する場合とがありますね。
 
だから殺人を犯す原因というものは、前生のいんねんとかそこまで掘り下げないと、殺人を犯した子供の動機とか、心理的な原因とか、また社会的な背景とか、そういう次元では解決できない、原因は分からないと思います。

 昔と今の子を比べたときに信仰を抜きにしても、たとえば昔は手伝いをするのが当たり前でしたが、今は便利になって家事とか炊事の手伝いをするのが当たり前でなくなってきている、昔は手伝いは当然子供がしなければならないことだった。いわれなくても自然とできることだった。
今は子供が家庭でしなければならないことといえば勉強とかになっている。親も手伝いをしてくれるよりも勉強をしてほしいとおもっていますね。

 社会の問題として考えると親子の間で価値観が違ってきている。昔は物の不自由なときは物質的に恵まれることが目標で経済力を付けるために学歴を身に付けた。高学歴→高収入→物質的に恵まれるイコールそれが幸せの方程式だった。
それが今の30歳以下の若い世代は生まれたときから物に恵まれていて、そういうようなことは目標でなくなってきている。親は物の豊かさを求めたが、今の子は心の豊かさを求めている。そこに親と子で求めている根本的な価値観にずれがあります。ストレスがたまって、そこに奈良の田原本の事件の背景みたいなものがある。今の子供は何が幸せなのか模索している状態に見えますね。


2014年3月15日土曜日

No.98  教理随想(49)  本席飯降伊蔵

飯降伊蔵さんが本席に
定まれるまで

飯降伊蔵さんは、明治20年3月25日、本席に正式に定まられます。教祖がおられる間は、神様のお話を直接聞かしていただくことができましたが、現身を隠されてからは、今度は本席を通してご神言をありがたいことに、聞かせて頂くことが出来るようになります。キリスト教、仏教では教祖、開祖の亡き後、直接の神言はなく、弟子たちが、教祖や開祖の言葉を思いだして、いろいろな福音書や経典にまとめるようになりますが、いろいろ異なった解釈を生み出す原因となり、教団が分裂していく要因となります。そのために教祖は本席を育て上げられたわけです。伊蔵さんの入信から本席になられるまでの経緯を簡単に振り返ります。

元治元年に奥さん、おさとさんの二度目の流産後の煩いをおたすけ頂いてから、明治十五年までの約20年間、伊蔵さんは朝早くから、仕事のあるときは、仕事が終わってから毎日雨の日も、風の日も、休むことなく、お屋敷に通われ、御用を続けられます。

その間、教祖から「伊蔵はん、この道はなあ、陰徳を積みなされや。人の見ている、目先でどんなに働いても、陰で手を抜いたり、人の悪口を言うているようでは、神様のお受け取りはありませんで。なんでも人様に礼を受けるようでは、それでその徳が勘定ずみになるのやで」とお仕込みさますと、早速に実行され、夜中、家路を急ぎながらも、こわれた橋を見つけると修理をし、もぐらが穴を開けて水漏れしていれば、だれの田もおかまいなく、これをつくろったりされたそうです。
そしてそのことが村人の知れるところとなりますと、「困ったことになったわい」と嘆いておられたようです。

また「理を立てて身が立つ。必ず人様を立てるようにして自分は上がらぬようにせよ。よしや人々より立てられる身となっても、高い心を使わぬようにすることが肝要である。十人の上に立てられたならば、十人の上に立って、十人の上の仕事はしていても、その心は十人の一番下に置くように。千人万人の上に立てられた場合も同様、その心は千人万人の一番下に置くようにせよ。」と諭されますと。道を通るときも、誰かれなく自分のほうから先に挨拶をされ、墓地への参拝のときも、道端の乞食にも挨拶をされ、その前を通られたそうです。
 
