2012年6月22日金曜日

No.84  教理随想(35)  二つ一つ


 今回は前回の泥海、月日について少し検討を深め、さらに「二つ一つ」について考えてみたい。
 まず泥海については前回詳しくみたので、今回は「地天泰」の思想(『泥海古記について』蔵内数太著、三二頁)を吟味してみたい。
 
「地天泰」とは何か。これは易における逆説的な真理で、天地ではなく、地天と逆になるところに、交わりが起こり、ものが生まれることを示す思想である。

 つまり天は上にあり、地は下にあり、天地では永久に交わらないのであるが、地天となると、上にある地は下に沈み、下にある天は上に昇ろうとして、そこに交わりが生じ、ものが生まれるのである。

 ところで「地と天とをかたどりて、ふうふをこしらえ」にうかがえる思想は、まさに地天泰といえると思うが、地天とは「泥海古記」においては、泥海と月日ではない。

 薮内氏は、泥海が地で、月日が天で、そこに地天泰が成立するとみているが、前回みたように、泥海とは月日にほかならないから、泥海と月日を地と天の二つに分けることはできず、泥海と月日には地天は成立しないと思われる。

 「地と天とをかたどりて」の地と天とは、をもたりのみこと、くにとこたちのみことのお働きの一端と解しうるなら、地天とは月日それ自体において成立すると考えられる。

 前回、月日の泥海の姿は、大竜、大蛇で、大竜は天に上昇する超越性(「積極的発動性」諸井慶徳氏)が、大蛇は地をはう内在性(「受動的展開性」同氏)が象徴されていると述べたが、この超越と内在の二原理が交わり、二つ一つになることによって、人間創造へと展開していくのであり、ここに月日それ自体においての地天が成立することになると思われる。
 
「泥海古記」において「地天泰」の思想が認められるのであるが、地天は泥海と月日の間ではなく、月日それ自体において成立するものとして理解されねばならない。
 
次に月日において示されている「二つ一つ」の働きについてみてみよう。
 さておかきさげに「二つ一つが天の理」と教示されているが、これはいかなる意味であろうか。

 おかきさげをもう少しみてみると「人を救ける心は真の誠」、「誠一つが天の理。天の理なれば、直ぐ受け取る直ぐ返すが一つの理」と教示されている。

 ここから考えると誠は天の理で、誠は人を救ける心であるから、「二つ一つ」は二つのものが互いに救けあって一つになることと悟れる。

 もしそうなら「二つ一つ」の論理はマルクスによって主張された唯物弁証法、対立する二つの要素の一方が他方を闘争によって否定するか、服従させる論理と異なり、真に調和、平和をもたらす論理、対立抗争にあえいでいる現代にまさに求められている論理であるといえる。

 また二つのものが救けあう以上、二つはあくまで主体性をもつものでなければならない。二つのものが主人と奴隷であれば、そこには二つはなく、したがって「二つ一つ」が成立せず、天理に反するものとなる。

 また「二つ一つ」は最近みられるような女性解放、女権拡大の思想とも異なるものである。
 一見するとこれまで卑下され、存在を軽視されてきた女性が、男性と同じ権利を主張することが、男女平等であるかのように思われるが、必ずしもそうであるとはいえない。いままで認められなかった主体性、自己主張、自由が認められることは進歩にちがいないが、男女の役割、立場等を無視して、単に形式的な平等をもとめることは
行き過ぎで、天理に反すると考えられる。役割、立場の相違がなくなれば、二つではなくなり、そこでは真の救け合いは不可能となるからである。

このようにみてくると、「二つ一つ」とは、二つのものが、お互いに相手の主体性、自由、個性を認めつつ、立場の相違を無視することなく、お互いに救け合い、調和するところに「直ぐと受け取」ってもらえ、ご守護をみせていただけることを示す、われわれにとって大切な教えであることがわかる。

 次に親神についてみてみよう。
 本教における神観の特徴、独自性は
         
         このたびハ神がをもていあらハれて
         
         なにかいさいをといてきかする
                          (一,三)
と教示されるように親なる神が直々にこの世に現われて、第一人称で人間にかたりかけていることと、人間を創造し、長の年限丹精して育ててきた元の神、実の神である点に見られるのであるが、この親なる神という点から本教独自の人間観がうまれてくる。

 言うまでもなく、親の基本的課題は子供を生み、育てることにある。親なる神も、子供である人間を創造し、丹精するのであるが、最初から人間を完成されたものとして創造していないので、人間に対して実に辛抱強く成人を待ち、気長に育て守護しているのである。人間は最初は未完成な、未熟な存在として創造されているところに従来の人間観と著しく異なっている。

 今日までの世界宗教の人間観は、人間を最初から完成したものとして創造し、このような人間が過ちを犯したり、罪を重ねたりしたとき、神から厳しき罰や制裁が加えられる、と考えられている。ここには神人関係は主人と奴隷のような、排他的、非寛容で無情な関係しかうまれず、本教で理想とされる神人和楽は成立しえないと言えよう。

 これに対して、本教の人間観では、人間が未熟で、未完成な存在とみなされていることは、過ちや罪が見逃されることを意味しないが、そこには先述の人間観においてのような、罪が厳しく裁かれ、過ちが罰せられるという非寛容で無情な考え方はなく、たとえ過ちを犯しても、罪人あつかいするのではなく、親の心のわからない、わがままないたずらっ子とみて、気長に親心がわかるように丹精する。そこには自分で自分の過ちに気づき、それを正していくのを待ったり、またどうしてもだめなら、もう一度生まれかわらせてやり直させるような、寛容な態度があり、このような人間観に立脚することによってのみ、神人和楽、親子団欒、真の平和も実現されるのである。

          にんげんもこ共かわいであろをがな
 
          それをふもてしやんしてくれ
                         (十四、三四)
のお歌にうかがえるように、世界の人間が親神を親とする子供で、お互いが未完成、未成人で、親の心に近づくよう日々努力していかねばならない存在であることを認め合い、自覚することが何より必要である。
  それによってすべての対立抗争や戦争の危機をはじめて避けることができるのである。

