2012年1月24日火曜日

No.67 教理随想(18) 「ひながた」の一考察(2)

氏は客観的解釈をさらに敷衍して、一般教会の道の先達の通り方と教会設立との間にも、教祖の場合と同じ必然性がみられると考えているが、このような見方は「貧におちきる」ことの意義を、かえって誤解させることになるのではないかと思われる。
 なるほど道の先達は「貧におちきる」ことを教祖にならって家屋敷、財産を納消することと解し、人だすけにつとめた結果、教会、たすけ道場をご守護いただいたのであり、その限り、かって教祖が、おぢばにおいてなされたことが、時、場所、形をかえて再現されたのであるが、ここでの必然性は、形の財産の納消と、教会という目に見える形でのご守護を結びつけるにすぎないといえる。

 つまりここで必然性を強調することは、「貧におちきる」ことを単に形の上からのみみて、ご守護を単に形の上の目に見えることに限定することになるのではないか。 
 しかし「貧におちきる」ことの意義を問うわれわれにとっては、形の上の「貧におちきる」ことと、形の上の御守護(たとえそれが個人の所有ではない教会のようなものであれ)とは必ずしも直結しないと思われる。

 教会や一粒万倍の形の上のご守護は、形の財産を納消する「貧におちきる」ことを手段とする目的では決してなく結果にすぎず、教会設立を目指して、あるいは形の上のご守護を目的として「貧におちきる」ことは、教祖の厳しく排された、よくにとらわれたご利益信心になるのではないか。
 そのような「貧におちきる」道中は、将来の形の上のご守護を期待する、忍耐、我慢、辛抱の道中に過ぎず、期待通りの成果が現れないと心をたおし、不足するような「貧におちきる」ことの本質から逸脱した通り方であろう。

 なるほど道の先達は「貧におちきる」ことを文字通り形の上の財産の納消とうけとったのであるが、しかしそれを教会設立とか形の上のご守護を得るために、せざるをえないことと考えたのではなく、それを御恩報じ(何に対する報恩か、という問題があるが、それについては後述する)として、せずにおれないことと考え、人だすけに励んだ結果、自ずと形の上のご守護を与えられたのではないか、と思われる。

ではわれわれにとって形の上での「貧におちきる」ことの目的とは何であるか。
 よく使われる裸(「貧におちきる」こと)と風呂(「陽気ぐらし」)のわかりやすい比喩や「人間を造り、その陽気ぐらしをするのを見て、ともに楽しもうと思いつかれた」(『教典』25頁)との記述から考えると、目的は「陽気ぐらし」ということになるが、「陽気ぐらし」は人間創造の目的ではあっても、それは親神の立場からであって、われわれ人間の立場からは、「陽気ぐらし」は結果として自ずと与えられるものであるから、「貧におちきる」ことの目的とは言えないのではないか。 

一体「陽気ぐらし」を目的とすることは何を意味するのか。
 われわれが「成ってくる理」を素直にうけとれず、喜べないとき、常に形の上の御守護(身上、事情がなくなるなどの)「陽気ぐらし」を目的として前もってもち、それと成ってくる結果と比較するからではないのか。そのような「陽気ぐらし」を目的とすることは、形の上の守護にとらわれた御利益信心を説くことになるのではないか。

このことは「陽気ぐらし」を客観的条件(物、金、健康等)に依存しない主観的な「陽気づくめ」、「陽気ゆさん」であると言っても同じことである。
 なぜなら「陽気づくめ」という、逆境や「ふし」にあっても可能な精神状態であっても
 
 いちれつに神がそふちをするならば
  心いさんでよふきつくめや
          (三、54)
に示されるように、神の守護の結果として与えられるものだからである。
  では目的とは何であろうか。
 母屋とりこぼちのときに教祖の言われた「世界のふしん」とは、単に形のふしんであるのみならず、「心のふしん」でもあり、「形のふしんに先行する心のふしん」を「形のふしん」を手段、「心のふしん」を目的として理解するとき、目的は「心のふしん」ということになるのではないだろうか。
 
だん~~とこどものしゆせ
まちかねる
  神のをもわくこればかりなり
          (四,65)
の「こどものしゆせ」とは常識的な立身出世の意味ではなく、心の成人の意味で、成人とは「親の思いに近づくこと」であり、これがわれわれにとっての「貧におちきる」ことやわれわれの信仰の目的でなければならない。
 
