2012年5月23日水曜日

No.81 教理随想(32) 「元の理」と進化論(1)

今回は「元の理」と進化論について考えてみよう。
 科学と宗教が厳しく対峙することなく、両者が相互に関わらない世界で矛盾無く働いている日本において、進化論対宗教という図式は成立しがたいのであるが、キリスト教の伝統を根強く持っているアメリカにおいては、人間のルーツをめぐって「進化論」か神による「創造説」かという問題が盛んに論じられている。

 レーガン政権下、生物学の授業に「進化論」だけでなく「創造説」も加えよ、という訴訟が保守回帰の風潮とあいまって多数おこされ、ある州ではすでに法案が州議会を通過しているとも言われている。レーガン大統領も選挙運動中に「進化論」に疑問を投げかける発言をして、創造派の票を集めたといわれている。

 人類の起源をめぐって科学者同士が創造派と進化論派に分かれて対立し、法廷で争われ社会問題化しているのであるが、では「元の理」と進化論とはどのように考えられるのであろうか。

 「元の理」における「虫、鳥、畜類などと八千八度の生れ更り」、「めざるが一匹だけ残った」、「この胎に男五人女五人の十人ずつの人間が宿り」という記述は、一見するといかにも進化論的で、ここから「元の理」と進化論を同一視し、進化論によって「元の理」を権威付けたり、科学的な証明を云々したりする向きもあるかもしれない。

 またダーウインの『種の起源』が出版されたのは一八五九年(「つとめ場所」のふしんの五年前)であるから「元の理」は進化論の影響を受けている、との見方をする人もいるかもしれない。

 これに対して本教の立場から「生物進化論は科学の仮説であって、改訂される時があるかもしれないが、元の理は永久不変である。前者を以って後者を権威付けようとする試みは科学と宗教の次元の相違に気づかない乱暴な乱暴な論法である」(深谷忠政著『元の理』68頁)との反論がだされるが、しかしこのような反論も一見もっともなようにみえて実は抽象的で「科学の仮説」はどの点にあるのか、また「元の理」が永久不変であるのはどの点か、については明確ではない。

そこで「元の理」と進化論の関係のまえに、そもそも進化論とは何か先にみてみよう。
 進化とは簡単にいうと生物のある種が世代交代を重ねるうちに別の種へと変化していく現象(例えばサルが人間へと変化すること)で、その現象の原因を究明するのが進化論であるが、進化論といっても百家争鳴の状態で一つの確固たる理論があるわけではない。(『進化論を愉しむ本』別冊宝島には十二の理論が紹介されている)
 ここではその中の代表的なダーウインの進化論をとりあげ、検討を加えたみたい。

 さて彼の進化論の骨子は、種個体群の中に環境の影響をうけて優劣の個体差ができ、そのうちの優れたものだけが生き残るという自然淘汰の理論である。この自然淘汰は自然選択、適者生存ともよばれるが、この理論はちょっと検討すると、すぐに矛盾をさらけだすことになる。

 まず第一点は自然淘汰は単純なものから複雑なものへ、構造上劣ったものから、優れたものへ、と説明するが、自然界には今現在においても優れたものと劣ったものが同居し、単純なものが淘汰されていないのはなぜか説明できない。

 第二点は自然淘汰とは要するに生存競争の結果、最適者だけが生き延びるという原理であるが、この原理は単に生き残る適応性をもった個体は、適応性をもたない個体よりも生き延びる可能性が大きい、という自明のことを示しているに過ぎず、一種の同語反復におちいっている。最適者とは、本質的に子孫をたくさん残すものであるから、こん原理は多くの子孫を残すであろう個体は多くの子孫を残すという結局は何も教えない原理に過ぎない。

 ダーウインの進化論については、この自然淘汰の矛盾のみならず、他の矛盾もいくつか指摘されている。それを簡単に列挙してみよう。
 まず化石における矛盾で種と種のあいだの中間種(例えば魚と両生類のあいの子のようなもの)の化石がなければならないのに、全くなく、化石の記録は、実際に進化が起きたかどうか立証できないといわれている。

 第二は品種改良における矛盾で、いくら念入りに品種改良をしても、変種は生まれるが、それが別の種(例えばリンゴがみかんになったりすること)になることは決してないといわれている。また変種は種の存続を安定させるために生じ、突然変異も別の種にかわるためではなく、種の多様性を維持し、種を保存するために起こるといわれている。したがって突然変異は進化には何の影響もあたえない、と考えられている。

 第三は確率的矛盾で、ダーウインによると時間さえ十分にあれば、確率はごくわずかでも、小さな変化がつもりかさなって、一つの種が他の種にすすむと考えられているが、数学者の計算によると、アメーバのような単細胞生物の発生すら、十の数万乗分の一、つまり確率は事実上ゼロで、偶然の突然変異によって新たな種が生まれることは絶対にありえないとみなされている。
 また単細胞生物の大腸菌には百科事典の一億ページ分に等しい情報が入っていて、ある科学者は生命が単細胞ににまでいたる進化過程は、それから人間にいたるまでの進化過程を全部ひとまとめにしたものと同じくらいドラマチックで長い道程である、と語っている。

 以上簡単にダーウインの進化論の矛盾をみてきたが、これらの矛盾から次のことが明らかとなる。
 それは進化論とは事実に基づかない空論、何の証明もされない理論に基づく科学、つまり非科学的な理論にほかならないということである。
 なぜなら科学的とは、具体的に実験、再現等によって検証でき、正しさが証明されることを意味するが、進化論とは観察、実験、検証の全く不可能な理論だからである。

