親が代わりに(三)
「無理な願では御座いますが、預り子の疱瘡難かしき処、お救け下さいませ。その代りに、男子一人を残し、娘二人の命を身代りにさし出し申します。それでも不足で御座いますれば、願満ちたその上は私の命をも差上げ申します。」(『教祖伝』二十一頁)
これは教祖が三十一才の頃、隣家の乳不足で発育が悪くなっている二才の子供を預かられ、世話しておられるときに、不治の黒疱瘡となり、その平癒を祈願されたときの内容です。教祖は幼少の頃、浄土に憧れ、尼になりたいと思われ、十九才の時、勾田村の善福寺で浄土宗の秘伝である五重相伝を受けられましたが、その祈願は阿弥陀仏ではなく、氏神、八百万の神々に向けられ、「奈良の二月堂、三月堂の観世音、また不動さま、薬師さま」(『正文遺韻抄』三十二頁)等に百日のはだし参り等をされます。
この点については中山慶一氏は次のように説明しています。
「浄土宗の信仰も、五重の秘儀も、教祖の幼少時代から、解決を求めて止まれなかった課題に対して何等の解決を与えては呉れなかったという事である。教祖が幼少時代から解決をもとめて止まれなかった課題とは、此の世に住むあらゆる人間が共に睦び、共に楽しく生活する明るい世の中の現成である」(『私の教祖』一二五頁)
祈願の内容は『正文遺韻抄』では「己が子三人ありますゆゑ、世取り子ひとり、誰なりともお残し置き下され、あと二人の寿命をもって、この預り子のない寿命と切り代へ下さるよう」、「八十迄の寿命をお授けなされて下さるよう」、「この願をかなへてくだされて、子供をすみやかに、さきさまへかへしとどけたそのうへにて、私の命をもさし上げます」(三三頁)となっていますが、いずれにしましても、瀕死の子一人を救けるために、我が子二人と御自身の命を身代わりにされいるわけですが、このようなおたすけは私たちのおたすけのひながたになるのでしょうか。教祖はまだ月日のやしろとなられていないので、ひながたにはならないのでしょうか。
このおたすけについては後年おさしづで次のように教示されています。
「人間我が子までも寿命差し上げ、人を救けたは第一深きの理」、「我が子いとい無くして救けて貰いたい、救けにゃならん。これは世界にもう一人もあるか。これは話さにゃならん」(M32.2.2)
これは私たちにとってのひながたであるという意味でしょうか。
救けられた子供は七十二才まで長生きしたと言われています。ということは七十年の寿命を授けられたということになりますが、これは三人分の寿命を七十年縮めることによってでしょうか。
「後日のお話によると、願通り二人の生命を同時に受け取っては気の毒ゆえ、一人迎い取って、更にその魂を生まれ出させ、又迎い取って二人分に受け取った」(『教祖伝』二十二頁)とあります。これは具体的には次女おやすを二年後の天保元年四才で迎い取り、同四年四女おつねとして生まれさせ、同六年迎い取ったということで、その魂は同八年こかん様として誕生することになります。つまり魂から考えますと、こかん様が二度迎い取られ、身代わりとなられたということになります。(山本利雄氏『続人間創造』)
ということは、私たちのおたすけにおいて自分の寿命を例えば十年縮めて、相手の人の寿命を十年延ばして頂くというような願い、相手の身代わりになるような願いはする必要はない、たとえしても、その真実のたすけ一条の心だけを受け取って頂くということではないでしょうか。
又次のようにも明示されています。
「我が子までの寿命まで差し上げて救けて貰た理は、すっきり知らん。何ぞ道のために盡した事があるか」、「ほんの救け損のようなもの」(M32.2.2)
これは教祖のおたすけは「救け損」であったことを意味しているのでしょうか。
「たすけ一条の台という、こら諭さにゃならん」、「救けて貰た恩を知らんような者を、話の台にしてはならん」(M32.2.2)
これは私たちに、人だすけのために自分を忘れ、我が身どうなってもという真実の心になって、苦労させて頂くことが第一義で、それがたすけ一条の台となり、相手が救かるか否か、救けられてから道のために尽くすか否かは第二義的なことであり、そのことに執着してはいけないことを教えられているのではないでしょうか。
このように考えますと、教祖が月日のやしろとなられる前のおたすけも私たちにとってのひながたになると思われます。
中山慶一氏は「当時の教祖の心境は、人間の修行において至り得る最高の境地であったと申し上げても、決して過言ではないと思う」(『私の教祖』一六七頁)と述べていますが、この境地に私たちは絶対に到達することはできません。
教祖は十年後に月日のやしろとなられてから、つとめとさづけによるたすけ一条の道を教えられます。さづけについては、教祖が現身をかくされた直後のおさしづにおいて「子供可愛い故、をやの命を二十五年先の命を縮めて、今からたすけするのやで」、「これまで子供にやりたいものもあった。なれども、ようやらなんだ。又々これから先だん~~に理が渡そう」と教示されています。
「ようやらなんだ」理由については、さづけを渡す準備ができていないこと、「存命の理」の信仰が確立されていないこと、子供が教祖に甘え依存する信仰から成人していなこと等が考えられますが、それとともに教祖の二十五年縮められた定命がさづけには込められていること、つまり教祖が二十五年の命を身代わりとして、さづけによって私たちを救けて下さり、寿命をのばして下されることが考えられないでしょうか。
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