 教祖は伊蔵さんを、入信前から本席として定めることを予定されておられたように思います。
 元治元年教祖は「大工がでてくる。でてくる」と予言され、伊蔵さんが五月にお屋敷にこられると、「さあさあ、待っていた、待っていた」と仰せられ、おたすけされます。
 同年十月つとめ場所の棟上式の翌日、大和神社のふしがあります。それまでついてきていた信者はほとんど離れてしまいますが、伊蔵さんだけは一人残られ、後始末と内造りを続けられます。
 
 その後三年ほど、伊蔵さんはお屋敷に常詰めされ、これより九年間は、忙しい大晦日には、自分の家はさておき、決まってお屋敷の掃除をし、祭壇を整え、迎春準備をすませたうえで、帰宅、明けて正月には誰よりも先に、お参りされたそうです。
 
 二代真柱様は『ひとことはなし』の中で、「この九年の勤め、只一人でのつとめ、一筋心に親神様にお仕えされたそのうちに、後年本席としての理をつまれたものと悟られます」と述べられています。
「丸九年という~~。年々大晦日という。その日の心、一日の日誰も出てくる者も無かった。頼りになる者無かった。九年の間というものは大工が出て、何も万事取り締まりて、ついてきてくれたと喜んだ日もある。これ放って置けるか。それより万事委せると言うたる」(M34,5,25)
ここに伊蔵さんへの全幅の信頼が感じられます。

 伊蔵さんは教祖のお言葉には絶対に服従で、素直についてこられますが、慶応年間とも明治元年のころともいわれる「お屋敷に入り込め」とのお言葉だけは、なぜか聞いておられません。
 
 つとめ場所の内造りのころ、夫婦ともども子供がまだなく、身軽だったこともあって、三ヶ月間、お屋敷に住み込まれますが、すでに子供三人、弟子一人を含め、六人が住み込む余裕はない、との人間思案、おはるさんのご主人、梶本惣治郎さんの「行ってもよかろうが、今のお屋敷の状態では、さしずめ食うに困るやろ」と意見、また村人の「金が要ればだしてやる。家が狭ければ普請の材木もだしてやるから、あんなところにはいきなさんな。どうでも行くというなら、乞食する覚悟でいきなはれ」と助言等によって躊躇をせざるをえなかったようです。
 
 それでも教祖は気長に辛抱強く待ち続けられますが、明治十四年、いよいよ時が熟してきます。
 伊蔵さんは仕事中、どうしたはずみか足を踏み外して腰を抜かす、次女のまさえは風眼(?)、長男政甚は口がきけない、という節をみせられます。
 そこで伊蔵さんも、いよいよ決断され、まず明治十四年九月、おさとは、まさえと政甚を連れて、つづいて明治十五年3月、伊蔵さんは長女よしえを連れて、お屋敷にに移り住まれることとなります。伊蔵さん五十才、おさと四十九才のときです。
 
お屋敷では伊蔵さんは、すでに年切り質からかえっていた、お屋敷の田畑にでて、慣れない野良仕事をされます。夜なべには、内職にお社造りをされ、子供の養育費にあてられたようです。有形無形の苦労がつづきますが、しかし教祖から「さぞつらかろうが、もうしばらくであるほどに、気を長く持って、堪忍なされや」、「これまでの苦労の理は、一夜の間にも取り返してみせる。子供のことは何も思うやないで」と諭され、それに勇気付けられ日々を通られます。
 
 明治十五年十一月九日、伊蔵さんは弟子が宿屋の寄留届けをおこたったことを理由に、奈良監獄署に十日間拘留されることになります。これも神様からのためしのように思われます。

 伊蔵さんは元治元年に夫婦そろって扇と御幣のさづけを頂き、明治八年ごろ、言上のさづけを頂かれます。
 
 さらに十三年、「ほこりの仕事場」と称されるようになります。これは人間の事情に対処する立場で、「若き神」といわれた、こかん様が、明治八年に出直されてからは、教祖はよく、「ほこりの事は仕事場に回れ」といわれ、伊蔵さんに任されたようです。
 
