2011年10月9日日曜日

No.6  教祖を身近に 連載 第六回 つとめ(3)

「三七の理」については『みかぐらうたの世界をたずねて』(道友社)に色々な解釈が紹介されています。
 三は、たいしょく天、をふとのべ、くにさづちの三柱の神様の理、「産」の理、人間の生まれることを意味し、七は七柱目の神様、息の根を切る理、死の意味で、三七の理とは生まれるより死ぬまでの理、三七の勤めとは一生涯を通じての永い絶えざる努力をあらわす。三七は「生」かける「死」の理、真剣命懸けのつとめの意味、世間でも水業や苦業をして願をかける人は二十一日の日を切って願をかけるといわれています。
 
又三七は「つなぐ」「切る」理で、誠の道につないでもらって埃や悪因縁を切ってもらう理。サイコロには東西、南北、上下の三方向あってそれぞれの目をたすと七になり、サイコロは昔から魔除けに使われたので、三七の理の勤めは悪しきを払う理。
 他にはあしきを払うのであるから、切って(七柱目たいしょく天)もらって、たすけたまへであるから、つないで(三柱目くにさづち)もらう理。
 又十柱の神名を一柱づつ祈念しながら、二十一回の手を振るという解釈もあります。
 まずくにとこたちに始まって、をもたり、くにさづち、月よみ……いざなぎ、いざなみと一柱から十柱までの順序で数え、次にくにとこたちから十柱の方位順に右回りに、たいしょく天、くもよみ……月よみ、いざなぎ、いざなみで二十回、そして最後に親神天理王命を祈念して二十一回になるというものです。
 
座りづとめの第三節の三×三、九遍の意味については、身の内の九つの道具をお借りしていること、婚礼の時の三三九度の盃は、縁のつなぎの意味、三三九遍のつとめは寿命つなぎの意味、三は「産」、生命の誕生の意で、おさづけの回数(三×三)、別席の回数はそれぞれ、病み患っている生命と精神が生まれかわる、神一条のお話を九度聞かして頂くことによって、新しい心に生まれかわるという意味(平野知一著『元の理を掘る』)であると考えられています。
 最後に明治十五年に手振りは元のままながら「いちれつすます」が「いちれつすまして」、「あしきはらひ」が「あしきはらうて」と改められた意味について考えてみましょう。
 まず第一節の方は、その意味については説明がありませんが、元の句がさづけのお歌そのものであることを見落すべきではないと思います。両者が同じであるということは、かぐらづとめとさづけを切りはなして考えることはできず、両者は相即不離の関係にあると考えられるのではないでしょうか。

「さあ、これまで子供にやりたいものもあった。なれども、ようやらなんだ。又々これから先だんくに理が渡そう。」(M20218)とのお言葉は、さづけについて教えられたものですが、「ようやらなんだ」理由については人間の成人の鈍さとともに、さづけの前提、根拠となるつとめが完成していないことも考えられると思われます。
 このような悟りが許されますと、さづけは先に引用しました濱田氏の言葉をもじって、次のようにいうことができるでしょう。
『さづけにおいて発揮される信者の熱い祈りのエネルギーの波動は、「かんろだい」の一点に集中し、その力がつとめ人衆の「かぐらづとめ」を活性化し、これが親神の世界だすけの力をさらに勇ませることになる』
 
そして存命のお働きも当然活性化し、用木信者を益々勇ませ、さづけの取次ぎにみちびく、というたすけの循環が成立するようになるのではないでしょうか。
 次に第三節の句の変更については、これは明治十五年五月十二日の二段まででき上っていた石造りのかんろだい没収の直後になされますが、これについては上田嘉成氏の「おかぐらのうた」よりその意義を引用させて頂きます。
「一列を澄ますべきかんろだいを取り払われたから、やむなく済ましてから建てようという消極的な変更ではなくして、ただ天の恵みにのみ甘えて、手を拱いて一列をお澄まし頂くのを待つというのではなく、天意のあるところ人力の最善を尽くし、一手一つの全力を挙げて一列澄ます聖業を完遂さして頂いてから、かんろだいを建設さして頂くという、まことに力強い積極的な意義強調の変更であります。」(七三、七四頁)

『「いちれつすまして」と変更されたお歌の中には、教祖が命を捨てて、姿を隠してまでも「いちれつすます」働きをなし下さり、一列子供を救けたいという、温かい温かい親心の理がこもっていると拝察さして頂きます。私共はかんろだいづとめの理が教祖存命の理と相応じて、この明治十五年五月の予定変更によって、さらに深刻荘重なる理の重さの加わったことを悟らして頂くと共に、この理にならって朝夕勤めさせて頂くおつとめのいかに重い意義の含まれているかを、一日も忘れてはもったいないと思わして頂くのであります。』(七七頁)
「元を教えてたすけることこそ、この道のたすけの真髄である」(『諭達第二号』)と教えられます今の旬に求められているのは、つとめにこめられている親の思い、親心の反すうと真剣なつとめの勤修とともに、いかなる中も喜び勇んでたすけ一条にいそしむことであると思わして頂きます。
 つとめさいちがハんよふになあたなら
 天のあたゑもちがう事なし(十・34

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