2012年3月24日土曜日

No.75 教理随想(26) 天理王命、教祖、ぢば、は理一つ(1)

天理教とは、親神が教祖を月日のやしろとして、この世に直々に現われ、教祖の口、筆、行いを通して、世界だすけの思召を伝えられた事実に基づく宗教であり、その実質が、ぢばへの信仰として展開されている。このことは教義的には、
・・・天理王命、教祖、ぢばは、その理一つであって、陽気ぐらしへのたすけ一条の道は、この理をうけて、初めて成就される・・・
         (『教典』43頁)
と説明されるのであるが、天理王命、教祖、ぢばの理が一つであるとはいかなる意味をもつのであろうか。
 
この「天理王命、教祖、ぢばは、その理一つ」との教義は、本教の教えの根幹をなすもので、これを誤解したり、ここから逸脱すると、異説、異端に走り、我流信仰におちこむ危険が生じるのであるが、この教義を合理的に理解することは必ずしも容易ではない。
 
そこで三つを便宜上、天理王命と教祖、天理王命とぢば、教祖とぢばに分けて、それぞれを順に検討し、、「天理王命、教祖、ぢばは、その理一つ」について考えてみたい。

 まず、天理王命と教祖については、教祖の月日のやしろとしてのお立場は一体どういう意味をもつか、親神と教祖はどのような関係にあるかが問題になる。宗教学的観点から、その可能性を類型化すると次のような見方が成立しうる。(『諸井慶徳著作集』第五巻67頁以下参照)
 すなわち、
一、            人間としての悟りによって親神に到達した、或いは特殊な能力があって親神の霊感を受けた。
二、            神のお言葉が下がるときは親神の代理で、その他の場合は人間と同じ水準の生活をされた。
三、            親神が人間の姿をとって仮にこの世に現われたのが教祖である。
四、            教祖は神的人間であるが、天保九年以降一貫してではなく、次第に月日のやしろに相応しい姿になられた。
等の見方であるが、これらについて検討してみよう。
 
まず第一の見方においては教祖は人間の立場にとどまり、親神の顕現者、地上の月日ではないことになり妥当しない。
 また第二の見方も本席には当てはまっても、天保九年以降一貫して親神の心を心とされた教祖の立場とはいえない。
 
では第三の見方についてはどうか。この見方については、もし成立しうるなら、教祖は親神の単なるロボットにすぎず、教祖独自の存在はないことになるが、原典から考えると成立しない。
 
なぜなら教祖は「元の理」に示されているように、人間創造のときの母親、いざなみのみことの御魂をもたれた御方で、月日といざなみのみことの間には「承知をさせて貰い受けられた」(『教典』26頁)から分かるように、単なる同一ではない関係があり、この関係が親神と教祖の間にも成立するからである。
「親神と教祖の関係はABで示される『全等』ではないが、ABで示される『等しい』のである。」(深谷忠政著『天理教教義学序説』242頁)との説明は、その辺の消息を示すものと思われる。
 
したがってわれわれは親神と教祖とを全等として同一視したり、教祖は親神の仮のお姿と考えることはできないということになる。
 では一体どの点において相違があるのだろうか。
 ぢきもつをたれにあたへる事ならば
  
このよはじめたをやにわたする
            (九,61)
 月日にハこれをハたしてをいたなら
  
あとハをやより心したいに
           (九、64)
このお歌の「をや」は親神ではなく、教祖のことであり、
    ・・親神は教祖の心に、「天の与え」を分配することに関しては自由に裁量するすることをお許しになっている。・・・
(芹沢茂著『おふでさき通訳』363頁)
と解釈するとき、われわれは親神と教祖のお働きにおいて、はっきり区別をみることができる。

 われわれは親神によって救けられることはいうまでもないが、教祖の御手にすがることによって、つまり親神の働きを前提として、教祖を通して救けていただくことができると思われる。(このことについては後にもう一度検討する)

 次に第四の見方、いわゆる「教祖成人論」を検討してみよう。
 この見方は教祖の神格面が天保九年以降次第に発展していって、明治七年に赤衣を召されたときに神と一体となられた、それ故それまでの教祖には神的側面と人間的側面が混在していたとみなし、その具体例として、宮池事件(教祖が宮池に身を投げようとされたとき「短気を出すやない~~」『教祖伝』31頁との親神の御声が内に聞こえて、どうしても果たせなかった)をあげるのである。

 そしてこの説は二代真柱様が中心となって進められた「復元」によって、「月日のやしろ」としての教祖の立場が明確にされるまで、教内の一部において支持されてきた見方であるが、少し検討を加えてみよう。
 宮池事件は、神と人間との間に立って苦しまれる人間的なお悩みであって、それ故に涙なしに語ることができない、と考えられやすいのであるが、しかしながら教祖が月日のやしろの立場であられる以上そのような見方は成立しない。

 なぜなら月日のやしろとなられてからの教祖のお悩みは、一個人の悩みと次元を異にし、親神を知らず、その御心に従うことのできない周囲の人々を教え導く上での、お悩みであり、教祖が人間の立場から神に近づこうと努力される、その途上の悩みとは本質的に区別されるからである。
 
したがって赤衣によって神の理を厳然と示されるようになったのも、神格が次第に発展したからではなく、子供の成人に応じて、神の理を明確にされるようになった、と考えなければならないと思われる。

