2012年2月23日木曜日

No.71 教理随想(22) 「ひながた」の一考察(6)

まず第一の主体性についてみてみよう。
われわれは「かしもの・かりもの」の教理を、神が身体を貸与しているのであるから、われわれを拘束する、主体性をうばう教理としてうけとってはならないことは言うまでもない。

 そうではなく「かしもの・かりもの」によって主体の真の所在が示されるのであり、われわれの自由の根拠が明らかにされるのである。
・・・人間というものは、身はかりもの、心一つ我のもの。・・・  (M22,2,14
によって示されていることは、われわれの主体(魂の問題があるが、ここではふれない)は心一つであるということであるが、この心一つはわれわれの自由の根拠であり、人間の尊厳を示すものであるが、反面では一切の運命の起点として、われわれを厳しくとらえてはなさず、どこまでも責任をとらせ、他に転嫁させることを許さないものであり、その限り人間の主体を制約するものである。
  
なんぎするのもこころから
  わがみうらみであるほどに
       (十下り目、七つ)

    ・・たった一つの心より、どんな理も日々出る。・・・     M22,2,14
との人間に甘えを許さないお言葉は、現代のように科学が万能視され、神話化されている時代において今尚根強い運命からの逃避、責任転嫁を排し、運命に真正面からとりくませ、その立て替えを強く求めるのであるが、この運命と立てかえも、人間は神の子にほかならず、神とは心一つにおいて断絶しているが、身体、物的環境において連続していて、われわれの心一つによって神からの恩寵に浴することができるという「かしもの・かりもの」の本義を解さない限り不可能であるといえよう。

 ところで人間は心一つにおいて神と断絶し、次元を異にするのであるから、本教の信仰の究極目的である神人和楽は、単なる神人合一ではない。
 増野鼓雪氏は『選集 第三巻』の中の「神秘と真理」題する一節の中で「人間は神様の子供だから神様にならねばならん」(184頁)、「人間と神とが合一する事によって、神秘の世界にはいることができ」(190頁)、「第六感の機能が特に発達」(193頁)し、「神様から啓示を受け」(190頁)ることができると述べ、神秘主義的神人合一を説いているが、このように考えると、神と人間とは心一つにおいて同次元ということになり、その断絶面が消えてしまう極めて傲慢な信仰になってしまうのではないか。本教の信仰から逸脱するのではないかと思われる。

 神人和楽とは神人合一ではなく、神と人との親子団欒、談じ合いの関係であり、「人間を親神との談じ合い的存在として見ることこそ、天理教的人間観の根底をなす」(深谷忠政氏『天理教教義学序説』132頁)といえるのであるが、このことは「ほこり」の教理からも言えるのではないかと思う。
 
「ほこり」の教理はキリスト教の原罪や仏教の業、宿業とちがって、われわれを宿命論から救い、積極的な人生観をうちたてる教理であるのみならず、神人関係が「談じ合い」の関係であることを示す教理であるように思える。 

 一般に信仰は、われわれの主体性をなくし、無我になることによって、神仏と一体となることを目的とすると考えられやすいが、「ほこり」の教理は自我をなくすのではなく、自我を澄み切らせ、神と一体になるというより、澄み切った自我が、成ってくる現実を通じて神と対話することを教えるように思われる。

 したがって、
    ・・神は心に乗りて働く。・・・
             (M,31,10,2
との一見増野氏の神人合一説を裏付けるようなお言葉も、神と人が一体となって、人間が教祖のような月日の心になって神格化するという意味ではなく、あくまで人間の心を神が見て、澄み切るに応じて、より神が働くという何ら神秘主義的色彩のないものとして解釈されねばならないと思う。
 
「心一つ我がのもの」によって教えられていることは、運命の真の所在と、神の子として神人和楽、親子団欒を求める神の言うことを、なってくる現実を通して謙虚に聞かなければならないということである。

 次に第二のポイント、生命の貸与が最高の御守護であるとの、つい見落とされやすい見方について検討してみよう。
 さて従来の宗教的人間観においては、どちらかというと人間の精神面が重視され、身体、生命(あくまで有機的、物質的)については、木石と同じようなものとして扱われ、その存在意義は無視、軽視されがちであった。

 仏教、キリスト教においても、一部例外があるが、身体、生命については積極的意義をみとめられず、むしろ信仰の邪魔もの扱いされてきたのであるが、身体が救済の足かせとなっているところには、この世における「陽気ぐらし」は説かれず、せいぜい、あの世、彼岸における天国や極楽か、この世における現実を遊離した精神、魂のみの救いが空しくとかれるに過ぎない。

 そこで本教の「ここはこの世の極楽」との教えが、クローズアップされてくるのであるが、そうであれば当然「かしもん・かりもの」の生命観も、単にそれ自体意義のない生命を親神からお借りしているというような単純なものではなく、もっと深い意味をもつはずである。