そして前真柱様が「ひながたの道は御恩報じの道」(昭和五十七年秋季大祭神殿講話)という趣旨のことを述べておられるように、「貧におちきる」ことを御恩報じとして通る中に、結果として自ずと「陽気ぐらし」が与えられることになると思われる。
 このように考えることができるなら、「貧におちきる」ことは、信仰を続ける限り、一粒万倍の形の上のご守護がみえたあとも、いやそういうときこそ実践されねばならない「信仰の出発点、原点であると同時に帰着点」(「あらきとうりょう」91号16頁)であると思われる。

 次に西山氏の主観的解釈を検討してみよう。
この解釈は、「物を施して執着を去れば、心に明るさが生まれ、心に明るさが生まれると、自ずから陽気ぐらしへの道が開ける」
   (『教祖伝』23頁)
との見方に基づくもので、「貧におちきる」ことによって、世界の対立抗争の原因となり、陽気ぐらし実現をさまたげている物への執着を取り去ることを教えられたのである、とみなされる。
 
したがって「貧におちきる」ことは、必ずしも形の財産を手放すことを意味せず、例えば気位が高く、人にきらわれ不幸になっている美人が、美人であることを鼻にかけることなく、心優しくなることも「貧におちきる」ことになり、自分中心の、よくにとらわれた心、ほこりの心づかいを改め、相手をたすける心になることを「貧におちきる」御苦労によって、教祖がわれわれに教えられた、ということになる。

2012年1月17日火曜日

No.66  教理随想(17) 「ひながた」の一考察(1)

私の曽祖父である村上孝三郎(泉東分教会初代会長)が、『教祖伝逸話篇』72「救かる身やもの」において示されているように、不治の病を教祖より直々おたすけいただき、ご恩返しとして、たすけ一条に邁進し、その結果教会名称のお許しを頂いたのは、明治25年5月であり、立教175年(平成24年)10月に創立120周年を迎える。

 このような千載一遇の尊い三年千日の旬を迎えて、私は信仰の元一日にたいする思いを新たにし、たすけ一条へのなお一層の決起を誓うとともに、「白紙に戻り 一より始める」この旬に、自分なりに信仰の原点を教理的に問い返し、再確認したいと思って、テーマとして信仰者にとって永遠の指針である「ひながた」を浅学菲才をかえりみず、選ばせて頂いた。
 さて「ひながた」には、われわれよふぼくが道を通る上での手本、雛形としていろいろの道すがらを、お残しくだされているのであるが、現代に生きるわれわれにとって「ひながた」を通るとは、具体的にどのようにすることなのか、となるといま一つはっきりしていないように思われる。

 教祖の道すがらの外形、ご行為をそのまま真似ることなのか。あるいは道すがらに一貫する精神をとりだし、それをわれわれの行為の規範や日常生活の目標として通ることなのか。あるいはもっと別のことなのか、判然としない。
 またそもそも教祖はなぜ、そのような道を通られたのか。われわれはなぜ「ひながた」の道を通らねばならないのか、等々の疑問が次々にわいてくるが、
・・・ひながたの道を通らねばひながた要らん。・・・      (M22,11,7
とまで仰せられるからには、そこに深い意味があるにちがいないと、思われる。
 
そこで以下において「ひながた」を考えるにあたって一番理解することが難しく、実践するに際して、躓きとなり、誤解をうけやすい「貧におちきる」とは何か、それの現代的意義は何かを考えてみたい。
 したがって「ひながた」五十年の道すがらの前半二十五年を「貧に落ちきられる」道すがらと理解し、それがどのような意味を持つのか、「つとめ」と「さづけ」を中心とする後半の二十五年の道すがらとどのように結びつくのか、また「貧におちきる」ことの考察から派生する問題について考えてみたいと思う。

 ここで「貧におちきる」ことの意義について考えるのは、教祖が貧に落ちきられた道すがらの意義が、現代において軽視されたり、歪められていることが、教勢の低迷、布教意欲の低下、信仰のいずみ等の本教の将来の存亡、興亡にかかわる重大な問題の一つの遠因となっているのではないか、と危惧するからである。