2012年3月13日火曜日

No.74 教理随想(25) 「ひながた」の一考察(9) (完)

以上「かしもの・かりもの」の第二のポイント、生命の貸与が最高の御守護、大恩との見方をみてきたが、このような意味での「かしもの・かりもの」の教えを、教祖は「貧におちきる」道中によって示されたと思うのである。
 したがって「貧におちきる」ことの客観的解釈も、生かされている大恩の観点から見直されなければならないであろう。
 
客観的解釈とは「貧におちきる」ことは「万人たすけの道場」、「つとめ場所」を目的とする必然的な過程、手段であり、その限り必然的なものであったとの解釈で、表面的に見る限り、妥当性をもつが、よく考えてみると教祖は「貧におちきる」ことによって、単なる形のふしんを目指されたのではないことがわかる。
 「つとめ場所」とは、後年示される「ぢば定め」の「ぢば」と、そこにおいてつとめられる「つとめ」を本質とするのであり、「貧におちきる」ことの意義は、あくまで「ぢば」、「つとめ」という観点から再認識されねばならないと思われる。
 
「ぢば」、「つとめ」とは何か、簡単にみてみよう。
 「ぢば」とは、いわゆる「おぢば」といわれている広域をさすのみならず、親神がこの世元初まりにおいて、人間を宿しこまれた場所であると教えられるのであるが、この「ぢば」が本教において、極めて重要な場所とされるのは、単に人間の宿しこみの場所であり、
 そのぢばハせかい一れつとこまでも
  これハにほんのこきよなるぞや
           (十七,8)
と示されるように人間の故郷であるという理由によるだけではなく、人間生命の根源の場所であり、たすけの与えられる場所であることによってなのである。

 つまりわれわれが日々生かされているのは、「ぢば」によってであり、その理によって救済が成就されるのである。
 このような「ぢば」を教祖が「つとめ場所」の本質として明示されたということは、一見「つとめ場所」の建設の手段にすぎないように思える「貧におちきる」ことが、人間の生命の根源を知らせるために、またそれをとおして「九十九両のめぐみ」、生かされている大恩を悟らせるために、必要であったということになり、われわれが「貧におちきる」ことによって、
 このもとをくハしくきいた事ならバ
  いかなものでもみなこいしなる
             (一,5)
といわれるように「このもと」、生命の根源、「ぢば」が恋しくなり、帰らずにおれないようになる、と思われる。
 
またこのことは「つとめ」からも言えると思われる。
 「つとめ」とは、
 「親神が、紋型ないところから、人間世界を創めた元初りの珍しい働きを、この度は、たすけ一条の上に現そうとて、教えられた」(『教典』16頁)聖なる儀式で、「元の理」における人間創造の理、親神の「十全の守護」の理を表した十人のつとめ人衆によってつとめられるものであるが、この「つとめ」も単なる儀式ではなく、生命の根源における親神の「十全の守護」の様式をあらわしたものでもあり、それによってわれわれを生命の根源に立ち返らせ、生かされている大恩に目覚めさせるものであり、われわれが「貧におちきる」ことによって、つとめずにおれないようになってくると思われる。

 最後に「さづけ」についてみておこう。
 「さづけ」は病だすけのための単なる「をかみきとふ」ではなく、その取次ぎによって、われわれの身のうちに働いている、ともすると忘れやすい親神の「十全の守護」の一端を実感し、病だすけ以上に大きな生かされているという第一義的な御守護に目覚めさせるところに真の意義があるのであり、「さづけ」の徹底によって親神の「十全の守護」、生かされている大恩をより大きくうけとれるようになり、それへの報恩の決意、心定め、実行の結果として与えられるのが「ふしぎだすけ」ということになると思われる。
    
 結び
 教祖は「貧におちきる」ことによって、今までのべてきたような意味での「かしもの・かりもの」の教え、つまり今、ここに生かされているということは、親神の「なみたいていな事でない」御苦労によってであり、生かされているということ自体が第一義的な最高の御守護、大恩で、われわれ一人ひとりの足元に「九十九両のめぐみ」として厳然と与えられているということ、したがって人間は貧富、貴賎、正邪を問わず、時代、民族、国境、主義、思想、宗教の相違をこえて、等しく「九十九両のめぐみ」をうける神の子として本質的に平等であること、を教えられたと考えることができる。

 したがって「ひながた」とはわれわれが近づくことのできない雲の上の話で、神棚に祀り上げておくようなものではなく、今、ここにわれわれの足元に厳然と実在する事実、「九十九両のめぐみ」を教えるものであり、その事実、生かされている大恩に人間として生かされ続ける限り報じていくことが、われわれにとっての「貧におちきる」ことであり、現代において「ひながた」を実践することの一つの意義といえるのではないだろうか。

 もしそうなら「貧におちきる」ことは、従来うけとられてきたように、布教師が教会設立を目指して歯をくいしばって通るような、苦難の道中という、一般の信仰者にとってあまり縁のないような厳しき道中を単に意味するだけではなく、およそ陽気ぐらし、真のたすけを求める者にとって、立場の上下、信仰年限の多少にかかわらず、時代、民族、国境、主義、思想、宗教の相違を超えて、等しく追求されなければならない永遠の課題といえるものであり、それゆえに「万人のひながた」といわれるのであるが、今の旬ほど教祖が「貧におちきる」ことによって教えられた生命の根源に立ち返り、生かされている大恩に目覚め、その報恩にいそしむことが大切なときはないように思われる。

