2011年10月14日金曜日

No.44 教祖を身近に 連載 第44回  働く手は 

働く手は

「奉公すれば、これは親方のものと思わず、蔭日向なく自分の事と思うてするのやで」「我が事と思うてするから、我が事になる」「働くというのは、はたはたの者を楽にするから、はたらくと言うのや」(『逸話篇』九七)「働くが楽しみ」(M24,11,28
 
教祖は労働における心の置き所について、このように教えられています。極めて意義深い画期的な内容になっていると思われます。
 これまでの労働観を概観してみましょう。
ギリシャ時代において労働は、真理を観ること、テオリア(観照)を妨げ、理性の眼をくもらせるものとして卑しめられ、奴隷におしつけられるべきものと考えられていました。完全な人間は貴族で、労働せず、閑暇をもち、政治を動かし、闘技に明け暮れ、戦争に参加し、精神的作品を生み出す、と見なされてきました。

 旧約聖書の「創世記」ではアダムとイブがエデンの園の「善悪を知る木」から実をとって食べた罰として苦しい労働を課せられ、それに耐えることが罪の償いと解されています。このような見方は哲学者マルクスの労働観にも影をおとしているように思われます。「労働の疎遠性は、物質上またはその他の強制が何も存在しなくなるやいなや、労働がペストのように忌み嫌われるということに、はっきりと現われてくる」(『経済学哲学草稿』)「疎遠性」は労働によって人間が疎外される(労働が強制された働き甲斐のないものとして感じられること)ことによって生じると考えられていますが、極めて精神的なものですから、共産主義経済体制になり、富が平等に分配されるようになったからといって簡単に消えるものではありません。
 マルクスは生産物、生産効率と結び付けられた労働を問題にしても、労働そのもの、働くことの意味は不問に付されているように思われます。
 
宗教改革者のルターは、労働を罪の償い、罰の遂行としてみるのではなく、職業(Beruf)は、神の召命、神から授けられた使命(berufenには任命する、天職を授けるという意味があります)で、労働という行為そのものに積極的で神聖な意義や価値を見出そうとしています。
 
東洋の労働観に目を転じてみましょう。
東洋においては西洋のように、自然を征服して支配下におくという考え方はありません。江戸時代初期の鈴木正三の「農業はすなわち仏行なり」、労働することの中に仏法がある、との見方や道元禅師の「日々の労働(食事をつくることなどの雑用を含む一切の仕事)が即修行である」、「ただひたすらに働くことがそのまま仏の行である」という労働観にみられますように、自然との一体感や絶対的な世界との接触が労働において重視されることになります。
 
では一体人はなぜ働くのでしょうか。
賃金や財産という生活の糧を単に手に入れるためと考えますと、巨億の富をえても尚働いたり、無報酬の仕事を喜んでする人がいることの説明ができません。最近特に問題になっている市場原理主義とは、拝金主義に他ならず、金儲けを目的にして、労働を単なる手段とみなすところに生まれてきます。
 
この他にも労働の意味を道徳に求める考え方もあります。「労働こそ、美徳であり、善である」との勤労道徳は、社会において否定することはできませんが、道徳によって労働を基礎付けることは、そこにはかえって強制感、抑圧感、働く者と働かざる者との優劣や善悪の価値判断がつきまとうように思われます。憲法第二七条「すべての国民は勤労の権利を有し、義務を負う」にみられます「義務としての労働」も人は働かなければならない、と命じるだけで、働くことの意味は不問のままです。

 教祖が月日のやしろになられる以前に、ある怠け者の作男を導かれる逸話があります。教祖はこの作男を見捨てることなく、いつも「ご苦労さん」と優しいお言葉をかけられます。それに対して「作男は、初めのうちは、それをよい事にして、尚も、怠け続けたが、やがて、これでは申訳ないと気付いて働き出し、後には人一倍の働き手となった」(『教祖伝』十九,二十頁)と伝えられています。教祖に徳化され、作男が働かずにおれない気持になったと考えますと、働くことは生きる欲求とともに人間の根源的な欲求であり、人間が社会的存在としての人間でありうることの条件であるという意味をもっているのではないでしょうか。

労働は個人が自分の利害だけを考えて行動しても、必ず誰かのため、他人のためにもなります。自分の満足を目指すものでありながら、他人の欲求を満たすものともなります。当人が意識しなくとも、自分のための行為が他人の欲求をみたすのに役立っている。つまり互いに依存しあっていることが労働の大切な一面として考えられます。
「なにかよろづのたすけあい むねのうちよりしあんせよ」(四下り、七つ)「我がの事人がする。人の事我する。これ道理やろう」(M32,12,19)は正にそのことを教示されていると悟ることができます。

 教祖は「商売人はなあ、高う買うて、安う売るのやで」(『逸話篇』一〇四、一六五)と教えられていますが、これは最近の商法にみられます薄利多売を示唆されているわけでは決してありません。薄利多売はどこまでも利益を目的とした商売のあり方を示すもので、そこでは労働はあくまで単なる手段となっています。

「高う買うて、安う売る」とは、問屋、顧客に感謝して、喜ばせることを第一に考え、自分の利益は後回しにすることで、それが共に栄える商売の道、働くことの本質であることを教祖は私たちに教えられているわけであります。「はたはたの者を楽にするから、はたらくと言う」とはまさにそのことを意味していて、働くことによって他者とともに自分もまた成り立つという、人間存在の根源的なあり方を教えられていると考えられます。

 評論家の小浜逸郎氏は「人間にとって他者から承認されることは、ほとんど本能的ともいえる根源的な欲求である」という仮説を前提にして次のような見解を示しています。
 「他者から承認されたいという欲求を満たすための第一条件は、エロス的な他者(家族、恋人、友人等)との関係がうまく保たれること、第二条件は社会的な他者(他人、仕事相手、組織内の人々等)に向かって投げ入れた自分の行為が、確実に、良い報いを得ていること、他者によって承認されていると実感できることである」(『人間はなぜ働かなくてはならないのか』)
 
