2012年4月16日月曜日

No.78 教理随想(29) 天理王命、教祖、ぢば、は理一つ(4) (完)

 次に問題となるのは、この教祖のお働きと天理王命、親神の働きとはどのようにつながり、また区別されるのかということである。

 天理王命と教祖については、先に見たように理において一つであるが、このことは両者が全く同じ働きをしており、実質的な区別はないということではない。われわれは教祖を通して、親神によって救けられるのであるが、これはいかなる意味であろうか。

 先に天理王命と「ぢば」の関係は、「かぐらづとめ」と「ぢば」の結びつきでもあり、教祖と「ぢば」が「さづけ」と「ぢば」の関係でもあることをみてきたが、もしこのような見方が許されるなら、親神と教祖のお働きの相違は、「つとめ」と「さづけ」の関係と区別に対応するものとして考えることができるであろう。

 では「つとめ」と「さづけ」とはどのようにつながり、区別されるのであろうか。
・・・つとめとさづけとは、親神が、世界一れつに、陽気ぐらしをさせてやりたい、との切なる親心によって教えられた、たすけ一条の道・・・  (『教典』23~24頁)
であるが、「つとめ」は、
    ・・人間個々の身上や事情に限らず、更に、豊かな稔りや平和の栄えなど、広く世界の上に、親神の恵みを及ぼす・・・
            (『教典』22頁)
万人万事の救済であるのにたいして、「さづけ」は個人の身上救済であり、この点に相違があると説かれる。

 しかしながら、両者の相違は単に万人と個人、万事と一事という量的な差異にすぎないのであろうか。
 清水国雄氏は『未来に向かって対話する天理教』の中で、教祖九十年祭のときの『諭達』の一節、
    ・・教祖は、さづけを渡しよふぼくを育てて、人々の成人を促しつつ、つとめの模様立てを進められた・・・を、
    ・・おさづけの理というのは、おつとめの模様立てというか、おつとめが成就する、おつとめができるような態勢をつくりだす一つの順序である・・・(228頁)
と理解しているが、この見方をさらに深め、より理論化すると次のようになるのではないか。
 
「つとめ」とは、先にみたように単に太古の人間創造の奇しき守護をいただくものであるのみならず、この世、人間身の内における十全の守護を保証するものでもあり、「さづけ」の「個人の身上だすけの働き」にたいしてより「全体的、根源的な働き」であるといえる。しかしこのことは「さづけ」は「つとめ」より理が軽く、軽視できるものであるという意味ではない。

逆に「つとめ」による「全体的、根源的な働き」における歪み、あるいは欠如(身上)を正すことによって、全体の働きのバランスを回復させ、その働きをより活性化させるという積極的な意義を持つ、といえるのではないだろうか。

 すなわち「さづけ」は単なる病気だすけではなく、それによって、われわれの身の内に働いている、ともすると忘れやすい、親神の十全の守護の一端を実感させ、病気だすけ以上に大きな、生かされている御守護、大恩に目覚めさせるところに真の意義があると考えることができるのなら、「さづけ」の徹底によって、親神の十全の守護をより大きく受け取れるようになる。
つまり「つとめ」がより成就され、「つとめ」の徹底によって、「さづけ」の部分的、個的な救済、すなわち守護がより活性化する関係にあると言えるのではないだろうか。

 もし「つとめ」と「さづけ」の関係が以上のように理解されるなら、親神と教祖のお働きの相違は、その理においては一つであるが、「つとめ」によって表現されている親神の現在的な「不断の創造」、十全の守護の働きと、それを前提として、その守護をより完全たらしめるためのお働きとして、理解されるのではないだろうか。

 つまり教祖は「存命の理」によって、「さづけ」による不思議だすけを通して、親神の十全の守護、生かされている大恩に目覚めさせ、「つとめ」の完成に心を向けさせることによって、真のたすけを実現すべく日々お働きになっている。この意味では、親神と教祖のお働きには、たすけ一条の一なる働きの二つの側面である、と悟ることができるのではないか。

 以上のように見てくるとき「天理王命、教祖、ぢばは、その理一つ」とは、「つとめ」、「さづけ」、「ぢば」の理が一つということでもあり、「ぢば」を中心として、「つとめ」と「さづけ」によって世界だすけが推進されていくこととして理解される。

「天理王命、教祖、ぢばはその理一つ」の教えは、この意味で、本教の根幹をなす教義であり、これを認めずして本教の信仰は成立しないと言えるのである。 ( 完 )

2012年4月7日土曜日

No.77 教理随想(28) 天理王命、教祖、ぢば は理一つ(3)

 また救済についても、「ぢば」のこのような現在的理解に基づいて、はじめて正しく理解されるのではないだろうか。
 なるほど、
    ・・ぢばに一つの理があればこそ、世界は治まる。ぢばがありて、世界治まる・・・
                (M21,7,2
と教示されるように、「ぢば」の理によって、病、むほんの根は切れ、真の世界平和が将来に実現されるのである。しかしその前提として、「ぢば」の理によって、世界の人々が本質的に平等に守護され生かされているという事実がまずあり、その事実に目覚め、互いに救け合うことによって、その恩に報いるということがなければならない。

