2011年10月10日月曜日

No.15 教祖を身近に 連載 第15回 ひのきしん

教祖を身近に 連載 第十五回 「ひのきしん」
村上道昭 むらかみ みちあき
「ふうふそろうてひのきしん これがだいゝちものだねや」         (十一下り、二ツ)
「みれバせかいがだんくと もつこになうてひのきしん」          (十一下り、三ツ)
「よくをわすれてひのきしん これがだいゝちこえとなる」         (十一下り、四ツ)
 教祖はつとめ場所が完成した翌年慶応三年正月から八月にかけて十二下りのお歌を教えられますが、かぐらづとめの地歌を教えられるよりも先に、その中で「ひのきしん」という教語とその精神を簡潔にお示し下さっています。教祖の念頭には、つとめ場所のふしん、本席さん御夫妻のその時のつとめ方がおありになったと思われます。
   御夫妻は産後の患いを救けられた御恩への恩返しとして、つとめ場所のふしんに我家のことを犠牲にして、大和神社の節にも動揺することなく身を捧げられます。奥さんは約三カ月、本席さんはふしん完成後も三年間常詰で毎日お屋敷に明治十五年に住みこまれるまで通われ、御用を勤められたと聞かして頂きます。
「ひのきしん」のひな型を残されたと思われますが、「ひのきしん」には大切な角目がいくつかあります。
「ひのきしん」は漢字表記では「日(霊)の寄進」になると思いますが、寄進は金銭物品の寄付で、社寺造営などの時に一時的に行われるものであるのに対して、「ひのきしん」では「なにかめづらしつちもちや これがきしんとなるならバ」(十一下り、七ツ)に明示されますように、土持ちも寄進になること、又日々の行ないであることが教えられます。
  物金のない人でも、身分の貴賎、老若男女を問わず実践できるものですが、問題は心(霊)であります。
 
教祖は土持ちが寄進の一つであることを単に教えられたのではなく、寄進の本質は欲を忘れた報恩であることを「ひのきしん」によって教えられたのです。ここに「ひのきしん」と世間の無償の奉仕活動との根本的な違いがあります。両者は外からは同じように見えますが、奉仕活動には惻隠の情のような同情、あわれみの動機もあるかもしれませんが、自分をよく認めてもらいたいというような欲の心が無意識に混じることがあると思われます。又一時的で持続することが難しいとも思われます。

「ひのきしん」においては何をどれだけするかは問題とはなりません。「百万の物持って来るよりも、一厘の心受け取る」(M35.7.20)と教示されますように「一厘の心」つまり報恩の心の有無が問題で、その心を寄進することが「ひのきしん」の本質であります。
 では報恩とは何への報恩でしょうか。本席さんの場合、奥さんの身上の御守護ですが、ただ身上事情が救かることへの報恩だけではなく、日々身上をお借りしていることへの報恩が根本にあると悟らせて頂きます。
「やむほどつらいことハない わしもこれからひのきしん」           (三下り、八ツ)
  このお歌の「これから」とは一体いつからでしょうか。『教典』には「日々常々、何事につけ、親神の恵を切に身に感じる時、感謝の喜びは、自らその態度や行為にあらわれる。これを、ひのきしんと教えられる。」(七六頁)と説明されていますが、「親神の恵」を単に身上壮健にお守り頂いていることと受けとりますと、「これから」とは身上の御守護を頂いて元気になってから、という意味になります。それでは病むことは御守護のない姿ということになりますが、「このもとをくハしくしりた事ならバ やまいのをこる事わないのに」(  三、 93)を病気の元は、「このもと」、生命の根源を知らないことから生じる、と解釈しますと、自分の力ではなく親神によって生かされていることが「親神の恵」であることになり、「これから」とはたとえ身上の御守護が頂けなくても、親神によって生かされているという事実、それがお金にはかえられない大きな御守護であるということに気付いてから、ということになるのではないでしょうか。
  
つまり「ひのきしん」とは身上事情の御守護への報恩だけではなく、日々生かされている御守護、生かされている大恩〔身上事情の御守護は小恩で、このことを「大恩忘れて小恩送るような事ではならんで」(M.34.2.4)の一つの意味として教えられていると思われます〕への報恩であり、それゆえに日々実践されなければならない、否せずにおれないものであります。
「ひとことはなしハひのきしん にほひばかりをかけておく」          (七下り、一ツ)
  このお歌は、にをいがけもひのきしんの一つであるというのではなく、にをいがけ、おたすけも「ひのきしん」の精神、つまり報恩の心で実践されなければならない、と理解しますと、にをいがけとは「にをい」報恩の心、信仰の喜びを伝えることで、それが「たすけ」に外ならないのではないでしょうか。
  報恩の信仰はお道の飛躍的発展がみられた明治、大正時代や現在においても身上事情をお救け頂いた人々にのみ通用するにすぎないものでは決してなく、又たすけ一条の信仰と異なるものでもなく、報恩の信仰こそ、たすけ一条の信仰の根幹にすえなければならないと思われます。
  この報恩の信仰とは、「ひのきしん」の実践で、その形が、土持ち(現在では、ぢばへのつくし、運び)、にをいがけ、おたすけ等のつとめ以外の一切の御用をつとめることになるわけであります。「欲を忘れて、信仰のままに、喜び勇んで事に当るならば、それは悉くひのきしん」(『教典』七八頁)であり、夫婦そろうて実践するとき、「ひのきしん」はすべての不思議な御守護を頂く根本の種であります「ものだね」、「こえ」となって、「一家の陽気は隣人に及び、多くの人々は、われもわれもと相競うて、ひのきしんにはげみ、世界には、一手一つの陽気が漲つてくる。かくて、親神の望まれる陽気ぐらしの世が現れる」(『教典』七九頁)ことになるわけであります。
 教祖がつとめ、「元の理」を教えられましたのも、見方をかえますと、「ひのきしん」の精神を私たちに教えられるためで、ここにも教祖の御苦労が偲ばれます。

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