 さて「貧におちきる」ことについては、従来教内外において種々の解釈がなされているが、ここでは西山輝夫氏の解釈(『新教理随想』、『ひながたを身近に』)を主としてとりあげ、検討してみたい。
 氏は「貧におちきる」ことについて、主観的、客観的の二つの解釈が成り立つと考えているが、先に客観的解釈とは何かみてみよう。
 客観的解釈とは「教祖が貧におちきられた行為を永い時間の経過の中で観察し、検証し、その中から何が生じてきたかという姿を見定め、それによって改めて、貧におちきることの必然性を認識」することであるが、それによると「貧におちきる」ことは、「決してあるものをなくしていくというのではなく、実は万人たすけの道場を建設するための前段階として必要であった」(『ひながたを身近に』46頁)ということになる。

 氏によると、この解釈の成立する根拠は、立教のときの「この屋敷にいんねんあり」というお言葉で、中山家の私有財産である家屋敷は、「やしきのいんねん」によって神のやしきとなる必然性があり、そのために教祖は邪魔になる一切のものを「程越し」されたとみなされる。
 したがって教祖が嘉永六年に、人間の目からみると、中山家の没落を示す母屋とりこぼちのときに言われた「これから、世界のふしんに掛かる。祝うて下され」との常識をこえたお言葉の意味も理解されてくる。

 つまり「世界のふしん」は約十年後の「つとめ場所のふしん」となって、具体化の第一歩がしるされ、さらに「ぢば定め」へとつながっていくのであるが、「つとめ場所」も「ぢば定め」もともに元の中山家の母屋のあった場所に相当し、母屋のとりこぼちは破壊ではなく、建設、ふしんであることが理解される。
 「世界のふしん」は結局「中山家の母屋のとりこぼちなくして成立せず、母屋とりこぼちは教祖が家族もろ共、貧のどん底に落ちきられることなくしてあり得なかった」(『ひながたを身近に』47頁)

 以上が客観的解釈であり、このような解釈は史実に基づき、形あるものによって証拠づけられているだけに、普遍妥当性をもつように思えるが、よく考えてみると、この解釈は形のうえの「貧におちきる」ことを単に手段として、それ自体積極的な意義をもたないものとしてみていることがわかる。
 つまり「つとめ場所」、「世界のふしん」(目に見える形での)が主であって、形の上の「貧におちきる」ことは従の第二義的な、消極的な意義しかもたない、ということになる。

 なるほど客観的解釈は、教祖の「貧におちきる」道中は、「つとめ場所」、「ぢば定め」が可能となるために、なくてはならぬものであり、お通りいただかざるを得なかった道中であり、その意味で必然的なものであった、と理解させるが、この解釈は「貧におちきる」ことを「つとめ場所」等が可能となるための単なる手段とみるかぎり、現代のわれわれにとっては積極的な意義をもたないことになるのではないか。

 それは賃金を得ることを目的とする物や形にとらわれた苦役としての労働と同じようなものではないか。もしそうであるなら「貧におちきる」ことは「万人のひながた」(『教典』45頁)であるのではなく、教祖の、教祖による、教祖のための「ひながた」となり、「ひながたの道を通らねばひながた要らん」とのお言葉の意味がなくなり、教祖だからこそ、あのような道中が何の苦もなく通られたのであって、われわれはとても真似が出来ない、としりごみさせることになるのではないか。

2012年1月4日水曜日

No.65 教理随想(16) 「ふし」の意味(6) (完)

最後に「たんのう」が、
    ・・たんのう理諭そ。よう聞き分け。人間かりもの持って日々という。・・・
              (M30,8,31
と教示されるように、かりものと結びついている意味を、次のみかぐらうたを手がかりにして考えてみよう。
   やむほどつらいことハない
   わしもこれからひのきしん
(三下り、八つ)
 このおうたは「病気で苦しまねばならぬ事ほど、辛い事はない。このことを思えば、身上壮健で働かせていただけることは、どれほど有り難いことかわからない。この感謝の心から、日々明るく神恩報謝に尽くさせていただくことが、ひのきしんである」と現在では一般的に解釈されているのであるが、この解釈によると「これから」とは身上をたすけられ、壮健になってから、ということになる。

しかし、このお歌にはより深い意味が含まれているのではないか。
 よく身上になってはじめて健康の有り難さがわかると言われるが、もしそうなら身上は単に辛い、惨めなもので、ご守護のない姿、有り難くないものになってしまう。また健康の有り難さといっても、健康になるや否や、すぐに忘れられるものになってしまうであろう。