 もしそうでないと、「ぢば」は現世利益に浴することのできる、単なる「をがみきとふ」の対象になり下がってしまうであろう。
 このように見てくると、「ぢば」の理とは、まさに現在的なものであり、この現在的な働きが天理王命の十全の守護に基づいているのであり、これが「ぢば」に天理王命が鎮まり給うという意味であると思う。

 「ぢば」に天理王命が鎮まり給うとは、「ぢば」に霊験あらたかな神様が鎮座しているというような単純な意味ではなく、「ぢば」を働きの中心として、宇宙、この世、人間身の内のすみずみに、天理王命の「不断の創造」が永遠に現在的に行われているということであり、その「不断の創造」の様式が、「ぢば」においてつとめられる「かぐらづとめ」にほかならないのではないかと思われる。

 「かぐらづとめ」とは単に太古の人間創造の様式とか、それによって不思議、奇蹟を将来にもたらすような「をがみことふ」と同列のものでは決してなく、この世、人間身の内における、まさに現在的な「不断の創造」の様式であり、それゆえにその理は尊く、その完成がせきこまれるのである。
 このように見てくると、天理王命と「ぢば」との結びつきは、「かぐらづとめ」と「ぢば」との関係としても考えることができるであろう。

 最後に教祖と「ぢば」との結びつきについてみてみよう。
 教祖と「ぢば」はその理において一つである。しかし一般常識から考えると現身をもたれる教祖と場所的地点である「ぢば」が一つであることは、唐突な感をまぬがれず、理解しにくい点であろう。教祖と「ぢば」が一つとは、いかなる意味をもつのであろうか。

 なるほど「ぢば」は、親神が教祖をやしろとして、はじめてこの道が開示された場所であり、教祖がたすけ一条のお働きをされた中心の場所である限り、「ぢば」と教祖とは不離の関係にあると言えるが、厳密にいうと、これは外的なつながりを示す関係であり、内的結合すなわち「理において一つ」の関係を直接明らかにするものではない。

 われわれは教祖と「ぢば」が、その理において一つであることを理解するためには、現身をかくされてからの教祖と「ぢば」の関係を考えなければならない。つまり「存命の理」と「ぢば」の関係である。

 「存命の理」については次のように教えられている。
    ・・さあ~~これまで住んで居る。何処へも行てはせんで、何処へも行てなせんで。日々の道を見て思やんしてくれねばならん。・・・     (M23,3,17
    ・・存命でありゃこそ日々働きという。働き一つありゃこそ又一つ道という。・・・    (M29,2,4

 これらのおさしづから明らかなように、「存命の理」とは、教祖が現身をかくされた後も、存命のまま元のやしきにとどまり、日々世界だすけの上にお働きになられていることであるが、この「存命の理」の理解は当時の人々にとってのみならず、今日のわれわれにとっても必ずしも容易ではない。

 なかには「たすけ一条の心定めをした人の心の中には、いつでも教祖は存命です」という人もあるが、これでは「存命の理」は単に主観的なものにすぎず、
・・・影は見えぬけど、働きの理が見えてある。これは誰の言葉と思うやない。二十年以前にかくれた者やで。なれど、日々働いて居る。・・・・   (M40,5,17
に明示されている、教祖が今現に生きられていて、たすけ一条の先頭に立たれて、具体的な、現実として働いておられるという事実が無視、軽視されることになるであろう。

 また「教祖を信じるとは、教祖の教えを白紙でうけとめ、教祖によって示された道を、教えられるままに、『ひながた』どおり歩みぬき、どこまでもまだまだ、と深めてゆくことにより、教祖と一つになること(自己同一)を体験することである。『ひながた』の道あってはじめて、教祖存命は天理教者一人ひとりにとって現実のものになる」、

「教祖存命という信仰は、死んでも来世があるなどという幻想的な慰めごとを言っているのでは断じてない。『いのちの舞台』の永遠性、絶対性をいっているのである」というもある。
 この存命論では、親神の働きと教祖存命のお働きとの区別があいまいになったり、また教祖存命の具体的なお働きが一体何なのか、はっきりしないという問題がある。

 教祖は「存命の理」によって、世界だすけの上に昼夜の区別なく、お働きになられているのであるが、ではこの働きとは具体的に何なのか。

・・・子供可愛い故、をやの命を二十五年先の命を縮めて、今からたすけするのやで。しっかり見て居よ。今までとこれから先としっかり見て居よ。(中略)さあ、これまで子供にやりたいものもあった。なれども、ようやらなんだ。又々これから先だん~~に理が渡そう。・・・・   (M20,2,18

このおさしづは、教祖が現身をかくされた直後に、意気消沈する人々を勇ませるべく、本席を通して示されたものであり、「子供にやりたいもの」とは、いうまでもなく「さづけ」に他ならないから、教祖の具体的なお働きとは、「さづけ」を通しての不思議だすけであり、この不思議だすけこそ、「存命の理」の具体的な確証なのである。
 「さづけ」は「ぢば」の理に基づくものであるから、この意味においても教祖と「ぢば」とが一つであると言える。