 明治二十年正月から、教祖のご気分すぐれなくなられますが、そのとき、「伊蔵さんに扇を持ってもらってくれ」指図されたとも語り伝えられています。
 教祖が現身をかくされたとき、御休息所の教祖の休んでおられた次の間に控え、のち一同を前に内蔵の二階で現身おかくしの神意が明かされることになります。

 明治二十年二月二十三日、教祖のご葬祭が盛大に万余の参列者が押し寄せる中、執行されます。そのときの指図は伊蔵さんに伺われたようです。
 
  三月四日「刻限御話」がでます。
「さあ~~身の内にどんな障りがついても、これはという事がありても、案じるではない。神が入り込み、皆為すことや」
 三月十一日、伊蔵さんは昼食のあと、身体のだるさ、悪寒を訴えます。
「額から玉のような汗がでて、汗が飴か納豆のように、ふくたびに糸を引く。顔は引付をおこしたようだった。」と言われています。また、あばら骨がブギブギと大きな音を立てて、一本一本、右のほうから、左のほうからおれていく。すると今度はおれた骨が一本一本、元にもどっていく、という不思議な現象がおこり、その音はそばで見守る者の耳まで届いたといわれています。
 
 十一日から二十五日までの十五日間に三十一回にわたって、「刻限御話」がだされます。
 三月十七日午後七時の刻限御話、
「さあ~~今までというは、仕事場は、ほこりだらけでどうもならん。さあ~~これからは綾錦の仕事場。(中略)さあ、すっきりとした仕事場にするのやで。綾錦の仕事場にするのやで。」
 
 このお話から伊蔵さんの半月に渡る身上を通してのお仕込みは、これまでの「ほこりの仕事場」から「綾錦の仕事場」へのしこしらえのためのものであったことが分かります。

 三月二十五日午前五時半の刻限御話、
「・・・神というものは、難儀さそう、困らそうという神はでて居んで。・・・それ故渡すものが渡されんだが、残念情なさ、残念の中の残念という。・・・さあ返答はどうじゃ。無理にどうせと言わん。」これにたして「いかにも承知致しました」と答えると、続いて「・・・やりたいものが沢山にありながら、今までの仕事場では、渡した処が、今までの昵懇の中であるが故に、心安い間柄で渡したように思うであろう。この渡しものというは、天のあたえで、それに区別がある。・・・さあ~~本席と承知がでけたか~~~。さあ、一体承知か。」
 これにたいして初代真柱様より「飯降伊蔵の身上差し上げ、妻子は私引き受け、本席と承知」と申し上げられ、ここに神の思し召しによって「本席」と正式に定まられることになったわけです。
 「やりたいもの」、「天のあたえ」とは言うまでもなく、おさづけのことで、おさづけを渡される立場が、「綾錦の仕事場」ということなります。
 これより二十年間、刻限と伺いにたいする、おさしづと、さづけが本席を通して私たちに渡されることになります。
 本席は明治四十年六月九日正午ごろ、七十五才で出直しになられます。


2014年1月31日金曜日

No.97 教理随想(48) やさしき心

やさしき心
「やさしい心になりなされや。人を救けなされや。癖、性分を取りなされや。」
(『逸話篇』一二三)                            むごい心をうちわすれ 
やさしきこゝろになりてこい
(五下り、六ツ)                   
 
このお言葉は教祖が入信後間もない梅谷四郎兵衛さんに言われたもので、信仰の角目をわかりやすくお示し頂いています。
「やさ(優)し」の意味は、『広辞苑』には(1)さし向うと恥かしくなるほど優美、(2)素直、おとなしい、温順、(3)情深い、情がこまやか(4)けなげ、殊勝、神妙等と示されていますが、本教ではもっと積極的な意味を教えられています。

『みかぐらうた講義』(深谷忠政著)によりますと、やさしき心の反対の「むごい心」は両手で押える手振りから、強い者が弱い者を押える非道で情知らずの、我さえよくばの利己主義の心であるのに対して、「やさしき心」は手を平にして円を描き、両側から抱きかかえて押しいただく形の手振りから、人を抱きかかえる思いやりのある心、即ちたすけ一条の心と理解されています。
 