 科学史家によるとダーウインの進化論は自然観察というよりは、当時の社会の観察、社会理論によって生まれた自然を題材にして展開される一種の思想ともいえるもので、当時の特にブルジョア階級の人々によって熱狂的に支持され、利用されたといわれている。 
ダーウインの弱肉強食、優勝劣敗、淘汰等の考え方は、権力、富をもつ上層の人々にとって、自分たちの生き方を正当化してくれる誠に好都合な考え方で、産業革命のおよんだ国々には必ず進化論も根を下ろし、熱狂的に受け入れられたといわれている。

 ダーウインの進化論は、その後人間中心主義の科学技術文明の隆盛に便乗して、社会理論とも結びつき、社会ダーウイニズム、社会進化論(人間社会をダーウイン原理によって解釈する)等として展開していくのであるが、そもそも進化とは生物学的概念で、社会理論には使用されるべきものではないから、種々の問題(例えば結婚制限や断種などによって遺伝的に人間の改善を図ろうとした優生学という空恐ろしい学問やそれを民族的レベルで実施したナチズムの暴挙等)をひきおこすことになったのである。

 ダーウイン以外の進化論については別冊宝島四十五『進化論を愉しむ本』をみていただくことにして、次にそこに掲載されていない共生的進化論についてみてみよう。
 この進化論は生物は互いにたすけあいながら進化したとする新しい学説で、第二次大戦後の新しい学問上の発見を総合して1960年代に成立したが、最初は学会から全く相手にされなかった、といわれている。

 「この説によって進化を説明すれば次のようになる。生命の材料に満ちた原初の海に、何らかの過程によって発生した原初生物が浮かんでいたところから出発する。この原初生物は、大腸菌のように細胞内に核をもたず、しかも細胞一個で生きている単純なものであった。この単純な細胞が、核をもつ一段上の細胞に進化するとき、それまで存在していたいくつかの単純な細胞や、その一部が、一つの新しい細胞の体を形成し、その中で協調的な働きをするようになる。そしてこの新しい細胞は、格段優れた機能をもつ細胞となる。つまり複雑な働きをする細胞は、強いものが弱いものをやっつけるというかたちで生まれたのではなく、それぞれ独自の働きをする、単純な生命体が、互いにたすけあって作り出されたというのである」(村上和雄著『人間信仰科学』一五九頁)

 この進化論は従来の対立、競争を原動力とする進化論とは大きく異なり、「たすけ合い、ゆずり合い、わかち合いの三つの合いが本当の進化の原動力だとする考え方」(前掲書一六〇頁)であり、自然の真理により近づくものであるから、興味深い学説といえる。しかしそもそも進化はなぜ、何のために起こるのかという最も大切な問いについては、我々に何も教えてはくれない、というよりその問いに答えることができない。

 物事がいかなる状態で存在するかを分析的方法で追求するが、それがなぜ、何のために存在するのかとなると全くお手上げになる科学の限界をこの進化論も我々に示しているということができる。

2012年5月13日日曜日

No.80 教理随想(31) 「元の理」と科学




今回は「元の理」の表現様式である神話(従来の神話と同一次元のものではなく、神による象徴的な話という意味)と科学における知識のあり方の相違について考えてみたい。
 
一般に日常的、科学的な知識によって表現されず、「どじょう」、「かめ」等の動物を使って象徴的に、具体的なイメージによって説明されている「元の理」は、荒唐無稽な前近代的で克服されるべき遅れた低級の知識、神話にすぎず、科学の発達とともに霧消していくものと考えられがちである。

 また動物の具体的イメージによって表現されたのは、聞く相手が知的レベルの低い農民であり、内容を単にわかりやすくするためであったと考えられやすい。
 がはたして「元の理」はおとぎ話で、非科学的な話であろうか。
 また単に内容をわかりやすくするために、象徴的な表現になっているのであろうか。

 一般に科学こそ正しい真理を伝えるもので、神話は虚偽との価値判断がなされやすいが、科学の知とは一体何であり、どのようなあり方をしているのであろうか。
 まず科学の知の対象をみてみると、科学的であることは、実証的であることから、実際に観察、実験が可能で、かつ数量化しうるものだけが対象となる。

また科学の知とは、実在するものの質的な相違、多義性、意味、価値等を度外視し、質的なものを量的に(例えば音を音波の振幅の大小によって、色を光線の波長の長短によって)説明するという抽象作用によって、また理論化という抽象作用によって成立するのであるから、単に実在するものの一面に関わるにすぎず、実在をあるがままに捉えているわけではない。
 したがって科学の知は、実在するすべてについての知識ではなく、単に部分的、一面的な知識にすぎないのである。

 ところでこのように言うと科学はまだ未発達であるから、いまはそうかもしれないが、将来すべてのものを対象とし、科学によって解明されないものはなくなる、という見方がでてくるかもしれないが、科学の限界は、今現在においてだけの程度上のものではなく、科学に内在する原理に由来するものである。

 なぜならこの世界には、科学の立場からは原理的に肯定も否定もできないような、生と死、人生の意味、目的、価値、理想等の個人に関わる実存的な問題、主体としての精神、絶対的な存在等が数多く存在するからである。