 キリスト教の、生まれながらにして罪を持ち、救われがたい宿命を背負った存在であるとの人間観(この世に対して否定的態度をとらせ、この世での積極的人生観をもたらさない)や科学至上主義、マルクス主義にみられるような人間観(神の座に人間を立てようとする傲慢な人間観で、そこでは科学、イデオロギーが神格化されている)は代表的な人間観であるが、そのような人間観に立つ限り、この世における真の幸福、平和は実現されず、人間は永久に対立抗争にあえぎ、苦悩に呻吟しなければならないであろう。

 世界において今求められているのは、正に親なる神なのである。

2012年6月11日月曜日

No.83 教理随想(35) 泥海と月日


 今回から「元の理」を『教典』第三章「元の理」のテキストにもとづいて、部分的、断片的に味わい、また疑問点をだしてみたいと思う。
 さて「元の理」は「この世の元初りは、どろ海であった」という、いわゆる泥海古記ではじまるのであるが、「元の理」はこの泥海古記とイコールではない。

 我々はともすると「元の理」と泥海古記と同じとみなしやすいが、「元の理」は元初まりの理一般を意味し、天上、地上、泥海の三界(たとえば親神が天にては、月日、地上にては、火、水、泥海にては大竜、大蛇でもってお姿が示されているように)に分けて説き明かされており、泥海古記はその一部に他ならないのである。

 しかし三界の中でも、泥海での話が一番詳しくされているので、まず泥海古記を吟味、検討することからはじめることにしよう。
 「この世の元初りは、どろ海であった。月日親神は、この混沌たる様を味気なく思召し、人間を造り、その陽気ぐらしを見て、ともに楽しもうと思いつかれた」

 ここでまず疑問となるのは、そもそも泥海とは何か、という点であるが、これを文字通りに受け取ると、泥海は泥水のまじった海ということになるが、こんな浅薄な意味ではないことは言うまでもない。また泥海の中をみると、淡水、海水魚がいるので、泥海は真水か、海水のどちらであるかというような疑問もでるかもしれないが、これは無意味である。

 なぜなら泥海古記をよく読むと、人間が「五尺になったとき、海山も天地も皆出来て」とあるように、真水、海水の区別が問題となるのは、人間がほとんど現在の大きさにまで成長するようになってからであり、元初りの泥海と、海山の海とは、全く質がことなるからである。

また泥海に関して「この世の初りは、どろ海」であるなら、そのとき親神はどこにいたのか、あるいは泥海と親神の関係はどうなるのか、という疑問もわいてくるが、この問いも、泥海を具体的なイメージでとらえたり、また親神を二人の人間の姿(大竜、大蛇であってもよい)のようなものとして考えるところからでてくると言えよう。

 明治十六年本には「とろのうみに、月日りょにんいたと記されているが、このこは月日の神体が、泥海の中に座を占めていたとか、泥海が月日の居場所であったという意味ではなく泥海がそれ自体親神のお現われ、お姿であったことを示しているのである。

 月日が泥海中にいた、という誤解を生じやすい表現の真意は、親神の存在している様相が泥海であった、換言すると親神のお姿が泥海であった、ということである。

 つまり泥海は親神と同一ではないが、かといって別のものでもなく、難しく表現すると親神の自己限定(無限者で形をもたない絶対者である親神が、自己の姿を現わし,現象すること)が泥海であった、ということになる。

 おふでさき三号四〇、一三五に、
             だん~~となに事にてもこのよふわ
 
             神のからだやしやんしてみよ

という本教独特の注目すべき自然観、神観が示されているが、この「神のからだ」に一脈通じるものが泥海であると言えよう。
 
ところで親神の泥海でのお姿は、大竜、大蛇として示されているが、このお姿も、そのまま受け取るのではなく、大竜は天に上昇することから、親神の超越性(「宇宙次元的の大原理性」諸井慶徳氏)が、また大蛇は地を這うところから、親神の内在性(「この世次元的の大原理性」)が、それぞれ象徴的に表現されていると悟ることができるであろう。
 
泥海とは「原初的有、絶対無の顕現としての有、有的展開の素地としての根元有」、「画然と分かたれざる全一的な有」(『諸井慶徳著作集』第六巻一〇八頁)であり、「有と取れば有、無と悟れば無」、「そこには高さも深さもなく、底も境もない透明とも不透明ともわからぬ大玄渾沌」(同一〇七頁)で、時間、空間を超えた存在ということになる。

 荒川善廣氏は泥海が地球の原始のまだ冷めていない状態とすると、「親神の創造の仕事はこの地球上のことに限られ、宇宙開闢以来地球が誕生するまでの百数十億年もの間の出来事が不問に付されてしまう。その結果、親神の仕事はせいぜい地球上で無機物から生命体を創造したことであるときめつけられてしまう。」(『「元の理」の探求』一六〇、一六一頁)と述べている。

 泥海とはそのように理解されるので、泥海はどこに存在するのか、いつから存在するのかという類の問いも無意味になる。泥海とは親神のお姿であるから、その問いは親神はどこにいて、いつから存在するのかを問うに等しいからである。いつ、どこにという問いはあくまで有限者についてのみ意味のある問いだからである。

 ところで泥海とは現在においても存在すると言えるのではないだろうか。
 最近の宇宙について次のように説明されている。

『銀河の中には、質量をもつが光らないという、いわゆる「ダークマター(暗黒物質)が大量に存在するのである。暗黒物質の質量は莫大であり、その強い重力によって銀河など宇宙の構造形成に重要な役割を果たしてきたと考えられる。』、「宇宙は73パーセントのダークエネルギー、23パーセントのダークマターで満たされており、光る星々の質量はわずかに4パーセントであることが明らかになった。ダークエネルギーの存在は、宇宙の膨張が加速されているという実験結果から予測される。加速の原因として、斥力を与えるようなエネルギーが必要である。これは空間そのものにそなわったエネルギーと解釈できるが、それが何であるかまったくわかっていない。」(『対象性から見た物質、素粒子、宇宙』広瀬立成著 講談社239,240頁)

