2012年5月23日水曜日

No.81 教理随想(32) 「元の理」と進化論(1)

今回は「元の理」と進化論について考えてみよう。
 科学と宗教が厳しく対峙することなく、両者が相互に関わらない世界で矛盾無く働いている日本において、進化論対宗教という図式は成立しがたいのであるが、キリスト教の伝統を根強く持っているアメリカにおいては、人間のルーツをめぐって「進化論」か神による「創造説」かという問題が盛んに論じられている。

 レーガン政権下、生物学の授業に「進化論」だけでなく「創造説」も加えよ、という訴訟が保守回帰の風潮とあいまって多数おこされ、ある州ではすでに法案が州議会を通過しているとも言われている。レーガン大統領も選挙運動中に「進化論」に疑問を投げかける発言をして、創造派の票を集めたといわれている。

 人類の起源をめぐって科学者同士が創造派と進化論派に分かれて対立し、法廷で争われ社会問題化しているのであるが、では「元の理」と進化論とはどのように考えられるのであろうか。

 「元の理」における「虫、鳥、畜類などと八千八度の生れ更り」、「めざるが一匹だけ残った」、「この胎に男五人女五人の十人ずつの人間が宿り」という記述は、一見するといかにも進化論的で、ここから「元の理」と進化論を同一視し、進化論によって「元の理」を権威付けたり、科学的な証明を云々したりする向きもあるかもしれない。

 またダーウインの『種の起源』が出版されたのは一八五九年(「つとめ場所」のふしんの五年前)であるから「元の理」は進化論の影響を受けている、との見方をする人もいるかもしれない。

 これに対して本教の立場から「生物進化論は科学の仮説であって、改訂される時があるかもしれないが、元の理は永久不変である。前者を以って後者を権威付けようとする試みは科学と宗教の次元の相違に気づかない乱暴な乱暴な論法である」(深谷忠政著『元の理』68頁)との反論がだされるが、しかしこのような反論も一見もっともなようにみえて実は抽象的で「科学の仮説」はどの点にあるのか、また「元の理」が永久不変であるのはどの点か、については明確ではない。

そこで「元の理」と進化論の関係のまえに、そもそも進化論とは何か先にみてみよう。
 進化とは簡単にいうと生物のある種が世代交代を重ねるうちに別の種へと変化していく現象(例えばサルが人間へと変化すること)で、その現象の原因を究明するのが進化論であるが、進化論といっても百家争鳴の状態で一つの確固たる理論があるわけではない。(『進化論を愉しむ本』別冊宝島には十二の理論が紹介されている)
 ここではその中の代表的なダーウインの進化論をとりあげ、検討を加えたみたい。

 さて彼の進化論の骨子は、種個体群の中に環境の影響をうけて優劣の個体差ができ、そのうちの優れたものだけが生き残るという自然淘汰の理論である。この自然淘汰は自然選択、適者生存ともよばれるが、この理論はちょっと検討すると、すぐに矛盾をさらけだすことになる。

 まず第一点は自然淘汰は単純なものから複雑なものへ、構造上劣ったものから、優れたものへ、と説明するが、自然界には今現在においても優れたものと劣ったものが同居し、単純なものが淘汰されていないのはなぜか説明できない。

 第二点は自然淘汰とは要するに生存競争の結果、最適者だけが生き延びるという原理であるが、この原理は単に生き残る適応性をもった個体は、適応性をもたない個体よりも生き延びる可能性が大きい、という自明のことを示しているに過ぎず、一種の同語反復におちいっている。最適者とは、本質的に子孫をたくさん残すものであるから、こん原理は多くの子孫を残すであろう個体は多くの子孫を残すという結局は何も教えない原理に過ぎない。

 ダーウインの進化論については、この自然淘汰の矛盾のみならず、他の矛盾もいくつか指摘されている。それを簡単に列挙してみよう。
 まず化石における矛盾で種と種のあいだの中間種(例えば魚と両生類のあいの子のようなもの)の化石がなければならないのに、全くなく、化石の記録は、実際に進化が起きたかどうか立証できないといわれている。

 第二は品種改良における矛盾で、いくら念入りに品種改良をしても、変種は生まれるが、それが別の種(例えばリンゴがみかんになったりすること)になることは決してないといわれている。また変種は種の存続を安定させるために生じ、突然変異も別の種にかわるためではなく、種の多様性を維持し、種を保存するために起こるといわれている。したがって突然変異は進化には何の影響もあたえない、と考えられている。