 そうではなく身上になってはじめて、それまで忘れていた、気が付かないでいた、生かされているという厳然たる事実(身上をたすけられたことや身上壮健であることと比較を絶する大きな第一義的な御守護「生かされている大恩[これについては別稿にて詳説]」に改めて目覚め、その有り難さが分かるということではないだろうか。
 したがって先のお歌は、病は確かに辛いものではあるが、それによって生かされている大恩に目覚め、それへの報恩の念が自ずと湧いてきて、ひのきしんをせずにおれなくなる、という意味であると思われる。

このことは次のおふでさきからも考えられるのではないか。
  にんけんにやまいとゆうてないけれど
  このよはじまりしりたものなし
            (九,10)
  このもとをくハしくしりた事ならば
  やまいのをこる事わないのに
           (三、93)
「このよはじまり」、「このもと」とは人間の生命の単なる歴史的な起源ではなく、歴史の根拠となる生命の根源、今、ここにわれわれの足元に厳然と実在する事実であるが、この事実の有り難さを忘れ、生命の根源から遊離して虚しい自己を絶対化するところに、よく、こうまんのほこりが生じ、それが病の原因となるのであるから、病とは結局それによって生かされているという厳然たる事実に目覚めさせることに、その存在意義があることを先の二つのお歌は教えていると思うのである。

 いんねんの教理に基づく「ふし」の見方において、元のいんねんに言及しなかったが、元のいんねんとは人間は陽気ぐらしをするべく創造され、たすけられる可能性があるというような「可能性としてのいんねん」(西山輝夫著『見て共に楽しむ』)を単に意味するのではなく、「この世・人間の生命を支える大きな流れ」(深谷善和著『お道の言葉』)とでもいえる現実的、実在的なものであり、いんねんと元のいんねんとは表層、深層の重層的な関係においてあると考えられるので、いんねんも結局のところ、元のいんねん、生かされている厳然たる事実、生命の根源に目覚めさせるところに、その存在意義があると思われる。

 以上のように考えることができのなら、「たんのう」における楽しみ、喜びとは、「ふし」が先に見たように、ほこりのそうじであり、間接的なたすけであることから生じるのみならず、より根源的には「ふし」によって、生かされている事実に目覚め、その有り難さを改めて感じるところに自ずと生まれてくるもので、それはまた生かされている大恩への報恩の念と同じものであると考えることができる。

 また「たんのうは前生いんねんのさんげ」の「さんげ」とは単に過去の心づかいの謝罪であるのみならず、将来に向かっての心定めでもあるが、その心定めは結局生かされている大恩への生涯末代の報恩の心定めでもあり、その実行(つとめとさづけを中心とする、たすけ一条の実践)が、まだ多く残っている心のほこりのそうじ、前生いんねんの納消を可能にし、結果として「ふしぎたすけ」、「めづらしたすけ」に浴せることになるのではないかと思われる。
 本教における「ふし」は、以上のような意味で、有り難い御守護とも言えるものであり、この点において他宗の「ふし」のとらえ方と根本的に異なると考えるのである。

2011年12月25日日曜日

No.64 教理随想(15) 「ふし」の意味(5)

ところで「たんのう」には諦めや忍耐、我慢にはない楽しみ、喜びが要素としてあり、「ふし」、成ってくることが楽しみとうけとられるのであるが、、一体なぜであろうか。
 なぜなら「ふし」は先にみたように親心の現われであるから、と教えられるが、では親心の現われとは何を意味するのであろうか。
 まず第一に「ふし」が先にみたように、親神による人間の心のほこりのそうじであることと考えられる。

 ほこりの教えは、ともすると仏教の宿業やキリスト教の原罪にくらべて浅薄にうけとられ、心のほこりは信仰によって簡単に払われ、救済にあずかることができると楽天的に考えられやすいが、決してそんな生易しいものではない。
 『教祖伝逸話篇』(130、小さな埃は)の中の
「どんな新建ちの家でもな、しかも、中に入らんように隙間に目張りしてあってもな、十日も二十日も掃除せなんだら、畳の上に字が書ける程の埃が積もるのやで。」
との教祖のお言葉は、「新建ちの家」を成人した人、悟りを開いた人、解脱した人と解し、「目張り」することを世間を離れて出家することと理解すると、人間はいかなる人も、この世に生きる限り、ほこりを積まないことは不可能で、ほこりのそうじを忘れると、多くのほこりをつむことを教えるが、間接的には宿業、原罪にも匹敵するくらいのほこりの多さ、ほこりの根強さを教えるものであるといえよう。[「わしでもなあ、かうして、べつまへだてて居れば、ほこりはつかせんで。けれども、一寸、台所へ出ると、やっぱり埃がついてなあ」、「わしは懺悔する事はないといへば、いきはないものやで」『正文遺韻抄』152頁』との教祖のお言葉も同じ意味をもつと思われる。]
 