 次に「月日」について検討してみよう。
本教において教えられる月日とは、天上にある月、太陽それ自体を意味するのではないことは言うまでもない。もしそうなら太陰、太陽崇拝ということになり、例えばアポロの月面への探検は、神聖な場所をけがす許されざる行為になるというような荒唐無稽な議論も生じるかもしれないし、本教は原始宗教であるとの批判もうけるかもしれない。

 月日とは、くにとこたちのみこと、をもたりのみことに御名でとなえられ、月、太陽を通して、その広大無辺の働きのほんの一端を現わすところの、根本的な働きそれ自体の理をいわれているのであるが、決して独立した二神ではない。

 おふでさきにおいて常に月日という言葉で述べられているが、それは神の働きとして一体的であることを示すためである。ちょうど夫婦が二人でありながら、一体となることによって、新しき生命を誕生させ、新たに発展していくように、月日が二つの働きでありながら、統一されて、一つとなるところに、人間創造、森羅万象の生成発展が可能となるのである。

 ところで月日というと、中国の儒教哲学の陰陽の理と同じように思われるが、決して同じではない。
 陰陽哲学では、月は陰で、消極性、日は陽で積極性を示すが、本教の月日は、月が男神、日が女神として示されるように、全く反対で、男、女神は、単に積極、消極の二概念で以っては説明できない。

 男、女神は一見陰陽のようであるが、陰陽よりもむしろ物理学上のプラス、マイナスの概念によってよりよく理解されると思われる。マイナスは必ずしも消極ではなく、積極性の面ももつように、日様は月様からの積極的な働きかけに対して、単に盲目的に服従するのではなく、むしろ逆に月様に働きかけ、そこに人間創造が始められることになるのである。

2012年6月2日土曜日

No.82 教理随想(33) 「元の理」と進化論(2)


進化論という非科学的な理論によって「元の理」を基礎付けようとすることは砂の上に楼閣を建てる愚に等しく、不可能ということになる。

 では「元の理」における「虫、鳥、畜類など」の「八千八度の生れ更り」とか「めぜるが一匹だけ残った。この胎に人間が宿り」というあまりにも進化論的な記述はどのように考えたらよいのか、それらはどのような意味をもつのか、この問題を考えてみよう。

 まず「めざる」について考えると、『教典』には「めざるが一匹」となっているが、『こふき本』においては和歌体十四年本、説話体十四年本、十六年本いづれも「さるが一人」となっている。「一人」という擬人的表現によって何が意味されているのか。

『教典』において「一人」が「一匹」とかえられてあるのは、「さるが一人」というのは「元の理」を読むものが理解に苦しむからと思うが、『こふき本』に「一人」となっているということは「さる」が動物の猿ではなく、別の意味をもっているからと思われる。

 「さる」、「めざる」とは何を意味するのだろうか。
 「さる」が猿でないことは「元の理」をよく読んでみると「めざる」が出現してから「どろ海の中に高低が出来」、陸と海との区別ができていることからすぐにわかるが、「めざる」とは何かはかなり難しく、議論百出するところである。

 説話体十四年本(手元本)には「さるがいちにんのこりいる。これなるはくにさづちのみことなり」とあり、「さる」が「くにさづちのみこと」の理であることが示されているが何を意味するのであろうか。

『元の理』(深谷忠政著)には他に、「滅せざる」の意、また猿と道祖神との関係から、「人間生活発展の母胎」、「人間の原型的存在」(72頁)等の解釈があげられているが、他に別の解釈がないのかと考えるとますますわからなくなる。

 「めざる」に限らずその他の象徴的な言葉は一律的な解釈のみをゆるすのではなく「成人しだいにみえてくる」と教えられるように成人に応じて異なった解釈がなされるものであるから「めざる」についても一律的な解釈を求めたり、ある解釈を断定することは間違っているのではないか。

 しかし少なくとも次のことだけは言えると思われる。
 つまり「めざる」は猿ではないから「めざる」から人間は、決して猿から人間への進化を意味しないということである。

 ところで進化論において一番問題となるのは、はたして人間はサルから進化したのか、という点で進化論者はそれに肯定的にこたえるのであるが、サルから人間への種から種への進化は本当か、本当ならどのようにしてか、また証明されるのか、との問いには進化論者は確固とした答えをもちあわせていないように思われる。

 そもそも実験したり、事実によって証明したりすることのできない進化を、ある論者のように「種は変わるべきときがくると一斉に進化する」との突然変異の理論によって説明することは、種から種への進化について何も説明しないのに等しいのではないか。それによってサルから人間への進化を説明することは、その進化を逆に疑問視させることになるのではないか。

 サルから人間への進化が疑問視されうるなら、「めざる」から人間をどのように考えればよいのか
 「元の理」には「親神は、どろ海中のどぢよを皆食べて・・・これを人間のたねとされた」とあるが、この「たね」を種と考えるなら、人間の種は、サルの種から進化したものではなく、最初から人間の種として宿しこまれ、育てられたということになるであろう。したがって「めざる」から人間は、サルの種から人間の種への進化ではなく、人間の種のある発展段階から別の段階への移行と考えられるであろう。

では「虫、鳥、畜類など」の「八千八度の生れ更り」はどのように考えればいいのか。

 これについても「めざる」と同じく、生れ更りのあとに陸、海の区別ができるので、虫、鳥、畜類をそのまま受け取ることができず、それらへの生れ更りは、人間がある時期に実際にそのような姿になったのではなく、胎児の成長段階の姿をみても分かるように、人間の種がいろいろな発展段階を経ていることや、親神の人間の種を育てる上での働きが複雑化していくこととして理解されねばならないであろう。

生れ更りのあとに陸、海の区別ができるので、虫、鳥、畜類をそのまま受け取ることができず、それらへの生れ更りは、人間がある時期に実際にそのような姿になったのではなく、胎児の成長段階の姿をみても分かるように、人間の種がいろいろな発展段階を経ていることや、親神の人間の種を育てる上での働きが複雑化していくこととして理解されねばならないであろう。

 また「めざる」、虫、鳥、畜類という具体的なわかりやすい名前が使われているのは、決して進化論を教えるためではなく、親神の人間創造の秘業が展開していく過程を誰にでもよりわかりやすくするためであり、そこに親神の御苦心、親心がしのばれるように思われる。