 ところで本教においては、従来親神による人間創造の秘業が、人間創造の元一日として強調されてはいるがその元一日が今、ここにわれわれが生かされていることと直接に(といってもわれわれにとっては「生まれかわり」、「出直し」によって媒介されているが)結びついている点については、軽くみられてきたように思われる。

 つまり人間創造の「元初まり」が、単なる過去の事実、出来事としてのみ、考えられてきたように思われる。
 この点について次のおふでさきを検討してみよう。

 いままでも今がこのよのはじまりと
  ゆうてあれどもなんの事やら
            (七,35)
この意味は「なんの事やら」といわれているように難解でいろいろ解釈されている。

「今」を入信したときと解し、「入信したときが、陽気ぐらしの世界の始まり」でそれが「その人にとっての、この世の始まりである」との解釈や、「今がこのよのはじまり」を、 
 このよふをはじめかけたもをなぢ事
  めづらし事をしてみせるでな
          (六,7)
から理解して「つとめによって『元初まり』と同じ働きをあらわして人間をたすける」との解釈もあるが、どちらも不十分ではないかと思う。では「今がこのよのはじまり」はいかに解釈されるのか。

2012年2月15日水曜日

No.70 教理随想(21) 「ひながた」の一考察(5)


「水を飲めば水の味」との一見当たり前で何の変哲もないように思えるお言葉には、本教教理のエッセンスが濃縮され、くめどもつきない深い味わいがあり、われわれの心を強くひきつけてやまないのであるが、前述のように、それは燃えるような「生命の讃歌」に等しいお言葉であり、この讃歌をぬきにして「貧におちきる」ことを語ることは、その意義を軽視するか、歪めることに他ならないと思われる、。
 
「水を飲めば水の味」にみられる救済観を少し検討してみよう。
 さて先述したように「水を飲めば水の味」によって、生かされていることが最高の御守護であるとの救済観が示されているのであるが、この本教独自の救済観はしたがって単に心さえ救かれば、身体、物はどうでもよい、というような現実を遊離したような救済観ではない。

 また今ここにあるがままの現実を、詭弁を弄して即救済の成就である、と認めるような神秘的な救済観でもない。また物、自己への執着を根強く残したまま、形の上のご守護にのみこだわる救済観でも無論ない。

 そうではなく形、物の上の目に見えるご守護をご守護として受け取ることは、もちろんであるが、それにとどまらず今、ここにこうして生かされていることが第一義的なご守護であり、ここから身上や事情がなくなる等のご守護が第二義的なものとして派生してくることを教える救済観である。

 本教においても「やますしなすによわらん」、「百十五才ぢよみよ」、「りうけいがいさみでる」、「せかいよのなかところはんじよ」等のご守護が説かれるが、それらは決して明日の幻想的なご利益ではなく、われわれにとっては現実的で切実な、結果として与えていただかなけれならないご守護である。しかしいかに喉から手の出るくらいほしい切実なものであっても、あくまで第二義的なご守護であり、第一義、第二義の本末を転倒してはいけないことを教える救済観である。

 本居宣長の『神のめぐみ』と題する一節を少し長いが引用してみよう。
 「たとへば百両の金ほしき時に、人の九十九両あたへて、一両たらざるが如し、そのあたへたる人をば悦ぶべきか、恨むべきか、祈ることかなはねばとて、神をえうなき(用のない)物にうらみ奉るは、九十九両あたえたらむ人を、えうなきものに思ひてうらむるがごとし、九十九両のめぐみを忘れて、今一両あたへざるを恨むるはいかに」(『玉勝間』下、岩波文庫226頁)
 
つまり生かされているということは「九十九両のめぐみ」で、物、形の上のご守護は、たとえそれが巨億の富であっても、所詮一両いや一分、一朱にも満たないもの、その得失に一喜一憂する価値のないもの、第二義的なものにすぎず、心の成人に応じていくらでも結果として与えていただける、ということを教える救済観である。

 われわれはともすると、いかなる逆境、物質的貧困にあっても、その中、心倒すことなく生かされている喜びを忘れることなく、人だすけにつとめると、そのうちに状況が変わり、物に恵まれ、運命がよくなってくる、との見方が「貧におちきる」道中によって示されていると考えやすい。
 したがって
いまのみちいかなみちでもなけくなよ
  さきのほんみちたのしゆでいよ
           (三、37)
のおふでさきが、人だすけの上で貧に落ちきっている人を勇気付けるために、よく引用されるのであるが、ここにある「さきのほんみち」とは単に一粒万倍の形の上のご守護だけを示す言葉であるはずがない。

 したがって先のお歌の意味は「今は苦労の道中を通っていて、つらいかもしれないが辛抱してくれ、そのうちに褒美を与えるから、それを楽しみにしていよ」というような意味ではなく、むしろ「今はまだ心の成人ができていないので、物や自己への執着が強く、貧はつらいものかもしれない。しかし人だすけを通して成人するにつれて、執着、欲の心がとれて、貧にあっても、裕福であっても、もはや物にとらわれない楽しみづくめの生活、生かされていることが有り難い最高の御守護と悟れるような見方がおのずとできるようになってくる」と解されねばならないと思われる。