このような科学の限界については、科学の認識方法についても、不確定性原理における観測の問題によっても指摘されている。
 近代科学の方法の中心となったのは、分析加算方法、物を最も単純な要素に分解し、それらの要素の性質を明らかにすることによって、全体を再構成する方法である。これによって物の研究において大きな成果をあげたが、現在では素粒子を扱うミクロの物理学において、例えば電子の位置を決めようとすると電子の速度があいまいになり、速度を決めようとすると、位置があいまいになって要素の不確定性がふえ、電子の運動の状態を正確に知ることができない。また電子が粒子と波という相反する性質を同時にもっているために、これまでの分析的方法を適用できなくなっているといわれている。

 また要素と全体の関係についても、全体は要素に依存すると同時に、要素も全体との関連においてはじめて成立するから、分離された要素をいくら集めても、決して一つの全体にならないことが、特に生命現象の研究において明らかにされている。

 このようにみてくると、結局科学の知とは、いかに精密になり、量的にふえても、実在するものの一部に光をあてる一面的で不完全な知識であるということになる。
 したがって科学が全能か、限界はあるのか、という反省や批判の精神を失って科学を妄信することは、それは反科学的な独断ということになる。

 この科学の知にたいする神話の知とはどのようなものであろうか。
 最近科学への過信が反省されるようになって、人々の神話への関心が種々の立場から高まっているといわれている。
 特に構造主義者のレビイストロースによると、神話とは宇宙、世界の秩序や現在あるものを、太古の具体的なイメージ、出来事をつかって説明しているので、科学とあまり異なっておらず、神話においては異なった論理が使われているに過ぎないと考えられ、神話の持つ意味が高く評価されている。

 では神話における科学と異なった論理、考え方とは何であろうか。
 科学の知においては、観察する主体と対象の自然とは徹底的に区別され、自然は必然的な因果関係に従う機械的なものとして、切り離して考えられる。しかし神話においては、「元の理」において「一尺八寸に成人した時、海山も天地も日月も漸く区別できるように、かたまりかけてきた」と示されているように、自然と我々人間とは生きた有機的なつながりをもったものとみなされる。

 無機的な自然(光、水、空気、土等)も生けるものとして擬人化されるので、現代人からは古代の精霊信仰、アニミズムの復活として批判されるのであるが、生態学(エコロジー)を見るとき、その批判は当たらないと思われる。
 生態学においては、無機的な自然と生物(人間を含む)の共存共栄関係、両者の有機的なつながりが解明されつつあるからである。

 また神話は科学のような抽象的な概念によってではなく、動物や月日というような天体等の具体的なイメージ、象徴によって語られるが、これは知的レベルが低いことを示すのではなく、ふつうの経験をこえる実在や現象の根底、不思議な働き等は、もはや抽象的概念によっては表現されえないからである。
「象徴というものは、そのいわく言い難いものに表現を与え、それによって人間の心魂の奥深い所に働きかけ、それをゆり動かすもの」(松本滋氏第三巻82頁)であり、それを理解する者のレベルに応じて様々な悟り、解釈を可能にし、また行為にかりたてるものである。 

 したがって神話の知は、科学の知と異なり、われわれの生き方に意味、方向性を与えるが、これは人間には現実の生活の中で見失い、科学が無残にも切り捨ててきた宇宙の神的な秩序や生命の故郷への郷愁があるためであり、また人間とは常に生きる意味や自己了解を求める存在でもあるからと思われる。

 しかしまさにこの点において、現代においても科学、技術、財貨、政治等における神話が、それと気づかれずにつくりだされ、それによって無知の大衆が巧妙に操作されるということがおこりうるのである。

 したがって我々に求められることは、神話を非神話化したり、理論から神話性を取りのぞくことであるよりも、むしろ神話の中身、構造をじっくり吟味し、神話の指示するものを深く考え直すことであるといわなければならない。「元の理」についてもおなじことであると思われる。

2012年5月3日木曜日

No.79 教理随想(30) 「元の理」と神話

 益田勝美氏は『ムック』第二号において「元の理」には「ほんとうの神話が、しかも従来のどの伝承とも全く別のたぐいまれな思想をたたえた新しい神話が、創造されている。」(173頁)と述べているが、では「元の理」は従来の神話と一体どの点において異なっているのだろうか。
 今回はこの問題について考えてみよう。

 さて従来の古今東西の神話との相違について色々あげられると思うが、人間創造の目的、意義が「陽気ぐらし」として明確に示されていることについては、説明するまでもない。そこでここでは「元の理」においては、焦点があくまで人間におかれ、人間中心の創世説話になっている点についてまず検討してみよう。

 村上重良氏は『ムック』第二号において「こふき」神話と記紀神話と題する論文をのせ、記紀神話は古代における天皇の全国土の政治支配を正当化し、その政治権力を基礎付けるために編成された政治神話に他ならず、日本の国土の創成は語られても、人間創造の意義にはふれられていないのに対して、「こふき」神話は、徹頭徹尾、人間本位の神話であると、述べている。(168~169頁)

 また益田氏は「こふき」神話が、当時の政治権力によって弾圧されたのは、記紀神話と同じ神名を使っているという理由によるというよりは、官憲がむしろ「こふき」神話を貫流する「強靭な生命力」にショックをうけ、それが自分たちに向けられていると本能的に感じたからと推論し、「元の理」は、「人間出現の意義の大きさ」、「人間存在の重み」を教えるものである、と述べている。(174頁)

 ではこの人間本位の神話、「人間存在の重み」は、具体的には「元の理」、「こふき」話のどの点にうかがえるのであろうか。
 
 「神の古記」(明治十六年本)によると、次のように説かれている。
 「とろのうみに、月日りょにんいたばかりでわ、神とゆうてうやまうものなし、なにのたのしみもなく、人げんをこしらゑ、そのうゑせかいをこしらゑて、しゆごふさせば、にんげんわちょほ(重宝)なるもので、よふきゆうさんを見て、そのたなにごともみられることとそふだん(相談)さだまり」
 