2012年4月1日日曜日

No.76 教理随想(27) 天理王命、教祖、ぢば は理一つ(2)

以上簡単に教祖についてのいろいろな見方を検討し、いずれも不十分で妥当しないことをみてきたが、それらの見方の根底には、神と人間とを峻別する二元論的な思考があり、月日のやしろの理解を困難にしているのではないだろうか。

 その思考に基づくと、神と人とは絶対的に隔絶されていて、天保九年にはじめて、神と人が結びついたとか、究極的絶対的なものが相対、有限の場に現われた、永遠が時間、歴史のうちに自らを表わした、教祖における親神の現われは、まさに神秘的で非合理の出来事である等々と理解されるのであるが、このような神と人間との質的断絶という立場から考えるとき、われわれ人間は宙に浮いた根底のない存在となるのではないか。

 われわれはこのような思考を脱し、親神・教祖を「をや」とし、人間をその懐にいだかれる子供とみなす神人関係から月日のやしろを理解しなければならないと思う。

 このような神人関係からすると、教祖は、神と人との結びつきを可能とする媒介者ではなく、神と人とが原初から不可分に結びついているという根源的事実そのものを熟知し、それを人間にあらわに示す立場にたたれている、と理解されるのではないか。

 われわれにとって理解に苦しむのは、教祖が神にして人、人にして神という背理、神秘の御方であるというよりも、むしろわれわれが神とは、親と子という関係にあるという事実ではないか。
 しかしこのことはわれわれ人間と教祖が同質的に連続していて、人間は月日のやしろになることができるということでは決してない。教祖は姿、形は人間ではあっても、人間心は一切なく、親神の一列人間を救けたいという無私の親心を御心とされていて、心一つにおいて人間と教祖の間には、人間と神との違いという基本的な次元の違いがあることは言うまでもない。

 次に天理王命と「ぢば」の関係についてみてみよう。
 さて教祖は口、筆、「ひながた」によって、親神の思召を人間に理解させようと御苦労くださるとともに、
    ・・深い思わくから、親神天理王命の神名を、末代かわらぬ親里ぢばに名附け・・・  (『教典』13頁)
られたのであるが、このことは一体いかなる意味をもつのであろうか。

 先にみたように教祖は月日のやしろとして、親神天理王命と理において一つであるから、教祖に天理王命の神名が授けられてもよいのに、そうされなかったのは、教祖に神名が授けられることによって、教祖と天理王命が無差別に同一視され、親神の思召が人間に正しく伝えられないためであったと思われる。

 教祖と天理王命が無差別に同一視されることによって、現身をもつ人間がそのまま神格化される、神と人間とが同列視されるという問題が生じたり、また教祖に天理王命の神名がつけられると、人間は天理王命の所在を教祖のみに見出し、天理王命の十全の守護や、
    ・・人間世界を造り、永遠にかわることなく、万物に生命を授け、その時と所とを与えられる元の神、実の神・・・
            (『教典』36頁)
の側面を無視し、そのために従来のご利益信心から成人することができない、このような「深い思わく」から天理王命の神名が、末代かわらぬ「ぢば」に授けられたと思われる。

 ところで天理王命の神名が「ぢば」に授けられたことは、「ぢば」が天理王命の鎮まり給う場所であることを意味するが、このことと天理王命の「万物に生命を授け、その時と所とを与えられる元の神、実の神」としての側面とはどのようにつながるのであろうか。
 
たん~~となに事にてもこのよふわ
 
 神のからだやしやんしてみよ
         (三、40、135)

から分かるように、親神の働きは世界のすみずみに満ちているのであるが、そうであるなら親神天理王命は世界のいたる所に鎮まり給うということになるのではないか。あえて「ぢば」に鎮まり給うと強調されるのはなぜか。

本教において「ぢば」は信仰の目標であり、「ぢば」なくして信仰は成立しないのであるが、「ぢば」の理の尊さは何に基づいているのか。また他宗の聖地、霊地とどのように異なるのか。

 さて世界には数多くの聖地、霊地があるが、その由来については、大別すると次の二つに分けられる。(『諸井慶徳著作集』第七巻130頁以下参照)
 まず第一は歴史的な由緒、沿革で神殿、寺院がそこに建てられることによって聖地とされた、第二は不思議な奇蹟が起こったことから、崇拝の対象とされるようになった、この二つであるが、「ぢば」は本質においては、そのいずれでもない。
 
「ぢば」とは「元の理」に明示されているように、人間宿し込みの元なる場所であるとともにその理によって、「人間を生みなおしとしてのたすけが与えられる場所」(前掲書137頁)でもあり、この本質に基づいて、神殿や不思議な奇蹟が結果としてあるのである。 
 
「ぢば」とは人間生命の根源、故郷、たすけの場所のゆえに、他に類をみない尊い場所であるが、われわれは「ぢば」の理を単に過去的、未来的にのみ理解してはならない。
 つまり過去的理解とは、人間が太古の昔に宿し込まれて、創造された、それゆえに「ぢば」は現在のわれわれにとっては直接の関係はない、との理解であり、また未来的理解とは、今はまだ実現していない救済が「ぢば」の理によって将来において成就される、との理解であるが、これらはいずれも一面的であり、誤解を招くことになると思われる。

