以上「かしもの・かりもの」の第二のポイント、生命の貸与が最高の御守護、大恩との見方をみてきたが、このような意味での「かしもの・かりもの」の教えを、教祖は「貧におちきる」道中によって示されたと思うのである。
したがって「貧におちきる」ことの客観的解釈も、生かされている大恩の観点から見直されなければならないであろう。
客観的解釈とは「貧におちきる」ことは「万人たすけの道場」、「つとめ場所」を目的とする必然的な過程、手段であり、その限り必然的なものであったとの解釈で、表面的に見る限り、妥当性をもつが、よく考えてみると教祖は「貧におちきる」ことによって、単なる形のふしんを目指されたのではないことがわかる。
「つとめ場所」とは、後年示される「ぢば定め」の「ぢば」と、そこにおいてつとめられる「つとめ」を本質とするのであり、「貧におちきる」ことの意義は、あくまで「ぢば」、「つとめ」という観点から再認識されねばならないと思われる。
「ぢば」、「つとめ」とは何か、簡単にみてみよう。
「ぢば」とは、いわゆる「おぢば」といわれている広域をさすのみならず、親神がこの世元初まりにおいて、人間を宿しこまれた場所であると教えられるのであるが、この「ぢば」が本教において、極めて重要な場所とされるのは、単に人間の宿しこみの場所であり、
そのぢばハせかい一れつとこまでも
これハにほんのこきよなるぞや
(十七,8)
と示されるように人間の故郷であるという理由によるだけではなく、人間生命の根源の場所であり、たすけの与えられる場所であることによってなのである。
つまりわれわれが日々生かされているのは、「ぢば」によってであり、その理によって救済が成就されるのである。
このような「ぢば」を教祖が「つとめ場所」の本質として明示されたということは、一見「つとめ場所」の建設の手段にすぎないように思える「貧におちきる」ことが、人間の生命の根源を知らせるために、またそれをとおして「九十九両のめぐみ」、生かされている大恩を悟らせるために、必要であったということになり、われわれが「貧におちきる」ことによって、
このもとをくハしくきいた事ならバ
いかなものでもみなこいしなる
(一,5)
といわれるように「このもと」、生命の根源、「ぢば」が恋しくなり、帰らずにおれないようになる、と思われる。
またこのことは「つとめ」からも言えると思われる。
「つとめ」とは、
「親神が、紋型ないところから、人間世界を創めた元初りの珍しい働きを、この度は、たすけ一条の上に現そうとて、教えられた」(『教典』16頁)聖なる儀式で、「元の理」における人間創造の理、親神の「十全の守護」の理を表した十人のつとめ人衆によってつとめられるものであるが、この「つとめ」も単なる儀式ではなく、生命の根源における親神の「十全の守護」の様式をあらわしたものでもあり、それによってわれわれを生命の根源に立ち返らせ、生かされている大恩に目覚めさせるものであり、われわれが「貧におちきる」ことによって、つとめずにおれないようになってくると思われる。
最後に「さづけ」についてみておこう。
「さづけ」は病だすけのための単なる「をかみきとふ」ではなく、その取次ぎによって、われわれの身のうちに働いている、ともすると忘れやすい親神の「十全の守護」の一端を実感し、病だすけ以上に大きな生かされているという第一義的な御守護に目覚めさせるところに真の意義があるのであり、「さづけ」の徹底によって親神の「十全の守護」、生かされている大恩をより大きくうけとれるようになり、それへの報恩の決意、心定め、実行の結果として与えられるのが「ふしぎだすけ」ということになると思われる。
結び
教祖は「貧におちきる」ことによって、今までのべてきたような意味での「かしもの・かりもの」の教え、つまり今、ここに生かされているということは、親神の「なみたいていな事でない」御苦労によってであり、生かされているということ自体が第一義的な最高の御守護、大恩で、われわれ一人ひとりの足元に「九十九両のめぐみ」として厳然と与えられているということ、したがって人間は貧富、貴賎、正邪を問わず、時代、民族、国境、主義、思想、宗教の相違をこえて、等しく「九十九両のめぐみ」をうける神の子として本質的に平等であること、を教えられたと考えることができる。
したがって「ひながた」とはわれわれが近づくことのできない雲の上の話で、神棚に祀り上げておくようなものではなく、今、ここにわれわれの足元に厳然と実在する事実、「九十九両のめぐみ」を教えるものであり、その事実、生かされている大恩に人間として生かされ続ける限り報じていくことが、われわれにとっての「貧におちきる」ことであり、現代において「ひながた」を実践することの一つの意義といえるのではないだろうか。
もしそうなら「貧におちきる」ことは、従来うけとられてきたように、布教師が教会設立を目指して歯をくいしばって通るような、苦難の道中という、一般の信仰者にとってあまり縁のないような厳しき道中を単に意味するだけではなく、およそ陽気ぐらし、真のたすけを求める者にとって、立場の上下、信仰年限の多少にかかわらず、時代、民族、国境、主義、思想、宗教の相違を超えて、等しく追求されなければならない永遠の課題といえるものであり、それゆえに「万人のひながた」といわれるのであるが、今の旬ほど教祖が「貧におちきる」ことによって教えられた生命の根源に立ち返り、生かされている大恩に目覚め、その報恩にいそしむことが大切なときはないように思われる。
平成二十四年に迎える教会創立百二十周年に向かっての成人目標として、1、おつとめの充実、2、にをいがけ・おたすけの徹底、3、道の後継者の育成が掲げられている。この成人目標に向かって、より真剣な求道と伝道を、生かされている大恩への報恩の一つとして、また曽祖父村上幸三郎が教祖に直々お救けいただいた、これまた大きなご恩への報恩の一つとして、させていただかねばならないと思う次第である。 ( 完 )