 平成二十四年に迎える教会創立百二十周年に向かっての成人目標として、1、おつとめの充実、2、にをいがけ・おたすけの徹底、3、道の後継者の育成が掲げられている。この成人目標に向かって、より真剣な求道と伝道を、生かされている大恩への報恩の一つとして、また曽祖父村上幸三郎が教祖に直々お救けいただいた、これまた大きなご恩への報恩の一つとして、させていただかねばならないと思う次第である。   ( 完 )     

2012年3月7日水曜日

No.73 教理随想(24)  「ひながた」の一考察(8)

次に恩について少し考えてみよう。
恩は封建時代の残滓にすぎず、もはや現代的な意義をもたないものだろうか。恩はおふでさきに、
たん~~とをんかかさなりそのゆへハ
 
きゆばとみえるみちがあるから
             (八,54)

と一ヶ所、おさしづに十ヶ所しかでてこないので、本教においてあまり意味はないのだろうか。
 また報恩の信仰は単にお道の飛躍的発展がみられた明治、大正時代に通用した、あるいは現在においても身上、事情をお救けいただいた人にのみ通用するに過ぎないもので、親神、教祖の望まれるたすけ一条の信仰と根本的に異なるものであろうか。決してそうではないと思う。
 
恩という言葉が原典に少ないのは、それは「言わん言えんの理」で、親の立場からは言えないものであるからと思うが、原典を眼光紙背に徹して読むとき、随所に報恩の信仰が求められていることがよく分かるはずである。
 人のものかりたるならばりかいるで
  
はやくへんさいれゑをゆうなり
           (三、28)

これは単に常識的な倫理、道徳を教えるのではなく、人ものでも借りたら利がいる、まして神からの「かりもの」となると、どれだけの利がいるか、ということ、つまり報恩を間接的に教えられていると考えなければならない。
 また、
    ・・神の自由して見せても、その時だけは覚えて居る。なれど、一日経つ、十日経つ、三十日経てば、ころっと忘れて了う。・・・    (M31,5,9

これも単に人間のたすけられたことへの忘恩をいうよりも、救けられることにのみ心をうばわれ、生かされていることへの報恩の心になれない、という神の嘆息と読むことが出来るのではないか。
 また報恩と「たすけ」についても、そもそも報恩の心のない「たすけ」など世間のエゴにとらわれた自己満足の奉仕活動や形の上のご利益を期待しての「たすけ」、あるいは自力のみをたのむ傲慢な「たすけ」として成立しえても本教では考えられず、また何らかの「たすけ」を自然と伴わない報恩の心も、短なる感謝にとどまり、本教では考えられないのではないか。
 
ということは真の報恩は必ず「たすけ」をともない、「たすけ」の根底には報恩の心がありその「たすけ」の実践内容が対物的には物への報恩として物を生かしたり、無駄にしたりしない、対人的には理の親、肉親の親への孝行、報恩行為となり、また理の子、信者、社会の悩める人等をたすけ、喜ばし、勇ませる等の行為となると言えるのではないか。
 また、
  ひとことはなしハひのきしん
  
にほひばかりをかけておく
         (七下り目、一つ)

も、にをいがけ、おたすけもひのきしんの精神、つまり報恩の心でなされねばならない、という意味であるとするなら、「にほひ」つまり報恩の心を伝えることが「たすけ」にほかならないということになり、結局報恩と「たすけ」とは単に内、外の区別があるだけで同じものになると思われる。
 
したがって報恩の信仰こそ、たすけ一条の根幹にすえ、復活させねばならないと思うのであるが、問題は一体何に対する報恩か、という点である。
 次に、
・・・大恩忘れて小恩送るような事ではならんで。・・・・    (M34,2,4
の意味を考えてみよう。
 ふつうこのお言葉は、物、人等への小恩のみならず、神への大恩を忘れてはいけない、と解されているが、それにとどまらず神への大恩にも大、小の恩があり、不思議だすけに浴した小恩にのみとらわれて、たすけられること以上に大きな、生かされている大恩を忘れてはいけないことを意味していると思われる。

 われわれはともすると「ふしぎだすけ」に浴して入信したとき、それを元一日(人間創造の元一日、立教の元一日、教祖年祭の元一日があるが、それらは人間にとっては時間的に区別されても、親神にとっては同時である)の大恩とみなし、その恩を子々孫々に至るまで伝え、その報恩の道を通ることが本教の信仰のように思いやすい。

がしかしこの元一日の大恩とは、たすけられたという過去の事実であるのみならず、たすけられることを通して教えられる、たすけられること以上に大きな御恩(つまり病気がたすかって有難いのはいうまでもないが、たすけられることを通して改めて目覚める、今まで忘れていた、あるいは気づかないでいた生かされているということが、もっと有難いということ)、つまり生かされている大恩に外ならないから、この生かされている大恩に目覚め、それを子々孫々に伝え、それへの御恩を、理の親、肉親の親、物、人等を通して「たすけ」として報じていくことが本教の信仰であると考えられねばならないのではないか。
  
たん~~と神の心とゆうものわ
  
ふしぎあらハしたすけせきこむ
          (三、104)