これによりますと、働くことの本質は、働くことによって得られる人間の相互承認、存在確認ということで、これが根本にあって、その結果として働く喜びが生まれたり、金銭の授受が成立するということになります。 
 この二条件に親神によって生かされていて働くことが出来ることを加えますと、生かされている大恩への報恩が働くことの根底に据えられて本教の労働観が成立するのではないでしょうか。

 最後に奉公において仕事を「自分の事」、「我が事」と思ってすることについて考えてみます。このことはどんな仕事であっても、利他より私利のことを考えなさい、ということでは決してありません。私利をなくすのではなく、忘れて、まず利他を自主的に優先的に考えて、仕事をすることであり、それとともに常に当事者意識を忘れないこと、つまり例えば会社で問題が起きたときに、経営者が悪い、上司が悪い等と誰かの責任にするのではなく、それを自分のせいでもあると、それぞれが自己責任意識をもつことを教えられていると思われます。この意識をもつことによってはじめて私たちは労働を通して他者と喜びや楽しみをわかちあうだけでなく、また時には苦しみや悲しみを共有し、あらゆる苦難にも立ち向かっていくことができるのではないでしょうか。協同の働きの中で、私たちは地位や身分の差をこえて、一人の人間として他者に対面し、他者の心にふれることができ、そのとき働き甲斐が生きがいとして感じられるようになると思われます。

2011年10月13日木曜日

No.43 教祖を身近に 連載 第43回  前生のさんげ 

                     前生のさんげ

  『堺に昆布屋の娘があった。手癖が悪いので、親が願い出て、教祖に伺ったところ、「それは、前生のいんねんや。この子がするのやない。親が前生にして置いたのや。」と、仰せられた。それで、親が、心からさんげしたところ、鮮やかな御守護を頂いた、という。』(『逸話篇』一七二)
 
『広辞苑』には懺悔は、さんげ、ざんげとも読まれ、過去の罪悪を仏または人に告げること、罪過をあきらかにして悔いること、キリスト教で罪悪を自覚し、これを告白し悔い改めること、と説明されています。これに対して本教の「さんげ」はさらに深い意味をもっていると思われます。三つのポイントをおさえてみましょう。
 
  まず第一は、「さんげ」は出直しを前提としていますので、過去の罪悪の悔い改めといっても、今生にとどまらず、前生における心遣い、埃、いんねんの自覚、反省が求められる点にあります。逸話中の親子の前生の関係、親の前生の通り方について『正文遺韻抄』では次のように説明されています。

 親は父親で、十年前に妻と死別します。手癖の悪い娘は前生ではその父親の妻で、前生父親は相当な暮らしをしているのに、盗みを重ね、妻がそのことを嘆いたり、恨んだりするうちに死に、今生では娘となって生まれてきた、父親がそのことを心からさんげして、娘の盗み癖が治った、という話です。つまり「さんげ」とは、この場合娘の姿に父親の前生の通り方が示されていると信じ、それを心からお詫びするということになります。
 
                一れつにあしきとゆうてないけれど 

                一寸のほこりがついたゆへなり       (一、53)
 
   おふでさきには確かに罪とか罰、業、宿業というような宿命論的な言葉はありません。「一寸のほこり」と教えられていますので、簡単にとりのぞくことができるように思われますが、最初は「一寸のほこり」でも、何回も生まれかわりするうちに、掃除を怠ると、かなりの量の埃、いんねんとなり、払うことが難しくなり、益々埃を積み重ねていくことになります。

 おさしづに「よそのほこりは見えて、内々のほこりが見えん」(M24,11,15

       「人が障りがあればあれはほこりやと言う。どうも情け無い。日々の理が辛い」                                                              (M22,10,9
  
    「身の内苦しんで居る処を見て尋ねるは、辛度の上に辛度を掛けるようなもの」                                                               (M25,11,119)
と教示されています。
 「尋ねる」とは相手の埃を尋ね、詮索することと考えますと、埃、いんねんの教理はともすると相手を責める道具として使われやすいのですが、あくまで自分の日々の心遣い、前生を含む過去の心遣いを反省するために使うべきであることを厳しく戒められていると悟れます。
 
キリスト教のパウロは自責の念にかられ、次のように述べています。
「わたしは、内なる人としては神の律法を喜んでいるが、わたしの肢体には別の律法があって、わたしの心の法則に対して戦いをいどみ、そして肢体に存在する罪の法則の中に、わたしをとりこにしているのを見る。わたしは、なんというみじめな人間なのだろう」                                           (ローマ人への手紙、第七章)

  一見誠実な反省に思えますが、欲望のとりこになっている恥ずべき情けない自分を感じていながら、同時にもう一方の「内なる人」が神の律法に仕えていることを喜んでいるところに、不謹慎と思われるかもしれませんが、人格が分裂している不誠実さが感じられるのではないでしょうか。

  「あなたがたの中で罪のない者が、まずこの女〔『姦淫』(不倫)をした女〕に石を投げつけるがよい」(ヨハネ第八章7)(モーゼの律法では姦淫の罪には石打の刑罰が与えられる)とイエスに言われ、石打をやめて、その場を静かに立ち去っていく人々に誠実さが素直に感じられます。
 
作家の遠藤周作氏は次のように述べてキリスト教の精神を説明しています。

 『キリストの教えた本当の精神の一つは、いかなる人間も高見から他人を裁く資格はないということです。信仰者の陥りやすい過ちの一つは自分は神から選ばれた人間である故に、神を知らぬ人々をひそかに裁き、軽蔑するという気持だ。自分を正しい心の立派な人間と思い、他人の過ちや罪を蔑むこと、キリストはこれを最も嫌ったのでした。大事なことは自分も他人も同じように弱い人間であることを知り、そして他人の苦悩や哀しみにいつも共感すること、これをキリストは聖書の中で「女性を通して」教えているのです。』(『聖書のなかの女性たち』講談社 141~142ページ))
 