 「さきのほんみち」とは一時的に欲望を抑えるだけの禁欲の過程をへて到達される、形の上の万倍の御守護に浴するような卑俗なみちではなく、形の上の御守護に執着しない、貧にあっても、財があっても、、楽しみづくめの「ここはこのよのごくらくや」において示されている境地であり、生かされていることが最高の御守護と悟れる、「生命の讃歌」を高らかに歌い上げる道なのである。
 
しかしこの「生命の讃歌」における生命の肯定は、欲望、本能、情念、感性等をあるがままに、直接的に是とするような卑俗なものではない。また単に人間的生命だけが讃えられる人間主義でもない。

 そしてこのような意味での「生命の讃歌」こそ、他宗と決然と一線が画される本教独自の教えであり、対立抗争にあえぎ、物質的繁栄に酔いしれ、酔生夢死の生き方をしている現代の多くの人々にまさに希求される、世界に真の平和をもたらす教えなのである。

 ところでこの「生命の讃歌」の基礎となる教えが「かしもの・かりもの」の理にほかならないのであるから、教祖は「貧におちきる」ことによって結局「かしもの・かりもの」の理(「神の懐住居」、「一列兄弟」は視点が違うだけで同じ教えである)を教えられた、ということになる。

 次に「かしもの・かりもの」の理を詳しく検討してみよう。
 さて、 
めへ~~のみのうちよりのかりものを
 しらずにいてハなにもわからん
           (三,137)
のおふでさきを引用するまでもなく、「かしもの・かりもの」の理は、本教の根本教理で、本教の信仰は、この教理に始まり、この教理に終わると言ってもいいくらいであるが、この教理には次の二点が大切なポイントとしてあるように思われる。
 第一は真の主体性で、この教理によって人間の主体の所在と根拠が示される。そして第二は今まで述べてきたように、つい見落とされやすい生命の貸与が最高の御守護との見方である。

2012年2月11日土曜日

No.69 教理随想(20) 「ひながた」の一考察(4)

われわれは物への執着は、物に恵まれているから生じるのであって、物を手放せば、それで執着をとることができると思いやすいが、よく考えてみると、物に恵まれた人よりも、かえって形の上の貧にある人のほうが、物への執着が強い場合もあり、物がなくても執着が生じるのであるから、物を手放せば執着を取ることが出来るとは単純に割り切れないのである。

 物への執着とは、単なる物へのとらわれであるのではなく、その本質は物に対する我がもの意識、排他的自己意識であり、利己的な自己、つまり、
    ・・俺が~~というは、薄紙貼ってあるようなもの。先は見えて見えん。・・・・
           (M24,5,10
において戒められている高慢な自我が、執着心の根底に深く潜んでいて、それが対物、対人関係において、をしい、ほしいという物へのよくとなり、またにくい、かわい、うらみ、はらだちという自己中心の高慢のほこりとなって現れてくるのである。
 八つのほこりとは、このように考えると、物への執着であるよくと、その根底にある自己への執着、高慢の二つに集約され、物への執着をとることを通して、結局自己への執着をとることを教えられたのである。

 ところでこの自己への執着とは、教祖が嘉永七年(母屋とりこぼちの翌年)のをびや許しをはじめる際に言われた「人間思案は一切要らぬ」の人間思案でもあるから、これを捨て親神の思召どおりにすること、つまり神一条になることを「貧におちきる」ことによって示されたとの解釈が成り立つように思えるが、しかし先述したように、神一条といっても、本教独自のものではなく、その内容が明らかにされない限り、「貧におちきる」ことの解釈として不十分であると思われる。

では神一条とは何か。
一般に神一条というと、人間思案、人間性を否定した神のみの立場、そこでは人間が無に帰してしまうような主体性なき立場が意味されているように思われやすい。しかし本教においては、従来考えられてきた、また他宗において見られるような立場であるではなく、「人間の真実の生き方、本当の在り方を会得させ」、「最も人間を価値あらしめて行く上の神一条」であり、「人間生命の根を培うこと、これがこの神一条の道」(『諸井慶徳著作集』第7巻1~3頁)なのである。

神一条とは、このように「人間生命の根を培う」つまり人間の根拠、在り方を明示する道であり、此の限り「貧におちきる」ことによって教祖がわれわれに示された根本精神であると言えるのである。
 つまり「貧におちきる」ことによって、「人間の生命の根」、われわれ人間は親神によって生かされているという厳粛な、全ての人間に無条件に存する確固たる生命の根源を教えられたのである。