このおふでさきから「ふしぎだすけ」は真のたすけ(「めづらしたすけ」、「やますしなすによわらん」、「百十五才じよみよ」であるが、あくまで結果として自ずと与えていただくもの)にいたる一過程、手段にすぎず、真のたすけが「ふしぎだすけ」をこえてさらに目指されねばならないことが分かるが、
この真のたすけは生かされているということが何ものにもかえがたい、尊いものであるという、生かされている大恩に目覚め、その報恩に人間として生かされ続ける限り、いそしむところに自ずとその完成に近づいていくと思われる。
 
つまり親神は人間を「ふしぎだすけ」によって救け、その恩に報いる道を通らせるというより、「ふしぎだすけ」を通して、それ以上に大きな生かされている大恩、「九十九両のめぐみ」に目覚めさせ、強要されなくても自ら進んで、報恩の道をたすけ一条の道として通るようになってくれることを、親神の唯一の願いである「こどものしゆせ」として切に待ち望んでいると思うのである。

 結局恩とは生かされている大恩を基本として考えられねばならないということになるが、この生かされているという、人間が存在する限り永遠に現在的な大恩を基礎にすることによって、たすけられた恩、理の親、肉親の親、人や物等の恩が、小恩として、生かされている大恩の契機として正当に位置づけられ、生きたものになるように思われる。

 また生かされている大恩を「九十九両のめぐみ」として、より大きく感じれば感じるほど、それに比例して、それらの小恩がより大きく感じられ、それらへの報恩の道を通らねばならないのではなく、通らずにおれないようになってくると思われる。
 恩は単に過去的なものとして受け取られるとき、そのような恩の強調は、押し付け、強制となり、封建的な倫理思想、孝、忠と同じものに転化してしまう。これが系統問題の一つの原因となっているのであろう。
 (この系統問題については、西山輝夫著『新教理随想』に詳しく述べられている。)

2012年3月1日木曜日

No.72 教理随想(23) 「ひながた」の一考察(7)

 さてこの句が理解しにくいのは、今、現在が「このよのはじまり」、「元初まり」という過去の事実を明示する言葉と結びつき、現在と過去が同一視されているところにあるが、この矛盾を理解するためには、まず時間とは何かを知らねばならない。非常に難解なので、森本和夫氏の解説によってみてみよう。

 さて時間とは一般に無限の過去より流れてきて、無限の未来へと一直線上を流れるもの、一瞬の過去にも戻ることの出来ない永遠の流れ、連続した直線のようなものとみなされ、現在は過去と未来を結びつける中間点のようなものと考えられるのであるが、このような直線的な時間像は「自然科学をモデルとして採用した」もので、「きわめて特殊な偏ったものであり、特定の歴史的制約をおびたもの」(『ムック』5号79頁)なのである。

 では真実の時間像とは何か、さらに説明してもらおう。
 従来の時間像においては、
 「ある」のは「現在」だけであって、「過去」とか「未来」というようなものは「ない」のだという視点が欠けているのだ。
 「現在」だけがあるということは、「過去」と「未来」との中間点とみなされる相対的な「現在」だけがあるということを意味しないのはいうまでもない。・・・そんな「現在」ではなくて、絶対的な「現在」があるのである。すなわち「現れて在るもの」、「姿を現しているもの」すべてが「現在」なのだ。あるいは「見えるもの」の全体といってもよいであろう。そんなわけで、かりに「過去」なり「未来」なりといったものを考えるとすれば、それは「見えないもの」であるほかはあるまい。
       (同書、79~80頁)

 ところでこのような「絶対的な『現在』」の時間像に基づくとき、「現われて在るもの」が過去から現われるということはできず、何の意味ももたないことになる。
 いかほどにみえたる事をゆうたとて
  
もとをしらねばハかるめハなし
           (四、81)
「もと」はしたがって過去ではなく、一切のものがそこから生じ、そこに帰ってゆくところの根拠、根源であり、
「現在」そのものが、そのまま「根源」から現われて出ているのであり、「根源」によって支えられ、生かされているのである。
 「もと」は時間的な以前ではなく、むしろ「時間」の根拠であり、根源であるものとして理解されなければならない。
         (同書81頁)
のである。
  創造とは、存在の単なる起源の問題ではなく、むしろ、その根源の問題である。
 (『諸井慶徳著作集』第六巻103頁)
  
この持続すなわち一見保存に外ならぬかのごとく思われるものも、実は神の不断の創造により、連続的生産によって行われるものでこそなければならない。
          (同書、94頁)
の意味も「絶対的な現在」の時間像に立脚してはじめて理解できると思われる。
 つまり「今がこのよのはじまり」とは、現在ある全てのものは「元初まり」という時間、歴史をこえた根源によってあるということ、人間についていうと、今、ここに生かされているということは、人間創造にも等しき「珍しい働き」(『教典』6頁)、ご守護によってである、ということである。
 
「元の理」はふつう、
  月日よりたん~~心つくしきり
  そのゆへなるのにんけんである
            (六,88)
に示されている親神の人間創造の御苦労、人間に成長させるまでのご苦心、つまり過去における親神の御丹精を説くものとして理解されている。
 しかし親神とは永遠の現在、今を生きる絶対者で、人間にとって過ぎ去った過去の事実も、親神にとっては現在であるから、親神の過去(人間にとっての)の働きは、すでになきものではなく、われわれにとっての現在においても、目に見えない形で浸透していると考えられる。
 