  つまり人間世界創造のときの順序が「人間をこしらえ、その上世界をこしらえて」と、あくまで人間が先になっている点にうかがえる。

 「元の理」においては「一尺八寸に成人した時、海山も天地も日月も、漸く区別できるように、かたまりかけてきた」、「五尺になった時、海山も天地も世界も皆出来て」と示されているように、人間の成長の過程と天地創造の過程が表裏一体となっている点にもうかがえるように思われる。

 キリスト教の創世記によると、五日間の天地万物の創造のあと、六日目に人間創造となるのであるが、この場合、神の栄光、創造の業に重点がおかれ、人間そのものは、「土のちりで人を造り、それに息を吹き入れた」と記されるように、神の栄光の前の、卑小な存在にすぎないものとしてみなされることになる。
 
  また「神の古記」の「人間は重宝なるもので、陽気遊山を見て、その他何事も見られる」というような人間観は、他の神話には絶対に見られないものと言えよう。

 ところで「元の理」は「過去的理解にのみとどまってはならず、現在的理解を必要とする」(深谷忠政著『元の理』9頁)のであるが、その現在的理解も「今までは陽気ぐらしの出来なかった人間(日常的人間)が元の理を理解実践して、陽気ぐらしの出来るおたすけをいただく信仰的成人の姿が元の理にしめされている」(同書10頁)というような象徴的理解、信仰体験に基づく実存的理解にとどまるのではなく、「今の今、現在生きている人間が、突き詰めて言えばまさしくこの自分が、いかに生かされて生きているか、という生命の根源に関わる話」(松本滋著『陽気ぐらしへの道』81頁)として、理解されなければならないと思う。

 松本滋氏はそのことを、
「身体の中に、また心の働きの中に、うなぎがいるのです。かれいもいるのです」、「みんな一緒になって整然と泳いでいるのです。それらが、ぬくみ、水気という基本的な神の働きと調和しつつ、みな力を寄せ合って、人間という不思議なものを構成しているのであります」(同書90頁)とわかりやすく説明している。

 次に「人間存在の重み」については、九億九万年の「水中の住居」を検討することによって考えてみよう。
 この「水中の住居」は文字通りうけとるとき、人間は「五尺になった時・・・陸上の生活をするようになった」のであるから、五尺になるまで海の中で生活をしていた、ということになってしまうので、あくまで象徴としてうけとられなければならないのであるが、その一つの意味は「親の懐にいだかれて、全く無意識のまま、ごく自然のまま人間が生かされていた」(松本滋氏『GTEN』 第三号59頁)こととして理解するのが妥当ではないかと思う。

 松本氏は人間は智恵、文字の仕込みによって、自己意識をもつようになり、今日の科学文明を築いているが、人間が自己意識をもって自立できるようになったのは、十億年を一年に換算して、一月一日から人間創造がはじめられたと考えるとき、十二月三十一日午後十一時五十五分ぐらいになり、「水中の住居」の中で、自己意識をもつようになる以前の人間を抱きかかえて育ててくださった年限がいかに長いものであるかを分かりやすく説明してくれている。

 ところで「水中の住居」については、松本氏の解釈とともに、それをさらに敷衍する次のような解釈も可能ではないだろうか。
     いままでハがくもんなぞとゆうたとて
  
    みえてない事さらにしろまい
                     (四,88)
 このお歌の「みえてない事」とはふつう「これから先の未だ少しも目に見えていない事柄」(『おふでさき講義』)として解釈されるが、
     いかほどにみえたる事をゆうたとて
  
   もとをしらねばハかるめハなし
                     (四、81)
のお歌が「みえたる事」は「もと」に支えられて今ある、と解されるなら、「みえてない事」とは、今現に見えない根拠として考えられるのではないか。そして将来の見えない事柄は、その根拠に含まれるということになるのではないだろうか。また、
     いままでも今がこのよのはじまりと
  
   ゆうてあれどもなんの事やら
                     (七,35)

 このお歌も「天保九年、この世の表に親神様がお現われ下されて、いよいよ本当の陽気ぐらしを、この元のぢばにおいておはじめ下されたのです。ですから、これはやはりこの世の初まりである、入信した時が、その人にとってのこの世の初まり」(『おふでさき講義』)と解されているのであるが、そのような意味だけではなく、今現われているものの根拠についてのお歌で、「このよのはじまり」は今現在の存在を支える根源でもあると考えられる。なぜなら親神は永遠の現在において実在する時間を超越する存在で、「このよのはじまり」と今われわれの生かされている現在は親神にとって同時であるからである。

 このように考えるとき、「水中の住居」とは、現在あらわれて見えているものを支えているみえない根拠、根源であり、それがいかに大きなものであるかを「水中の住居」によって教えられているのではないだろうか。
 われわれはともすると、 
     それよりも神のしゆことゆうものわ
  
   なみたいていな事でないぞや
                     (四,125)
     これからわ神のしゆごとゆものハ
  
   なみたいていな事でないそや
                    (六、40)
     月日よりたん~~心つくしきり
  
   そのゆへなるのにんげんである
                     (六,88)
等のお歌を、親神の人間創造のときの御苦労、五尺の人間に育て上げるまでの御苦労としてのみ理解し、今現在における人間を育て、成人させる上での御苦労を見落としがちになるが、「水中の住居」によって教えられていることは、まさに今現在の「なみたいていな事でない」御苦労ではないだろうか。