 なぜなら人間の創造とは、太古の一回きりのものではなく、
・・・この持続すなわち一見保存に外ならぬかのごとく思われるものも、実は神の不断の創造により、連続的生産によって行われるものでこそなければならない。・・・・
  (『諸井慶徳著作集』第六巻94頁)

と述べられているように、今現在の瞬間においても続いているからである。
 われわれが今生かされているのは、太古における創造のみならず、「神の不断の創造」によってであり、この「不断の創造」が「ぢば」に理に基づいているのである。

 したがって「ぢば」は単に人間の故郷であるのみならず、われわれの現在の生命の直接の根拠でもあり、それゆえに尊いということになる。

2012年3月24日土曜日

No.75 教理随想(26) 天理王命、教祖、ぢば、は理一つ(1)

天理教とは、親神が教祖を月日のやしろとして、この世に直々に現われ、教祖の口、筆、行いを通して、世界だすけの思召を伝えられた事実に基づく宗教であり、その実質が、ぢばへの信仰として展開されている。このことは教義的には、
・・・天理王命、教祖、ぢばは、その理一つであって、陽気ぐらしへのたすけ一条の道は、この理をうけて、初めて成就される・・・
         (『教典』43頁)
と説明されるのであるが、天理王命、教祖、ぢばの理が一つであるとはいかなる意味をもつのであろうか。
 
この「天理王命、教祖、ぢばは、その理一つ」との教義は、本教の教えの根幹をなすもので、これを誤解したり、ここから逸脱すると、異説、異端に走り、我流信仰におちこむ危険が生じるのであるが、この教義を合理的に理解することは必ずしも容易ではない。
 
そこで三つを便宜上、天理王命と教祖、天理王命とぢば、教祖とぢばに分けて、それぞれを順に検討し、、「天理王命、教祖、ぢばは、その理一つ」について考えてみたい。

 まず、天理王命と教祖については、教祖の月日のやしろとしてのお立場は一体どういう意味をもつか、親神と教祖はどのような関係にあるかが問題になる。宗教学的観点から、その可能性を類型化すると次のような見方が成立しうる。(『諸井慶徳著作集』第五巻67頁以下参照)
 すなわち、
一、            人間としての悟りによって親神に到達した、或いは特殊な能力があって親神の霊感を受けた。
二、            神のお言葉が下がるときは親神の代理で、その他の場合は人間と同じ水準の生活をされた。
三、            親神が人間の姿をとって仮にこの世に現われたのが教祖である。
四、            教祖は神的人間であるが、天保九年以降一貫してではなく、次第に月日のやしろに相応しい姿になられた。
等の見方であるが、これらについて検討してみよう。
 
まず第一の見方においては教祖は人間の立場にとどまり、親神の顕現者、地上の月日ではないことになり妥当しない。
 また第二の見方も本席には当てはまっても、天保九年以降一貫して親神の心を心とされた教祖の立場とはいえない。
 
では第三の見方についてはどうか。この見方については、もし成立しうるなら、教祖は親神の単なるロボットにすぎず、教祖独自の存在はないことになるが、原典から考えると成立しない。
 
なぜなら教祖は「元の理」に示されているように、人間創造のときの母親、いざなみのみことの御魂をもたれた御方で、月日といざなみのみことの間には「承知をさせて貰い受けられた」(『教典』26頁)から分かるように、単なる同一ではない関係があり、この関係が親神と教祖の間にも成立するからである。
「親神と教祖の関係はABで示される『全等』ではないが、ABで示される『等しい』のである。」(深谷忠政著『天理教教義学序説』242頁)との説明は、その辺の消息を示すものと思われる。
 
したがってわれわれは親神と教祖とを全等として同一視したり、教祖は親神の仮のお姿と考えることはできないということになる。
 では一体どの点において相違があるのだろうか。
 ぢきもつをたれにあたへる事ならば
  
このよはじめたをやにわたする
            (九,61)
 月日にハこれをハたしてをいたなら
  
あとハをやより心したいに
           (九、64)
このお歌の「をや」は親神ではなく、教祖のことであり、
    ・・親神は教祖の心に、「天の与え」を分配することに関しては自由に裁量するすることをお許しになっている。・・・
(芹沢茂著『おふでさき通訳』363頁)
と解釈するとき、われわれは親神と教祖のお働きにおいて、はっきり区別をみることができる。

 われわれは親神によって救けられることはいうまでもないが、教祖の御手にすがることによって、つまり親神の働きを前提として、教祖を通して救けていただくことができると思われる。(このことについては後にもう一度検討する)

 次に第四の見方、いわゆる「教祖成人論」を検討してみよう。
 この見方は教祖の神格面が天保九年以降次第に発展していって、明治七年に赤衣を召されたときに神と一体となられた、それ故それまでの教祖には神的側面と人間的側面が混在していたとみなし、その具体例として、宮池事件(教祖が宮池に身を投げようとされたとき「短気を出すやない~~」『教祖伝』31頁との親神の御声が内に聞こえて、どうしても果たせなかった)をあげるのである。