ということは、
 これからわ神のしゆごとゆうものハ
  
なみたいていな事でないそや
           (六,40)
に明示される「なみたいていな事でない」神の守護は、単に五尺の人間に成長させるまでの御苦労であるのみならず、同時に今現在われわれ人間を生かし育てる上での御苦労ということになる。
 
したがって九億九万年の「水中の住居」も、今、ここでのわれわれの生命の根源における神の御苦労として考えることができる。

 また「八千八度の生まれかわり」とは現代において完膚なきまでに論駁されているダーウインの『進化論』(ジュレミー・リフキン著「エントロピーの法則Ⅱ」参照)を支持するようなものではなく、「人間のたね」(『教典』27頁)を育てる過程における親神の自己限定としての働きの複雑化を示すものと思うのであるが、その働きはすでに過ぎ去って、今はなきものではなく、今においても実在していて、われわれの身体、生命、自然の根源の中にいりこんでいる、このことを「元の理」によって教えられていると思うのである。

 おふでさきには「このよはじまり」、「このもと」、「このしんじつ」というお言葉が多く見出されるが、これらはすべて同じ意味をもち、人間の生命の単なる歴史的な起源ではなく、今現在における、歴史の根拠となる人間の生命の根源を示すものであり、この厳然たる事実に開眼させるために、教祖は「ひながた」の五十年の長きにわたる御苦労の道中を通られ、「つとめとさづけ」を教え、晩年になって「元の理」を諄々と説かれたと思うのである。
 
いままでも今がこのよのはじまりと
  
ゆうてあれどもなんの事やら
           (七、35)
とはしたがって、今われわれがここに、こうして生かされているということは、実に「なみたいていな事でない」親神の御苦労によってであり、何ものにもかえがたい尊いものである、ということを今まで説いているが、なかなか分かってもらえないということ、本居宣長の「九十九両のめぐみ」が今、ここに歴然と与えられているのに、それが分からず、一両、否一分、一朱足りないことに目をうばわれたり、逆に一朱にも満たないものを巨億の富としてうぬぼれている、ということであり、そこには親神のそのことを何とか分かってもらいたい、との切なる願いが込められているように思われる。

 では「つとめ」をどう考えればいいのだろうか。
 「つとめ」によって人間創造のときの「珍しい働き」が、再びこの世にもたらされ、人類が更正され、陽気ぐらしの世界に立て換わる、と教えられるのであるが、しかしその前提として「つとめ」をするしないにかかわらず、すでに今、ここに親神の「珍しい働き」(「九十九両のめぐみ」として)が厳然として実在していると考えなければならない。
 
したがって「つとめ」によってはじめて「珍しい働き」をうけるというよりも、すでにある「珍しい働き」における「十全の守護」のバランスの乱れ(これが身上、事情等のいわゆる「ふし」の原因である「ほこり」)を「つとめ」によって正し、一両の不足を補っていただき「百両のめぐみ」を結果として御守護いただく、と考えられねばならない。

 このように見てくると、われわれが生かされているということは「なみたいていな事でない」親神の御苦労によってであり、それはまさに「根源的たすけ」(『諸井慶徳著作集』第六巻168頁)、第一義的な最高の御守護であり、われわれにとっては大恩なのである。


2012年2月23日木曜日

No.71 教理随想(22) 「ひながた」の一考察(6)

まず第一の主体性についてみてみよう。
われわれは「かしもの・かりもの」の教理を、神が身体を貸与しているのであるから、われわれを拘束する、主体性をうばう教理としてうけとってはならないことは言うまでもない。

 そうではなく「かしもの・かりもの」によって主体の真の所在が示されるのであり、われわれの自由の根拠が明らかにされるのである。
・・・人間というものは、身はかりもの、心一つ我のもの。・・・  (M22,2,14
によって示されていることは、われわれの主体(魂の問題があるが、ここではふれない)は心一つであるということであるが、この心一つはわれわれの自由の根拠であり、人間の尊厳を示すものであるが、反面では一切の運命の起点として、われわれを厳しくとらえてはなさず、どこまでも責任をとらせ、他に転嫁させることを許さないものであり、その限り人間の主体を制約するものである。
  
なんぎするのもこころから
  わがみうらみであるほどに
       (十下り目、七つ)

    ・・たった一つの心より、どんな理も日々出る。・・・     M22,2,14
との人間に甘えを許さないお言葉は、現代のように科学が万能視され、神話化されている時代において今尚根強い運命からの逃避、責任転嫁を排し、運命に真正面からとりくませ、その立て替えを強く求めるのであるが、この運命と立てかえも、人間は神の子にほかならず、神とは心一つにおいて断絶しているが、身体、物的環境において連続していて、われわれの心一つによって神からの恩寵に浴することができるという「かしもの・かりもの」の本義を解さない限り不可能であるといえよう。

 ところで人間は心一つにおいて神と断絶し、次元を異にするのであるから、本教の信仰の究極目的である神人和楽は、単なる神人合一ではない。
 増野鼓雪氏は『選集 第三巻』の中の「神秘と真理」題する一節の中で「人間は神様の子供だから神様にならねばならん」(184頁)、「人間と神とが合一する事によって、神秘の世界にはいることができ」(190頁)、「第六感の機能が特に発達」(193頁)し、「神様から啓示を受け」(190頁)ることができると述べ、神秘主義的神人合一を説いているが、このように考えると、神と人間とは心一つにおいて同次元ということになり、その断絶面が消えてしまう極めて傲慢な信仰になってしまうのではないか。本教の信仰から逸脱するのではないかと思われる。