また本教においては「生まれ更わり」が説かれ、この世一代だけではなく、前生、前々生、さらにはそれ以前の過去生におけるほこりまで問題とされるので尚更である。
 親神は人間のこの心のほこりを、つとめとさづけ、人だすけを通して、人間が自分で払うことを望まれるが、たとえそのようにしても、ほこりの量はあまりにも多く、今生一代ではとても払いきれないので、人間を何度も生まれかわらせ、「ふし」によって親神が強制的にほこりのそうじをし、「ふし」通して人間が自分でほこりのそうじの続きをするように急き込むのではないだろうか。

     ・・たんのうは前生いんねんのさんげ・・・
           (補遺 M30,11,19)
と諭されるが、これはしたがって「たんのう」とは、「ふし」を親神による人間の心のほこりのそうじと喜んでうけとめ、これからは自分でほこりのそうじをすることを決意するという意味であり、この点において「たんのう」が単なる満足ではない、と考えることができるのではないかと思われる。

 第二の意味として、「ふし」を大難を小難にして見せてくださることと考えられる。
 このことは分かりやすく説明すると、今仮にほこりを数量化して、十のほこりが残っているときに、親神は全部のほこりのそうじを、一度の「ふし」によって(もしそうなら人間はとっくに生存を許されていないであろう)するのではなく、十のうち例えば二、三のほこりのそうじを、いくつかの小さな「ふし」を通してするようにしてくださる、だから「ふし」が有り難いということである。

したがって「大難小難の道」(M23,10,20
とは、信仰によって大難を小難ですましてもらうということではなく、親神が大難によって強制的にほこりをそうじするのではなく、小難によるそうじですまし、残りのそうじを人間に委ねるという親神の親心のあふれる、お計らいという意味であると思われる。

2011年12月18日日曜日

No.63  教理随想(14) 「ふし」の意味(4)


 次に本教における「ふし」に対する心の治め方である「たんのう」を検討してみよう。
 さて「たんのう」とは、
     ・・たんのう無くして、受け取る処一つ無いで。・・・・   M20,3,25

     ・・・たんのうが神が好く。受け取る。・・・
          (補遺 M20
を引用するまでもなく、信仰のすべてを生かす点睛として、われわれに要請される大切な教理であり、
「単なるあきらめでもなければ、又、辛抱でもない。日々、いかなる事が起ころうとも、その中に親心を悟って、益々心をひきしめつつ喜び勇むことである。」(『教典』75~76頁)と説明されるが、この「たんのう」は仏教やキリスト教における「ふし」の受け止め方とは根本的に異なるものである。

 原始仏教における四諦説をみてみよう。
四諦の第一は苦諦で、この世の一切が生老病死の四苦や愛別離苦、怨憎会苦、求不得苦、五陰盛苦(色、受、想、行、識の五つの要素で構成されている人間存在そのものが苦しみであること)等の苦しみに満ちていることを教え、第二の集諦では苦の原因として貪りの心、欲望があげられる。第三滅諦、第四の道諦において、欲望を八正道の修行の実践によって、滅すれば苦がなくなり、涅槃とよばれる理想的な状態に入ることが出来ると説かれる。

 そしてこれを達成することが、仏教の究極の目的と考えられるのであるが、この四諦説においては、苦を受け止めるというより、苦からの脱却(生が苦、人間存在そのものが苦であることからわかるように、現実を離れた観念やあの世、彼岸への)が空しく説かれるだけで、そこには「たんのう」の大切な要素である、喜びや勇みは全くみられない。
 また仏教における自業自得を説く業思想や因果応報説においては、先にみたように、悪果や苦難は、どうすることもできない宿命として盲目的に正当化されたり、単に諦念や忍耐、辛抱によって受け取られざるをえないであろう。

 次にキリスト教の「ふし」の受け止め方をみてみよう。
 キリスト教においては、神は愛といわれるものの、人間にとって絶対の他者、人間と質的に区別された近づきがたい存在、畏れ崇められるべき存在で、苦難を含めてわれわれの未来は神の手にあり、神の神秘に属するものと考えられている。
 したがって苦難の原因、意味も神の神秘に属し、それの詮索は人間の理解をこえているので、わからないのは当然で、わかろうとすること自体間違っていることとされる。そしてあえてその意味を尋ねても、せいぜい神はある人を選び、その人をよりよくするため、完成させるために、苦しみや悩みを与えるとの、曖昧な答えがあるだけで、なぜその人が選ばれたのか、なぜある特定の苦しみがあたえられるのかについては全くわからない。