 また「水中の住居」と智恵、文字の仕込みの年限の比率は、十億対一万、十万対一であるが、この比率は今現在のわれわれの生命における見えない、意志の及ばない働きと、目に見える、自己意識による働き、意志の及ぶ働きの比率と考えることもできるのではないか。
     いままでにないたすけをばするからハ
  
   もとをしらさん事においてわ
                     (九、29)
 この「もと」は単なる過去の起源ではなく、現在の根拠、根源であり、それを教えない限り、「つとめ」を教えることができず、真のたすけも完成しないから、親神はわれわれに一見荒唐無稽にみえる、単なる昔話、神話に思えるような「元の理」を教えられたと思われる。
 

2012年4月16日月曜日

No.78 教理随想(29) 天理王命、教祖、ぢば、は理一つ(4) (完)

 次に問題となるのは、この教祖のお働きと天理王命、親神の働きとはどのようにつながり、また区別されるのかということである。

 天理王命と教祖については、先に見たように理において一つであるが、このことは両者が全く同じ働きをしており、実質的な区別はないということではない。われわれは教祖を通して、親神によって救けられるのであるが、これはいかなる意味であろうか。

 先に天理王命と「ぢば」の関係は、「かぐらづとめ」と「ぢば」の結びつきでもあり、教祖と「ぢば」が「さづけ」と「ぢば」の関係でもあることをみてきたが、もしこのような見方が許されるなら、親神と教祖のお働きの相違は、「つとめ」と「さづけ」の関係と区別に対応するものとして考えることができるであろう。

 では「つとめ」と「さづけ」とはどのようにつながり、区別されるのであろうか。
・・・つとめとさづけとは、親神が、世界一れつに、陽気ぐらしをさせてやりたい、との切なる親心によって教えられた、たすけ一条の道・・・  (『教典』23~24頁)
であるが、「つとめ」は、
    ・・人間個々の身上や事情に限らず、更に、豊かな稔りや平和の栄えなど、広く世界の上に、親神の恵みを及ぼす・・・
            (『教典』22頁)
万人万事の救済であるのにたいして、「さづけ」は個人の身上救済であり、この点に相違があると説かれる。

 しかしながら、両者の相違は単に万人と個人、万事と一事という量的な差異にすぎないのであろうか。
 清水国雄氏は『未来に向かって対話する天理教』の中で、教祖九十年祭のときの『諭達』の一節、
    ・・教祖は、さづけを渡しよふぼくを育てて、人々の成人を促しつつ、つとめの模様立てを進められた・・・を、
    ・・おさづけの理というのは、おつとめの模様立てというか、おつとめが成就する、おつとめができるような態勢をつくりだす一つの順序である・・・(228頁)
と理解しているが、この見方をさらに深め、より理論化すると次のようになるのではないか。
 
「つとめ」とは、先にみたように単に太古の人間創造の奇しき守護をいただくものであるのみならず、この世、人間身の内における十全の守護を保証するものでもあり、「さづけ」の「個人の身上だすけの働き」にたいしてより「全体的、根源的な働き」であるといえる。しかしこのことは「さづけ」は「つとめ」より理が軽く、軽視できるものであるという意味ではない。

逆に「つとめ」による「全体的、根源的な働き」における歪み、あるいは欠如(身上)を正すことによって、全体の働きのバランスを回復させ、その働きをより活性化させるという積極的な意義を持つ、といえるのではないだろうか。

 すなわち「さづけ」は単なる病気だすけではなく、それによって、われわれの身の内に働いている、ともすると忘れやすい、親神の十全の守護の一端を実感させ、病気だすけ以上に大きな、生かされている御守護、大恩に目覚めさせるところに真の意義があると考えることができるのなら、「さづけ」の徹底によって、親神の十全の守護をより大きく受け取れるようになる。
つまり「つとめ」がより成就され、「つとめ」の徹底によって、「さづけ」の部分的、個的な救済、すなわち守護がより活性化する関係にあると言えるのではないだろうか。

 もし「つとめ」と「さづけ」の関係が以上のように理解されるなら、親神と教祖のお働きの相違は、その理においては一つであるが、「つとめ」によって表現されている親神の現在的な「不断の創造」、十全の守護の働きと、それを前提として、その守護をより完全たらしめるためのお働きとして、理解されるのではないだろうか。

 つまり教祖は「存命の理」によって、「さづけ」による不思議だすけを通して、親神の十全の守護、生かされている大恩に目覚めさせ、「つとめ」の完成に心を向けさせることによって、真のたすけを実現すべく日々お働きになっている。この意味では、親神と教祖のお働きには、たすけ一条の一なる働きの二つの側面である、と悟ることができるのではないか。

 以上のように見てくるとき「天理王命、教祖、ぢばは、その理一つ」とは、「つとめ」、「さづけ」、「ぢば」の理が一つということでもあり、「ぢば」を中心として、「つとめ」と「さづけ」によって世界だすけが推進されていくこととして理解される。

「天理王命、教祖、ぢばはその理一つ」の教えは、この意味で、本教の根幹をなす教義であり、これを認めずして本教の信仰は成立しないと言えるのである。 ( 完 )

2012年4月7日土曜日

No.77 教理随想(28) 天理王命、教祖、ぢば は理一つ(3)