 ところで「八千八度の生れ更り」が種から種への進化ではなく、あくまで人間の種の展開とするなら、人間以外の種についても進化は成立しないことになるのだろうか。

 これについては私見では、人間以外の種については人間の種の展開の副産物として生じるか、あるいは人間の種とは別に最初からつくられたかのどちらかで、人間以外の種から種への進化が成立するかは、これからの科学の発展をどれほど待っても、永遠のなぞとして残り、わからないのではないかと思う。
 
『正文遺韻抄』(諸井政一著)の次のような記述はどのように考えればよいのか。
 「いきものが出世して、人間とのぼりているものが沢山ある」(153頁)
生物は、みな人間に食べられて、おいしいなあといふて、喜んでもらふで、生れ変るたび毎に、人間の方へ近うなるのやで」(155頁)

 これも一見種から種への進化とうけとれるが、これも以前に述べたように、文字通り解することができず、人間と自然との有機的なつながりを示すものと考えられるから全く参考にならないと思われる。
 
『元の理」はあくまで人間の種の展開過程を示すと悟れるが、では一見進化論的に思える記述によって何が教えられているのか。
 「元の理」はふつう、
 月日よりたん~~心つくしきり
 そのゆへなるのにんげんである
            (六,88)
に教示されている親神の人間創造の御苦労、五尺の人間に成長させるまでの御苦心、つまり過去における親神の御丹精を説くものとして理解されている。

 しかし親神とは時間を超えた永遠の現在を生きる絶対者で、人間にとっての過去も親神にとっては現在であるから、親神の過去の働きといっても、すでにないものではなく、今現在においても及んでいると考えられる。

 ということは、
 それよりも神のしゆことゆうものわ
 なみたいていな事でないぞや
          (四、125)
 これからわ神のしゆごというものハ
 なみたいていな事でないぞや
          (六,40)
に明示される「なみたいていな事でない」神の守護は、単に五尺の人間に成長させるまでの御苦労だけではなく、いま現在我々人間を生かし育てる上での御苦労でもあると解されねばならないであろう。
 
「八千八度の生れ更り」は先述したように、人間の種を育てる過程における親神の自己限定、働きの複雑化を示すものであるが、「八千八度」という無数の親神の自己限定としての働きは、とっくに過ぎ去って今はもはや無きものではなく、今においてもそのまま実在していて、我々の身の内、自然の根源として働いており、そのことを「元の理」をとおして教えられているのではないだろうか。

 おふでさきには「このよはじまり」、「このもと」、「このしんじつ」というお言葉が数多く見出されるが、これらはすべて同じ意味をもち、人間の生命の単なる歴史的な起源だけではなく、同時に今現在における超歴史的な、歴史の根拠となる人間の生命の根源を示すものでもあり、この厳然たる事実に開眼させるために、教祖は五十年のひながたの道を通られ、晩年になって「元の理」を諄々と説かれたと悟れるのである。

 いままでも今がこのよのはじまりと
 ゆうてあれどもなんの事やら
          (七,35)
というお歌は、いろいろな解釈がなされ、理解に苦しむが、「元の理」における一見進化論的な記述は、このお歌を説明するために、当時の人々に理解させるためになされたのではないだろうか。
 「元の理」の現在的な理解(今現在の生命の根源としての)が我々に求められていると思われる。

2012年5月23日水曜日

No.81 教理随想(32) 「元の理」と進化論(1)

今回は「元の理」と進化論について考えてみよう。
 科学と宗教が厳しく対峙することなく、両者が相互に関わらない世界で矛盾無く働いている日本において、進化論対宗教という図式は成立しがたいのであるが、キリスト教の伝統を根強く持っているアメリカにおいては、人間のルーツをめぐって「進化論」か神による「創造説」かという問題が盛んに論じられている。

 レーガン政権下、生物学の授業に「進化論」だけでなく「創造説」も加えよ、という訴訟が保守回帰の風潮とあいまって多数おこされ、ある州ではすでに法案が州議会を通過しているとも言われている。レーガン大統領も選挙運動中に「進化論」に疑問を投げかける発言をして、創造派の票を集めたといわれている。

 人類の起源をめぐって科学者同士が創造派と進化論派に分かれて対立し、法廷で争われ社会問題化しているのであるが、では「元の理」と進化論とはどのように考えられるのであろうか。

 「元の理」における「虫、鳥、畜類などと八千八度の生れ更り」、「めざるが一匹だけ残った」、「この胎に男五人女五人の十人ずつの人間が宿り」という記述は、一見するといかにも進化論的で、ここから「元の理」と進化論を同一視し、進化論によって「元の理」を権威付けたり、科学的な証明を云々したりする向きもあるかもしれない。

 またダーウインの『種の起源』が出版されたのは一八五九年(「つとめ場所」のふしんの五年前)であるから「元の理」は進化論の影響を受けている、との見方をする人もいるかもしれない。

 これに対して本教の立場から「生物進化論は科学の仮説であって、改訂される時があるかもしれないが、元の理は永久不変である。前者を以って後者を権威付けようとする試みは科学と宗教の次元の相違に気づかない乱暴な乱暴な論法である」(深谷忠政著『元の理』68頁)との反論がだされるが、しかしこのような反論も一見もっともなようにみえて実は抽象的で「科学の仮説」はどの点にあるのか、また「元の理」が永久不変であるのはどの点か、については明確ではない。

そこで「元の理」と進化論の関係のまえに、そもそも進化論とは何か先にみてみよう。
 進化とは簡単にいうと生物のある種が世代交代を重ねるうちに別の種へと変化していく現象(例えばサルが人間へと変化すること)で、その現象の原因を究明するのが進化論であるが、進化論といっても百家争鳴の状態で一つの確固たる理論があるわけではない。(『進化論を愉しむ本』別冊宝島には十二の理論が紹介されている)
 ここではその中の代表的なダーウインの進化論をとりあげ、検討を加えたみたい。

