2011年10月11日火曜日

No.25 教祖を身近に 連載 第25回 存命の理(2) 


                  存命の理(2)
  「正月二十六日と筆に付けて置いて」とは、明治二十年陰暦正月二十六日の予言であり、また「取り払うと言われてした理」を明治十五年の二段までできたかんろだいの官憲による取り払いと考えますと、かんろだいについてはその取り払いについて次のように示されています。
             それをばななにもしらさるこ共にな 

              とりはらハれたこのさねんわな (十七、38)
 

              このざねんなにの事やとをもうかな 

               かんろふ大が一のざんねん   (十七、58)
 
 このおふでさきについては『教祖伝』に「親神の意図を悟り得ぬ者により、かんろだいの石を取り払われたのは、子供である一列人間の心の成人が、余りにも鈍く、その胸に、余りにもほこりが積もって居るからである」(二三八頁)と説明されていますが、「親神の意図を悟り得ぬ者」とは官憲であるのみならず、これまで教祖についてきて信仰している人々でもあり、親神が現身をもたれた教祖に甘え、ご守護を期待する信仰から、「存命の理」にもとづくたすけ一条の信仰へと成人させるために、かんろだいを取り払わせたと悟れるのではないでしょうか。
 
かんろだいの取り払いと立てあって、つとめの第三節が「いちれつすます」から「いちれつすまして」と変更されますが、「いちれつすまして」とは私たちが何もしないで親神、教祖が世界の人々の心のほこりを払って下さるということではなく、あくまでつとめとさづけを中心とするたすけ一条によって、ということで、さづけについては明治十五年から本格的な準備がなされることになります。
 「さあ、これまで子供にやりたいものもあった。なれども、ようやらなんだ」(M20.
2.18)の「子供にやりたいもの」とは、さづけのことで、「ようやらなんだ」理由はいろいろ考えられると思いますが、子供が成人していないことと、さづけを渡す準備ができていなかったことが考えられます。

 教祖は先ず本席さんを明治十五年三月二十六日におやしきに住み込ませ、「仕事場」の立場を与えられます。教祖に代わって時々神の言葉を取り次ぐ立場で、最初は埃っぽい場所でしたが、これを錦の仕事場に清めて、本席と定めて、さづけを渡されることになります。本席定めのおさしづに「やりたいものが沢山にありながら、今までの仕事場では、渡した処が、今までの昵懇の中である故に、心安い間柄で渡したように思うであろう。この渡しものというは、天のあたゑで、それに区別がある。(中略)さあさあ本席と承知が出けたか」(M20.3.25)と示されています。
 
さづけとは「天のあたゑ」で、存命の教祖から頂くもの、その取次ぎによって「存命の理」のお働きによってご守護をみせて頂けるものであります。
 さづけの理は、たすけ一条を誓う一日の日の真心に授けられる、生涯末代の宝であって、この理をうけて、親神のよふぼくの馳せ巡るところ、広い世界に不思議なたすけは相ついで現れる(『教典』二三頁)
 
「存命の理」のお働きについては、最後の御苦労のあとの言葉からも悟らせて頂けるように思います。
明治十九年五月三日、神様の仰せ並びに飯降様扇伺言葉
「神様の御身のさわり。此耳もきこえず、めもみゑん。こへもでず。是ヲ世界にハ、なんとおもうやろふ。さあ人げんにしてもおなじ事。きびしい(く)はたらく時ハ、戸をしめてでてはたらくやろふ。人が来ルとて、此内ハ留主(ルス)かいなとゆふよふにして、はたらくであろふ。そといでてはたらくとも、内にいてはたらくともおなじ事」(『根のある花』八九頁)

 「きびしい(く)はたらく時ハ、戸をしめてでてはたらく」の「戸をしめて」とは、人が来ても留守の状態、教祖の御身体が不自由になられているとき、と考えますと、教祖はそういう状態であられても、御魂は時空を超えて世界だすけに働いておられる、むしろそういう状態の方が身体的制約が少ないので、より自由なお働きができる、と考えることができるでしょう。
 「そといでてはたらくとも、内にいてはたらくともおなじ事」の「そといでて」を現身をかくされて、「内にいて」を現身をもたれていて、と理解しますと、教祖は「月日のやしろ」であられますので、現身をかくされてからは言うまでもなく、五十年のひながたにおいても、「存命の理」としてのお働きをされていたと考えられます。

 従って最後のご苦労についても、親神が教祖の御身体を台として、「存命の理」とともに月日親神の根源的な守護(「さあ~~月日がありてこの世界あり、世界ありてそれ~~あり、それ~~ありて身の内あり、身の内ありて律あり、律ありても心定めが第一やで」で教えられています)を教え、仕込まれたと悟らせて頂けます。
 
分署での打擲説は、たとえそれが事実としても、「存命の理」、月日親神の守護の分らない、否分ろうとしない私たちへの親神からの厳しい仕込み、ムチとなり、それがわかるようになってはじめて、存命の教祖に心からのさんげができ、本当のたすけ一条の心定めができるようになるのではないでしょうか。
「百十五才、九十才、これも分からん。二十五才不足、どうであろう。これも分からん」のあとに「これから先というは、何を聞いても、どのよの事を見ても、皆楽しみばかり。楽しみや」(M20.2.24)と諭されています。なぜお前たちは「存命の理」が分らないのか、分ろうとしないのか、との悲痛なお嘆きとともに、「存命の理」を信じきり、たすけ一条に勇躍邁進するとき、不思議だすけを次々に見せていただけることを教えられていると確信します。
教祖は現身をかくされても、「月日のやしろ」であられ、その具体的な目に見えるお働きが、「存命の理」で、「月日のやしろ」となられてから、現身をもたれているときにも、現身をかくされてからも変わることなく存在していると悟らせていただきます。

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