キリスト教には前生の教えはありませんが、前生を教える仏教では、さらに深い自省、自己凝視がなされます。

『歎異抄』十三条で親鸞は弟子唯円に次のように諭しています。

「卯毛、羊毛のさきにいるちりばかりも、つくるつみの宿業にあらずといふことなし」(ウサギの毛や羊の毛の先についている塵のような目にみえるか見えないような小さな罪でも、前世からの因縁によらないものはない)
 
「わがこころのよくてころさずにはあらず、また害せじとおもふとも百人、千人をころすこともあるべし」(自分の心が良くて人を殺さないのではない。また殺すまいと思っても、百人、千人も殺すことさえあるであろう)

 前生いんねんの自覚は極めて難しいものですが、これによって真の自分に目覚めることができ、最近特に求められています弱者、敗者、劣者への思いやり、いたわりの心、たすけの心が生まれ、また他人を許せる心になれるのではないでしょうか。

 第二のポイントは、「たんのうは前生いんねんのさんげ」と教示されますように、「さんげ」は、「たんのう」を伴っている点であります。
 「たんのう」とは「日々、いかなる事が起ころうとも、その中に親心を悟って、益々心をひきしめつつ喜び勇むことである。」(『教典』七六頁)と明示されていますが、この「親心」とは具体的には親神が節によって心遣いの反省を求めるとともに、節によって埃を強制的にではありますが、そうじして下さり、陽気ぐらしに一歩近づけるようにして下さっていることと、いんねんの割には大難を小難にして見せて下さっていることとして考えられます。

 第三のポイントは「さんげ」は将来に向かっての心定めによってはじめて受け取って頂けるという点であります。
         「これから生涯先の事情定めるのがさんげ」(M25,2,8

        「さんげだけでは受け取れん。それを運んでこそさんげという」                                (M29,4,4

 この「心定め」はこれから単に間違った心遣いをしませんというような消極的なものではなく、これから親神によって生かされている大恩と教祖によってお助けいただき、お導き頂いている御恩への御恩報じを生涯末代たすけ一条を通してさせていただくという「心定め」であり、この心定めの実行によって、前生いんねんの納消という御守護をみせて頂けるのであります。

        「身のさんげ心のさんげ理のさんげ、どうでもせにゃならん」                                 (M32,10,2
ともご教示頂いています。
 
  前生のさんげ、前生いんねんの自覚は、原罪や宿業の自覚のように、私たちを虚無的にさせ、あの世、彼岸での救済を空しく志向させるものではなく、逆にこの世でのたすけ一条による真の救済の成就を可能にするものであります。またたすけ一条のエネルギーは生かされている大恩への報恩の念とより徹底した前生のいんねんの自覚によってもたらされ、その両者が今希求されているのではないでしょうか。

No.42 教祖を身近に 連載 第42回 金銭は二の切り 

金銭は二の切り

命あっての物種と言うてある。身上がもとや。金銭は二の切りや」、「早く、二の切りを惜しまずに施しして、身上を救からにゃならん」、「惜しいと思う金銭、宝残りて、身を捨てる。これ、心通りやろ。そこで二の切りを以て身の難救かったら、これが、大難小難という理やで」(『逸話篇』一七八)
 教祖はここで「金銭は二の切り」と教えられています。「二の切り」とは二番目に大切なもの、という意味ですが、では一番大切なものは何でしょうか。
 
古来宗教において金銭、富は卑しいもの、人の心を惑わす否定的な価値しか持たないものとみなされてきました。キリスト教では「富んでいる者が天国にはいるのは、むずかしいものである。また、あなたがたに言うが、富んでいる者が神の国にはいるよりは、らくだが針の穴を通る方がもっとやさしい」(マタイ十九章二三~二四)と教えられ、富より神の国、神の義を求めること、つまり信仰が大切なものとみなされ、金銭には消極的な価値しか認められていません。
 
仏教においても道元禅師は同じことを説いています。「学道の人(仏道を学ぼうとする者)はまず須く(ぜひとも)貧なるべし。財多ければ必ず其の志を失う」、「僧は三衣一鉢(必要最低の持ち物)の外は財宝をもたず、居処(住む所)を思わず、衣食を貪らざる間、一向に(いちずに)学道すれば分分に(分相応に)皆得益(利益)あるなり。其のゆえは貧なるが(ゆえに)道に親しきなり」(『正法眼蔵随聞記』第三、十一)ここでは学道、求道心、信心にとって財は邪魔なものとみなされています。

 世間でも「地獄の沙汰も金次第」、「金の切れ目が縁の切れ目」などのことわざに示されますように、金銭にマイナスのイメージがつきまといやすのですが、この場合金銭に対置されているのは、清貧という言葉からわかりますように、貧しくとも清らかな心、高貴な精神、「外の錦より心の錦」(M35.7.2
ではないでしょうか。旧制一高の寮歌の歌詞にある「栄華の巷低く見て」には、世間の人が血眼になって追求している富や栄達を見下ろせる高邁な精神が誇らしげに示されています。
 
またトマスモアの『ユートピア』に次のように記されています。「金や銀で大体彼らは何をつくるかといえば、実に便器である」、「およそ考えられるあらゆる手段方法を通じて、金銀を汚いもの、恥ずべきものという観念を人々の心に植え付けようとするのである」(岩波文庫)
 ユートピア(桃源郷)では、人々の心も清浄潔白であるために、もはや金銀への執着はない、と考えられやすいのですが、金銀を汚さの象徴である便器にあえて使うところに、金銀へのとらわれや嫌悪感があるように思われます。
 
これまでの見方では、現世否定の信仰や精神が金銭より大切なものとみなされていますが、金銭の価値が否定されればされるほど、その反動として最近の風潮に見られますように、金儲けを人生の目的、最高の善とする拝金主義や経済至上主義、市場原理主義がはびこったり、IT成金や勝ち組と称せられる人々が大手を振って闊歩することが助長されたりするのではないでしょうか。

