教祖を身近に 連載 第十一回「やさしき心」
「やさしい心になりなされや。人を救けなされや。癖、性分を取りなされや。」
(『逸話篇』一二三)
(『逸話篇』一二三)
「むごい心をうちわすれ やさしきこゝろになりてこい」
(五下り目六ツ)
このお言葉は教祖が入信後間もない梅谷四郎兵衛さんに言われたもので、信仰の角目をわかりやすくお示し頂いています。
「やさ(優)し」の意味は、『広辞苑』には(1)さし向うと恥かしくなるほど優美、(2)素直、おとなしい、温順、(3)情深い、情がこまやか(4)けなげ、殊勝、神妙等と示されていますが天理教ではもっと積極的な意味を教えられています。
『みかぐらうた講義』(深谷忠政著)によりますと、やさしき心の反対の「むごい心」は両手で押える手振りから、強い者が弱い者を押える非道で情知らずの我さえよくばの利己主義の心であるのに対して、「やさしき心」は手を平にして円を描き、両側から抱きかかえて押しいただく形の手振りから、人を抱きかかえる思いやりのある心、即ちたすけ一条の心と理解されています。
又おさしづには「どんな事も心に掛けずして、優しい心神の望み」(M34.3.7)、「たんのう安心さすが優しき心と言う」(M33.4.21)、「優しき者は日々満足。満足は小さいものでも、世上大き理に成る」(M33.7.14)、「皆来る者には優しい言葉かけてくれ。…年取れたる又若き者も言葉第一、男という女という男女に限りない」(M34.6.14)等と教えられ、優しさは老若男女にかかわらず求められ、たんのうに根差していることがわかります。
教祖は人類の母親であるいざなみのみことの御魂のお方で、「一れつのこどもハかわいばかりなり とこにへたてわさらになけれど」(十五、69)、「反対するのも可愛我が子、念ずる者は尚の事。」(M29.4.21)に示されますように、我子である人間を救けたい一条で通られました。従って「たすけ一条の心」であるやさしき心とは親心の一つのあらわれと考えることができます。
教祖五十年のひながた、御道すがらに見られます「やさしき心」の具体例をふりかえってみましょう。
教祖は相手が乞食、怠者であれ、軍人であれ一切の隔て心なく「御苦労さま」とお声をかけられています。その優しき心にふれ、怠者の作男は人一倍の働き者に更生し、又佐治登喜治良さんはお声を聞いたとたんに神々しい中にも慕わしく懐かしく、ついて行きたいような気がして、身上も事情もないのに入信を決意したと言われています。(『逸話篇』一四六)
教祖は米泥棒に対しても、その罪を責めることなく、「貧に迫っての事であろう、その心が可哀想や」とかえって労りのお言葉をかけられた上、米を与えてゆるされています。
又女衆かのに食事の汁のものに毒を盛られ激しく苦しまれた時も「これは、神や佛が私の腹の中をお掃除下されたのです」と言われゆるされています。女衆は自らの非をわびて真底から悔い改めたといわれています。
又明治十九年二月十八日からの櫟本分署での最後の御苦労の際にも、道路にそった板の間に坐らせて、外を通る人に見せてこらしめようとする巡査に対しても、孫のひさに「あのお菓子をお買い」、「あの巡査退屈して眠って御座るから、あげたいのや」と言われ、底なしの深い親心を、どこにおられても示されています。
「やさしき心」とは、このように見てきますとたすけ一条の心、親心の一つで極めて積極的な意義をもつもので、誠の心と同じといえるのではないでしょうか。
「誠の心と言えば、一寸には弱いように皆思うなれど、誠より堅き長きものは無い」、「一名一人の心に誠一つの理があれば、内々十分睦まじいという、一つの理が治まるという、それ世界成程という」、「人を救ける心は真の誠一つの理で、救ける理が救かるという」(「おかきさげ」)
最近女性が結婚の条件の第一に男性に求めることが、やさしさであると言われていますが、このようなやさしさは、自分を甘やかしてくれ、我ままを受け入れてくれるという自己中心的なもので、かえって心のほこりとなるようなものと思われます。
誠と同じ意味での「やさしき心」は、癖、性分をとって、たんのうの心を治め、親心に少しでも近づかせてもらい、たすけの心が生れるときにはじめてでてくるのではないでしょうか。
『諭達第二号』に「成人とはをやの思いに近づく歩みである」、「この果てしない親心にお応えする道は、人をたすける心の涵養と実践を措いて無い」とお示し頂いています。見方をかえますと、成人の目標とは「むごい心をうちわすれ やさしき心になりてこい」ということもできると思われます。
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