 そしてこの説は二代真柱様が中心となって進められた「復元」によって、「月日のやしろ」としての教祖の立場が明確にされるまで、教内の一部において支持されてきた見方であるが、少し検討を加えてみよう。
 宮池事件は、神と人間との間に立って苦しまれる人間的なお悩みであって、それ故に涙なしに語ることができない、と考えられやすいのであるが、しかしながら教祖が月日のやしろの立場であられる以上そのような見方は成立しない。

 なぜなら月日のやしろとなられてからの教祖のお悩みは、一個人の悩みと次元を異にし、親神を知らず、その御心に従うことのできない周囲の人々を教え導く上での、お悩みであり、教祖が人間の立場から神に近づこうと努力される、その途上の悩みとは本質的に区別されるからである。
 
したがって赤衣によって神の理を厳然と示されるようになったのも、神格が次第に発展したからではなく、子供の成人に応じて、神の理を明確にされるようになった、と考えなければならないと思われる。

2012年3月13日火曜日

No.74 教理随想(25) 「ひながた」の一考察(9) (完)

以上「かしもの・かりもの」の第二のポイント、生命の貸与が最高の御守護、大恩との見方をみてきたが、このような意味での「かしもの・かりもの」の教えを、教祖は「貧におちきる」道中によって示されたと思うのである。
 したがって「貧におちきる」ことの客観的解釈も、生かされている大恩の観点から見直されなければならないであろう。
 
客観的解釈とは「貧におちきる」ことは「万人たすけの道場」、「つとめ場所」を目的とする必然的な過程、手段であり、その限り必然的なものであったとの解釈で、表面的に見る限り、妥当性をもつが、よく考えてみると教祖は「貧におちきる」ことによって、単なる形のふしんを目指されたのではないことがわかる。
 「つとめ場所」とは、後年示される「ぢば定め」の「ぢば」と、そこにおいてつとめられる「つとめ」を本質とするのであり、「貧におちきる」ことの意義は、あくまで「ぢば」、「つとめ」という観点から再認識されねばならないと思われる。
 
「ぢば」、「つとめ」とは何か、簡単にみてみよう。
 「ぢば」とは、いわゆる「おぢば」といわれている広域をさすのみならず、親神がこの世元初まりにおいて、人間を宿しこまれた場所であると教えられるのであるが、この「ぢば」が本教において、極めて重要な場所とされるのは、単に人間の宿しこみの場所であり、
 そのぢばハせかい一れつとこまでも
  これハにほんのこきよなるぞや
           (十七,8)
と示されるように人間の故郷であるという理由によるだけではなく、人間生命の根源の場所であり、たすけの与えられる場所であることによってなのである。

 つまりわれわれが日々生かされているのは、「ぢば」によってであり、その理によって救済が成就されるのである。
 このような「ぢば」を教祖が「つとめ場所」の本質として明示されたということは、一見「つとめ場所」の建設の手段にすぎないように思える「貧におちきる」ことが、人間の生命の根源を知らせるために、またそれをとおして「九十九両のめぐみ」、生かされている大恩を悟らせるために、必要であったということになり、われわれが「貧におちきる」ことによって、
 このもとをくハしくきいた事ならバ
  いかなものでもみなこいしなる
             (一,5)
といわれるように「このもと」、生命の根源、「ぢば」が恋しくなり、帰らずにおれないようになる、と思われる。
 
またこのことは「つとめ」からも言えると思われる。
 「つとめ」とは、
 「親神が、紋型ないところから、人間世界を創めた元初りの珍しい働きを、この度は、たすけ一条の上に現そうとて、教えられた」(『教典』16頁)聖なる儀式で、「元の理」における人間創造の理、親神の「十全の守護」の理を表した十人のつとめ人衆によってつとめられるものであるが、この「つとめ」も単なる儀式ではなく、生命の根源における親神の「十全の守護」の様式をあらわしたものでもあり、それによってわれわれを生命の根源に立ち返らせ、生かされている大恩に目覚めさせるものであり、われわれが「貧におちきる」ことによって、つとめずにおれないようになってくると思われる。

 最後に「さづけ」についてみておこう。
 「さづけ」は病だすけのための単なる「をかみきとふ」ではなく、その取次ぎによって、われわれの身のうちに働いている、ともすると忘れやすい親神の「十全の守護」の一端を実感し、病だすけ以上に大きな生かされているという第一義的な御守護に目覚めさせるところに真の意義があるのであり、「さづけ」の徹底によって親神の「十全の守護」、生かされている大恩をより大きくうけとれるようになり、それへの報恩の決意、心定め、実行の結果として与えられるのが「ふしぎだすけ」ということになると思われる。
    