 では本教ではどのように考えられるのでしょうか。
「命あっての物種」、「身上がもとや」は生きているうちが花で、死ねば終わり、というような常識的な意味で教祖が仰せられたのではなく、金銭に対置されるのは、心、精神ではなく、生命であること、生命の尊厳の前に金銭等の価値が相対化され、低いものになる、ということを教えられているのではないでしょうか。
 
わかりやすく言いますと、人間の身体は約六十兆個の細胞から成り立っているといわれいます。細胞一個の値段はつけられませんが今仮に一円としますと、身体全体では六十兆円、十円としますと、六百兆円にもなります。ということは私たちは物、財産がなくても、地位、立場、身分の貴賎に関係なく、ただ生命がある、生かされているというだけで、それだけの価値のご守護を頂いているということになります。

 このような視点に立ってはじめて、たとえ何百、何千億の富であっても、その価値が相対化され、単に第二義的なもの、その獲得が目的とされるようなものではなく、手段にすぎないもので、その得失に一喜一憂する価値のないものと受け取れるようになるのではないでしょうか。

 おさしづに「何を持って来たさかいにどうする、という事は無い。心に結構という理を受け取るのや」、「百万の物持って来るよりも、一厘の心受け取る」(M35.7.20)と教示されています。教祖は「その品物よりも、その人の真心をお喜び下さるのが常であった」(『逸話篇』七)といわれています。また「貧者の一灯」という言葉もありますが、これは信仰においては物、金銭は必要ではない、神への御供の多少は問題とならない、真心だけあればいい、ということを教えられているわけでは決してありません。
「一厘の心」「真心」とは常識的な意味ではなく、生かされている大恩へのせずにおれない報恩の心、無欲のたすけ一条の心であって、その心の有無が問題とされているわけで、その心がより大きければ、「富者の万灯」のほうが「貧者の一灯」よりはるかに尊く、神に受け取って頂ける場合も考えられます。

「さあ~~実を買うのやで。価を以て実を買うのやで」、「実と言えば知ろまい、真実というは火、水、風」(M20.1.13
 これは真実の心があれば、親神の真実の御守護があることを教えるお言葉ですが、「価」を命の代価と考えますと、それは命がけ真剣なたすけ一条の行為であるとともに、命の身代わり(身代とは財産の意味)としての金銭でもあると悟ることもできます。
「二の切りを以て身の難救かったら、これが、大難小難という理」とは金銭によるおつくしによって救けて頂けるということですが、これは救済には金銭が絶対に必要で、金銭がないと身の難は救からない、金銭の御供えが多いと、より多くの御守護を頂けるということでは決してありません。

 また救済において金銭は不要であるということでもありません。金銭はあくまで手段、人と物、人と人をつなぐ働きをするもので、報恩の心を持って、物を生かし、人を喜ばせ、人をたすけるために使われてはじめて生きたもの、積極的な意義をもつものとなり、親神に受け取って頂けるようになります。そのような金銭は形はなくなっても「目に見えん徳」(『逸話篇』六三)となって身につき、必要なときに「月々年々余れば返す」M25.1.13 )と教えられますように、お与え下さり、様々な御守護を頂く元となります。教祖が貧に落ち切る道中によって教えられたことの一つの意味は、たすけ一条の一つの形としての、生かされている大恩への報恩としてのおつくし一条であったと悟らせて頂けると思われます。

No.41 教祖を身近に 連載 第41回  ようし、ようし 

ようし、ようし

『ある時,飯降よしゑが、「ちょとはなし、と、よろづよの終りに、何んで、ようし、ようしと言うのですか。」と伺うと、教祖は、「ちょとはなし、と、よろづよの仕舞に、ようし、ようしと言うが、これはどうでも言わなならん。ようし、ようしに、悪い事はないやろ。」と、お聞かせ下された。』(『逸話篇』一〇九)
 
教祖は、みかぐらうた第二節と第四節の終わりに「ようし、ようし」と付け加える(第二節は月次祭の時で朝夕のつとめではつけない)理由を「ようし、ようしに、悪い事はない」からと説明されています。また「どうでも言わなならん」と強調されていますが、なぜでしょうか。まずみかぐらうたの成立の背景、順序をみてみましょう。
 
まず第一節「あしきはらひたすけたまへ てんりわうのみこと」は慶応二年秋、小泉村(現大和郡山市)の不動院の修験者がお屋敷にやってきて乱暴狼藉を働いた直後に教えられています。この事件の様子は次のように記されています。
「どこからきたう(祈祷)のゆるしをうけたか、といふて質問致しまして、夫から御教祖様へせまって、悪口雑言を盡したさうでござりますが、御教祖様は、かやうなものには、更におあいてなりませず、口をとぢておいで遊ばすものですから、益々たけりくるって、刀をぬいてくすぎ(突き刺し)遂には、御教祖様のまのあたりへさしつけて、おどしました。それでも御教祖様は、一歩もおしりぞきにならず、びくともせず、口をむすび、まなこをとぢて、ゑみをふくんで、泰然と遊ばしてござるものですから、更におどかしのかひもなく、ぬいた刀のやりばがございませんから、尚も悪口雑言をはいて、たけりくるって、障子をさき、太鼓をきり、提灯をうち払って、さんざんあばれて出てゆきましたさうでござります」(『正文遺韻抄』六二頁)
 
またこの事件のあと、「ほこりはよけて通れよ、ほこりにさからうたら、自分も又ほこりをかぶらにゃならん程に、けっしてほこりにさからふやないで」、「しんじつもつてこの道つとめるなら、いかなる処も、こはきあぶなきはない。神がつれて通るほどに、決しておめも、おそれもするのやないで」(同
六三頁)とお仕込み下さっています。
 
この第一節は一見この事件が原因となって作製されたように思えますが、事件はあくまでもきっかけであり、第一節はつとめ場所が前年に完成していますので、事件に関係なく成立する必然性があったと思われます。
 また立教から二十九年目にして、第一節がようやく教えられます。なぜこんなに長い年数が必要であったのでしょうか。
 