又おさしづには、
「どんな事も心に掛けずして、優しい心神の望み」     (M34.3.7)、
「たんのう安心さすが優しき心と言う」(M33.4.21)、
「優しき者は日々満足。満足は小さいものでも、世上大き理に成る」(M33.7.14)、
「皆来る者には優しい言葉かけてくれ。…年取れたる又若き者も言葉第一、男という女という男女に限りない」(M34.6.14
等と教えられ、優しさは老若男女にかかわらず求められ、たんのうに根差していることがわかります。
 

教祖は人類の母親である、いざなみのみことの御魂のお方で、
          一れつのこどもハかわいばかりなり 
          とこにへたてわさらになけれど
              (十五、69
          「反対するのも可愛我が子、
        念ずる者は尚の事。」
             (M29.4.21
に示されますように、我子である人間を救けたい一条で五十年のひながたの道中を通られました。従って「やさしき心」とは「たすけ一条の心」である親心の一つの現われと悟ることができます。
 
教祖五十年のひながた、御誕生からの御道すがらに拝察されます「やさしき心」の具体例をふりかえってみましょう。
 
 教祖は相手が乞食、怠者であれ、軍人であれ一切の隔て心なく「御苦労さま」とお声をかけられています。その優しき心にふれ、怠者の作男は人一倍の働き者に更生し、又佐治登喜治良さんはお声を聞いたとたんに神々しい中にも慕わしく懐かしく、ついて行きたいような気がして、身上も事情もないのに入信を決意したと言われています。(『逸話篇』一四六)

 教祖は米泥棒に対しても、その罪を責めることなく、「貧に迫っての事であろう、その心が可哀想や」とかえって労りのお言葉をかけられた上、米を与えてゆるされています。

 また明治十九年二月十八日からの櫟本分署での最後の御苦労の際にも、道路にそった板の間に坐らせて、外を通る人に見せてこらしめようとする巡査に対しても、孫のひさに「あのお菓子をお買い」、「あの巡査退屈して眠って御座るから、あげたいのや」と言われ、底なしの深い親心を、どこにおられても示されておられます。

「やさしき心」とは、このように見てきますと、たすけ一条の心、親心の一つで極めて積極的な意義をもつもので、誠の心と同じであると悟ることができます。

「誠の心と言えば、一寸には弱いように皆思うなれど、誠より堅き長きものは無い」、「一名一人の心に誠一つの理があれば、内々十分睦まじいという、一つの理が治まるという、それ世界成程という」、「人を救ける心は真の誠一つの理で、救ける理が救かるという」(「おかきさげ」)

「やさしき心」がたすけ一条の心に通じるものであり、たすけ一条の心から真の「やさしき心」が生じてくることを、教祖が「月日のやしろ」にお定まり下さいます以前の道すがらの中から学ばせて頂きたいと思います。

 教祖の夫善兵衛さんと女衆かのの事件について、『私の教祖』(中山慶一著)にみられます悟りを基にして思案してみます。(「御貞節」136~145頁参照)

 善兵衛さんと、かのの事件は、いつのことか明確ではなく、色々の推測や憶測がなされています。仮にこの事件が教祖十九才前後の事としますと、結婚以来六年で、まだ子供がおられないときで、当時の社会事情からしますと、全く考えられない事件というわけではありません。

 問題は妻であられる教祖が、かのに対してどのようなお心で、どのような態度を取られ、どのように接しておられたかということであります。

 ある日隣家の足達家の当主が、中山家に敬意と親しみを感じている上から、他人事と思えず、秘かに教祖に二人の様子に気をつけるように忠告します。これをお聞きになられた教祖は少しも動揺されることなく、心からその厚意に感謝された後、「夫の身持に関する限り、妻である自分が一番良く承知して居ります。決して人々の口の端に上る様な事はございませんから、何卒御心配頂きませぬよう」と確信のある態度でお応えになられたと伝えられています。

