教祖を身近に 連載 第十六回 「身上だすけのさづけ」
「教祖は赤衣を召して、自らが月日のやしろに坐す理を明らかに現わされた上、一に、いきハ仲田、二に、煮たもの松尾、三に、さんざいてをどり辻、四に、しっくりかんろだいてをどり桝井、と、四名の者に、直々、さづけの理を渡された。」 (『教祖伝』百二四頁)
教祖は明治七年十二月二十六日初めて赤衣を召され、神から月日へと、おふでさきでの文字をかえられることによって、月日のやしろとしての理を改めて明示されるとともに、四名の者に身上だすけのためのさづけ(元治元年に扇、御幣、肥のさづけを渡されますが、身上だすけのさづけではありませんので、割愛し稿を改めたいと思います)を渡されます。赤衣を召されてから渡されているということは、さづけは祈とうやまじないの類のものではなく、さづけによるたすけの主体はあくまで月日親神であることを教えられていると思いますが、ここからつとめに先んじてさづけによるたすけ一条の道が始められることになります。
四つのさづけの内容をみますと、まず息のさづけは、親の息を教祖にかわってかけさせて頂けるさづけで、教祖在世中は仲田儀三郎さんと高井猶吉さん、本席時代になってからは梅谷四郎兵衛さん、増井りんさんの四名にしか渡されていないさづけであります。教祖は平身低頭している人の頭から身体中へ、強く長いお息を三度おかけになられ、さづけを渡されます。これを頂いた人は、お息を病人の身体や紙〔お息の紙として御供(ごく)とともに渡される〕にかけることを許されます。
このさづけはいざなぎ、いざなみのみことが人間産みおろしのときに、産み下ろすごとに、親の息をかけられた(十六年桝井本)理にもとづくもので、教祖在世当時、遠方の信者が身上のためおやしきに帰ってこれないとき、その家内の者が病人が身につけていた着物、下着などを持ち帰って、教祖にお願いして、お息をかけて頂き、それを頂いて帰って病人に着せると鮮やかな御守護を頂いた、と聞かして頂きます。
二つ目の煮たもののさづけは「にたものじきもつ」のさづけと言われるもので、このさづけは普通のさづけのように取次ぐものではなく、じきもつの御供(ごく)を病人にお下げ下されるさづけです。その御供は白米三合を袋の中に入れて、煮え立った湯の中に、三遍浸し、少しふやけたお米、それがじきもつで、それを保存しておき、病人に、御供として与えられます。このほかに「じきもつのこう水」のさづけもあります。これは山沢良治郎さんに教祖が渡されたもので、清水の中に白砂糖を入れ、さづけを頂いた方が先に三口飲み、その理によって、その水が「じきもつのこう水」になり、これを病人に頂かせます。
「じきもつ」のさづけは松尾市兵衛さん、「じきもつこう水」のさづけは、山沢良治郎さん、山沢為造さんにだけ渡された、と言われています。
三つ目の辻忠作さんに渡された「さんざいてをどり」のさづけは、現在満席になって頂くさづけで「あしきはらいのさづけ」ともいいます。
「さんざいこゝろをさだめ」(一下り、三ツ)と教えられますように、人間心のない三才心、無邪気な心、親神の御心にかなう素直な心はお道の信仰において一番大切な心であり、この心で取次がせて頂くことによって、不思議を見せて頂けます。三遍を三回撫でる理は、教祖の親心を撫でる理によって表す、三編撫でるのは身につく、六編はろっくに治まる、九遍で苦がなくなる、とも聞かして頂きます。
「たすけ一条、勇める処話を伝え。心発散すれば身の内速やか成るで。病というはすっきり無いで。めんくの心が現われるのやで。」(M20.9.5)このおさしづは山田伊八郎さんに、さづけを渡されるときに示されたもので、さづけによって我身が救かることをはっきり教えられているように悟ることができます。
ところでこのさづけは「これまで子供にやりたいものもあった。なれども、ようやらなんだ」(M20.2.18)ものと教えられます。この理由は人間の成人の鈍さとこのさづけは慶応二年に教えられた、かぐらづとめの第一節と全く同じで、このさづけはかぐらづとめの理をうけて取次ぐもので、つとめが完成されていなかったことと現身があることによって「存命の理」としての自由なお働きができないことがあるのではないでしょうか。
四つ目のさづけは「かんろだい」のさづけ
「かんろだいてをどり」のさづけともいわれるもので桝井伊三郎さんにだけ教祖から渡されます。このさづけの取次ぎはかぐらづとめの第二節「ちよとはなし」の手振りのあと、「あしきはらひたすけたまへ いちれつすうますかんろだい」を三編唱え、三編なでる、これを三回繰り返すことは、「あしきはらい」のさづけと同じ取次ぎ方になります。
尚「あしきはらひたすけたまへ いちれつすうますかんろだい」は明治十五年のかんろだいの石の取払い後は、「あしきをはろふてたすけせきこむ いちれつすましてかんろだい」と変更になります。
このさづけは本席さんが明治二十年三月二十五日、本席になられて初めて、西浦弥平さんに渡されています。本席さんが本席になられる前、十日余り病名のわからない不思議な熱病になられた時、それを聞かれた西浦弥平さんが毎夜おやしきに来られては、かんろだいに本席さんの身上平癒の願いをしておられたそうで、その真実がこのさづけを頂くもとになっていると思われます。
四つのさづけの他に、本席さんを通じて、水のさづけが渡されますが、これは先に三口飲んで、あと病人に飲ますもので、「人間元初まりの時、三尺まで水中住居、この清水を与える理、又三口飲むは、三日三夜に宿し込みた、この理によって与える」(M20.5.6)と教えられています。
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