 神人和楽とは神人合一ではなく、神と人との親子団欒、談じ合いの関係であり、「人間を親神との談じ合い的存在として見ることこそ、天理教的人間観の根底をなす」(深谷忠政氏『天理教教義学序説』132頁)といえるのであるが、このことは「ほこり」の教理からも言えるのではないかと思う。
 
「ほこり」の教理はキリスト教の原罪や仏教の業、宿業とちがって、われわれを宿命論から救い、積極的な人生観をうちたてる教理であるのみならず、神人関係が「談じ合い」の関係であることを示す教理であるように思える。 

 一般に信仰は、われわれの主体性をなくし、無我になることによって、神仏と一体となることを目的とすると考えられやすいが、「ほこり」の教理は自我をなくすのではなく、自我を澄み切らせ、神と一体になるというより、澄み切った自我が、成ってくる現実を通じて神と対話することを教えるように思われる。

 したがって、
    ・・神は心に乗りて働く。・・・
             (M,31,10,2
との一見増野氏の神人合一説を裏付けるようなお言葉も、神と人が一体となって、人間が教祖のような月日の心になって神格化するという意味ではなく、あくまで人間の心を神が見て、澄み切るに応じて、より神が働くという何ら神秘主義的色彩のないものとして解釈されねばならないと思う。
 
「心一つ我がのもの」によって教えられていることは、運命の真の所在と、神の子として神人和楽、親子団欒を求める神の言うことを、なってくる現実を通して謙虚に聞かなければならないということである。

 次に第二のポイント、生命の貸与が最高の御守護であるとの、つい見落とされやすい見方について検討してみよう。
 さて従来の宗教的人間観においては、どちらかというと人間の精神面が重視され、身体、生命(あくまで有機的、物質的)については、木石と同じようなものとして扱われ、その存在意義は無視、軽視されがちであった。

 仏教、キリスト教においても、一部例外があるが、身体、生命については積極的意義をみとめられず、むしろ信仰の邪魔もの扱いされてきたのであるが、身体が救済の足かせとなっているところには、この世における「陽気ぐらし」は説かれず、せいぜい、あの世、彼岸における天国や極楽か、この世における現実を遊離した精神、魂のみの救いが空しくとかれるに過ぎない。

 そこで本教の「ここはこの世の極楽」との教えが、クローズアップされてくるのであるが、そうであれば当然「かしもん・かりもの」の生命観も、単にそれ自体意義のない生命を親神からお借りしているというような単純なものではなく、もっと深い意味をもつはずである。

 ところで本教においては、従来親神による人間創造の秘業が、人間創造の元一日として強調されてはいるがその元一日が今、ここにわれわれが生かされていることと直接に(といってもわれわれにとっては「生まれかわり」、「出直し」によって媒介されているが)結びついている点については、軽くみられてきたように思われる。

 つまり人間創造の「元初まり」が、単なる過去の事実、出来事としてのみ、考えられてきたように思われる。
 この点について次のおふでさきを検討してみよう。

 いままでも今がこのよのはじまりと
  ゆうてあれどもなんの事やら
            (七,35)
この意味は「なんの事やら」といわれているように難解でいろいろ解釈されている。

「今」を入信したときと解し、「入信したときが、陽気ぐらしの世界の始まり」でそれが「その人にとっての、この世の始まりである」との解釈や、「今がこのよのはじまり」を、 
 このよふをはじめかけたもをなぢ事
  めづらし事をしてみせるでな
          (六,7)
から理解して「つとめによって『元初まり』と同じ働きをあらわして人間をたすける」との解釈もあるが、どちらも不十分ではないかと思う。では「今がこのよのはじまり」はいかに解釈されるのか。

2012年2月15日水曜日

No.70 教理随想(21) 「ひながた」の一考察(5)


「水を飲めば水の味」との一見当たり前で何の変哲もないように思えるお言葉には、本教教理のエッセンスが濃縮され、くめどもつきない深い味わいがあり、われわれの心を強くひきつけてやまないのであるが、前述のように、それは燃えるような「生命の讃歌」に等しいお言葉であり、この讃歌をぬきにして「貧におちきる」ことを語ることは、その意義を軽視するか、歪めることに他ならないと思われる、。
 
「水を飲めば水の味」にみられる救済観を少し検討してみよう。
 さて先述したように「水を飲めば水の味」によって、生かされていることが最高の御守護であるとの救済観が示されているのであるが、この本教独自の救済観はしたがって単に心さえ救かれば、身体、物はどうでもよい、というような現実を遊離したような救済観ではない。

 また今ここにあるがままの現実を、詭弁を弄して即救済の成就である、と認めるような神秘的な救済観でもない。また物、自己への執着を根強く残したまま、形の上のご守護にのみこだわる救済観でも無論ない。

 そうではなく形、物の上の目に見えるご守護をご守護として受け取ることは、もちろんであるが、それにとどまらず今、ここにこうして生かされていることが第一義的なご守護であり、ここから身上や事情がなくなる等のご守護が第二義的なものとして派生してくることを教える救済観である。