 結び
 教祖は「貧におちきる」ことによって、今までのべてきたような意味での「かしもの・かりもの」の教え、つまり今、ここに生かされているということは、親神の「なみたいていな事でない」御苦労によってであり、生かされているということ自体が第一義的な最高の御守護、大恩で、われわれ一人ひとりの足元に「九十九両のめぐみ」として厳然と与えられているということ、したがって人間は貧富、貴賎、正邪を問わず、時代、民族、国境、主義、思想、宗教の相違をこえて、等しく「九十九両のめぐみ」をうける神の子として本質的に平等であること、を教えられたと考えることができる。

 したがって「ひながた」とはわれわれが近づくことのできない雲の上の話で、神棚に祀り上げておくようなものではなく、今、ここにわれわれの足元に厳然と実在する事実、「九十九両のめぐみ」を教えるものであり、その事実、生かされている大恩に人間として生かされ続ける限り報じていくことが、われわれにとっての「貧におちきる」ことであり、現代において「ひながた」を実践することの一つの意義といえるのではないだろうか。

 もしそうなら「貧におちきる」ことは、従来うけとられてきたように、布教師が教会設立を目指して歯をくいしばって通るような、苦難の道中という、一般の信仰者にとってあまり縁のないような厳しき道中を単に意味するだけではなく、およそ陽気ぐらし、真のたすけを求める者にとって、立場の上下、信仰年限の多少にかかわらず、時代、民族、国境、主義、思想、宗教の相違を超えて、等しく追求されなければならない永遠の課題といえるものであり、それゆえに「万人のひながた」といわれるのであるが、今の旬ほど教祖が「貧におちきる」ことによって教えられた生命の根源に立ち返り、生かされている大恩に目覚め、その報恩にいそしむことが大切なときはないように思われる。

 平成二十四年に迎える教会創立百二十周年に向かっての成人目標として、1、おつとめの充実、2、にをいがけ・おたすけの徹底、3、道の後継者の育成が掲げられている。この成人目標に向かって、より真剣な求道と伝道を、生かされている大恩への報恩の一つとして、また曽祖父村上幸三郎が教祖に直々お救けいただいた、これまた大きなご恩への報恩の一つとして、させていただかねばならないと思う次第である。   ( 完 )     

2012年3月7日水曜日

No.73 教理随想(24)  「ひながた」の一考察(8)

次に恩について少し考えてみよう。
恩は封建時代の残滓にすぎず、もはや現代的な意義をもたないものだろうか。恩はおふでさきに、
たん~~とをんかかさなりそのゆへハ
 
きゆばとみえるみちがあるから
             (八,54)

と一ヶ所、おさしづに十ヶ所しかでてこないので、本教においてあまり意味はないのだろうか。
 また報恩の信仰は単にお道の飛躍的発展がみられた明治、大正時代に通用した、あるいは現在においても身上、事情をお救けいただいた人にのみ通用するに過ぎないもので、親神、教祖の望まれるたすけ一条の信仰と根本的に異なるものであろうか。決してそうではないと思う。
 
恩という言葉が原典に少ないのは、それは「言わん言えんの理」で、親の立場からは言えないものであるからと思うが、原典を眼光紙背に徹して読むとき、随所に報恩の信仰が求められていることがよく分かるはずである。
 人のものかりたるならばりかいるで
  
はやくへんさいれゑをゆうなり
           (三、28)

これは単に常識的な倫理、道徳を教えるのではなく、人ものでも借りたら利がいる、まして神からの「かりもの」となると、どれだけの利がいるか、ということ、つまり報恩を間接的に教えられていると考えなければならない。
 また、
    ・・神の自由して見せても、その時だけは覚えて居る。なれど、一日経つ、十日経つ、三十日経てば、ころっと忘れて了う。・・・    (M31,5,9

これも単に人間のたすけられたことへの忘恩をいうよりも、救けられることにのみ心をうばわれ、生かされていることへの報恩の心になれない、という神の嘆息と読むことが出来るのではないか。
 また報恩と「たすけ」についても、そもそも報恩の心のない「たすけ」など世間のエゴにとらわれた自己満足の奉仕活動や形の上のご利益を期待しての「たすけ」、あるいは自力のみをたのむ傲慢な「たすけ」として成立しえても本教では考えられず、また何らかの「たすけ」を自然と伴わない報恩の心も、短なる感謝にとどまり、本教では考えられないのではないか。
 
ということは真の報恩は必ず「たすけ」をともない、「たすけ」の根底には報恩の心がありその「たすけ」の実践内容が対物的には物への報恩として物を生かしたり、無駄にしたりしない、対人的には理の親、肉親の親への孝行、報恩行為となり、また理の子、信者、社会の悩める人等をたすけ、喜ばし、勇ませる等の行為となると言えるのではないか。
 また、
  ひとことはなしハひのきしん
  
にほひばかりをかけておく
         (七下り目、一つ)

も、にをいがけ、おたすけもひのきしんの精神、つまり報恩の心でなされねばならない、という意味であるとするなら、「にほひ」つまり報恩の心を伝えることが「たすけ」にほかならないということになり、結局報恩と「たすけ」とは単に内、外の区別があるだけで同じものになると思われる。
 