 さて彼の進化論の骨子は、種個体群の中に環境の影響をうけて優劣の個体差ができ、そのうちの優れたものだけが生き残るという自然淘汰の理論である。この自然淘汰は自然選択、適者生存ともよばれるが、この理論はちょっと検討すると、すぐに矛盾をさらけだすことになる。

 まず第一点は自然淘汰は単純なものから複雑なものへ、構造上劣ったものから、優れたものへ、と説明するが、自然界には今現在においても優れたものと劣ったものが同居し、単純なものが淘汰されていないのはなぜか説明できない。

 第二点は自然淘汰とは要するに生存競争の結果、最適者だけが生き延びるという原理であるが、この原理は単に生き残る適応性をもった個体は、適応性をもたない個体よりも生き延びる可能性が大きい、という自明のことを示しているに過ぎず、一種の同語反復におちいっている。最適者とは、本質的に子孫をたくさん残すものであるから、こん原理は多くの子孫を残すであろう個体は多くの子孫を残すという結局は何も教えない原理に過ぎない。

 ダーウインの進化論については、この自然淘汰の矛盾のみならず、他の矛盾もいくつか指摘されている。それを簡単に列挙してみよう。
 まず化石における矛盾で種と種のあいだの中間種(例えば魚と両生類のあいの子のようなもの)の化石がなければならないのに、全くなく、化石の記録は、実際に進化が起きたかどうか立証できないといわれている。

 第二は品種改良における矛盾で、いくら念入りに品種改良をしても、変種は生まれるが、それが別の種(例えばリンゴがみかんになったりすること)になることは決してないといわれている。また変種は種の存続を安定させるために生じ、突然変異も別の種にかわるためではなく、種の多様性を維持し、種を保存するために起こるといわれている。したがって突然変異は進化には何の影響もあたえない、と考えられている。

 第三は確率的矛盾で、ダーウインによると時間さえ十分にあれば、確率はごくわずかでも、小さな変化がつもりかさなって、一つの種が他の種にすすむと考えられているが、数学者の計算によると、アメーバのような単細胞生物の発生すら、十の数万乗分の一、つまり確率は事実上ゼロで、偶然の突然変異によって新たな種が生まれることは絶対にありえないとみなされている。
 また単細胞生物の大腸菌には百科事典の一億ページ分に等しい情報が入っていて、ある科学者は生命が単細胞ににまでいたる進化過程は、それから人間にいたるまでの進化過程を全部ひとまとめにしたものと同じくらいドラマチックで長い道程である、と語っている。

 以上簡単にダーウインの進化論の矛盾をみてきたが、これらの矛盾から次のことが明らかとなる。
 それは進化論とは事実に基づかない空論、何の証明もされない理論に基づく科学、つまり非科学的な理論にほかならないということである。
 なぜなら科学的とは、具体的に実験、再現等によって検証でき、正しさが証明されることを意味するが、進化論とは観察、実験、検証の全く不可能な理論だからである。

 科学史家によるとダーウインの進化論は自然観察というよりは、当時の社会の観察、社会理論によって生まれた自然を題材にして展開される一種の思想ともいえるもので、当時の特にブルジョア階級の人々によって熱狂的に支持され、利用されたといわれている。 
ダーウインの弱肉強食、優勝劣敗、淘汰等の考え方は、権力、富をもつ上層の人々にとって、自分たちの生き方を正当化してくれる誠に好都合な考え方で、産業革命のおよんだ国々には必ず進化論も根を下ろし、熱狂的に受け入れられたといわれている。

 ダーウインの進化論は、その後人間中心主義の科学技術文明の隆盛に便乗して、社会理論とも結びつき、社会ダーウイニズム、社会進化論(人間社会をダーウイン原理によって解釈する)等として展開していくのであるが、そもそも進化とは生物学的概念で、社会理論には使用されるべきものではないから、種々の問題(例えば結婚制限や断種などによって遺伝的に人間の改善を図ろうとした優生学という空恐ろしい学問やそれを民族的レベルで実施したナチズムの暴挙等)をひきおこすことになったのである。

 ダーウイン以外の進化論については別冊宝島四十五『進化論を愉しむ本』をみていただくことにして、次にそこに掲載されていない共生的進化論についてみてみよう。
 この進化論は生物は互いにたすけあいながら進化したとする新しい学説で、第二次大戦後の新しい学問上の発見を総合して1960年代に成立したが、最初は学会から全く相手にされなかった、といわれている。

 「この説によって進化を説明すれば次のようになる。生命の材料に満ちた原初の海に、何らかの過程によって発生した原初生物が浮かんでいたところから出発する。この原初生物は、大腸菌のように細胞内に核をもたず、しかも細胞一個で生きている単純なものであった。この単純な細胞が、核をもつ一段上の細胞に進化するとき、それまで存在していたいくつかの単純な細胞や、その一部が、一つの新しい細胞の体を形成し、その中で協調的な働きをするようになる。そしてこの新しい細胞は、格段優れた機能をもつ細胞となる。つまり複雑な働きをする細胞は、強いものが弱いものをやっつけるというかたちで生まれたのではなく、それぞれ独自の働きをする、単純な生命体が、互いにたすけあって作り出されたというのである」(村上和雄著『人間信仰科学』一五九頁)

 この進化論は従来の対立、競争を原動力とする進化論とは大きく異なり、「たすけ合い、ゆずり合い、わかち合いの三つの合いが本当の進化の原動力だとする考え方」(前掲書一六〇頁)であり、自然の真理により近づくものであるから、興味深い学説といえる。しかしそもそも進化はなぜ、何のために起こるのかという最も大切な問いについては、我々に何も教えてはくれない、というよりその問いに答えることができない。

 物事がいかなる状態で存在するかを分析的方法で追求するが、それがなぜ、何のために存在するのかとなると全くお手上げになる科学の限界をこの進化論も我々に示しているということができる。

2012年5月13日日曜日

No.80 教理随想(31) 「元の理」と科学




今回は「元の理」の表現様式である神話(従来の神話と同一次元のものではなく、神による象徴的な話という意味)と科学における知識のあり方の相違について考えてみたい。
 
一般に日常的、科学的な知識によって表現されず、「どじょう」、「かめ」等の動物を使って象徴的に、具体的なイメージによって説明されている「元の理」は、荒唐無稽な前近代的で克服されるべき遅れた低級の知識、神話にすぎず、科学の発達とともに霧消していくものと考えられがちである。