 この事情をお知りになられても、夫の心を忖度なされ、妻として夫の心に充分の満足を与えることが出来ず、夫の心に隙を与えた身の不徳を、強く反省なされ、もし夫の心に隙や淋しさを与えたとすれば、それは全部妻たる自分の責任である、と氏は教祖の御心中を推察されています。

 したがいまして教祖は夫を恨む事なく、却って申し訳がないという、一入お優しい思いやりをもって、夫の心の安まるように仕えられ、憎い(私たちから見て)かのに対してさえ、「自分の足りないところを自分に代って夫の心を慰めてくれるのだ」との思いで、「ご苦労様」という労りさえこめて、かのを可愛がっておられます。ここには決して悲しいあきらめの姿は見えず、積極的に事態に対処されている様子がうかがわれます。

 夫がかのを連れて名所見物にでかけようとしているときに、夫の気持ちを汲まれて、かのにお供するようにお声をかけられ、御自分の晴れ着を貸し出され、大家の若奥様のような髪型に結い上げられ、御自分の立派な櫛、かんざしまでも出され、かのの頭に飾っておやりになられます。そして送り出されておられます。

 かのは教祖の敵への底なしのご親切を裏切り、教祖を無きものにしようと悪だくみを企て、ある日食事の汁のものに毒を盛ります。これを召し上がられた教祖は、やがて激しく苦しまれますが、その原因がかのの仕業であるとお分かりになられたときにも、かのを責められることなく、苦しい息の下から、「これは、神や仏が私の腹の中をお掃除下されたのです。」(『教祖伝』17頁)と宥め許されておられます。

 この事件を氏は「徹すれば道開ける」という真理であると悟られています。
 後年になって「捨てゝはおけん、ほってはおけんと言う処まで行けば神が働く」と諭されていますが、真実の限りを尽して親神様が「捨てゝはおけん、ほってはおけん」と思召し下されるところまで徹し切れば、如何なる難局も必ず打開されるものであるという事を、身を持ってお示し下されているものと悟られています。

 我々は、常に相手の非行をのみ責めようとしますが、それは決して事態を解決する道ではありません。事情の縺れの原因と責任の半分は、必ず自己にもあるものであります。己の心と態度が変わる事によって、必ず事態は解決するものであるという、真理をお教え下されているものとも悟られています。 

最近女性が結婚の条件の第一に男性に求めることが、優しさであると言われていますが、このような優しさは、自分を甘やかしてくれ、我ままを受け入れてくれるという自己中心的なもので、かえって心のほこりとなるようなものと思われます。
 
誠と同じ意味での「やさしき心」は、癖、性分をとって、いかなる事が起きても、相手を責めるのではなく、「我が身うらみ」として受け止め、たんのうの心を治め、親心に少しでも近づかせてもらい、たすけの心が生れるときにはじめて、自ずと出てくるのではないでしょうか。

『諭達第二号』に「成人とはをやの思いに近づく歩みである」、「この果てしない親心にお応えする道は、人をたすける心の涵養と実践を措いて無い」とお示し頂いています。見方をかえますと、成人の目標とは「むごい心をうちわすれ やさしき心になりてこい」ということもできると思われます。

 また『諭達第三号』に「慎みを知らぬ欲望は、人をして道を誤らせ、争いを生み、遂には、世界の調和を乱し、その行く手を脅かしかねない。我さえ良くばの風潮の強まりは、人と人との繋がりを一層弱め、家族の絆さえ危うい今日の世相である。まさに陽気ぐらしに背を向ける世の動きである。
心の拠り所を持たず、先の見えない不安を抱える人々に、真実のをやの思いを伝えて世界をたすけることは、この教えを奉じる者の務めである。

今こそ、道の子お互いは挙って立ち上がり、人々に、心を澄まし、たすけ合う生き方を提示して、世の立て替えに力を尽すべき時である。」と明示されています。そのために求められていますのが、まさに「やさしき心」であると言えるのではないでしょうか。