 「貧におちきる」という日常性を破壊する徹底した御行為によって、教祖は人間の存在、自己そのものを、ただそれだけで実在する、自明のものとして前提する「あざない」人間、つまり人間の生命の根底については、何も知らず、いわば根無し草のごとく、うつろに行方知れずただよい、目で見え、手で触れることのできる様々な形や動きのみを関心の対象としている「いぢらしい」人間、存在の根拠から遊離して、虚しい自己を絶対化し、異常な欲望と執着のとりことなって、ニヒルな気分にむしばまれているこの人間をたすけられるに先立ち、人間の生命の根拠を開示され、しかもその根拠が「唯一の大いなる奇蹟「(滝沢克己著『宗教を問う』170頁)であり、人間にとっては生かされていることが「絶対無償のこの神の恵み」(同書268頁)であり、「ただ感謝してこれを認めるほかない」(同著『現代の事としての宗教』281頁)事実であることを教えようとされたのである。

教祖が母屋とりこぼちの後に通られた赤貧のどん底の生活の中で仰せられた、
    ・・・水を飲めば水の味がする。親神様が結構にお与え下されてある。・・・・
        (『教祖伝』40~41頁)
とのお言葉の真意は、そのような観点から理解されなければならないと思うのである。
 
「水を飲めば水の味」とのお言葉を検討してみよう。
 普通このお言葉は、
・・・枕元に食べ物を山ほど積んでも、食べるに食べられず、水も喉を越さん言うて苦しんでいる人・・・(『教祖伝』40頁)とちがって、われわれは健康に生かされている、だから有り難い、と「健康」にポイントが置かれて理解されるのであるが、それにとどまらず、「生かされている」ことにポイントを置いて、生かされていること自体が有り難い、生かされていること自体が第一義的な最高の御守護であることを意味していると思うのである。

なぜなら「水を飲めば水の味」の境地は「貧におちきる」ことによって、自己への執着をとり、心澄み切った末に到達される境地であるから、もはや健康や病気、苦楽、貧富(「どれ位つまらんとても、つまらんと言うな。乞食はささぬ」の意味もこの境地に立ってはじめて理解される)等にとらわれず、それらを相対化しうる境地であり、しかも「水の味」という現実的な生命感覚に立脚し、生かされていることを第一義的に享受する境地だからである。

「水を飲めば水の味がする」とは、したがって単に生かされている喜びがわかるとか、物への執着をとった後の単なる精神的な救い、魂の救いを示されたものではなく、まさに
  ここはこのよのごくらくや
  わしもはや~~まゐりたい
         (四下り目、九つ)
の境地であり、神人和楽の陽気ぐらしとは何かを、つまり人間にとって救済の完成、成就とは何かを端的に示されたお言葉なのである。

 「水を飲めば水の味」によって示されていることは、人間は親神によって生かされていることと、生かされていることが最高のご守護であるとの、これまでの人間観、救済観を根本からくつがえす教えなのである。
 「水を飲めば水の味がする」と一見赤貧のの中で淡々と物静かに語られているように思えるが、教祖はそれによって燃えるような「生命の讃歌」(飯田照明氏『ムック』四号33頁)を朗々と歌い上げられ、それを「つとめとさづけ」、「元の理」を通して人間に伝えんと御苦慮されたように思えてならないのである。
二十五年もの長きにわたる御苦労、いや「ひながた」五十年の御苦労も、まさにこの点にあった、と思われる。

2012年2月3日金曜日

No.68 教理随想(19) 「ひながた」の一考察(3)


 このような主観的解釈は、
「貧に落ち切らねば、難儀なる者の味が分からん」(『教祖伝逸話篇』四)
・・・難儀不自由からやなけにゃ人の難儀不自由は分からん・・・  M23,6,12
等において、また「貧におちきる」ことを一切の人間思案を捨て、心を裸にして親神の思召どおりになること、つまり神一条になることとみる解釈においても示されているが、結局物を手放すことによって、心の執着を取り去ることを目指しているという点で共通していると言える。
 つまり「貧におちきる」ことは、心のほこり、執着をとるということになるのであるが、しかし単に心の執着をとり、神一条で通ることを教えるために、また物や形の上で不自由する中に、人の苦しみや悩みがわかる人間になることを教えるためにのみ、教祖は二十五年もの長きにわたる「貧におちきる」道中を通られたのであろうか。

 なるほど神一条で通ることが、本教において大切なことは言うまでもない。しかしただ神一条と言うだけなら、およそ宗教において神一条を強調しないものはないから、特に本教独自のものとは言いがたい。
 問題は神一条の内容である。また形の上で自ら進んで不自由することによって悩める人と共感する、といっても特に本教独自のこととはいえない。とするなら「貧におちきる」ことは、他宗においても表現こそ違え、みられるにすぎないようなものなのか。もし他宗と異なる本教独自の点があるとすれば何か。この問題を次に考えてみたい。