一言でいいますと、神の心がわからない、人間の心の成人の鈍さ故ということですが、具体的には節のこれまでの見方、受け取り方の根強さが考えられます。
 古来否現在においても病気、事情、災難等のいわゆる「あしき」は悪霊、怨霊等が人々にたたったり、憑き物がついていることに起因するという考え方が根強くあります。キリスト教の中には、神と同じ霊的な存在として悪魔(サタン)がいて、神の救いを妨げ、人間に災いをもたらすと教える宗派もあります。また霊のたたりを強調し、信者をおそれさせることによって、信仰を強要する宗教もあります。
 現在においても同じ状況ですから、教祖ご在世当時は今以上に、節の原因を外来のものとする見方が強かったと思われます。
 
教祖はまず「なむ天理王命」と神名をひたすら唱える「唱名のおつとめ」(「当時のおつとめは、ただ拍子木をたたいて繰り返し~~神名を唱えるだけで、未だ手振りもなく、回数の定めもなく、線香を焚いて時間を計って居た」『教祖伝』四五、四六頁)を教えられ、これによって「あしき」の本来の原因である心のほこり(この時点ではまだ教えられていません)を払い、一時的に救けに浴せる手段を講じられます。そして第一節を教えられることになりますが、このお歌の「たすけ」は、まだ「あしき」の真の原因が内なる心であることがわからず、外からのものとうけとり、神名を唱え、神にひたすら祈願することによって与えられるものと考えられます。(明治十五年に「あしきはらひ」が「あしきをはらうて」となりますが、現行の「はらうて」の方は、「あしき」が内なる心に起因との自覚が明確にあります)

 次に第五節(一下り~十二下り)が慶応三年教祖七十才の年、正月から八月にかけて教えられます。この第五節では、一下りが豊作、二下りが健康と平和を中心に具体的な御守護が述べられ、「さんざい心」という信心の芽が、三下り以降、「ひとすぢ心」、「やさしき心」、「ふかい心」さらににをいがけ、たすけ一条の心、ひのきしん、報恩の心へと発展していき、世界のふしんに参画していくという信仰生活の心の成人が詳しく教えられ、求められていると考えられます。
 
続いて第二節と第四節が明治三年に教えられますが、「『よろづよ』は、十二下りのだしと仰せられて、十二下りのはじめに、つとめる事になりました」(『正文遺韻抄』七四頁)のに、なぜ十二下り、第五節の後に教えられたのでしょうか。
 第二、第四節は第一節が人間の神への祈願であるのに対して、「かみのいふこときいてくれ」、「なにかいさいをときゝかす」、「きゝたくばたづねくるならいうてきかす」
からわかりますように、神から人間へのお諭し、願いであり、その内容は「このよのぢいとてんとをかたどりて ふうふをこしらへきたるでな これハこのよのはじめだし」、元のいんねん、「元の理」、生命の起源、根源になっています。
 
この第二、第四節が第一、五節のあとに教えられているということは、第二、四節の内容が第一、五節の根拠になっているということ、第一節のたすけ、第五節で教えられます心の成人の実現のためには、親神の人間へのお諭しが分るようになることが必要ということで、少しでも分るようになることによって、親神から認めて頂ける、これが「ようし、ようし」の意味ではないでしょうか。またこの意味で「どうでも言わなならん」と教えられているように思われます。

 陽気ぐらしを目的に人間が創造され、今も変わらないご守護によってお育て頂き、お連れ通り頂いている、この御恩に報いるために、たすけ一条の心になって、用木として御用させて頂くことによって、明治八年に教えられます第三節のたすけが少しづつ実現していくことになるのではないでしょうか。従って第三節のたすけは、神人協働によってもたらされる本来のたすけであり、この実現を親神は急いでいると考えられます。

 余談になりますが、最後に第三節の「かんろだい」の手振りの意味についての悟りを紹介したいと思います。
 この手振りは、両平手の甲を左右に返して、掌を上向きに小指と小指を軽くつけて平らにそろえ、そのまま、まっすぐに上げる手の動きで、天から授けられる甘露をありがたく頂戴する手振りや、真の陽気づくめの世の中が実現した暁に、「かんろだい」が建ちあがる姿をあらわす手振りのように思われますが、No.38で紹介しましたように、下から三段から十二段目の十段の台を「道の子の理」、「日々月々年々のつくし、はこびの理」(諸井慶一郎著『天理教教理大要』)と解しますと、私たちがその一段一段をたすけ一条の御用、つくし、運び等の伏せ込みによって積み上げていくことを日々忘れずに決意する手振りと悟ることができるのではないでしょうか。「かんろだい」が建ち上がっていくのを、手をこまぬいて待つのではなく、その建ち上げに、たすけ一条の御用を通して自ら参加することを、その手振りによって教えられているように思われます。「どうでもこうでも、かんろだい積み建てる~~」(M31,7,.14)は親神、教祖がそのことを私たちに求められているとも悟れます。

2011年10月12日水曜日

No.40 教祖を身近に 連載 第40回  慎 み 

慎 み

「慎みが理や、慎みが道や。慎みが世界第一の理、慎みが往還や程に。」(M25.1.14)「慎みの心が元である。」(M28.5.19)「物は大切にしなされや。生かして使いなされや。すべてが、神様からのお与えものやで。」(『逸話篇』一三八)
 
教祖百二十年祭に向けた統一標語の中に、陽気ぐらしのキーワードとして「感謝、たすけあい」とともに「慎み」があります。たすけあいと比べて消極的で、古臭いような印象のある言葉ですが、現代において見失われつつある価値をもつもので、村上和雄氏は「慎みこそ、新時代の人間のライフスタイルをつくり出し、陽気ぐらし文明を構築していく重要な柱の一つになる」(『みちのとも』立教一六九年十一月号)と述べています。
 