2013年11月17日日曜日

No.96 教理随想(47) 三つの宝

   三つの宝
教祖は、ある時飯降伊蔵さんに、掌を広げさせ、籾を三粒お持ちになって、
『これは朝起き、これは正直、これは働きやで。』と、仰せられて、一粒ずつ、伊蔵の掌の上にお載せ下されて、 『この三つを、しっかり握って、失わんようにせにゃいかんで。』と、仰せられた。」(『逸話篇』二九)
 
教祖は人間生活の指針、生活倫理として、「朝起き、正直、働き」を教示されています。「朝起き」と「働き」について考えてみましょう。
「朝起き千両」、「朝起きは七つの徳」という諺がありますが、教祖はこのような常識的功利的な意味だけではなく、心身にとってもっと大切なことを教えられていると悟れます。
 
最近の脳科学による眠りや生体時計の研究をみてみましょう。
人間の体には自律神経、体温、睡眠、覚醒を司る各種のホルモンなど、およそ一日の周期で変化する様々な生理現象があって、そのリズムはすべて脳にある生体時計からの命令で刻まれています。
人間の生体時計は両目の奥にある視床下部の視交又上核と呼ばれる部分にあります。この生体時計の一日は二十四時間より約三十分長くなっています。

従って睡眠覚醒のリズムは地球時間より毎日三十分づつ遅れていきますので、二十四日目になると、体の一日のリズムが昼夜が逆転し、昼に体がいちばん不活発な状態になるということも起こります。

しかしふだんこういうことがなく、地球時間と歩調をあわせて生活することができます。これは生体時計の周期を地球の周期にリセット(同調)させる因子があって、中でも朝の光による同調作用が効果的で、脳の視交又上核が毎朝光を認識することによって、生体のリズムを二十四時間になるようにリセットしています。
 
生命システムの動的協力性の解明を目指す、生物学者の清水博氏は次のように述べています。
 生命科学における「引き込み現象」とは異なるリズム同士が自発的にシンクロナイズする現象であり、同じリズム同士がそうなる共鳴現象と区別されている。」

「本質的には共鳴は同じ振動数をもつ振動系が同期する現象ですが、引き込みは二つの基本振動数が異なっていても、その振動数を互いに合わせるように変更して同期化してしまう現象です。動物のもつ体内時計のリズムが、日周期の変化に引き込まれて変化するのも一種の引き込みです。このように引き込みは我々の体内でも、いろいろな生命現象に関連して起きており、生理的にみても非常に意義ある現象として知られています。」(『モダンの脱構築』今田高俊著、中公新書93、94頁)

夜ふかしの生活では朝より夜に自然光でない光を浴びることになり、生体時計の周期を長くし、二十五、六時間になり、このズレが夜ふかしをつづけると拡大していき、修正できないようになります。

これが「内的脱同調」とよばれる慢性の時差ぼけ状態で自律神経失調症の一つである起立性調節生涯(起き上がると血圧が急に下る)、慢性疲労、抑うつ、活力消耗等の症状となっていきます。
 
又朝の光には心を穏やかにする神経伝達物質であるセロトニンの働きを高める作用もあります。この物質は脳内の神経活動の微妙なバランスを保ち、これが不足すると精神が不安定になり、人間関係がうまくいかなくなってくることがわかってきています。 

人間は当り前のこと思われるかもしれませんが、朝日を浴び、昼夜は働いたり、活動したりして、夜はゆっくり休むときに持てる能力を最大限に発揮できるように守護されているわけです。 

次に「働き」について考えてみましょう。「働く手は」で働く意味について述べましたので、今回はそれを補足して別の観点から考えてみます。
 
これまでの労働観において働くことは生きるための単なる手段、生活の糧を手に入れるためにやむをえずしなければならないことや義務とみなされ、働かざる者にマイナスの評価が与えられてきました。