 さて『教典』六頁に、
「教祖は、世界の子供をたすけた一心から、貧のどん底に落ち切り、しかも勇んで通り、身を以て陽気ぐらしのひながたを示された。」
と記されているように、「貧におちきる」御苦労はわれわれ人間をたすけたい一心から通られた道中であることは、「世界一列をたすけるために天降った」との立教におけるご宣言を引用するまでもなく明白であり、このたすけ一条を除外して「貧におちきる」ことの意義は考えられないのであるが、一見自明のことのようにみられる、たすけ一条と「貧におちきる」ことがどのようにつながるのかと考えると決して明らかではない。
 「程越し」の施しによって貧しい人を救けられた、と一見思われるが、実際に施しをうけた人が、ほとんど道についていない史実をみるとき、一時的に物質的困窮を救うために貧に落ちきられたとも思われない。

「大きなたすけ一条の道の確立に向かうという大前提の最初の段階としての『貧に落ちきる』道」(矢持辰三氏『ひながたを温ねる』9頁)との解釈をみてみよう。
 この解釈によると「貧におちきる」道中によって、教祖は「たすけ一条の道の確立」を目指された、ということになるが、「たすけ一条の道の確立」といっても、それが具体的に何を意味するのかあきらかではなく、それを「ひながた」の後半二十五年において急き込まれる「つとめ」と解しても、「つとめ」の前段階として「貧におちきる」道中があるというにすぎず、「つとめ」と「貧におちきる」ことがどのようにつながるのか分からない。

 ではたすけ一条と「貧におちきる」ことはどうつながるのか。
 私見によれば「貧におちきる」道中は、たすけ一条の道中ではあるが、貧しい人をたすけることが直接の目的ではなく、人間をたすけるに当たって、従来自明のごとく思われてきた人間とは何か、また神とは何か、神と人間とはいかなる関係にあるか、たすかるとはどのようなことか、これらのことを「貧におちきる」という常軌を逸した御行為によって示されたと思われる。
 したがって世界に向かっての本格的なたすけ一条は、
  よう~~ここまでついてきた
  じつのたすけハこれからや
      (三下り目、四つ)
(「これから」とは深谷忠政氏『みかぐらうた講義』によると、元治元年のつとめ場所のふしん以降)と示されるように「ひながた」の後半二十五年において展開されることになる。
 
つまり教祖は「ひながた」後半の中心となる「つとめとさづけ」を教えられるに先き立ち、「貧におちきる」道中によって、人間にとって救済の完成、成就とは何かという救済論を理屈抜きで、まさに命をかけられて教えられたのであるが、それが従来のものと根本的にことなるものであるが故に、常識はずれの御行為となったのであり、そしてその救済論を後半の二十五年において「つとめとさづけ」、「元の理」として基礎付けられ、さらに展開されていかれたと考えるのである。

 またこのように考えることによって従来並列的に並べられ、どちらか一方にのみ重点が置かれて論じられてきた「ひながた」前半、後半の「貧におちきる」ことと「つとめとさづけ」の関係が、救済論のいわば実践篇と教理篇のごとき相補的、必然的なものとして理解できるのではないかと思われる。

 ではまず「貧におちきる」ことによって示された人間観、救済観とは何かみてみよう。
 さて先に引用した、
「物を施して執着を去れば、心に明るさが生まれ、心に明るさが生まれると、自ら陽気ぐらしへの道が開ける」との解釈は「貧におちきる」ことの代表的な解釈として、よく引用されるが、ここに述べられている執着とは何か、また執着をとるとはどういうことか考えてみよう。
 執着というとふつうは物への執着、つまり物質本位の考え方、物や財産の多寡が幸不幸に結びつくとの見方とうけとられ、この物への執着が物に恵まれているにもかかわらず、さらに求める心となり、日々不平不満をもたらし、不幸の一番の原因になるとみなされる。そこでこの物への執着をとるために、物や財産を施すのであり、それによって物にこだわらない不動の心、喜びの心が生まれ、陽気ぐらしが実現される、と説かれるのであるが、この物への執着が物を一切施しても、簡単にとれないところに、「貧におちきる」ことの難しさがあるのである。

2012年1月24日火曜日

No.67 教理随想(18) 「ひながた」の一考察(2)

氏は客観的解釈をさらに敷衍して、一般教会の道の先達の通り方と教会設立との間にも、教祖の場合と同じ必然性がみられると考えているが、このような見方は「貧におちきる」ことの意義を、かえって誤解させることになるのではないかと思われる。
 なるほど道の先達は「貧におちきる」ことを教祖にならって家屋敷、財産を納消することと解し、人だすけにつとめた結果、教会、たすけ道場をご守護いただいたのであり、その限り、かって教祖が、おぢばにおいてなされたことが、時、場所、形をかえて再現されたのであるが、ここでの必然性は、形の財産の納消と、教会という目に見える形でのご守護を結びつけるにすぎないといえる。

 つまりここで必然性を強調することは、「貧におちきる」ことを単に形の上からのみみて、ご守護を単に形の上の目に見えることに限定することになるのではないか。 
 しかし「貧におちきる」ことの意義を問うわれわれにとっては、形の上の「貧におちきる」ことと、形の上の御守護(たとえそれが個人の所有ではない教会のようなものであれ)とは必ずしも直結しないと思われる。