 第三は確率的矛盾で、ダーウインによると時間さえ十分にあれば、確率はごくわずかでも、小さな変化がつもりかさなって、一つの種が他の種にすすむと考えられているが、数学者の計算によると、アメーバのような単細胞生物の発生すら、十の数万乗分の一、つまり確率は事実上ゼロで、偶然の突然変異によって新たな種が生まれることは絶対にありえないとみなされている。
 また単細胞生物の大腸菌には百科事典の一億ページ分に等しい情報が入っていて、ある科学者は生命が単細胞ににまでいたる進化過程は、それから人間にいたるまでの進化過程を全部ひとまとめにしたものと同じくらいドラマチックで長い道程である、と語っている。

 以上簡単にダーウインの進化論の矛盾をみてきたが、これらの矛盾から次のことが明らかとなる。
 それは進化論とは事実に基づかない空論、何の証明もされない理論に基づく科学、つまり非科学的な理論にほかならないということである。
 なぜなら科学的とは、具体的に実験、再現等によって検証でき、正しさが証明されることを意味するが、進化論とは観察、実験、検証の全く不可能な理論だからである。

 科学史家によるとダーウインの進化論は自然観察というよりは、当時の社会の観察、社会理論によって生まれた自然を題材にして展開される一種の思想ともいえるもので、当時の特にブルジョア階級の人々によって熱狂的に支持され、利用されたといわれている。 
ダーウインの弱肉強食、優勝劣敗、淘汰等の考え方は、権力、富をもつ上層の人々にとって、自分たちの生き方を正当化してくれる誠に好都合な考え方で、産業革命のおよんだ国々には必ず進化論も根を下ろし、熱狂的に受け入れられたといわれている。

 ダーウインの進化論は、その後人間中心主義の科学技術文明の隆盛に便乗して、社会理論とも結びつき、社会ダーウイニズム、社会進化論(人間社会をダーウイン原理によって解釈する)等として展開していくのであるが、そもそも進化とは生物学的概念で、社会理論には使用されるべきものではないから、種々の問題(例えば結婚制限や断種などによって遺伝的に人間の改善を図ろうとした優生学という空恐ろしい学問やそれを民族的レベルで実施したナチズムの暴挙等)をひきおこすことになったのである。

 ダーウイン以外の進化論については別冊宝島四十五『進化論を愉しむ本』をみていただくことにして、次にそこに掲載されていない共生的進化論についてみてみよう。
 この進化論は生物は互いにたすけあいながら進化したとする新しい学説で、第二次大戦後の新しい学問上の発見を総合して1960年代に成立したが、最初は学会から全く相手にされなかった、といわれている。

 「この説によって進化を説明すれば次のようになる。生命の材料に満ちた原初の海に、何らかの過程によって発生した原初生物が浮かんでいたところから出発する。この原初生物は、大腸菌のように細胞内に核をもたず、しかも細胞一個で生きている単純なものであった。この単純な細胞が、核をもつ一段上の細胞に進化するとき、それまで存在していたいくつかの単純な細胞や、その一部が、一つの新しい細胞の体を形成し、その中で協調的な働きをするようになる。そしてこの新しい細胞は、格段優れた機能をもつ細胞となる。つまり複雑な働きをする細胞は、強いものが弱いものをやっつけるというかたちで生まれたのではなく、それぞれ独自の働きをする、単純な生命体が、互いにたすけあって作り出されたというのである」(村上和雄著『人間信仰科学』一五九頁)

 この進化論は従来の対立、競争を原動力とする進化論とは大きく異なり、「たすけ合い、ゆずり合い、わかち合いの三つの合いが本当の進化の原動力だとする考え方」(前掲書一六〇頁)であり、自然の真理により近づくものであるから、興味深い学説といえる。しかしそもそも進化はなぜ、何のために起こるのかという最も大切な問いについては、我々に何も教えてはくれない、というよりその問いに答えることができない。

 物事がいかなる状態で存在するかを分析的方法で追求するが、それがなぜ、何のために存在するのかとなると全くお手上げになる科学の限界をこの進化論も我々に示しているということができる。

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