 また救済についても、「ぢば」のこのような現在的理解に基づいて、はじめて正しく理解されるのではないだろうか。
 なるほど、
    ・・ぢばに一つの理があればこそ、世界は治まる。ぢばがありて、世界治まる・・・
                (M21,7,2
と教示されるように、「ぢば」の理によって、病、むほんの根は切れ、真の世界平和が将来に実現されるのである。しかしその前提として、「ぢば」の理によって、世界の人々が本質的に平等に守護され生かされているという事実がまずあり、その事実に目覚め、互いに救け合うことによって、その恩に報いるということがなければならない。

 もしそうでないと、「ぢば」は現世利益に浴することのできる、単なる「をがみきとふ」の対象になり下がってしまうであろう。
 このように見てくると、「ぢば」の理とは、まさに現在的なものであり、この現在的な働きが天理王命の十全の守護に基づいているのであり、これが「ぢば」に天理王命が鎮まり給うという意味であると思う。

 「ぢば」に天理王命が鎮まり給うとは、「ぢば」に霊験あらたかな神様が鎮座しているというような単純な意味ではなく、「ぢば」を働きの中心として、宇宙、この世、人間身の内のすみずみに、天理王命の「不断の創造」が永遠に現在的に行われているということであり、その「不断の創造」の様式が、「ぢば」においてつとめられる「かぐらづとめ」にほかならないのではないかと思われる。

 「かぐらづとめ」とは単に太古の人間創造の様式とか、それによって不思議、奇蹟を将来にもたらすような「をがみことふ」と同列のものでは決してなく、この世、人間身の内における、まさに現在的な「不断の創造」の様式であり、それゆえにその理は尊く、その完成がせきこまれるのである。
 このように見てくると、天理王命と「ぢば」との結びつきは、「かぐらづとめ」と「ぢば」との関係としても考えることができるであろう。

 最後に教祖と「ぢば」との結びつきについてみてみよう。
 教祖と「ぢば」はその理において一つである。しかし一般常識から考えると現身をもたれる教祖と場所的地点である「ぢば」が一つであることは、唐突な感をまぬがれず、理解しにくい点であろう。教祖と「ぢば」が一つとは、いかなる意味をもつのであろうか。

 なるほど「ぢば」は、親神が教祖をやしろとして、はじめてこの道が開示された場所であり、教祖がたすけ一条のお働きをされた中心の場所である限り、「ぢば」と教祖とは不離の関係にあると言えるが、厳密にいうと、これは外的なつながりを示す関係であり、内的結合すなわち「理において一つ」の関係を直接明らかにするものではない。

 われわれは教祖と「ぢば」が、その理において一つであることを理解するためには、現身をかくされてからの教祖と「ぢば」の関係を考えなければならない。つまり「存命の理」と「ぢば」の関係である。

 「存命の理」については次のように教えられている。
    ・・さあ~~これまで住んで居る。何処へも行てはせんで、何処へも行てなせんで。日々の道を見て思やんしてくれねばならん。・・・     (M23,3,17
    ・・存命でありゃこそ日々働きという。働き一つありゃこそ又一つ道という。・・・    (M29,2,4

 これらのおさしづから明らかなように、「存命の理」とは、教祖が現身をかくされた後も、存命のまま元のやしきにとどまり、日々世界だすけの上にお働きになられていることであるが、この「存命の理」の理解は当時の人々にとってのみならず、今日のわれわれにとっても必ずしも容易ではない。

 なかには「たすけ一条の心定めをした人の心の中には、いつでも教祖は存命です」という人もあるが、これでは「存命の理」は単に主観的なものにすぎず、
・・・影は見えぬけど、働きの理が見えてある。これは誰の言葉と思うやない。二十年以前にかくれた者やで。なれど、日々働いて居る。・・・・   (M40,5,17
に明示されている、教祖が今現に生きられていて、たすけ一条の先頭に立たれて、具体的な、現実として働いておられるという事実が無視、軽視されることになるであろう。

 また「教祖を信じるとは、教祖の教えを白紙でうけとめ、教祖によって示された道を、教えられるままに、『ひながた』どおり歩みぬき、どこまでもまだまだ、と深めてゆくことにより、教祖と一つになること(自己同一)を体験することである。『ひながた』の道あってはじめて、教祖存命は天理教者一人ひとりにとって現実のものになる」、

「教祖存命という信仰は、死んでも来世があるなどという幻想的な慰めごとを言っているのでは断じてない。『いのちの舞台』の永遠性、絶対性をいっているのである」というもある。
 この存命論では、親神の働きと教祖存命のお働きとの区別があいまいになったり、また教祖存命の具体的なお働きが一体何なのか、はっきりしないという問題がある。

 教祖は「存命の理」によって、世界だすけの上に昼夜の区別なく、お働きになられているのであるが、ではこの働きとは具体的に何なのか。

・・・子供可愛い故、をやの命を二十五年先の命を縮めて、今からたすけするのやで。しっかり見て居よ。今までとこれから先としっかり見て居よ。(中略)さあ、これまで子供にやりたいものもあった。なれども、ようやらなんだ。又々これから先だん~~に理が渡そう。・・・・   (M20,2,18

このおさしづは、教祖が現身をかくされた直後に、意気消沈する人々を勇ませるべく、本席を通して示されたものであり、「子供にやりたいもの」とは、いうまでもなく「さづけ」に他ならないから、教祖の具体的なお働きとは、「さづけ」を通しての不思議だすけであり、この不思議だすけこそ、「存命の理」の具体的な確証なのである。
 「さづけ」は「ぢば」の理に基づくものであるから、この意味においても教祖と「ぢば」とが一つであると言える。

2012年4月1日日曜日

No.76 教理随想(27) 天理王命、教祖、ぢば は理一つ(2)