 教会や一粒万倍の形の上のご守護は、形の財産を納消する「貧におちきる」ことを手段とする目的では決してなく結果にすぎず、教会設立を目指して、あるいは形の上のご守護を目的として「貧におちきる」ことは、教祖の厳しく排された、よくにとらわれたご利益信心になるのではないか。
 そのような「貧におちきる」道中は、将来の形の上のご守護を期待する、忍耐、我慢、辛抱の道中に過ぎず、期待通りの成果が現れないと心をたおし、不足するような「貧におちきる」ことの本質から逸脱した通り方であろう。

 なるほど道の先達は「貧におちきる」ことを文字通り形の上の財産の納消とうけとったのであるが、しかしそれを教会設立とか形の上のご守護を得るために、せざるをえないことと考えたのではなく、それを御恩報じ(何に対する報恩か、という問題があるが、それについては後述する)として、せずにおれないことと考え、人だすけに励んだ結果、自ずと形の上のご守護を与えられたのではないか、と思われる。

ではわれわれにとって形の上での「貧におちきる」ことの目的とは何であるか。
 よく使われる裸(「貧におちきる」こと)と風呂(「陽気ぐらし」)のわかりやすい比喩や「人間を造り、その陽気ぐらしをするのを見て、ともに楽しもうと思いつかれた」(『教典』25頁)との記述から考えると、目的は「陽気ぐらし」ということになるが、「陽気ぐらし」は人間創造の目的ではあっても、それは親神の立場からであって、われわれ人間の立場からは、「陽気ぐらし」は結果として自ずと与えられるものであるから、「貧におちきる」ことの目的とは言えないのではないか。 

一体「陽気ぐらし」を目的とすることは何を意味するのか。
 われわれが「成ってくる理」を素直にうけとれず、喜べないとき、常に形の上の御守護(身上、事情がなくなるなどの)「陽気ぐらし」を目的として前もってもち、それと成ってくる結果と比較するからではないのか。そのような「陽気ぐらし」を目的とすることは、形の上の守護にとらわれた御利益信心を説くことになるのではないか。

このことは「陽気ぐらし」を客観的条件(物、金、健康等)に依存しない主観的な「陽気づくめ」、「陽気ゆさん」であると言っても同じことである。
 なぜなら「陽気づくめ」という、逆境や「ふし」にあっても可能な精神状態であっても
 
 いちれつに神がそふちをするならば
  心いさんでよふきつくめや
          (三、54)
に示されるように、神の守護の結果として与えられるものだからである。
  では目的とは何であろうか。
 母屋とりこぼちのときに教祖の言われた「世界のふしん」とは、単に形のふしんであるのみならず、「心のふしん」でもあり、「形のふしんに先行する心のふしん」を「形のふしん」を手段、「心のふしん」を目的として理解するとき、目的は「心のふしん」ということになるのではないだろうか。
 
だん~~とこどものしゆせ
まちかねる
  神のをもわくこればかりなり
          (四,65)
の「こどものしゆせ」とは常識的な立身出世の意味ではなく、心の成人の意味で、成人とは「親の思いに近づくこと」であり、これがわれわれにとっての「貧におちきる」ことやわれわれの信仰の目的でなければならない。
 
そして前真柱様が「ひながたの道は御恩報じの道」(昭和五十七年秋季大祭神殿講話)という趣旨のことを述べておられるように、「貧におちきる」ことを御恩報じとして通る中に、結果として自ずと「陽気ぐらし」が与えられることになると思われる。
 このように考えることができるなら、「貧におちきる」ことは、信仰を続ける限り、一粒万倍の形の上のご守護がみえたあとも、いやそういうときこそ実践されねばならない「信仰の出発点、原点であると同時に帰着点」(「あらきとうりょう」91号16頁)であると思われる。

 次に西山氏の主観的解釈を検討してみよう。
この解釈は、「物を施して執着を去れば、心に明るさが生まれ、心に明るさが生まれると、自ずから陽気ぐらしへの道が開ける」
   (『教祖伝』23頁)
との見方に基づくもので、「貧におちきる」ことによって、世界の対立抗争の原因となり、陽気ぐらし実現をさまたげている物への執着を取り去ることを教えられたのである、とみなされる。
 
したがって「貧におちきる」ことは、必ずしも形の財産を手放すことを意味せず、例えば気位が高く、人にきらわれ不幸になっている美人が、美人であることを鼻にかけることなく、心優しくなることも「貧におちきる」ことになり、自分中心の、よくにとらわれた心、ほこりの心づかいを改め、相手をたすける心になることを「貧におちきる」御苦労によって、教祖がわれわれに教えられた、ということになる。

2012年1月17日火曜日

No.66  教理随想(17) 「ひながた」の一考察(1)

私の曽祖父である村上孝三郎(泉東分教会初代会長)が、『教祖伝逸話篇』72「救かる身やもの」において示されているように、不治の病を教祖より直々おたすけいただき、ご恩返しとして、たすけ一条に邁進し、その結果教会名称のお許しを頂いたのは、明治25年5月であり、立教175年(平成24年)10月に創立120周年を迎える。