 旧約聖書の「ヨブ記」をみてみよう。
 カルデアのある町に、ヨブという神を恐れ、神の前に正しい義人が、ある日突然、様々な災いに見舞われ、重い皮膚病にもかかり、神に見放されたようになる。ヨブがこれまでに犯した罪を考えあぐねていると、あるとき友人が「神は人間をよりよくするために苦しみ、悩みを与えられる」と助言する。また最後に神はヨブに「あなたはなお、わたしに責任を負わそうとするのか。あなたはわたしを非とし、自分を是とするのか」(40章8)と述べ、結局苦難の原因を一切教えないまま、ヨブに元の繁栄を返して、140才までの命を与える。
 苦難を含めて一切のものは、神の神秘に属しているということである。
 
新約聖書についても同じことである。
 キリスト教の精神を最もよく示す言葉は「汝の敵を愛せ」(マタイ5章)で、その具体的な行為が「だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けてやりなさい」、「下着を取ろうとする者には、上着もあたえてやりなさい」(マタイ5章)等であるが、これもなぜ頬を打たれたり、下着をとられるのか、の説明はなく、また左の頬を向け、上着を与えることがなぜ神の思召しにかなうことで、それがなぜ「天にいますあなた方の父の子となるためである」(マタイ5章)のか全くわからない。

 左の頬を向け、上着を与えるのは、いま我慢しておけば、あとで神からより多くの報酬がもらえることを期待するからであろうか。
「自分で復讐しないで、むしろ神の怒りに任せなさい。『主が言われる。復讐はわたしのすることである。わたし自身が報復する』と書いてあるからである。」‘(ローマ人への手紙12章)こんな言葉を聞くと、心のやすらぎどころか、全く反対に空恐ろしさすら感じるのではないだろうか。
 
キリスト教で人間は苦難に出会って、それはあなたをより強く、よりよくさせる試練だから耐えなさい、といわれて心の底から納得して耐えられるであろうか。
 なるほど耐える、耐えないは自分の意志、自力によるのではなく、神の力によってであるから、神の力、恩寵さえあれば無理ではない、との考えもあるかもしれない。しかしそこには「たんのう」にみられる、楽しみ、喜び、勇みはどこにもない。

 この楽しみや勇みは他者からの働きかけや出来事によって条件反射的に生じるものではなく、その働きかけ、出来事の意味、道理がわかることによって生じるものであるならば、キリスト教のように苦難の意味が単に人をよりよくするため、としてしか示されないところには楽しみ、勇みがなく、あの世での救いに意味を見出し、そこでの救いをより強く求めさせたり、逆にその反動として、この世の生により執着させて、快楽主義に走らせたり、神秘主義にのめりこませたりすることになるのでないかと思われる。

2011年12月11日日曜日

No.62  教理随想(13) 「ふし」の意味(3)


「結構や、結構や」(『教祖伝逸話篇』二十一)
を見てみよう。
 これは山中忠七が入信して五年後に、持山が崩れ、大木が埋没し、田地が土砂に埋まるという大被害をうけたとき、教祖から「さあ~~、結構や、結構や。海のどん底まで流れて届いたから、後は結構やで」と諭されるという逸話で大難を小難にしていただいたことが結構である、と理解されているが、それだけではなく、大被害をうける「ふし」によって、ほこりのそうじをしていただいているので有り難い、結構である、ということを教える逸話としても見ることが出来ると思われる。また、
・・・ずつない事は「ふし」、「ふし」から芽を吹く。やれ「ふし」や~~、楽しみや、
大き心を持ってくれ。・・・・
M27,3,5
     ・・怖わい中にうまい事がある。・・・
                  M29,4,21
     ・・やれ怖わい恐ろしいという中に、楽しみ一つの理がある程に~~~。・・・・
                (M29,4,25
等に明示されているように、「ふし」が「楽しみ」、「うまい事」であるのも、「ふし」が親神によるほこりのそうじであるという観点から理解できるのではないかと思われる。