以上簡単に教祖についてのいろいろな見方を検討し、いずれも不十分で妥当しないことをみてきたが、それらの見方の根底には、神と人間とを峻別する二元論的な思考があり、月日のやしろの理解を困難にしているのではないだろうか。

 その思考に基づくと、神と人とは絶対的に隔絶されていて、天保九年にはじめて、神と人が結びついたとか、究極的絶対的なものが相対、有限の場に現われた、永遠が時間、歴史のうちに自らを表わした、教祖における親神の現われは、まさに神秘的で非合理の出来事である等々と理解されるのであるが、このような神と人間との質的断絶という立場から考えるとき、われわれ人間は宙に浮いた根底のない存在となるのではないか。

 われわれはこのような思考を脱し、親神・教祖を「をや」とし、人間をその懐にいだかれる子供とみなす神人関係から月日のやしろを理解しなければならないと思う。

 このような神人関係からすると、教祖は、神と人との結びつきを可能とする媒介者ではなく、神と人とが原初から不可分に結びついているという根源的事実そのものを熟知し、それを人間にあらわに示す立場にたたれている、と理解されるのではないか。

 われわれにとって理解に苦しむのは、教祖が神にして人、人にして神という背理、神秘の御方であるというよりも、むしろわれわれが神とは、親と子という関係にあるという事実ではないか。
 しかしこのことはわれわれ人間と教祖が同質的に連続していて、人間は月日のやしろになることができるということでは決してない。教祖は姿、形は人間ではあっても、人間心は一切なく、親神の一列人間を救けたいという無私の親心を御心とされていて、心一つにおいて人間と教祖の間には、人間と神との違いという基本的な次元の違いがあることは言うまでもない。

 次に天理王命と「ぢば」の関係についてみてみよう。
 さて教祖は口、筆、「ひながた」によって、親神の思召を人間に理解させようと御苦労くださるとともに、
    ・・深い思わくから、親神天理王命の神名を、末代かわらぬ親里ぢばに名附け・・・  (『教典』13頁)
られたのであるが、このことは一体いかなる意味をもつのであろうか。

 先にみたように教祖は月日のやしろとして、親神天理王命と理において一つであるから、教祖に天理王命の神名が授けられてもよいのに、そうされなかったのは、教祖に神名が授けられることによって、教祖と天理王命が無差別に同一視され、親神の思召が人間に正しく伝えられないためであったと思われる。

 教祖と天理王命が無差別に同一視されることによって、現身をもつ人間がそのまま神格化される、神と人間とが同列視されるという問題が生じたり、また教祖に天理王命の神名がつけられると、人間は天理王命の所在を教祖のみに見出し、天理王命の十全の守護や、
    ・・人間世界を造り、永遠にかわることなく、万物に生命を授け、その時と所とを与えられる元の神、実の神・・・
            (『教典』36頁)
の側面を無視し、そのために従来のご利益信心から成人することができない、このような「深い思わく」から天理王命の神名が、末代かわらぬ「ぢば」に授けられたと思われる。

 ところで天理王命の神名が「ぢば」に授けられたことは、「ぢば」が天理王命の鎮まり給う場所であることを意味するが、このことと天理王命の「万物に生命を授け、その時と所とを与えられる元の神、実の神」としての側面とはどのようにつながるのであろうか。
 
たん~~となに事にてもこのよふわ
 
 神のからだやしやんしてみよ
         (三、40、135)

から分かるように、親神の働きは世界のすみずみに満ちているのであるが、そうであるなら親神天理王命は世界のいたる所に鎮まり給うということになるのではないか。あえて「ぢば」に鎮まり給うと強調されるのはなぜか。

本教において「ぢば」は信仰の目標であり、「ぢば」なくして信仰は成立しないのであるが、「ぢば」の理の尊さは何に基づいているのか。また他宗の聖地、霊地とどのように異なるのか。

 さて世界には数多くの聖地、霊地があるが、その由来については、大別すると次の二つに分けられる。(『諸井慶徳著作集』第七巻130頁以下参照)
 まず第一は歴史的な由緒、沿革で神殿、寺院がそこに建てられることによって聖地とされた、第二は不思議な奇蹟が起こったことから、崇拝の対象とされるようになった、この二つであるが、「ぢば」は本質においては、そのいずれでもない。
 
「ぢば」とは「元の理」に明示されているように、人間宿し込みの元なる場所であるとともにその理によって、「人間を生みなおしとしてのたすけが与えられる場所」(前掲書137頁)でもあり、この本質に基づいて、神殿や不思議な奇蹟が結果としてあるのである。 
 
「ぢば」とは人間生命の根源、故郷、たすけの場所のゆえに、他に類をみない尊い場所であるが、われわれは「ぢば」の理を単に過去的、未来的にのみ理解してはならない。
 つまり過去的理解とは、人間が太古の昔に宿し込まれて、創造された、それゆえに「ぢば」は現在のわれわれにとっては直接の関係はない、との理解であり、また未来的理解とは、今はまだ実現していない救済が「ぢば」の理によって将来において成就される、との理解であるが、これらはいずれも一面的であり、誤解を招くことになると思われる。

 なぜなら人間の創造とは、太古の一回きりのものではなく、
・・・この持続すなわち一見保存に外ならぬかのごとく思われるものも、実は神の不断の創造により、連続的生産によって行われるものでこそなければならない。・・・・
  (『諸井慶徳著作集』第六巻94頁)

と述べられているように、今現在の瞬間においても続いているからである。
 われわれが今生かされているのは、太古における創造のみならず、「神の不断の創造」によってであり、この「不断の創造」が「ぢば」に理に基づいているのである。