 このような千載一遇の尊い三年千日の旬を迎えて、私は信仰の元一日にたいする思いを新たにし、たすけ一条へのなお一層の決起を誓うとともに、「白紙に戻り 一より始める」この旬に、自分なりに信仰の原点を教理的に問い返し、再確認したいと思って、テーマとして信仰者にとって永遠の指針である「ひながた」を浅学菲才をかえりみず、選ばせて頂いた。
 さて「ひながた」には、われわれよふぼくが道を通る上での手本、雛形としていろいろの道すがらを、お残しくだされているのであるが、現代に生きるわれわれにとって「ひながた」を通るとは、具体的にどのようにすることなのか、となるといま一つはっきりしていないように思われる。

 教祖の道すがらの外形、ご行為をそのまま真似ることなのか。あるいは道すがらに一貫する精神をとりだし、それをわれわれの行為の規範や日常生活の目標として通ることなのか。あるいはもっと別のことなのか、判然としない。
 またそもそも教祖はなぜ、そのような道を通られたのか。われわれはなぜ「ひながた」の道を通らねばならないのか、等々の疑問が次々にわいてくるが、
・・・ひながたの道を通らねばひながた要らん。・・・      (M22,11,7
とまで仰せられるからには、そこに深い意味があるにちがいないと、思われる。
 
そこで以下において「ひながた」を考えるにあたって一番理解することが難しく、実践するに際して、躓きとなり、誤解をうけやすい「貧におちきる」とは何か、それの現代的意義は何かを考えてみたい。
 したがって「ひながた」五十年の道すがらの前半二十五年を「貧に落ちきられる」道すがらと理解し、それがどのような意味を持つのか、「つとめ」と「さづけ」を中心とする後半の二十五年の道すがらとどのように結びつくのか、また「貧におちきる」ことの考察から派生する問題について考えてみたいと思う。

 ここで「貧におちきる」ことの意義について考えるのは、教祖が貧に落ちきられた道すがらの意義が、現代において軽視されたり、歪められていることが、教勢の低迷、布教意欲の低下、信仰のいずみ等の本教の将来の存亡、興亡にかかわる重大な問題の一つの遠因となっているのではないか、と危惧するからである。

 さて「貧におちきる」ことについては、従来教内外において種々の解釈がなされているが、ここでは西山輝夫氏の解釈(『新教理随想』、『ひながたを身近に』)を主としてとりあげ、検討してみたい。
 氏は「貧におちきる」ことについて、主観的、客観的の二つの解釈が成り立つと考えているが、先に客観的解釈とは何かみてみよう。
 客観的解釈とは「教祖が貧におちきられた行為を永い時間の経過の中で観察し、検証し、その中から何が生じてきたかという姿を見定め、それによって改めて、貧におちきることの必然性を認識」することであるが、それによると「貧におちきる」ことは、「決してあるものをなくしていくというのではなく、実は万人たすけの道場を建設するための前段階として必要であった」(『ひながたを身近に』46頁)ということになる。

 氏によると、この解釈の成立する根拠は、立教のときの「この屋敷にいんねんあり」というお言葉で、中山家の私有財産である家屋敷は、「やしきのいんねん」によって神のやしきとなる必然性があり、そのために教祖は邪魔になる一切のものを「程越し」されたとみなされる。
 したがって教祖が嘉永六年に、人間の目からみると、中山家の没落を示す母屋とりこぼちのときに言われた「これから、世界のふしんに掛かる。祝うて下され」との常識をこえたお言葉の意味も理解されてくる。

 つまり「世界のふしん」は約十年後の「つとめ場所のふしん」となって、具体化の第一歩がしるされ、さらに「ぢば定め」へとつながっていくのであるが、「つとめ場所」も「ぢば定め」もともに元の中山家の母屋のあった場所に相当し、母屋のとりこぼちは破壊ではなく、建設、ふしんであることが理解される。
 「世界のふしん」は結局「中山家の母屋のとりこぼちなくして成立せず、母屋とりこぼちは教祖が家族もろ共、貧のどん底に落ちきられることなくしてあり得なかった」(『ひながたを身近に』47頁)

 以上が客観的解釈であり、このような解釈は史実に基づき、形あるものによって証拠づけられているだけに、普遍妥当性をもつように思えるが、よく考えてみると、この解釈は形のうえの「貧におちきる」ことを単に手段として、それ自体積極的な意義をもたないものとしてみていることがわかる。
 つまり「つとめ場所」、「世界のふしん」(目に見える形での)が主であって、形の上の「貧におちきる」ことは従の第二義的な、消極的な意義しかもたない、ということになる。

