教祖を身近に No.十九 断食について
「ためしやで」、「わしは、今神様の思召しによって、食を断っているのや。お腹は、いつも一杯や。」、「おまえら、わしが勝手に食べぬように思うけれど、そうやないで。食べられぬのやで。」(『逸話篇』二五)
これは明治五年教祖七十五才の時、七十五日の断食中に、松尾市兵衛宅へおたすけにいかれ、そこで仰せになったお言葉です。教祖は慶応元年の助造事件(稿を改めます)のときも、約三十日間の断食を事前にされています。又明治二年四月末から六月初めにかけて三十八日間の断食をされていますが、これらの断食のひながたはどのような意味をもっているのでしょうか。
他宗における断食を先にみてみましょう。
ユダヤ教では断食は、贖罪、ざんげの行為として意味づけられ、キリスト教ではイエスの荒野における四十日の断食(マタイ伝第四章)が有名ですが、これは悪魔による試練という意味と考えられています。「断食をする時には偽善者がするように、陰気な顔つきをするな。彼らは断食していることを人に見せようとして、自分の顔を見苦しくするのである。」(マタイ伝第六章)神をめどにした断食、修行が教えられているのかもしれません。またイスラム教では現在でもイスラム暦第九月(ラマダーン月)に三十日間の断食をします。日の出から日没までで、水も飲めませんが、夜間の飲食は許されています。単なる宗教上の義務で、断食月が年間で最も食糧の消費が多いといわれています。
教祖の断食については、助造事件の場合、「そのほこりの理が、親様の御身にかゝってきて、この御絶食の御苦労をなして被下たのでありますまいか、乍恐考えられます」(『正文遺韻抄』五八頁)と記され、異端者のほこりを払うための断食と解釈されています。
又明治二年の断食については、矢持辰三氏は、おふでさきは明治二年正月からの御執筆で、人々に並の書き物ではないと印象づけられるために断食をされたと解されています(『教祖伝入門十講』)が、これでは断食は私たちにとってのひながたとはならないのではないでしょうか。
断食は教祖の御意志ではなく、「神様の思召し」によって、と仰せられていますが、この意味は何でしょうか。親神が教祖を試されて、断食後「水を満たした三斗樽を、いとも楽々と持ち運ばれた」のを人々にみせられ、教祖が月日のやしろにおわすことを示されたのでしょうか。これも私たちにとってのひながたにはならないでしょう。
教祖は『逸話篇』六四で、おたすけのため水ごりを取ったり、厳寒に川に浸かり続けていた泉田藤吉さんに「この道は、身体を苦しめて通るのやないで」と仰せられていますが、ここからしますと、断食はしなくてもよいように思われますが、必ずしもしてはいけないものでもないと考えられます。
東本初代の中川よしさんは明治二十七年十二月昼はおたすけに回り、夜はハンセン病のおたすけのために十八日間断食の上、不眠不休で、夜中の十二時、二時、四時に水行をとってお願いづとめをされ、最後の日に実に奇跡的な御守護をみせられます。ここから思案しますと断食とは親神が働かれるためのたすけの台と考えられ、親神は教祖に「たすけ一条の台」(M32・2・2)をすえるために断食を命じられたのではないでしょうか。
「道の上の土台据えたる事分からんか。長い間の艱難の道を忘れて了うようではならん。」(M34・2・4)この「艱難の道」の一つとして断食が考えられますと、助造事件の前の断食は、親神が教祖の断食を台として円満な解決を図られたと思われます。落着まで七日要しましたが、最後は「就いては、決していまゝでのやうな事はいたしませんから、ただ神様の御名前だけとなえさして被下と、だん~~願ひいれたから、唱える丈はゆるしておかうと被仰下て、まづ何事もなく治まって、おかえりあそばされました。」と記されています。
明治二年の断食についても「たすけ一条の台」としての観点から考えますと、親神が「ふでさきというは、軽いようで重い。軽い心持ってはいけん。話の台であろう」(M37・8・23)と示されますように、「話の台」を明治十五年まですえるために、断食を命じになられたのではないでしょうか。又明治五年の断食も、それ以後のかんろだいのひな型製作(明治六年)に始まるつとめの完成に向かっての親神のたすけ一条のお働きの台としての意味があるのでないかと思われます。
では断食は教祖のひながたとして私たちにとって必要なものでしょうか。
先に述べましたように、教祖は断食は絶対にしてはいけない、する必要がないと言われていないと思います。中川よしさんのようなまねは絶対にできませんが、三日間の断食を食べられない病人のおたすけでする用木は多く、それなりの御守護をみせられることもあると思います。が、問題は断食の行為そのものではなく、心にあります。「人間の誠の心の理が、人の身を救けるのやで」(M21・8・9)「我が身捨てゝも構わん。身を捨ててもという精神もって働くなら、神が働くという理を、精神一つの理に授けよう」(M32・11・3)と教示されますように「誠の心の理」に親神が働かれるわけですから、それは断食とは違う形(例えば、つくし運び、十二下りのつとめ等)であってもいいと思われます。
教祖が断食によって「たすけ一条の台」を教えられたのであれば、私たちはそのひながたにならって、たすけの台、それによって親神、存命の教祖にお働き頂く足場を日々のたすけ一条の御用を通して築かせて頂く事が何より大切であると思われます。「人の事してやるというはこれが台」(M31・6・3)とも教示されています。この台を不動の磐石なものとすることが成人ということで、これによって親神の心通りの御守護が確約されるということができるでしょう。
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