氏は生命科学の立場から、昭和六十年の科学万博で話題となった一粒の種から一万個以上の実をつけたトマトを例にあげ、「慎み」を説明しています。トマトには土をつかわない水気耕栽培によって、一粒の種から一万個以上の実をつける潜在能力はあっても、自然界には生物相互の関わりあい、生物と自然との関わりあいの中で、最適規模、最適値が微妙なバランスのもとに保たれているので、ふつうは多くても十数個の実しかつけない、つまり慎んでいると考えられます。もしすべての植物が持っている潜在能力を無限に発揮したら、自然の生態系は崩れ、生物の存在、人間の存在が危機に瀕するかもしれません。土という自然の力によって植物の世界は適正な規模が守られているわけです。
 人間のDNAにおいても、実際に遺伝情報として使われているのは全体の二,三%にすぎず、複雑な生命体ほど無駄と思われる部分を多く内包していて、環境の変化に柔軟に対応している、と氏は述べています。
 
また氏は『科学技術を発達させ、際限なく生産の拡大をはかるだけでは、人類はいつしか行き詰る。それは、次の世代が与わるはずの「とりめ」をいまに食い潰す行為にも等しい。遺伝子の世界からいえば、驕り高ぶる「利己的遺伝子」の暴走をコントロールし、自分以外の他者のために生きる「利他的遺伝子」のスイッチをオンにしなければ、人類の未来は開かれない。そのキーワードが、ほかならぬ「慎み」なのである。』という提言を力強くされています。

 次に「慎み」の教理的な根拠についてみてみましょう。
「たん~~となに事にてもこのよふわ 神のからだやしやんしてみよ」(三、40,135)このお歌の「神のからだ」を神の生命と考えますと、人間の身体のみならず、この世の一切のものは神の生命を分け持つものであるゆえに、神聖で、無限の価値をもつ尊いもの、絶対に無駄にすることの許されないものと言うことができます。
 
キリスト教の新約聖書に次のような一節があります。「栄華を極めた時のソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。今日は生えていて、明日には炉に投げ入れられる野の草でさえ、神はこのように装って下さる」(マタイ六章、二九、三十)神の無限の慈愛に気づき、目覚めるとき、巨億の富もその価値を小さくし、野の花の価値にも及ばないものになってしまう、この価値の転換において、真に慎む心が自然と生まれてくるように思われます。
 
また与えについて次のように教示されています。「天のあたゑというは、薄きものである(中略)薄きは天のあたゑなれど、いつまでも続くは天のあたゑという」(M21.9.
18)「どんな所で住むといえども皆あたゑだけのもの」(M23.12.17

 現在私たちは科学技術文明の恩恵に浴して余りにも恵まれすぎた生活をしていますが、その生活が陽気ぐらしにむすびついていないのは、「天のあたゑ」を無視した強欲の埃が知らないうちに積もり重なっているからではないでしょうか。
「なにごともごふよくつくしそのゆへハ 神のりいふくみへてくるぞや」(三、43)
 次に「慎み」の実践について考えてみましょう。

 教祖は物に関してよく「慎み」を教えられています。「菜の葉一枚でも、粗末にせぬように」、「すたりもの身につくで。いやしいのと違う」(『逸話篇』一一二)
 また他の人への言葉遣いについても「あいそづかしや、すてことば、切口上は、おくびにもだすやないで」(『正文遺韻抄』七八頁、「神に切る神は無い。なれど切られる心はどうもならん。仇言にも捨言葉は大嫌い」(M24.1.28)「言葉一つが肝心。吐く息引く息ひとつの加減で内々治まる」(『逸話篇』一三七)等によって言葉の「慎み」を教えられています。
 
では教祖は「慎み」によって私たちに清貧の思想や生き方、人を傷つけないというような消極的な通り方を単に教えられたのでしょうか。
 「清貧」という言葉には、貧しいことは清らかなこと、お金、富は卑しいもの、という考え方が根底にあります。キリスト教の新約聖書の「財産のある者が神の国に入るのはなんと難しいことであろう。富んでいる者が神の国に入るよりは、らくだが針の穴を通る方が、もっとやさしい」(ルカ十八章、二四、二五)という一節に明確にみられますが、貧と富とは、必ずしも貴賎、尊卑に結びつかず、逆になるケースも考えられます。

 教祖は「慎み」によって貧そのものを価値あるものとして教えられ、奨励されたのではなく、物への執着(この本質は自己への執着)や我欲、高慢の埃を取り去ることによって、与えや成ってくることを喜び、物、人を生かすこと、つまり「物だすけ」、人だすけ(「人間の反故を作らんようにしておくれ」『逸話篇』一一二頁に教示されています)に価値を見出すことを教えられたのではないでしょうか。
 
道元禅師の言葉を記した『正法眼蔵随聞記』に次のような話があります。栄西僧正が家族が餓死寸前の貧乏人に乞われて、仏像の光背を造るための材料の銅を与えたとき、門弟から「仏物己用の罪」(仏のものを私用に使う罪)を問われます。その時僧正は「仏意(仏の心)を思ふに仏は身肉手足を割きて衆生(人々)に施せり。現に餓死すべき衆生には設ひ(たとえ)仏の全体を以て与ふるとも(与えても)仏意に合ふべし(当然かなうでしょう)」(第二の二)と答えています。

本教の立場で考えますと、この世の一切のものは「神のからだ」、「仏(神)物」で、生きるということは「仏(神)物己用」と考えますと、「仏()物」を「己用」するだけではなく「他用」(人のために使う)「共用」(みんなで使う)することが神の思召にかなうことになり、このことを「慎み」によって教えられているのではないでしょうか。
 
「慎み」とはこのように考えますと、極めて積極的なたすけ一条につながる意味をもつものと思案することができます。
「めん~~心に慎むという理を治めてくれ」(M30.4.18

No.39 教祖を身近に 連載 第39回  一列兄弟 

一列兄弟

「世界は、この葡萄のようになあ、皆、丸い心で、つながり合うて行くのやで。この道は、先永う楽しんで通る道や程に。」(『逸話篇』一三五)
「せかいぢういちれつわみなきよたいや たにんとゆうわさらにないぞや(十三、43)「どんな者こんな者、区別は無い。並んで居る者皆兄弟、一家内なら親々兄弟とも言う。それ世界中は皆兄弟」(M32.8.6
 