 なるほど客観的解釈は、教祖の「貧におちきる」道中は、「つとめ場所」、「ぢば定め」が可能となるために、なくてはならぬものであり、お通りいただかざるを得なかった道中であり、その意味で必然的なものであった、と理解させるが、この解釈は「貧におちきる」ことを「つとめ場所」等が可能となるための単なる手段とみるかぎり、現代のわれわれにとっては積極的な意義をもたないことになるのではないか。

 それは賃金を得ることを目的とする物や形にとらわれた苦役としての労働と同じようなものではないか。もしそうであるなら「貧におちきる」ことは「万人のひながた」(『教典』45頁)であるのではなく、教祖の、教祖による、教祖のための「ひながた」となり、「ひながたの道を通らねばひながた要らん」とのお言葉の意味がなくなり、教祖だからこそ、あのような道中が何の苦もなく通られたのであって、われわれはとても真似が出来ない、としりごみさせることになるのではないか。

2012年1月4日水曜日

No.65 教理随想(16) 「ふし」の意味(6) (完)

最後に「たんのう」が、
    ・・たんのう理諭そ。よう聞き分け。人間かりもの持って日々という。・・・
              (M30,8,31
と教示されるように、かりものと結びついている意味を、次のみかぐらうたを手がかりにして考えてみよう。
   やむほどつらいことハない
   わしもこれからひのきしん
(三下り、八つ)
 このおうたは「病気で苦しまねばならぬ事ほど、辛い事はない。このことを思えば、身上壮健で働かせていただけることは、どれほど有り難いことかわからない。この感謝の心から、日々明るく神恩報謝に尽くさせていただくことが、ひのきしんである」と現在では一般的に解釈されているのであるが、この解釈によると「これから」とは身上をたすけられ、壮健になってから、ということになる。

しかし、このお歌にはより深い意味が含まれているのではないか。
 よく身上になってはじめて健康の有り難さがわかると言われるが、もしそうなら身上は単に辛い、惨めなもので、ご守護のない姿、有り難くないものになってしまう。また健康の有り難さといっても、健康になるや否や、すぐに忘れられるものになってしまうであろう。

 そうではなく身上になってはじめて、それまで忘れていた、気が付かないでいた、生かされているという厳然たる事実(身上をたすけられたことや身上壮健であることと比較を絶する大きな第一義的な御守護「生かされている大恩[これについては別稿にて詳説]」に改めて目覚め、その有り難さが分かるということではないだろうか。
 したがって先のお歌は、病は確かに辛いものではあるが、それによって生かされている大恩に目覚め、それへの報恩の念が自ずと湧いてきて、ひのきしんをせずにおれなくなる、という意味であると思われる。

このことは次のおふでさきからも考えられるのではないか。
  にんけんにやまいとゆうてないけれど
  このよはじまりしりたものなし
            (九,10)
  このもとをくハしくしりた事ならば
  やまいのをこる事わないのに
           (三、93)
「このよはじまり」、「このもと」とは人間の生命の単なる歴史的な起源ではなく、歴史の根拠となる生命の根源、今、ここにわれわれの足元に厳然と実在する事実であるが、この事実の有り難さを忘れ、生命の根源から遊離して虚しい自己を絶対化するところに、よく、こうまんのほこりが生じ、それが病の原因となるのであるから、病とは結局それによって生かされているという厳然たる事実に目覚めさせることに、その存在意義があることを先の二つのお歌は教えていると思うのである。

 いんねんの教理に基づく「ふし」の見方において、元のいんねんに言及しなかったが、元のいんねんとは人間は陽気ぐらしをするべく創造され、たすけられる可能性があるというような「可能性としてのいんねん」(西山輝夫著『見て共に楽しむ』)を単に意味するのではなく、「この世・人間の生命を支える大きな流れ」(深谷善和著『お道の言葉』)とでもいえる現実的、実在的なものであり、いんねんと元のいんねんとは表層、深層の重層的な関係においてあると考えられるので、いんねんも結局のところ、元のいんねん、生かされている厳然たる事実、生命の根源に目覚めさせるところに、その存在意義があると思われる。

 以上のように考えることができのなら、「たんのう」における楽しみ、喜びとは、「ふし」が先に見たように、ほこりのそうじであり、間接的なたすけであることから生じるのみならず、より根源的には「ふし」によって、生かされている事実に目覚め、その有り難さを改めて感じるところに自ずと生まれてくるもので、それはまた生かされている大恩への報恩の念と同じものであると考えることができる。

 また「たんのうは前生いんねんのさんげ」の「さんげ」とは単に過去の心づかいの謝罪であるのみならず、将来に向かっての心定めでもあるが、その心定めは結局生かされている大恩への生涯末代の報恩の心定めでもあり、その実行(つとめとさづけを中心とする、たすけ一条の実践)が、まだ多く残っている心のほこりのそうじ、前生いんねんの納消を可能にし、結果として「ふしぎたすけ」、「めづらしたすけ」に浴せることになるのではないかと思われる。
 本教における「ふし」は、以上のような意味で、有り難い御守護とも言えるものであり、この点において他宗の「ふし」のとらえ方と根本的に異なると考えるのである。