 また動物の具体的イメージによって表現されたのは、聞く相手が知的レベルの低い農民であり、内容を単にわかりやすくするためであったと考えられやすい。
 がはたして「元の理」はおとぎ話で、非科学的な話であろうか。
 また単に内容をわかりやすくするために、象徴的な表現になっているのであろうか。

 一般に科学こそ正しい真理を伝えるもので、神話は虚偽との価値判断がなされやすいが、科学の知とは一体何であり、どのようなあり方をしているのであろうか。
 まず科学の知の対象をみてみると、科学的であることは、実証的であることから、実際に観察、実験が可能で、かつ数量化しうるものだけが対象となる。

また科学の知とは、実在するものの質的な相違、多義性、意味、価値等を度外視し、質的なものを量的に(例えば音を音波の振幅の大小によって、色を光線の波長の長短によって)説明するという抽象作用によって、また理論化という抽象作用によって成立するのであるから、単に実在するものの一面に関わるにすぎず、実在をあるがままに捉えているわけではない。
 したがって科学の知は、実在するすべてについての知識ではなく、単に部分的、一面的な知識にすぎないのである。

 ところでこのように言うと科学はまだ未発達であるから、いまはそうかもしれないが、将来すべてのものを対象とし、科学によって解明されないものはなくなる、という見方がでてくるかもしれないが、科学の限界は、今現在においてだけの程度上のものではなく、科学に内在する原理に由来するものである。

 なぜならこの世界には、科学の立場からは原理的に肯定も否定もできないような、生と死、人生の意味、目的、価値、理想等の個人に関わる実存的な問題、主体としての精神、絶対的な存在等が数多く存在するからである。

このような科学の限界については、科学の認識方法についても、不確定性原理における観測の問題によっても指摘されている。
 近代科学の方法の中心となったのは、分析加算方法、物を最も単純な要素に分解し、それらの要素の性質を明らかにすることによって、全体を再構成する方法である。これによって物の研究において大きな成果をあげたが、現在では素粒子を扱うミクロの物理学において、例えば電子の位置を決めようとすると電子の速度があいまいになり、速度を決めようとすると、位置があいまいになって要素の不確定性がふえ、電子の運動の状態を正確に知ることができない。また電子が粒子と波という相反する性質を同時にもっているために、これまでの分析的方法を適用できなくなっているといわれている。

 また要素と全体の関係についても、全体は要素に依存すると同時に、要素も全体との関連においてはじめて成立するから、分離された要素をいくら集めても、決して一つの全体にならないことが、特に生命現象の研究において明らかにされている。

 このようにみてくると、結局科学の知とは、いかに精密になり、量的にふえても、実在するものの一部に光をあてる一面的で不完全な知識であるということになる。
 したがって科学が全能か、限界はあるのか、という反省や批判の精神を失って科学を妄信することは、それは反科学的な独断ということになる。

 この科学の知にたいする神話の知とはどのようなものであろうか。
 最近科学への過信が反省されるようになって、人々の神話への関心が種々の立場から高まっているといわれている。
 特に構造主義者のレビイストロースによると、神話とは宇宙、世界の秩序や現在あるものを、太古の具体的なイメージ、出来事をつかって説明しているので、科学とあまり異なっておらず、神話においては異なった論理が使われているに過ぎないと考えられ、神話の持つ意味が高く評価されている。

 では神話における科学と異なった論理、考え方とは何であろうか。
 科学の知においては、観察する主体と対象の自然とは徹底的に区別され、自然は必然的な因果関係に従う機械的なものとして、切り離して考えられる。しかし神話においては、「元の理」において「一尺八寸に成人した時、海山も天地も日月も漸く区別できるように、かたまりかけてきた」と示されているように、自然と我々人間とは生きた有機的なつながりをもったものとみなされる。

 無機的な自然(光、水、空気、土等)も生けるものとして擬人化されるので、現代人からは古代の精霊信仰、アニミズムの復活として批判されるのであるが、生態学(エコロジー)を見るとき、その批判は当たらないと思われる。
 生態学においては、無機的な自然と生物(人間を含む)の共存共栄関係、両者の有機的なつながりが解明されつつあるからである。

 また神話は科学のような抽象的な概念によってではなく、動物や月日というような天体等の具体的なイメージ、象徴によって語られるが、これは知的レベルが低いことを示すのではなく、ふつうの経験をこえる実在や現象の根底、不思議な働き等は、もはや抽象的概念によっては表現されえないからである。
「象徴というものは、そのいわく言い難いものに表現を与え、それによって人間の心魂の奥深い所に働きかけ、それをゆり動かすもの」(松本滋氏第三巻82頁)であり、それを理解する者のレベルに応じて様々な悟り、解釈を可能にし、また行為にかりたてるものである。 

 したがって神話の知は、科学の知と異なり、われわれの生き方に意味、方向性を与えるが、これは人間には現実の生活の中で見失い、科学が無残にも切り捨ててきた宇宙の神的な秩序や生命の故郷への郷愁があるためであり、また人間とは常に生きる意味や自己了解を求める存在でもあるからと思われる。

 しかしまさにこの点において、現代においても科学、技術、財貨、政治等における神話が、それと気づかれずにつくりだされ、それによって無知の大衆が巧妙に操作されるということがおこりうるのである。

 したがって我々に求められることは、神話を非神話化したり、理論から神話性を取りのぞくことであるよりも、むしろ神話の中身、構造をじっくり吟味し、神話の指示するものを深く考え直すことであるといわなければならない。「元の理」についてもおなじことであると思われる。

2012年5月3日木曜日

No.79 教理随想(30) 「元の理」と神話

 益田勝美氏は『ムック』第二号において「元の理」には「ほんとうの神話が、しかも従来のどの伝承とも全く別のたぐいまれな思想をたたえた新しい神話が、創造されている。」(173頁)と述べているが、では「元の理」は従来の神話と一体どの点において異なっているのだろうか。
 今回はこの問題について考えてみよう。