したがって報恩の信仰こそ、たすけ一条の根幹にすえ、復活させねばならないと思うのであるが、問題は一体何に対する報恩か、という点である。
 次に、
・・・大恩忘れて小恩送るような事ではならんで。・・・・    (M34,2,4
の意味を考えてみよう。
 ふつうこのお言葉は、物、人等への小恩のみならず、神への大恩を忘れてはいけない、と解されているが、それにとどまらず神への大恩にも大、小の恩があり、不思議だすけに浴した小恩にのみとらわれて、たすけられること以上に大きな、生かされている大恩を忘れてはいけないことを意味していると思われる。

 われわれはともすると「ふしぎだすけ」に浴して入信したとき、それを元一日(人間創造の元一日、立教の元一日、教祖年祭の元一日があるが、それらは人間にとっては時間的に区別されても、親神にとっては同時である)の大恩とみなし、その恩を子々孫々に至るまで伝え、その報恩の道を通ることが本教の信仰のように思いやすい。

がしかしこの元一日の大恩とは、たすけられたという過去の事実であるのみならず、たすけられることを通して教えられる、たすけられること以上に大きな御恩(つまり病気がたすかって有難いのはいうまでもないが、たすけられることを通して改めて目覚める、今まで忘れていた、あるいは気づかないでいた生かされているということが、もっと有難いということ)、つまり生かされている大恩に外ならないから、この生かされている大恩に目覚め、それを子々孫々に伝え、それへの御恩を、理の親、肉親の親、物、人等を通して「たすけ」として報じていくことが本教の信仰であると考えられねばならないのではないか。
  
たん~~と神の心とゆうものわ
  
ふしぎあらハしたすけせきこむ
          (三、104)

このおふでさきから「ふしぎだすけ」は真のたすけ(「めづらしたすけ」、「やますしなすによわらん」、「百十五才じよみよ」であるが、あくまで結果として自ずと与えていただくもの)にいたる一過程、手段にすぎず、真のたすけが「ふしぎだすけ」をこえてさらに目指されねばならないことが分かるが、
この真のたすけは生かされているということが何ものにもかえがたい、尊いものであるという、生かされている大恩に目覚め、その報恩に人間として生かされ続ける限り、いそしむところに自ずとその完成に近づいていくと思われる。
 
つまり親神は人間を「ふしぎだすけ」によって救け、その恩に報いる道を通らせるというより、「ふしぎだすけ」を通して、それ以上に大きな生かされている大恩、「九十九両のめぐみ」に目覚めさせ、強要されなくても自ら進んで、報恩の道をたすけ一条の道として通るようになってくれることを、親神の唯一の願いである「こどものしゆせ」として切に待ち望んでいると思うのである。

 結局恩とは生かされている大恩を基本として考えられねばならないということになるが、この生かされているという、人間が存在する限り永遠に現在的な大恩を基礎にすることによって、たすけられた恩、理の親、肉親の親、人や物等の恩が、小恩として、生かされている大恩の契機として正当に位置づけられ、生きたものになるように思われる。

 また生かされている大恩を「九十九両のめぐみ」として、より大きく感じれば感じるほど、それに比例して、それらの小恩がより大きく感じられ、それらへの報恩の道を通らねばならないのではなく、通らずにおれないようになってくると思われる。
 恩は単に過去的なものとして受け取られるとき、そのような恩の強調は、押し付け、強制となり、封建的な倫理思想、孝、忠と同じものに転化してしまう。これが系統問題の一つの原因となっているのであろう。
 (この系統問題については、西山輝夫著『新教理随想』に詳しく述べられている。)

2012年3月1日木曜日

No.72 教理随想(23) 「ひながた」の一考察(7)

 さてこの句が理解しにくいのは、今、現在が「このよのはじまり」、「元初まり」という過去の事実を明示する言葉と結びつき、現在と過去が同一視されているところにあるが、この矛盾を理解するためには、まず時間とは何かを知らねばならない。非常に難解なので、森本和夫氏の解説によってみてみよう。

 さて時間とは一般に無限の過去より流れてきて、無限の未来へと一直線上を流れるもの、一瞬の過去にも戻ることの出来ない永遠の流れ、連続した直線のようなものとみなされ、現在は過去と未来を結びつける中間点のようなものと考えられるのであるが、このような直線的な時間像は「自然科学をモデルとして採用した」もので、「きわめて特殊な偏ったものであり、特定の歴史的制約をおびたもの」(『ムック』5号79頁)なのである。

 では真実の時間像とは何か、さらに説明してもらおう。
 従来の時間像においては、
 「ある」のは「現在」だけであって、「過去」とか「未来」というようなものは「ない」のだという視点が欠けているのだ。
 「現在」だけがあるということは、「過去」と「未来」との中間点とみなされる相対的な「現在」だけがあるということを意味しないのはいうまでもない。・・・そんな「現在」ではなくて、絶対的な「現在」があるのである。すなわち「現れて在るもの」、「姿を現しているもの」すべてが「現在」なのだ。あるいは「見えるもの」の全体といってもよいであろう。そんなわけで、かりに「過去」なり「未来」なりといったものを考えるとすれば、それは「見えないもの」であるほかはあるまい。
       (同書、79~80頁)