 ところで病はまた、神の「ざ(ん)ねん」
、「りいふく」[「やまいでわない をやのさねんや」(十四,77)「やまいでハない 神のりいふく」(一,32)]とも教示されているが、これはどのような意味であろうか。
 けふの日ハどのよな事もつんできた
 神のさんねんはらすみていよ
           (十七、33)
・・・残念の理程怖いものは無いで。残念の理一代で行かにゃ二代、二代で行かにゃ三代、切るに切られんいんねん付けてある。これは退くに退かれん理によって。なれど神に切る神は無い。・・・     (M24,1,28
等の神言は、神の残念が一見すると、キリスト教における神の怒り[「御子を信じる人は永遠の命を得ているが、御子に従わない者は、命にあずかることがないばかりか、神の怒りがその上にとどまる」(ヨハネ、3,36)]と同じものとして、うけとられるかもしれないが、神の残念と怒りとは決然と区別される。

 なぜなら神の怒りにおいては、神は「切る神」で、愛が神の本来的なわざであるのにたいして、怒りは神の非本来的なわざ、あってはならないもので、怒りによって人間は救いをしりぞけられ、切り捨てられる。 
 しかし神の残念においては、

 月日にもざねんりいふくはらしたら
 あとハめづらしみちをつけるで
          (十三,36)
 このさきのみちをたのしめ一れつわ
 神のさんねんはらしたるなら
          (十二、72)
と教えられるように、残念をはらすことは救済の間接的な条件、いわば親心の発現で、むしろなくてはならないものなのである。
 ではなぜ残念と言われるのであろうか。
 たん~~とふでにしらしてあるけれど
 さとりないのが神のざんねん
            (四,47)
 この事ハたれでもしらぬ事やから
 むねがわからん月日さんねん
           (七,44)
そばなるにいかほど月日たのんでも
 きゝわけがないなんとさんねん
           (九,41)
等における残念は明らかに人間に向けられているが、
 とのよふなせつない事がありてもな
 やまいでわないをやのさねんや
          (十四、77)
の残念は親神に向けられ、立教以来人間に、たすけ一条の道として、つとめとさづけを教え、それによって人間が自発的に心のほこりをそうじして、たすけられることを期待してきたのに、期待をはずされ、親神が人間に代わって「ふし」を通してやむを得ず、強制的にそうじをしなければならないということ、それが残念であるということではないだろうか。
 
したがって立腹も親神に向けられて、自発的にそうじをするように人間を思うように成人させられない自分に腹が立つということになるのではないだろうか。
 おふでさきの中で、残念という言葉は全部で九十五回、最後の十七号においては十五回、五首に一回の割ででてきて、神の残念の思いは、
 この心神のざんねんをもてくれ
  どふむなんともゆうにゆハれん
         (十七,70)
と言われるまで昂じてくるが、この残念も単に人間にたいする思いで、人間が神の言うことを聞かない、信じないことや、人間の成人の鈍さにたいする思いと考えるとき、残念の外への表現である「かやし」、「ふし」は心得違いにたいする罰や神の怒りと同じもので、親心の発現とはおよそ縁のないものになってしまうのではないかと思われる。

 しかし残念とは単に人間に向かうものであるのみならず、親神にも向かい、自分で心のほこりをそうじしようとしない人間に代わって、そうじをしてやらなければならないことに対する思いであると考えることによって、「かやし」、「ふし」が親心の発現で、それゆえにわれわれにとっては有り難いご守護でもあることが理解されるのでないかと思われる。

2011年12月3日土曜日

No.61 教理随想(12) 「ふし」の意味(2)

次に陽気ぐらしの教理に基づく「ふし」にたいする見方をみてみよう。
 この見方はいんねんの教理に基づく見方とは逆に、未来から現在を見て、「ふし」を人間をたすけたい、陽気ぐらしをさせたいという親神の思い、親心の現われとしてうけとる見方である。

 おふでさきには「みちをせ」(道教え)、「てびき」、「ていり」(手入れ)、「せきこみ」、「よふむき」(用向き)、「をもわく」等の言葉が数多く見られるが、これらはいずれも「ふし」を意味し、「ふし」は人間創造の目的である陽気ぐらし、たすけが将来において実現されるための手段とみなされる。
 したがって「ふし」は罰のような悪しきもの、人間にとってあってほしくないものではなく、陽気ぐらし、たすけの実現のためには、むしろなくてはならないものとして積極的な意義をもつようになる。