一列兄弟について考える前に、元初まりのお話の中の子数の産みおろしについてみてみましょう。
「十六年桝井本 神の古記」に次のように記されています。「人かす(数)九億九万九千九百九十九人のうち、やまと(大和)のくに(国)ゑう(産)み(下)しろしたる人げんわにんほん(日本)の地に上り、外ゆ(の)くにゑう(産)みおろしたる人間わじきもつ(食物)をく(食)いまわ(廻)り、から(唐)、てんじく(天竺)の地あか(上)りゆきたるものなり。」、「にんほんの地」での産みおろしについては、奈良、初瀬七日、大和国中四日、山城、伊賀、河内十九日、残るにほん中四十五日、合計七十五日かかったとは記されていますが、「外ゆくに」については何も示されていません。『教典』第三章「元の理」では、第二、第三の宿し込み、産みおろしがあり、この二つの産みおろしの場所については「しょしょゑうみおろしまわり」(十六年桝井本)という記述があります。また三度の産みおろし場所について「一宮、二墓、三原」(「十六年桝井本」)との説がありますが、意味はわかりません。「七十五日かかって、子数のすべてを産みおろされた。」という説明はあくまで、第一回目の産みおろしについてと思われますが、いずれにしましても、五分から産みおろされた子数が一尺八寸に成人して、海山、天地、日月も漸く区別できるようになった、との記述から考えますと、七十五日、地名等の具体的な数字、名前は深遠な内容を少しでもわかりやすくするためのイメージや方便であったのではないでしょうか。
 
また産みおろされたものは狭義の生命体と考えられやすいのですが、もしそうなら親神はそれまでに天地自然界を創造し、生命体を造り始めるための環境を整えなければなりません。しかし「元の理」では、人間の始まりは、この世、宇宙の始まりで、「五尺になった時、海山、天地、世界も皆出来」たと教えられますように、人間と世界、自然の成人、成長は同時ですので、狭義の生命体と考えることはできません。「どじよふ人間のたまひ(魂)」という言葉もありますので、霊的とも生物的ともいえるような存在のように思われます。
 
しかし産みおろしの順序の問題や「にんほん(日本)」、「から(唐)」の問題もありますが、これについては、稿を改めて考えてみたいと思います。
 いずれにしましても、世界中の人間は、国籍、皮膚の色が違っても、陽気ぐらしをするために、親神によって創造された子供であり、互いに兄弟であることが一列兄弟の意味ですが、一列兄弟には他にも違った解釈が考えられます。

 用木で科学者の村上和雄氏は次のように述べています。『私は、生き物すべてが親神様から見れば兄弟姉妹であるということだと思います。遺伝子暗号の基本的なものが全く同じである。遺伝子暗号の解読表が大腸菌から人間まで全部通用するということは、生き物には共通の法則が働いているということ。つまりそれは、共通の親を持っているということ。こういうふうに考えると、この「一れつちきょうだい」という教えは、人類みな兄弟姉妹やという教えをさらに超えるのではないかと思います。』(『科学者が実感した神様の働き』一二七頁)
 
このような解釈は、天台宗の本覚思想(「山川草木悉皆成仏」という言葉で表わされるもので、人間のみならず、全ての生きとし生けるもの、山や川のような無機物に至るまで成仏できるという思想)にも通じるもので、自然環境破壊が進み、生命が軽視され、心の荒廃が大問題となっている現代において正に必要とされる考え方ではないかと思われます。

 ところでこのような一列兄弟は、余りにも高尚で遠大なものであるため、抽象的で現実離れしたものになりやすいかもしれません。これに対してもう少し具体的に思える一列兄弟の見方があります。
 
浄土真宗の開祖親鸞は『歎異抄』第五条において次のように述べています。
「父母の孝養のためとて、一辺にても念仏まふしたることいまださふらはず。そのゆへは、一切の有情はみなもて世々生々の父母兄弟なり」〔亡くなった父母の供養のために念仏をしたことは一度もありません。なぜならすべての生きものは因果の理によって、一度死んでも又生まれかわり、長い前世においては、すべての生きものは、いつかはわが父母であり、兄弟であったということは必ずあると思われるのです。(梅原猛氏の訳)〕
 
ここで人間から動物への生まれかわり、またその逆の生まれかわりがあるかという問題はありますが、ここでは触れないでおきましょう。今人間から人間への生まれかわりだけを考えますと、人間の誕生には両親が必要です。両親の二人にはそれぞれ二人づつの両親、というようにして、十代前までさかのぼりますと、一〇二四人の両親が、さらにさかのぼりますともっと多くの親が必要となります。そしてその親々その兄弟が生まれかわりしているわけですから、今この世に生きている人の中には、前世私の親や兄弟であった人が無数にいるということになります。
 
教祖は上田ナライトさんに「待ってた、待ってた。五代前に命のすたるところを救けてくれた叔母やで。」(『逸話篇』四八)と仰せられていますが、これは教祖がこの世に生まれかわりされているということを間接的に示すものでなく、私たちの身の回りの人間関係は生まれかわりという視点からみると、複雑に入り組んだものであり、今世では赤の他人と思われる人が、前世では身内であったりすることを教えられているのではないでしょうか。

「これからハ月日たのみや一れつは 心しいかりいれかゑてくれ」(十二、91)「この心どふゆう事であるならば せかいたすける一ちよばかりを」(十二、92)「月日たのみ」といわれる人救けも、生まれかわりに基づく一列兄弟の観点からは、前世親や恩人であった人への御恩返しで、しなければならないことではなく、せずにおれないこととして受け取られ、より勇んでさせて頂けるのではないでしょうか。

No.38 教祖を身近に 連載 第38回  かんろだい 

かんろだい

『その石は、九つの車に載せられていたが、その一つが、お屋敷の門まで来た時に、動かなくなってしまった。が、ちょうどその時、教祖が、お居間からお出ましになって、「ヨイショ」と、お声をおかけ下さると、皆も一気に押して、ツーッと入ってしまった。一同は、その時の教祖の神々しくも勇ましいお姿に、心から感激した、という。』(『逸話篇』八十二)
 
