教祖を身近に 連載 第十回 「をびやゆるし」
「このたびハたすけ一ちよにかゝるのも
わがみのためしかゝりたるうゑ」(三・44)
「何でも彼でも、内からためしして見せるで」
(『教祖伝』三七頁)「疑いの心があったからや」(同頁)
これらのお言葉は、をびや許しに関するもので、をびや許しは「よろづたすけの道あけ」ともいわれる大切なものですが、この不思議なたすけを通して、色々なことを学ばせて頂くことができます。
まずたすけの順序については、たすけに当って、我身、身うち、一般の人という順序を示されています。
教祖は四十四才のとき、妊娠妊娠七ケ月日で流産をされますが、一心に親神にもたれることによって、産後にも何の心配もないことを我身に試され、嘉永七年教祖五十七才のときには三女おはるさん、翌年には長女おまささんにそれぞれをびや許しを授けられ、ともに安産の御守護を頂かれています。その時は腹に息を三度かけ、三度なでるという方法です。
その後の許しには、ハッタイ粉、金平糖、現在の洗米の御供と変っています。
そして一般の方、清水惣助の妻ゆきにはじめてをびや許しを授けられまして、安産をしますが、産後患い一ケ月程臥せてしまいます。その時教祖から「疑いの心」があったから、といわれますが、これは何を意味するのでしょうか。ゆきさんはおはるさんの安産の姿を見ていますので、信じていたと思われますが案じ心があり、毒忌み、凭れ物などの昔からの習慣にも従い、親神様にもたれきれなかったことを「疑った」と仰せられていると思われます。親の声を信じきることの大切さを教えられています。
ゆきさんは「成程、と深く感銘して、心の底から懺悔し」、翌年にはあざやかな御守護を頂かれています。
教祖は仰せ通りにせず、産後患ったゆきさんを責めることなく、温かく抱きかかえて、更に生れ児を引きとってお世話されています。人だすけのひながたをお示し頂いていると思われます。常に病む者の身になって、たすけ上げねばやまれない親心をここに拝することができます。
又「真実に親に許して貰ふたと思ふて、神のいふ通りにする事なら、常の心のよし、あしをいふやない、常の悪しきは別にあらはれる。」(諸井政一著『正文遺韻抄』四八頁)とも教えられます。ここにもありがたい親心を感じさせて頂きます。
次に教祖はをびや許しを通して、それまで根強かった女性への偏見をとり払われ、女性解放の緒口をつけられたと思われます。
一般にお産はけがれと信じられ、産後七十五日間は忌みに服さなければならなかった当時にあって、お産にまつわる種々の忌みごとを全く無用とされ、母子の生死をかけた大役、大厄への不安をとりのぞかれることによって、教祖は男女は価値の差のない平等な存在であることを教えられたと悟らせて頂きます。「この木いもめまつをまつわゆハんでな いかなる木いも月日をもわく」(七・21)
「女は不浄やと、世上で言うけれども、何も、不浄なことありゃせんで。男も女も、寸分違わぬ神の子や。」(『逸話篇』)
最後にをびや許しが「よろづたすけの道あけ」の意味を考えてみましょう。
をびや許しとは、「人間宿し込みの親里である元のやしきから出す安産の許し」で、その珍しい守護、たすけは数多くの不思議だすけの中の一つであるというよりは、元のやしきぢばに直結するたすけで、偶然によろづたすけの道あけとなった、たすけではありません。「本づとめをして、元のぢばなる事を伝え、をびや許しを出す」(M20.2.25)と教えられますように、生命の根源である、ぢばを教えることを、をびや許しという新しい生命の安産を通して目指されている、ということはをびや許しはよろづたすけの必然的な道あけといえるもので、元なるぢば、親神天理王命生命の根源に立脚して、はじめてよろづのたすけが展開されていくことを教えられていると悟ることができます。
「たいないゑやどしこむのも月日なり
むまれだすのも月日せわどり」(六・131)
妊娠、出産はいうまでもなく、人間の生命そのものが「親神の妙なる思わくにより、又その守護による」のであり、それがわからず自分中心の欲、高慢の埃を使うところに、親神からの手入れとして身上、事情をみせられたすけが求められるようになってきます。
「このもとをくハしくしりた事ならば
やまいのをこる事はないのに」(三・93)
「にんけんにやまいとゆうてないけれど
このよはじまりしりたものなし」(九・10)
をびや許しが「よろづたすけの道あけ」とは、それによって、元のぢば、「このもと」、「このよはじまり」を開示し、それに基づいてはじめて真のたすけ、よろづたすけが進展していくということであり、「道あけ」はをびや許し以外のたすけでは考えられない、と思われます。
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