 ところでこのような「絶対的な『現在』」の時間像に基づくとき、「現われて在るもの」が過去から現われるということはできず、何の意味ももたないことになる。
 いかほどにみえたる事をゆうたとて
  
もとをしらねばハかるめハなし
           (四、81)
「もと」はしたがって過去ではなく、一切のものがそこから生じ、そこに帰ってゆくところの根拠、根源であり、
「現在」そのものが、そのまま「根源」から現われて出ているのであり、「根源」によって支えられ、生かされているのである。
 「もと」は時間的な以前ではなく、むしろ「時間」の根拠であり、根源であるものとして理解されなければならない。
         (同書81頁)
のである。
  創造とは、存在の単なる起源の問題ではなく、むしろ、その根源の問題である。
 (『諸井慶徳著作集』第六巻103頁)
  
この持続すなわち一見保存に外ならぬかのごとく思われるものも、実は神の不断の創造により、連続的生産によって行われるものでこそなければならない。
          (同書、94頁)
の意味も「絶対的な現在」の時間像に立脚してはじめて理解できると思われる。
 つまり「今がこのよのはじまり」とは、現在ある全てのものは「元初まり」という時間、歴史をこえた根源によってあるということ、人間についていうと、今、ここに生かされているということは、人間創造にも等しき「珍しい働き」(『教典』6頁)、ご守護によってである、ということである。
 
「元の理」はふつう、
  月日よりたん~~心つくしきり
  そのゆへなるのにんけんである
            (六,88)
に示されている親神の人間創造の御苦労、人間に成長させるまでのご苦心、つまり過去における親神の御丹精を説くものとして理解されている。
 しかし親神とは永遠の現在、今を生きる絶対者で、人間にとって過ぎ去った過去の事実も、親神にとっては現在であるから、親神の過去(人間にとっての)の働きは、すでになきものではなく、われわれにとっての現在においても、目に見えない形で浸透していると考えられる。
 
ということは、
 これからわ神のしゆごとゆうものハ
  
なみたいていな事でないそや
           (六,40)
に明示される「なみたいていな事でない」神の守護は、単に五尺の人間に成長させるまでの御苦労であるのみならず、同時に今現在われわれ人間を生かし育てる上での御苦労ということになる。
 
したがって九億九万年の「水中の住居」も、今、ここでのわれわれの生命の根源における神の御苦労として考えることができる。

 また「八千八度の生まれかわり」とは現代において完膚なきまでに論駁されているダーウインの『進化論』(ジュレミー・リフキン著「エントロピーの法則Ⅱ」参照)を支持するようなものではなく、「人間のたね」(『教典』27頁)を育てる過程における親神の自己限定としての働きの複雑化を示すものと思うのであるが、その働きはすでに過ぎ去って、今はなきものではなく、今においても実在していて、われわれの身体、生命、自然の根源の中にいりこんでいる、このことを「元の理」によって教えられていると思うのである。

 おふでさきには「このよはじまり」、「このもと」、「このしんじつ」というお言葉が多く見出されるが、これらはすべて同じ意味をもち、人間の生命の単なる歴史的な起源ではなく、今現在における、歴史の根拠となる人間の生命の根源を示すものであり、この厳然たる事実に開眼させるために、教祖は「ひながた」の五十年の長きにわたる御苦労の道中を通られ、「つとめとさづけ」を教え、晩年になって「元の理」を諄々と説かれたと思うのである。
 
いままでも今がこのよのはじまりと
  
ゆうてあれどもなんの事やら
           (七、35)
とはしたがって、今われわれがここに、こうして生かされているということは、実に「なみたいていな事でない」親神の御苦労によってであり、何ものにもかえがたい尊いものである、ということを今まで説いているが、なかなか分かってもらえないということ、本居宣長の「九十九両のめぐみ」が今、ここに歴然と与えられているのに、それが分からず、一両、否一分、一朱足りないことに目をうばわれたり、逆に一朱にも満たないものを巨億の富としてうぬぼれている、ということであり、そこには親神のそのことを何とか分かってもらいたい、との切なる願いが込められているように思われる。

 では「つとめ」をどう考えればいいのだろうか。
 「つとめ」によって人間創造のときの「珍しい働き」が、再びこの世にもたらされ、人類が更正され、陽気ぐらしの世界に立て換わる、と教えられるのであるが、しかしその前提として「つとめ」をするしないにかかわらず、すでに今、ここに親神の「珍しい働き」(「九十九両のめぐみ」として)が厳然として実在していると考えなければならない。
 
したがって「つとめ」によってはじめて「珍しい働き」をうけるというよりも、すでにある「珍しい働き」における「十全の守護」のバランスの乱れ(これが身上、事情等のいわゆる「ふし」の原因である「ほこり」)を「つとめ」によって正し、一両の不足を補っていただき「百両のめぐみ」を結果として御守護いただく、と考えられねばならない。

 このように見てくると、われわれが生かされているということは「なみたいていな事でない」親神の御苦労によってであり、それはまさに「根源的たすけ」(『諸井慶徳著作集』第六巻168頁)、第一義的な最高の御守護であり、われわれにとっては大恩なのである。