 さて従来の古今東西の神話との相違について色々あげられると思うが、人間創造の目的、意義が「陽気ぐらし」として明確に示されていることについては、説明するまでもない。そこでここでは「元の理」においては、焦点があくまで人間におかれ、人間中心の創世説話になっている点についてまず検討してみよう。

 村上重良氏は『ムック』第二号において「こふき」神話と記紀神話と題する論文をのせ、記紀神話は古代における天皇の全国土の政治支配を正当化し、その政治権力を基礎付けるために編成された政治神話に他ならず、日本の国土の創成は語られても、人間創造の意義にはふれられていないのに対して、「こふき」神話は、徹頭徹尾、人間本位の神話であると、述べている。(168~169頁)

 また益田氏は「こふき」神話が、当時の政治権力によって弾圧されたのは、記紀神話と同じ神名を使っているという理由によるというよりは、官憲がむしろ「こふき」神話を貫流する「強靭な生命力」にショックをうけ、それが自分たちに向けられていると本能的に感じたからと推論し、「元の理」は、「人間出現の意義の大きさ」、「人間存在の重み」を教えるものである、と述べている。(174頁)

 ではこの人間本位の神話、「人間存在の重み」は、具体的には「元の理」、「こふき」話のどの点にうかがえるのであろうか。
 
 「神の古記」(明治十六年本)によると、次のように説かれている。
 「とろのうみに、月日りょにんいたばかりでわ、神とゆうてうやまうものなし、なにのたのしみもなく、人げんをこしらゑ、そのうゑせかいをこしらゑて、しゆごふさせば、にんげんわちょほ(重宝)なるもので、よふきゆうさんを見て、そのたなにごともみられることとそふだん(相談)さだまり」
 
  つまり人間世界創造のときの順序が「人間をこしらえ、その上世界をこしらえて」と、あくまで人間が先になっている点にうかがえる。

 「元の理」においては「一尺八寸に成人した時、海山も天地も日月も、漸く区別できるように、かたまりかけてきた」、「五尺になった時、海山も天地も世界も皆出来て」と示されているように、人間の成長の過程と天地創造の過程が表裏一体となっている点にもうかがえるように思われる。

 キリスト教の創世記によると、五日間の天地万物の創造のあと、六日目に人間創造となるのであるが、この場合、神の栄光、創造の業に重点がおかれ、人間そのものは、「土のちりで人を造り、それに息を吹き入れた」と記されるように、神の栄光の前の、卑小な存在にすぎないものとしてみなされることになる。
 
  また「神の古記」の「人間は重宝なるもので、陽気遊山を見て、その他何事も見られる」というような人間観は、他の神話には絶対に見られないものと言えよう。

 ところで「元の理」は「過去的理解にのみとどまってはならず、現在的理解を必要とする」(深谷忠政著『元の理』9頁)のであるが、その現在的理解も「今までは陽気ぐらしの出来なかった人間(日常的人間)が元の理を理解実践して、陽気ぐらしの出来るおたすけをいただく信仰的成人の姿が元の理にしめされている」(同書10頁)というような象徴的理解、信仰体験に基づく実存的理解にとどまるのではなく、「今の今、現在生きている人間が、突き詰めて言えばまさしくこの自分が、いかに生かされて生きているか、という生命の根源に関わる話」(松本滋著『陽気ぐらしへの道』81頁)として、理解されなければならないと思う。

 松本滋氏はそのことを、
「身体の中に、また心の働きの中に、うなぎがいるのです。かれいもいるのです」、「みんな一緒になって整然と泳いでいるのです。それらが、ぬくみ、水気という基本的な神の働きと調和しつつ、みな力を寄せ合って、人間という不思議なものを構成しているのであります」(同書90頁)とわかりやすく説明している。

 次に「人間存在の重み」については、九億九万年の「水中の住居」を検討することによって考えてみよう。
 この「水中の住居」は文字通りうけとるとき、人間は「五尺になった時・・・陸上の生活をするようになった」のであるから、五尺になるまで海の中で生活をしていた、ということになってしまうので、あくまで象徴としてうけとられなければならないのであるが、その一つの意味は「親の懐にいだかれて、全く無意識のまま、ごく自然のまま人間が生かされていた」(松本滋氏『GTEN』 第三号59頁)こととして理解するのが妥当ではないかと思う。

 松本氏は人間は智恵、文字の仕込みによって、自己意識をもつようになり、今日の科学文明を築いているが、人間が自己意識をもって自立できるようになったのは、十億年を一年に換算して、一月一日から人間創造がはじめられたと考えるとき、十二月三十一日午後十一時五十五分ぐらいになり、「水中の住居」の中で、自己意識をもつようになる以前の人間を抱きかかえて育ててくださった年限がいかに長いものであるかを分かりやすく説明してくれている。

 ところで「水中の住居」については、松本氏の解釈とともに、それをさらに敷衍する次のような解釈も可能ではないだろうか。
     いままでハがくもんなぞとゆうたとて
  
    みえてない事さらにしろまい
                     (四,88)
 このお歌の「みえてない事」とはふつう「これから先の未だ少しも目に見えていない事柄」(『おふでさき講義』)として解釈されるが、
     いかほどにみえたる事をゆうたとて
  
   もとをしらねばハかるめハなし
                     (四、81)
のお歌が「みえたる事」は「もと」に支えられて今ある、と解されるなら、「みえてない事」とは、今現に見えない根拠として考えられるのではないか。そして将来の見えない事柄は、その根拠に含まれるということになるのではないだろうか。また、
     いままでも今がこのよのはじまりと
  
   ゆうてあれどもなんの事やら
                     (七,35)

 このお歌も「天保九年、この世の表に親神様がお現われ下されて、いよいよ本当の陽気ぐらしを、この元のぢばにおいておはじめ下されたのです。ですから、これはやはりこの世の初まりである、入信した時が、その人にとってのこの世の初まり」(『おふでさき講義』)と解されているのであるが、そのような意味だけではなく、今現われているものの根拠についてのお歌で、「このよのはじまり」は今現在の存在を支える根源でもあると考えられる。なぜなら親神は永遠の現在において実在する時間を超越する存在で、「このよのはじまり」と今われわれの生かされている現在は親神にとって同時であるからである。