これに対して教祖は「人間というものは働きにこの世に出てきたのや」と仰せられたと聞かして頂きますが、このお言葉は人間は働かずにおれない存在で、働くことは生きることと離れず結びついている人間の本性であることを教えられていると悟ることができます。

「働く手は」において「人間にとって他者から承認されることは、ほとんど本能的ともいえる根源的な欲求である」という仮説を紹介しましたが、その欲求とともに、人間には贈与に対してお返し、お礼をせずにおれないという本能的ともいえる欲求があるのではないでしょうか。
 
          人のものかりたるならばりかいるで 
          はやくへんさいれゑをゆうなり
             ( 三、28
 このお歌は他人に物を借りたなら利子をつけて御礼を言い、早く返済するようにという常識的な意味の奥に、人の物でも借りたなら利がいる、まして神からの借り物となると、どれだけの利がいるか思案してみよ、という意味があると考えられます。
 
人間の身体は親神からの借り物で、それは親神の見返りを求めない絶対的な無限の価値をもつ贈与であると悟りますと、感謝の気持ちが生じ、恩義に感じてお返しせずにおれなくなる、このことが「働き」、働くことの根本にあるのではないでしょうか。
 
昨今、世界金融危機、世界同時不況によって、労働環境が悪化し、働くことについての、ひいては生きることそのものについてのシニシズム(物事を正面から立ち向かおうとするのを冷笑する考え方)が人々のあいだにしのび寄ってきているように感じられます。

はたらくのは所詮金のためにすぎず、要領のいいやつが勝組となって得をする、正直者は馬鹿をみる社会になっている、つまり働くことが生きがいとならないと感じる若者が増加してきています。 

この根本原因として、借り物を自分の意のままに処分できる自分の所有物であり、働くことは生きるための単なる手段にすぎないとの考え方や社会における生産至上主義、能力主義、成果主義が考えられます。
 
本教では「身の内神のかしもの・かりもの、心一つ我が理。」(M2261)と教示されています。
 これは身体は親神からの借り物で、人間に所有権はなく、使用権しかないことと「我が理」として許されています心(自我を含む一切の精神現象)は借り物である身体、いのちに支えられて成立することを意味していると悟ることができます。

私のいのちは借り物の身体に宿りますが、それは又親のいのちによって授けられたものでもあります。又社会のいろいろな人のいのちや世界の国々の人々のいのちの営み・働きによっても支えられ、食物(動植物のいのち)をはじめとするいろいろなものによって維持されています。
 
それらのお金には換えることのできないいのちの営み・働きによって私が支えられている、また心を使うことができると悟りますと、心の使い方も自ずと制限され、それらのいのちの贈与に対するお礼の心づかい、働きとなってくるのではないでしょうか。
 
この報恩としての働きにおいては、職業に貴賎はなく、たとえ家事労働であっても、報恩の心でなされる限り、尊いということになります。
 
最後に働きに伴います与えについてのおさしづを紹介します。

「十分楽しませてある。不自由さしてない。この理しあんせにゃわかりやせん。」                                  (M35,3,14

「これまで年限相応の楽しみは皆つけてある。」(M32,2,2

「めん~~年々のあたゑ、薄きは天のあたゑなれど、いつまでも続くは天のあたゑという。」                     (M21918

「あたゑというは、どうしてくれこうしてくれと言わいでも、皆出来て来る。天よりの理で出来て来る。」                (M261128

「欲しいと言うてあたゑはあろうまい。心にたんのう持たねばなろうまい。」
                (M24520

「渡世商売という~~~、一時には良いように思う。(中略)数々商法中にせいでもよいものもある。よう聞き分け。せいでもあたゑ、ならん事すれば理を添えて後へ返える。」
               (M31629
 
格差社会といわれ、与えに関して不平等にみえる現実は確かにありますが、これについては「理は見えねど、皆帳面に付けてあるのも同じ事、月々年々余れば返やす、足らねば貰う。平均勘定はちゃんと付く。これ聞き分け。」(M25113)とのお言葉を心に治めたいものです。