 本教においても「やますしなすによわらん」、「百十五才ぢよみよ」、「りうけいがいさみでる」、「せかいよのなかところはんじよ」等のご守護が説かれるが、それらは決して明日の幻想的なご利益ではなく、われわれにとっては現実的で切実な、結果として与えていただかなけれならないご守護である。しかしいかに喉から手の出るくらいほしい切実なものであっても、あくまで第二義的なご守護であり、第一義、第二義の本末を転倒してはいけないことを教える救済観である。

 本居宣長の『神のめぐみ』と題する一節を少し長いが引用してみよう。
 「たとへば百両の金ほしき時に、人の九十九両あたへて、一両たらざるが如し、そのあたへたる人をば悦ぶべきか、恨むべきか、祈ることかなはねばとて、神をえうなき(用のない)物にうらみ奉るは、九十九両あたえたらむ人を、えうなきものに思ひてうらむるがごとし、九十九両のめぐみを忘れて、今一両あたへざるを恨むるはいかに」(『玉勝間』下、岩波文庫226頁)
 
つまり生かされているということは「九十九両のめぐみ」で、物、形の上のご守護は、たとえそれが巨億の富であっても、所詮一両いや一分、一朱にも満たないもの、その得失に一喜一憂する価値のないもの、第二義的なものにすぎず、心の成人に応じていくらでも結果として与えていただける、ということを教える救済観である。

 われわれはともすると、いかなる逆境、物質的貧困にあっても、その中、心倒すことなく生かされている喜びを忘れることなく、人だすけにつとめると、そのうちに状況が変わり、物に恵まれ、運命がよくなってくる、との見方が「貧におちきる」道中によって示されていると考えやすい。
 したがって
いまのみちいかなみちでもなけくなよ
  さきのほんみちたのしゆでいよ
           (三、37)
のおふでさきが、人だすけの上で貧に落ちきっている人を勇気付けるために、よく引用されるのであるが、ここにある「さきのほんみち」とは単に一粒万倍の形の上のご守護だけを示す言葉であるはずがない。

 したがって先のお歌の意味は「今は苦労の道中を通っていて、つらいかもしれないが辛抱してくれ、そのうちに褒美を与えるから、それを楽しみにしていよ」というような意味ではなく、むしろ「今はまだ心の成人ができていないので、物や自己への執着が強く、貧はつらいものかもしれない。しかし人だすけを通して成人するにつれて、執着、欲の心がとれて、貧にあっても、裕福であっても、もはや物にとらわれない楽しみづくめの生活、生かされていることが有り難い最高の御守護と悟れるような見方がおのずとできるようになってくる」と解されねばならないと思われる。

 「さきのほんみち」とは一時的に欲望を抑えるだけの禁欲の過程をへて到達される、形の上の万倍の御守護に浴するような卑俗なみちではなく、形の上の御守護に執着しない、貧にあっても、財があっても、、楽しみづくめの「ここはこのよのごくらくや」において示されている境地であり、生かされていることが最高の御守護と悟れる、「生命の讃歌」を高らかに歌い上げる道なのである。
 
しかしこの「生命の讃歌」における生命の肯定は、欲望、本能、情念、感性等をあるがままに、直接的に是とするような卑俗なものではない。また単に人間的生命だけが讃えられる人間主義でもない。

 そしてこのような意味での「生命の讃歌」こそ、他宗と決然と一線が画される本教独自の教えであり、対立抗争にあえぎ、物質的繁栄に酔いしれ、酔生夢死の生き方をしている現代の多くの人々にまさに希求される、世界に真の平和をもたらす教えなのである。

 ところでこの「生命の讃歌」の基礎となる教えが「かしもの・かりもの」の理にほかならないのであるから、教祖は「貧におちきる」ことによって結局「かしもの・かりもの」の理(「神の懐住居」、「一列兄弟」は視点が違うだけで同じ教えである)を教えられた、ということになる。

 次に「かしもの・かりもの」の理を詳しく検討してみよう。
 さて、 
めへ~~のみのうちよりのかりものを
 しらずにいてハなにもわからん
           (三,137)
のおふでさきを引用するまでもなく、「かしもの・かりもの」の理は、本教の根本教理で、本教の信仰は、この教理に始まり、この教理に終わると言ってもいいくらいであるが、この教理には次の二点が大切なポイントとしてあるように思われる。
 第一は真の主体性で、この教理によって人間の主体の所在と根拠が示される。そして第二は今まで述べてきたように、つい見落とされやすい生命の貸与が最高の御守護との見方である。

2012年2月11日土曜日

No.69 教理随想(20) 「ひながた」の一考察(4)

われわれは物への執着は、物に恵まれているから生じるのであって、物を手放せば、それで執着をとることができると思いやすいが、よく考えてみると、物に恵まれた人よりも、かえって形の上の貧にある人のほうが、物への執着が強い場合もあり、物がなくても執着が生じるのであるから、物を手放せば執着を取ることが出来るとは単純に割り切れないのである。