これは明治十四年かんろだいの石出しが行われたときの逸話で、その年に二段までできた石造りのかんろだいは翌年五月十二日官憲によって、没収されることになります。かんろだいの変遷について、まずみてみましょう。
「めつらしいこのよはじめのかんろたい これがにほんのをさまりとなる」(二、39)おふでさき第二号は明治二年に書かれますが、ここにはじめて「かんろだい」の文字が見られます。明治二年にはまだ製作されていませんし、据えるべき場所である「ぢば」も明らかにされていません。しかしこの時点で、否もっと以前からすでに「かんろだい」を芯とする世界だすけのためのつとめの具体的な構想があったわけです。
 
明治六年教祖は本席さんに、ひな型かんろだい(寸法、形はNo.27「ぢば定め」で既述)の製作を命じられ、明治八年こかん様身上お願いづとめに当たり、はじめて「ぢば」に据えられ、明治十四年頃まで礼拝の目標(めど)とされます。しかし「ぢば」に単に竹柵を立ててあったという説もあり、確認する資料は発見されていないようです。(『ひとことはなし』その二)
 
明治十五年、前年秋に二段まで完成した石造りのかんろだいは、五月十二日、官憲により没収されますが、この節は「子供である一列人間の心の成人が、余りにも鈍く、その胸に、余りにもほこりが積もって居るから」(『教祖伝』二三八頁)で、起こるべくして起こった節と考えられています。(この節の意味については、No.7に説明しています。)
 明治十五年かんろだい没収以後、直径三,四寸の票石が、高さ一尺位積み重ねられ、「人々は綺麗に洗い浄めた小石をもってきては、積んである石の一つを頂いて戻り、痛む所、悩む所をさすって、数々の珍しい守護を頂いた。」(『教祖伝』二三九頁)といわれています。
 
その後、明治二十一年以後板張りの台が二重に重ねられ、かんろだいの代わりとして使われていたようです。
 そして教祖五十年祭(昭和十一年)、立教百年祭(同十二年)の両年祭を目指して造営された、昭和普請の建設と共に、親神様の目標(めど)たる社が撤去され、真座を設け、教祖のお教え通りの寸法の木造かんろだいがはじめて「ぢば」に据えられ、その標識となります。木造のゆえに、ひな型かんろだいと称せられています。
 
では、このかんろだいは一体何を意味するのでしょうか。
 かんろだいは「ぢば」の標識であるとともに、かんろ(甘露)を受ける台とも言われています。また『教典』には「人間宿し込みの元なるぢばに、その証拠としてすえる台で、人間の創造と、その成人の理とを現して形造り、人間世界の本元と、その窮りない発展とを意味する。」(十七頁)と説明されています。またかんろだいは「どこにもない、一つのもの、ところ地所どこへもうごかす事はできないで」(M24.2.20)といわれ、「ぢば」をはなれては理のないものと教えられています。おふでさきでは「にほんのをさまりとなる」(二、39)「にほんの一のたから」(十七、3)「にほんのをや」(十、22)「にいほんのしんのはしら」(八、85)等と説かれています。
 
かんろだいの寸法の数字については、正六角形の六は「六台初まりの理」、「身の内六台の理」,三は三日三夜の宿し込みの理、三年三月留まりた理、八は八方の神様のお働きの理、一尺二寸(十二寸)は、をもたりのみこと様の頭十二の理で、十二は一年が十二ヶ月、一日が十二刻であるように、全体的な秩序、完全性を表わす聖数とされています。
 
十三については「十分身につく」(『逸話篇』一七三)、十二で完全な姿の上に十三段目が置かれることによって、生命の新しい誕生が、十三という数に含意されているという解釈もあります。
 かんろだいは十三段高さ八尺二寸の台で各台に径三寸深さ五分のほぞが、上から下へはまるようになっていますが、その各段のそれぞれの意味については、諸井慶一郎氏は『天理教教理大要』のなかで、次のような悟りを紹介しています。
 
まず最下段(正六角形、径三尺、厚さ八寸)は元初まりに親神様が御苦労下された、その伏せ込みの理、第二段(同形、径二尺四寸、厚さ八寸)は教祖が立教以来、道のために御苦労下された伏せ込みの理、最上段(同形、径二尺四寸、厚さ六寸)は存命の教祖のお徳の理、三~十二段の十段(同形、径一尺二寸、厚さ六寸)は道の子の理で、日々月々年々のつくし、はこびの伏せ込みの理、十段六尺は、五体満足な人間に徳がついて、心の内造りのできた、ろっくの人間に成人した徳の姿、道の子が親神様、教祖の御苦労の伏せ込みをうけて、道につくしはこぶこうのうの理、つまり徳の姿で、十分その徳を積み重ねる理と解されています。
 
また最下段、第二段、最上段の台(教祖が現身をかくされた時点)は石造りの台としては理の上からはすでに出来上がっている、三段から十二段は積み立てるもので、明治十四年の時点では、まだ伏せ込みの理がなかったから、最下段と第二段の二段までしか出来ていなかったと考えられています。また真柱様の一代は、道の子の伏せ込みの一代、一台とも解されています。
 
このように考えますと、かんろだいとは救済のシンボルともいえるもので、親神様の昔も今も永遠に変わらない十全の守護、教祖の五十年の伏せ込み、存命の守護に、私たちの先達の伏せ込み、私たちのこれからの伏せ込みによって救済(ふしぎだすけにとどまらない、究極の病まず弱らず不死のめづらしいたすけ)に浴すことができることを教える台であるといえるでしょう。
「このたいがみなそろいさいしたならば どんな事をがかなハんでなし」(十七、10)この台をかこんでつとめられるかぐらづとめ、その理をうけてつとめられる教会でのおつとめによって、どんな事でもかなえられる、と確約されているわけです。