 このことは次のおふでさきから、はっきり理解されるであろう。
 にち~~にをやのしやんとゆうものわ
 たすけるもよふばかりをもてる
           (十四,35)
 それしらすみなせかいぢうハ一れつに  
 なんとあしきのよふにをもふて
            (十四,36)
(後者のお歌の「あしきのよふにをもふ」ものとは、親神の教えという漠然としたものではなく、親神が「ふし」を通してたすけを急き込んでいるのに、教えがわからない者は、その「ふし」を悪しきものとうけとっていると解される。)

 ところでこのような見方は、いんねんの教理に基づく見方が過去志向的で、暗く悲愴なひびきをもつのにたいして、明るく、将来に向かって生きる勇気をふるいおこさせるが、この未来―現在の見方も一面的であるため、この見方だけでは、いんねんの教理が軽視され、現実を遊離した軽薄な信仰になったり、陽気ぐらしも単に「ふし」のない状態というように表面的にしか理解されず、「ふし」と陽気ぐらしが切り離され、外的にしか結びつかないという問題が生じてくる。

「ふし」と陽気ぐらしとは、究極的には陽気ぐらしは「やますしなずによハらん」、「せかいよのなかところはんじよ」といわれるように、「ふし」のない状態となるが、今の成人段階では両者は相互否定の相容れない関係ではない。

 それでは「ふし」と陽気ぐらしとはどのように結びつくのか。また「ふし」は親神が人間を「たすけるもよふ」で、たすけに結びついているものであるなら、いったいどのような意味で結びついているのであろうか。
 「ふし」を過去、未来からではなく、現在、「ふし」の根底に立脚して考えるとき、「ふし」を与えられること自体どのような意味をもつのであろうか。次にこのような問題を考えてみよう。

 おふでさきに、
 このよふにやまいとゆうてないほどに
 みのうちさハりみなしやんせよ(三,23)
と教示されている。また、
 なにゝてもやまいいたみハさらになし
 神のせきこみてびきなるそや
(二、7)
 このそふぢむつかし事であるけれど
 やまいとゆうわないとゆておく
(四、109)
とも述べられているが、これは一体どのような意味であろうか。

 教内においては「病とは人間の心得違いを知らせ、それを改めさせる手段に過ぎず、神のほうから見れば本来ないものである」とか「病とは実体のない影のようなもので、常に親神に向かっているとなくなる、気にならなくなるものである」等の解釈があります。
 これでは「病とは心一つの持ちようによって、各自が感じているに過ぎない虚像のようなもの」ということになってしまいます。
 もしこのような意味であるなら、病は単に否定的な、あってほしくないもの、ということになるでしょう。

 ではどのように考えればいいのか。
 「やまいとゆうわない」とは、そのような病という現象の有無という意味ではなく、病の意味に関することで、病はこれまで考えられてきたような悪しきもの、たすけと相容れないものではなく、それは「親神がほおきとなって、銘々の胸を」掃除される篤い親心のあらわれ」(『天理教教典』69頁)であること、つまり病とは親神によるいわば強制的な心のほこりのそうじであり、間接的なたすけでもあることを意味しているのではないだろうか。
(「病んで果たす者もある」(M33,7,25)にみられる「果たす」は、したがって親神による心のほこりのそうじと理解される)
 次のおふでさきの意味を考えてみよう。
 このかやしみへたるならばどこまでも
   むねのそふぢがひとりでけるで
(十六,16)

このお歌はふつう、「心通りが現れればどうして澄み切るのか。それは、心の汚れが分かるから掃除するのであって、それを気づかせてくださり、どうでも掃除をせずにおれぬようにしてくださる」と解釈されるが、この解釈では、あくまで人間がそうじをすることになり、掃除が「ひとりでける」ことにならないのではないか。
 親神にとっての「むねのそふぢ」とは、人間のとっての心のそうじ、心を澄み切らせることと同じような、現実、実在と直接結びつかないものではなく、
 にち~~にむねのそふぢにかゝりたら
 どんなものでもかなうものなし
           (十二,73)
 このそふぢどふゆう事にをもうかな
 月日たいないみな入こむで
           (十二、74)
 このよふをはじめたをやか入こめば 
 どんな事をばするやしれんで
           (十五,61)
からわかるように、現実にある出来事が生起してくることであるから、「ひとりでける」とは、心通り現れてくることが、直接的に親神によるそうじである、と考えられるのではないか。

 もしこのように考えることができるなら、このことは単に身上についてのみならず、事情についても当てはまり、事情もまた親神による心のほこりのそうじと考えることができるであろう。