 物への執着とは、単なる物へのとらわれであるのではなく、その本質は物に対する我がもの意識、排他的自己意識であり、利己的な自己、つまり、
    ・・俺が~~というは、薄紙貼ってあるようなもの。先は見えて見えん。・・・・
           (M24,5,10
において戒められている高慢な自我が、執着心の根底に深く潜んでいて、それが対物、対人関係において、をしい、ほしいという物へのよくとなり、またにくい、かわい、うらみ、はらだちという自己中心の高慢のほこりとなって現れてくるのである。
 八つのほこりとは、このように考えると、物への執着であるよくと、その根底にある自己への執着、高慢の二つに集約され、物への執着をとることを通して、結局自己への執着をとることを教えられたのである。

 ところでこの自己への執着とは、教祖が嘉永七年(母屋とりこぼちの翌年)のをびや許しをはじめる際に言われた「人間思案は一切要らぬ」の人間思案でもあるから、これを捨て親神の思召どおりにすること、つまり神一条になることを「貧におちきる」ことによって示されたとの解釈が成り立つように思えるが、しかし先述したように、神一条といっても、本教独自のものではなく、その内容が明らかにされない限り、「貧におちきる」ことの解釈として不十分であると思われる。

では神一条とは何か。
一般に神一条というと、人間思案、人間性を否定した神のみの立場、そこでは人間が無に帰してしまうような主体性なき立場が意味されているように思われやすい。しかし本教においては、従来考えられてきた、また他宗において見られるような立場であるではなく、「人間の真実の生き方、本当の在り方を会得させ」、「最も人間を価値あらしめて行く上の神一条」であり、「人間生命の根を培うこと、これがこの神一条の道」(『諸井慶徳著作集』第7巻1~3頁)なのである。

神一条とは、このように「人間生命の根を培う」つまり人間の根拠、在り方を明示する道であり、此の限り「貧におちきる」ことによって教祖がわれわれに示された根本精神であると言えるのである。
 つまり「貧におちきる」ことによって、「人間の生命の根」、われわれ人間は親神によって生かされているという厳粛な、全ての人間に無条件に存する確固たる生命の根源を教えられたのである。

 「貧におちきる」という日常性を破壊する徹底した御行為によって、教祖は人間の存在、自己そのものを、ただそれだけで実在する、自明のものとして前提する「あざない」人間、つまり人間の生命の根底については、何も知らず、いわば根無し草のごとく、うつろに行方知れずただよい、目で見え、手で触れることのできる様々な形や動きのみを関心の対象としている「いぢらしい」人間、存在の根拠から遊離して、虚しい自己を絶対化し、異常な欲望と執着のとりことなって、ニヒルな気分にむしばまれているこの人間をたすけられるに先立ち、人間の生命の根拠を開示され、しかもその根拠が「唯一の大いなる奇蹟「(滝沢克己著『宗教を問う』170頁)であり、人間にとっては生かされていることが「絶対無償のこの神の恵み」(同書268頁)であり、「ただ感謝してこれを認めるほかない」(同著『現代の事としての宗教』281頁)事実であることを教えようとされたのである。

教祖が母屋とりこぼちの後に通られた赤貧のどん底の生活の中で仰せられた、
    ・・・水を飲めば水の味がする。親神様が結構にお与え下されてある。・・・・
        (『教祖伝』40~41頁)
とのお言葉の真意は、そのような観点から理解されなければならないと思うのである。
 
「水を飲めば水の味」とのお言葉を検討してみよう。
 普通このお言葉は、
・・・枕元に食べ物を山ほど積んでも、食べるに食べられず、水も喉を越さん言うて苦しんでいる人・・・(『教祖伝』40頁)とちがって、われわれは健康に生かされている、だから有り難い、と「健康」にポイントが置かれて理解されるのであるが、それにとどまらず、「生かされている」ことにポイントを置いて、生かされていること自体が有り難い、生かされていること自体が第一義的な最高の御守護であることを意味していると思うのである。

なぜなら「水を飲めば水の味」の境地は「貧におちきる」ことによって、自己への執着をとり、心澄み切った末に到達される境地であるから、もはや健康や病気、苦楽、貧富(「どれ位つまらんとても、つまらんと言うな。乞食はささぬ」の意味もこの境地に立ってはじめて理解される)等にとらわれず、それらを相対化しうる境地であり、しかも「水の味」という現実的な生命感覚に立脚し、生かされていることを第一義的に享受する境地だからである。

「水を飲めば水の味がする」とは、したがって単に生かされている喜びがわかるとか、物への執着をとった後の単なる精神的な救い、魂の救いを示されたものではなく、まさに
  ここはこのよのごくらくや
  わしもはや~~まゐりたい
         (四下り目、九つ)
の境地であり、神人和楽の陽気ぐらしとは何かを、つまり人間にとって救済の完成、成就とは何かを端的に示されたお言葉なのである。

 「水を飲めば水の味」によって示されていることは、人間は親神によって生かされていることと、生かされていることが最高のご守護であるとの、これまでの人間観、救済観を根本からくつがえす教えなのである。
 「水を飲めば水の味がする」と一見赤貧のの中で淡々と物静かに語られているように思えるが、教祖はそれによって燃えるような「生命の讃歌」(飯田照明氏『ムック』四号33頁)を朗々と歌い上げられ、それを「つとめとさづけ」、「元の理」を通して人間に伝えんと御苦慮されたように思えてならないのである。
二十五年もの長きにわたる御苦労、いや「ひながた」五十年の御苦労も、まさにこの点にあった、と思われる。