 このように考えるとき、「水中の住居」とは、現在あらわれて見えているものを支えているみえない根拠、根源であり、それがいかに大きなものであるかを「水中の住居」によって教えられているのではないだろうか。
 われわれはともすると、 
     それよりも神のしゆことゆうものわ
  
   なみたいていな事でないぞや
                     (四,125)
     これからわ神のしゆごとゆものハ
  
   なみたいていな事でないそや
                    (六、40)
     月日よりたん~~心つくしきり
  
   そのゆへなるのにんげんである
                     (六,88)
等のお歌を、親神の人間創造のときの御苦労、五尺の人間に育て上げるまでの御苦労としてのみ理解し、今現在における人間を育て、成人させる上での御苦労を見落としがちになるが、「水中の住居」によって教えられていることは、まさに今現在の「なみたいていな事でない」御苦労ではないだろうか。

 また「水中の住居」と智恵、文字の仕込みの年限の比率は、十億対一万、十万対一であるが、この比率は今現在のわれわれの生命における見えない、意志の及ばない働きと、目に見える、自己意識による働き、意志の及ぶ働きの比率と考えることもできるのではないか。
     いままでにないたすけをばするからハ
  
   もとをしらさん事においてわ
                     (九、29)
 この「もと」は単なる過去の起源ではなく、現在の根拠、根源であり、それを教えない限り、「つとめ」を教えることができず、真のたすけも完成しないから、親神はわれわれに一見荒唐無稽にみえる、単なる昔話、神話に思えるような「元の理」を教えられたと思われる。
 

2012年4月16日月曜日

No.78 教理随想(29) 天理王命、教祖、ぢば、は理一つ(4) (完)

 次に問題となるのは、この教祖のお働きと天理王命、親神の働きとはどのようにつながり、また区別されるのかということである。

 天理王命と教祖については、先に見たように理において一つであるが、このことは両者が全く同じ働きをしており、実質的な区別はないということではない。われわれは教祖を通して、親神によって救けられるのであるが、これはいかなる意味であろうか。

 先に天理王命と「ぢば」の関係は、「かぐらづとめ」と「ぢば」の結びつきでもあり、教祖と「ぢば」が「さづけ」と「ぢば」の関係でもあることをみてきたが、もしこのような見方が許されるなら、親神と教祖のお働きの相違は、「つとめ」と「さづけ」の関係と区別に対応するものとして考えることができるであろう。

 では「つとめ」と「さづけ」とはどのようにつながり、区別されるのであろうか。
・・・つとめとさづけとは、親神が、世界一れつに、陽気ぐらしをさせてやりたい、との切なる親心によって教えられた、たすけ一条の道・・・  (『教典』23~24頁)
であるが、「つとめ」は、
    ・・人間個々の身上や事情に限らず、更に、豊かな稔りや平和の栄えなど、広く世界の上に、親神の恵みを及ぼす・・・
            (『教典』22頁)
万人万事の救済であるのにたいして、「さづけ」は個人の身上救済であり、この点に相違があると説かれる。

 しかしながら、両者の相違は単に万人と個人、万事と一事という量的な差異にすぎないのであろうか。
 清水国雄氏は『未来に向かって対話する天理教』の中で、教祖九十年祭のときの『諭達』の一節、
    ・・教祖は、さづけを渡しよふぼくを育てて、人々の成人を促しつつ、つとめの模様立てを進められた・・・を、
    ・・おさづけの理というのは、おつとめの模様立てというか、おつとめが成就する、おつとめができるような態勢をつくりだす一つの順序である・・・(228頁)
と理解しているが、この見方をさらに深め、より理論化すると次のようになるのではないか。
 
「つとめ」とは、先にみたように単に太古の人間創造の奇しき守護をいただくものであるのみならず、この世、人間身の内における十全の守護を保証するものでもあり、「さづけ」の「個人の身上だすけの働き」にたいしてより「全体的、根源的な働き」であるといえる。しかしこのことは「さづけ」は「つとめ」より理が軽く、軽視できるものであるという意味ではない。

逆に「つとめ」による「全体的、根源的な働き」における歪み、あるいは欠如(身上)を正すことによって、全体の働きのバランスを回復させ、その働きをより活性化させるという積極的な意義を持つ、といえるのではないだろうか。

 すなわち「さづけ」は単なる病気だすけではなく、それによって、われわれの身の内に働いている、ともすると忘れやすい、親神の十全の守護の一端を実感させ、病気だすけ以上に大きな、生かされている御守護、大恩に目覚めさせるところに真の意義があると考えることができるのなら、「さづけ」の徹底によって、親神の十全の守護をより大きく受け取れるようになる。
つまり「つとめ」がより成就され、「つとめ」の徹底によって、「さづけ」の部分的、個的な救済、すなわち守護がより活性化する関係にあると言えるのではないだろうか。

 もし「つとめ」と「さづけ」の関係が以上のように理解されるなら、親神と教祖のお働きの相違は、その理においては一つであるが、「つとめ」によって表現されている親神の現在的な「不断の創造」、十全の守護の働きと、それを前提として、その守護をより完全たらしめるためのお働きとして、理解されるのではないだろうか。

 つまり教祖は「存命の理」によって、「さづけ」による不思議だすけを通して、親神の十全の守護、生かされている大恩に目覚めさせ、「つとめ」の完成に心を向けさせることによって、真のたすけを実現すべく日々お働きになっている。この意味では、親神と教祖のお働きには、たすけ一条の一なる働きの二つの側面である、と悟ることができるのではないか。

 以上のように見てくるとき「天理王命、教祖、ぢばは、その理一つ」とは、「つとめ」、「さづけ」、「ぢば」の理が一つということでもあり、「ぢば」を中心として、「つとめ」と「さづけ」によって世界だすけが推進されていくこととして理解される。

「天理王命、教祖、ぢばはその理一つ」の教えは、この意味で、本教の根幹をなす教義であり、これを認めずして本教の信仰は成立しないと言えるのである。 ( 完 )