2011年10月11日火曜日

No.29 教祖を身近に 連載 第29回 親が代わりに(2) 

    親が代わりに(2)
「難しい道はをやが皆通りたで。をやの理思えば、通るに陽気遊びの理を思え。」(M21.10.12

  松本滋氏は『逸話篇』十六「子供が親のために」の逸話を次のように解釈しています。  桝井伊三郎さんは危篤の母のために、教祖から「救からん」と言われますが、三度たすけて下さるようお願いし、「救からんものを、なんでもと言うて、子供が、親のために運ぶ心、これ真実やがな。真実なら神が受け取る」とのお言葉を頂いて、たすからない命を救けて頂き、八十八までの長命を与えて頂きます。
 
この逸話は一般に母を思う誠真実を神に受け取って頂けた、と理解されていますが、氏は伊三郎さんの母の天借は余りにも大きく、今生では返しきれないほどになっていたにもかかわらず、教祖が無理な願いを天に届くようにされるために、「人間としてのわれとわが身を削ることによって」、「言うに言えん、切ない親の痛み」(一五二頁)を伴わせて、ということは天借を肩代わりされることによって救けられた、と説明しています。
従って『これはある意味では大変な「借り」を天に対してしたことになる』(一五二頁)「救けられた人の天借は一向に減らないどころか、かえって身上を救けられたことによって、ますます増えている」(一四八頁)とも述べています。
 
氏は教祖は月日のやしろであっても、同時に生身の人間であった、ということを人は忘れがちで、教祖の理をより深く胸に治め、教祖により身近に近づくための絶対不可欠の要点は、教祖がその身に受けたと思われる「痛み」であり、それが教祖が百十五才の定命を二十五年も縮めた、もう一つの理由である、との見解を示しています。
 
『逸話篇』十六は、伊三郎さんが三度も真実のお願いをしたから、というより真実のたすけ一条の心定めをし、それを生涯実行されたから、その真実の心を親神がうけとり、その後の通り方を見続けて、ご守護を下されたのではないでしょうか。
 氏の言うように、私たちには誰でもいくら返しても返しきれない天借があると思います。天借とは、いんねん、積もり重なった心の埃のことで、埃を払わない限り、救けに浴せないことは言うまでもありませんが、救けを頂くときに天借がそのつど全て返され、埃が全部払われているわけではありません。
 
おふでさきには「たすけでもあしきなをするまてやない めづらしたすけをもているから」(十七、52)「このたすけどふゆう事にをもうかな やますしなすによハりなきよに」(十七、53)と示されますように、ふしぎだすけとめづらしたすけがはっきり区別されて教えられています。また「たん~~と神の心とゆうものわ ふしぎあらハしたすけせきこむ」(三、104)と示されますように、ふしぎだすけはめづらしたすけに向かう一過程にすぎないとも教えられています。

 めづらしたすけは心の埃が全て払われて、天借が返済されたときにはじめて実現されるものであるのに対して、ふしぎだすけは天借や心の埃をたくさん残していても、親神、教祖のお慈悲のおかげで、今生における通り方によっていただけるものである、と考えられますが、その時に教祖の五十年のひながたの道中が、たすけの台となっている、と悟らせて頂けるのではないでしょうか。

「ひながたの道を通らねばひながた要らん」、「ひながたの道より道ないで」(M22.11.7)「道の上の土台据えたる事分らんか。長い間の艱難の道を忘れて了うようではならん」(M34.2.4
 このおさしづは、ひながたは教祖が私たち人間に陽気ぐらしの手本を示されただけではなく、教祖の五十年のひながたの道中、「口に言われん、筆に書き尽せん道を通りて来た」(M22.11.7)ことが、「道の上の土台」、たすけの台であることを教えられていると思われます。

 私たちが救けに浴せますのは、親神の働きと、この土台を前提として、教祖が御身を台として、五十年のご苦労を通して教えられました、つとめとさづけを中心とするたすけ一条の心を定め、実行することによってであり、それによって何代も生まれかわりする中に、天借が少しづつ返済され、心の埃も払われていくことによってであると考えられます。
 
ところで『逸話篇』一六二の「足がねまる」、「しんどい」は、「存命の理」の観点から考えることもできると思われます。
 「存命の理」とは、教祖が現身をかくされてからではなく、現身をもたれているときにも、現身をはなれて魂だけが抜け出て働かれていると考えますと、教祖の魂は人間の魂と異なり、心も伴っておられますので、遠路はるばるぢばに帰ってきたり、お屋敷でひのきしんをする道の子供とともにご苦労下されておられる、これが「おまえさんのねまりが、皆わしのところへ来ていたのやで」の意味ではないかと考えられます。
 
松本滋氏は教祖が定命を二十五年縮められ、現身をかくされた理由は、私たち人間の成人を促すためですが、その成人を次のように説明しています。
 私たちは今生だけではなく、前生、前々生も生きてきて、霊の世界にも生きているので、これまでどれだけ教祖にご苦労をおかけし、教祖のたすけにあずかってきたかわからない、そのことがわかるようになること。又教祖にご苦労をおかけし、教祖が定命を縮められることになったのは、他人ではなく自分のためであるとわかるようになることであり、存命の教祖は人間一人一人が知らず知らずに、ぢばに持ち帰っている心の埃を今も全部受けている、と述べています。
 
このような見方は、私たちの心の埃の多さ、いんねんの深さを反省させ、教祖へのおわびの念や天借を肩代わりして頂いている申し訳ない気持ちを生み出させ、大切であるかもしれませんが、「存命の理」として教祖が今も「三十日と言えば、五十日向うの守護をして居る事を知らん」(M22.11.7,「多くの中に澄んで~~早く汲みに来んかいなと、水を澄まして待って居る。(中略)待って居るから一つの理も伝わる」(M25.6.4)から分りますように、先回りされ、たすけ一条の道の先頭に立たれ、私たちを導かれている、一日も早くたすけ一条の心になることを促しておられるという側面を見失わせるか、軽視させることになるのではないでしょうか。

 また親神の十全の守護によって生かされている大恩への報恩としてのたすけ一条が今求められていると思いますが、そのようなたすけ一条は「身代わり」という見方からは出てこないように思われます。
         いまゝでハせかいぢううハ一れつに 

         めゑ~~しやんをしてわいれども(十二,89)

         なさけないとのよにしやんしたとても 

         人をたすける心ないので         (十二,90)

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