「つとめ短い」(『教祖伝』四五頁)
「つとめに手がぐにやくするのは、心がぐにやくして居るからや。一つの手の振り方間違ても、宜敷ない。このつとめで命の切換するのや。大切なつとめやで。」(『教祖伝』95頁)
最初のお言葉は教祖が文久3年66歳のとき、辻忠作さんの妹を救けられるために教えられたつとめを忠作さんが仰せ通りつとめなかったときに言われたものですが、このときのつとめは拍子木をたたいて「なむ天理王命、/\」と唱えるだけでした。
翌年元治元年大和神社の社前でのつとめもこれと同じで、現在のつとめが教えられ始めたのは慶応二年秋、小泉村不動院の山伏達のお屋敷お屋敷への乱入の直後の「あしきはらひ」からです。それから翌年正月から八月までに一下りから十二下りのお歌、その節付けに満3ケ年、明治3年「ちよとはなし」「よろづよ八首」のお歌と手振り、明治八年「いちれつすますかんろだい」、明治十五年「いちれつすます」の句は「いちれつすまして」と、「あしきはらひ」が「あしきをはらうて」とそれぞれ改められて、ようやくつとめのお歌と手振りが整えられることになります。慶応2年は教祖69才、月日のやしろとなられてから29年で、それから明治15年までにさらに17年も費やしておられるのはなぜしょうか。
一つには人間の心の成人の鈍さがあると思います。教祖は天保九年から約二十五年間貧のどん底を通られますが、それによって心の埃のそうじの方法を具体的に示されることが、つとめを教えるための前提として必要であったと思います。
もう一つは『教典』に「親神は、陽気ぐらしを急き込まれる上から、教祖をやしろとしてこの世の表に現れた、奇しきいんねんと、よふきづとめの理を、人々によく了解させようとて、元初りの真実を明かされた。」と明示されているように、つとめの教理的根拠が「元の理」であり、「元の理」をわからせるのに年数がかかることが理由として考えられます。
明治七年の大和神社の節に、教祖はその年に執筆されたおふでさき第三号、四号を仲田松尾の両名に持参させますが、「これまでハこのよはじめてない事を たんくといてきかす事なり」(三・71)と教示されますように第三号から「元の理」が断片的に継続して説かれ始めます。又二代真柱様の『こふきの研究』によりますと、「元の理」は「どろうみ古記」、「此世元始まりのお咄」とも呼ばれ、明治十四年から二十年までの写本(十五年をのぞく)が現存していることが確認されています。
つまり教祖は現身をかくされるまで「元の理」を説き続けられた、それほど理解の困難な深遠な内容を「元の理」は含んでいると考えるべきであると思います。「元の理」は荒唐無稽な昔話や単なる神話といったものではなく、人間の生命の起源、根源を教えるお話で、あくまでもつとめ、かぐらづとめとの関連において理解されるべきものであります。
つまり教祖は現身をかくされるまで「元の理」を説き続けられた、それほど理解の困難な深遠な内容を「元の理」は含んでいると考えるべきであると思います。「元の理」は荒唐無稽な昔話や単なる神話といったものではなく、人間の生命の起源、根源を教えるお話で、あくまでもつとめ、かぐらづとめとの関連において理解されるべきものであります。
次につとめの目的について考えてみよう。
『教典』に「たすけづとめは、ただ、身上のさわりや、災難や、苦悩をたすけるつとめであるばかりでなく、進んでは、病まず、死なず、弱らない、珍しい守護をされるつとめである。」「このつとめは、人間個々の身上や事情に限らず、更に、豊かな稔りや平和の栄えなど、広く世界の上に、親神の恵を及ぼすつとめである。」と説明されています。
ここから身上事情のたすけ、「病まず、死なず、弱らない」、珍しい守護、豊作、平和の実現が目的のように思われますが、果してそうでしょうか。それらはつとめの結果として守護されるもので、それらを目的とするとき、つとめは「をがみきとふ」(六・26)に堕してしまうのではないでしょうか。それについては
たすけでもをかみきとふでいくてなし
うかがいたてゝいくでなけれど(三・45)
と厳しく排されています。
ここから身上事情のたすけ、「病まず、死なず、弱らない」、珍しい守護、豊作、平和の実現が目的のように思われますが、果してそうでしょうか。それらはつとめの結果として守護されるもので、それらを目的とするとき、つとめは「をがみきとふ」(六・26)に堕してしまうのではないでしょうか。それについては
たすけでもをかみきとふでいくてなし
うかがいたてゝいくでなけれど(三・45)
と厳しく排されています。
みなそろてはやくつとめをするならバ
そばがいさめバ神もいさむる (一・11)
りうけいがいさみでるよとをもうなら
かぐらつとめやてをとりをせよ (一・14)
この二首のお歌から、つとめの目的は親神にお勇み頂くことで、その結果として種々の守護を見せて頂けるといえるのではないでしょうか。
教祖は一列子供をたすけたい親心一条に、あらゆる艱難苦労の中を勇んで通りぬけ、万人たすけの道をひらかれ、一列子供の成人を急きこむ上から、定命を二十五年縮めて現身をかくされましたが、それはつとめの完成のためと受けとるとき、つとめには親の二十五年の命がこめられていると悟らせて頂けるのではないでしょうか。
つとめてもほかの事とわをもうなよ
たすけたいのが一ちよばかりで (十六・65)
にち~~にはやくつとめをせきこめよ
いかなるなんもみなのがれるで (十・19)
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