 したがって「ぢば」は単に人間の故郷であるのみならず、われわれの現在の生命の直接の根拠でもあり、それゆえに尊いということになる。

2012年3月24日土曜日

No.75 教理随想(26) 天理王命、教祖、ぢば、は理一つ(1)

天理教とは、親神が教祖を月日のやしろとして、この世に直々に現われ、教祖の口、筆、行いを通して、世界だすけの思召を伝えられた事実に基づく宗教であり、その実質が、ぢばへの信仰として展開されている。このことは教義的には、
・・・天理王命、教祖、ぢばは、その理一つであって、陽気ぐらしへのたすけ一条の道は、この理をうけて、初めて成就される・・・
         (『教典』43頁)
と説明されるのであるが、天理王命、教祖、ぢばの理が一つであるとはいかなる意味をもつのであろうか。
 
この「天理王命、教祖、ぢばは、その理一つ」との教義は、本教の教えの根幹をなすもので、これを誤解したり、ここから逸脱すると、異説、異端に走り、我流信仰におちこむ危険が生じるのであるが、この教義を合理的に理解することは必ずしも容易ではない。
 
そこで三つを便宜上、天理王命と教祖、天理王命とぢば、教祖とぢばに分けて、それぞれを順に検討し、、「天理王命、教祖、ぢばは、その理一つ」について考えてみたい。

 まず、天理王命と教祖については、教祖の月日のやしろとしてのお立場は一体どういう意味をもつか、親神と教祖はどのような関係にあるかが問題になる。宗教学的観点から、その可能性を類型化すると次のような見方が成立しうる。(『諸井慶徳著作集』第五巻67頁以下参照)
 すなわち、
一、            人間としての悟りによって親神に到達した、或いは特殊な能力があって親神の霊感を受けた。
二、            神のお言葉が下がるときは親神の代理で、その他の場合は人間と同じ水準の生活をされた。
三、            親神が人間の姿をとって仮にこの世に現われたのが教祖である。
四、            教祖は神的人間であるが、天保九年以降一貫してではなく、次第に月日のやしろに相応しい姿になられた。
等の見方であるが、これらについて検討してみよう。
 
まず第一の見方においては教祖は人間の立場にとどまり、親神の顕現者、地上の月日ではないことになり妥当しない。
 また第二の見方も本席には当てはまっても、天保九年以降一貫して親神の心を心とされた教祖の立場とはいえない。
 
では第三の見方についてはどうか。この見方については、もし成立しうるなら、教祖は親神の単なるロボットにすぎず、教祖独自の存在はないことになるが、原典から考えると成立しない。
 
なぜなら教祖は「元の理」に示されているように、人間創造のときの母親、いざなみのみことの御魂をもたれた御方で、月日といざなみのみことの間には「承知をさせて貰い受けられた」(『教典』26頁)から分かるように、単なる同一ではない関係があり、この関係が親神と教祖の間にも成立するからである。
「親神と教祖の関係はABで示される『全等』ではないが、ABで示される『等しい』のである。」(深谷忠政著『天理教教義学序説』242頁)との説明は、その辺の消息を示すものと思われる。
 
したがってわれわれは親神と教祖とを全等として同一視したり、教祖は親神の仮のお姿と考えることはできないということになる。
 では一体どの点において相違があるのだろうか。
 ぢきもつをたれにあたへる事ならば
  
このよはじめたをやにわたする
            (九,61)
 月日にハこれをハたしてをいたなら
  
あとハをやより心したいに
           (九、64)
このお歌の「をや」は親神ではなく、教祖のことであり、
    ・・親神は教祖の心に、「天の与え」を分配することに関しては自由に裁量するすることをお許しになっている。・・・
(芹沢茂著『おふでさき通訳』363頁)
と解釈するとき、われわれは親神と教祖のお働きにおいて、はっきり区別をみることができる。

 われわれは親神によって救けられることはいうまでもないが、教祖の御手にすがることによって、つまり親神の働きを前提として、教祖を通して救けていただくことができると思われる。(このことについては後にもう一度検討する)

 次に第四の見方、いわゆる「教祖成人論」を検討してみよう。
 この見方は教祖の神格面が天保九年以降次第に発展していって、明治七年に赤衣を召されたときに神と一体となられた、それ故それまでの教祖には神的側面と人間的側面が混在していたとみなし、その具体例として、宮池事件(教祖が宮池に身を投げようとされたとき「短気を出すやない~~」『教祖伝』31頁との親神の御声が内に聞こえて、どうしても果たせなかった)をあげるのである。

 そしてこの説は二代真柱様が中心となって進められた「復元」によって、「月日のやしろ」としての教祖の立場が明確にされるまで、教内の一部において支持されてきた見方であるが、少し検討を加えてみよう。
 宮池事件は、神と人間との間に立って苦しまれる人間的なお悩みであって、それ故に涙なしに語ることができない、と考えられやすいのであるが、しかしながら教祖が月日のやしろの立場であられる以上そのような見方は成立しない。

 なぜなら月日のやしろとなられてからの教祖のお悩みは、一個人の悩みと次元を異にし、親神を知らず、その御心に従うことのできない周囲の人々を教え導く上での、お悩みであり、教祖が人間の立場から神に近づこうと努力される、その途上の悩みとは本質的に区別されるからである。
 
したがって赤衣によって神の理を厳然と示されるようになったのも、神格が次第に発展したからではなく、子供の成人に応じて、神の理を明確にされるようになった、と考えなければならないと思われる。